日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

活動回顧録 2016 - 秋の北海道

2017-03-14 23:02:54 | 旅日記
昨年の回顧録もいつの間にやら長丁場になりました。12回目は秋の北海道遠征を中心に振り返ります。このまま行けばさらに三、四回ほどかかるでしょうか。桜が咲く頃までに終えるのを当面の目標にしておきましょう。

・晩秋の大地を行く 2016(9/22-10/3 12日間)
九月の連休の中日に野暮用が入り、大いに悩まされたことについては前回述べました。しかし人間万事塞翁が馬、これが結果としては幸いしました。というのも、敬老の三連休が使えなくなった関係で、職場を一週休んでの遠征を、秋分の日以降に延ばさざるを得なくなったからです。そしてこの時期の天候が最高でした。
実は、始めから北海道に行こうとしていたわけではありません。元々の旅先として考えていたのは九州でした。秋の遠征の目的地として北海道が三年続き、九州に腰を据えて滞在する機会を長らく逃してきた中、四月に熊本が震災に見舞われたことで、被災地支援を大義名分に九州へ遠征しようと思い立ったのがそもそもの発端です。昨年は新幹線開業前に度々北海道に渡り、さらには花見の旅でも訪ねることができたため、秋は見送ってもよかろうという考えもありました。そこで、秋分の日から翌週末までの日程を確保しておき、九州へ行くことを前提にしつつも、現地の天候がよろしくなければ、北海道に振り替えることも視野に入れつつ、準備を進めていたのでした。
九州へ行くつもりが土壇場で北海道に変わった理由の一つとして、前月に北海道が台風の被害に見舞われ、被災地支援という観点からは大差がなくなったことが挙げられます。特に、この台風で道内の鉄道網が寸断され、存続問題がより深刻化したことは看過できない問題でした。加えて九月の中旬とは思えない残暑が続き、北海道はともかく九州では相当難儀することが予想されました。直前まで天候を見極めた結果としても、九州より北海道に利がある状況だったため、またも北海道へ渡るという顛末です。その予報は見事に的中し、道外ではどこへ行っても残暑と天候不順で惨憺たる状況の中、北海道だけが連日清々しい秋晴れに恵まれ、天候に関しては自身の渡航歴の中でも最高の結果に終わったのでした。

このように、被災地支援を名目にした活動だけに、台風でとりわけ被害を受けた十勝と北見を主戦場にするつもりでいました。それに加え、存続問題が浮上している道北の鉄道を早急に訪ねておきたいという考えもありました。どちらを先にするかは成り行き任せという状況の中、上陸早々旭川に泊まったことで、そのまま北へ向かうという展開です。そして名寄に二泊、音威子府に一泊、稚内には実に三泊したことで、北見、十勝は切らざるを得ないという結果に。見方によっては本末顛倒ともいえますが、オホーツクと道東に比べ、道北を旅する機会は自身にとって少なく、稚内については実質八年ぶりでした。それだけに、腰を据えて滞在できたことについては満足しています。
道内で九泊しながら、キャンプはわずか一回しかなく、代わりに旅人宿を主なねぐらとしたのも本活動の特徴です。天塩弥生駅の跡地にできた旅人宿に連泊したのを始めとして、稚内のライダーハウスには三日にわたって世話になり、道内最後の夜は萱野のライダーハウスで締めくくりました。翌日の夜行のフェリーで北海道を離れ、八戸から始発の新幹線に乗り継いで、一時帰京を経て復帰するという流れは花見の旅と同様です。
加えて特筆すべきは、セイコーマートの利用頻度が極端に少なかったことです。明らかな原因として、名寄の宿が二食付、稚内でも徒歩圏内に呑み屋街があり、晩酌で利用する機会がキャンプの一泊しかなかったという点が挙げられます。昼は昼でこれぞというものがあればいただき、ないときには時間を惜しみ抜いてしまうことが多かったため、やはりセイコーマートの出番は巡ってきませんでした。このままでは終われないと思い始めた終盤も、よりによってセイコーマート空白地帯に足を踏み入れてしまったり、ようやく店舗が現れてもホットシェフがなかったりして、最後まで出番が増えることはありませんでした。ホットシェフの丼物を一度もいただけなかったのが、本活動における唯一の心残りです。心残りといってもその程度しか思い浮かばないのは、本活動がいかに完勝だったということでもあります。

・三陸海岸縦断ツアー(10/7-10 4日間)
北海道からまっすぐ帰らず、途中に車を置いて列車で帰り、東北を少しずつ南下していくという奇策は、今やすっかり定着した感があります。その途中に津軽と盛岡を経由することについても。しかし昨秋はそのいずれをも素通りしました。天候が振るわず、今まで訪ねたとき以上のものを期待しがたかったというのが直接の理由ではありますが、震災を境に訪ねる機会を逃していた三陸の現状を、この目で見届けておきたいという考えもあってのことです。
初日こそ快晴に恵まれたものの、二日目は日がな一日雨に降られ、その後も予報ほどには回復しませんでした。天候に関する限り北海道にいた頃とは比べものにならない結果ではありましたが、それ故に三陸へ行こうという考えが起こったともいえます。沿道に建つ津波到達地点の標識に、ここまで波が来たかと驚かされたり、市街がいまだ一面の更地となっていたりするなど、震災の爪痕が思った以上に深いことを思い知らされた一方、呑み屋が仮設の店舗で営業している光景には、現地の人々の気概が感じられました。震災から五年の節目に再訪できてよかったというのが実感です。

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