続いては正真正銘線路の遺構、藻興部川橋梁です。若草色に塗られたプレートガーター橋は、レールが剥がされたのを除けば枕木もろともそのままで、橋台には銘板も残ります。昭和56年1月の着工ということは、この橋が列車を通したのは長くとも八年そこそこだったのでしょう。国鉄末期に掛け替えられた鉄橋は、11年で放棄された白糠線にも満たない短い勤めを終え、今は静かに眠っています。
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