旅先では何かと拡大指向に走りがちです。潔く一軒に絞るつもりが、結局「鬼無里」の暖簾をくぐりました。
「二兎追う者は一兎を得ず」の諺を承知しつつもこのような選択に走ったのは、九時頃になるかと思われた開始時刻が若干早まったことによるところが一つ。毎年足を運んでいながら、「蔵」一辺倒では進歩がないと感じていたのが一つ。もう一つの理由は、宿との位置関係からして「蔵」へ向かう途中に「鬼無里」の前を通る形になり、むざむざ素通りし難かったことにあります。
教祖の偉大さの一つとして、余所者がまず足を踏み入れないであろう雑居ビルの中からでも、さすがと感心させられる名店を発掘してくる点が挙げられます。この店についても然りで、薄汚れた雑居ビルの二階には、事前情報さえなければ近寄ることさえないでしょう。外観からしてただならぬ雰囲気を放つ店ならともかく、ここの場合店構え自体に特段閃くものは感じられません。よい店に出会える確率は四分の一であるというのが教祖の見解ですが、このような場所にまで対象を広げていれば、その程度の確率になることは想像に難くありません。
教祖が事あるごとに推してきた、聖地というべき名店と違い、この店が紹介されたのは比較的最近のことです。それだけに、事前情報だけでおおよその想像ができてしまう超有名店とは異なる面があります。情報から判明していたのは、大皿の家庭料理が中心であることと、店主が一癖ある人物だということでした。呑み屋を経営しておきながら、酒呑みは嫌いだと公言して憚らないことからしても、酔いが回った状態でいきなり行くのはためらわれます。かような観点からは、行くなら一軒目しかなかろうという考えはありました。
暖簾をくぐるやいなや、店主の独特さがいきなり発揮されました。先客が全くいない店内で、店主がテーブル席に腰掛け休憩しており、そろそろ閉めるつもりだったと、暗に断るような第一声が発せられたのです。そうですかと引き下がればそれまでのところ、あまりの唐突さでこちらが呆気にとられていると、幸いにして入店を許されるという経過です。
カウンターには分厚い一枚板が奢られ、それに沿ってざっと二十種以上もの大皿が並んでいました。品数の豊富さと、見れば一目で分かる家庭料理を中心にしたところは、長崎の「こいそ」と同じです。酒も肴も品書きは一切なく、酒はビールと清酒がせいぜい、肴は目の前の大皿を見て選ぶというのがここでの流儀なのでしょう。カウンターの背面には、今は使われている気配のない黒板があります。開店当初はおすすめの品などを記していたのが、常連客が増えるにつれてそれさえ行われなくなり、今のような形になったのだと推察しました。
自分と同じボストン眼鏡をかけ、白髪交じりの頭を後ろで束ねた店主は、風貌通りの一風変わった人物でした。無駄に愛想を振りまくこともなく、一見客の自分に対してもいわゆる「タメ口」です。とはいえ無愛想でぶっきらぼうなわけではなく、飄々として捕らえ所がないというのが適切な評価のような気がします。教祖の推奨店の中では、横浜の「麺房亭」の店主にも通ずる独特さではありますが、饒舌なあちらの店主とは一味も二味も異なります。自身知る中でいうなら、釧路の「鳥善」の店主に最も近いという印象です。
酒は駒を逆さにしたような変わった形の徳利に注がれてきました。おそらく二合はあるでしょう。この徳利を含め、素焼きを中心にした器の一つ一つが凝っています。唯一残念なのは、惣菜を電子レンジで温める結果、いかにもそれらしき不自然な温かさになってしまっていることです。煮魚などはともかく、最初に頼んだ茄子の煮付けなどはそのままいただいても十分いけそうなだけに、そのような惣菜については加熱無用でお願いする手はありかもしれません。
徳利一本と惣菜三品でお愛想は二千円也。酒も肴も一品五百円見当という、大衆酒場と変わらぬ手頃さです。しかも価格なりの分量というわけではなく、酒は上記の通り大徳利で、惣菜についても一人客には十分な量があり、最後にいただいたグラタンなどはかなりの物量感がありました。高価な刺身も流行の地酒もなく、万人受けという点では若干の疑問符がつくものの、日参するにはこのような店こそ理想的ではないでしょうか。今回もさすがと感服した次第です。
★鬼無里
奈良市角振新屋町10 パーキング奈良2F
0742-22-5787
1700PM-2200PM
不定休
「二兎追う者は一兎を得ず」の諺を承知しつつもこのような選択に走ったのは、九時頃になるかと思われた開始時刻が若干早まったことによるところが一つ。毎年足を運んでいながら、「蔵」一辺倒では進歩がないと感じていたのが一つ。もう一つの理由は、宿との位置関係からして「蔵」へ向かう途中に「鬼無里」の前を通る形になり、むざむざ素通りし難かったことにあります。
教祖の偉大さの一つとして、余所者がまず足を踏み入れないであろう雑居ビルの中からでも、さすがと感心させられる名店を発掘してくる点が挙げられます。この店についても然りで、薄汚れた雑居ビルの二階には、事前情報さえなければ近寄ることさえないでしょう。外観からしてただならぬ雰囲気を放つ店ならともかく、ここの場合店構え自体に特段閃くものは感じられません。よい店に出会える確率は四分の一であるというのが教祖の見解ですが、このような場所にまで対象を広げていれば、その程度の確率になることは想像に難くありません。
教祖が事あるごとに推してきた、聖地というべき名店と違い、この店が紹介されたのは比較的最近のことです。それだけに、事前情報だけでおおよその想像ができてしまう超有名店とは異なる面があります。情報から判明していたのは、大皿の家庭料理が中心であることと、店主が一癖ある人物だということでした。呑み屋を経営しておきながら、酒呑みは嫌いだと公言して憚らないことからしても、酔いが回った状態でいきなり行くのはためらわれます。かような観点からは、行くなら一軒目しかなかろうという考えはありました。
暖簾をくぐるやいなや、店主の独特さがいきなり発揮されました。先客が全くいない店内で、店主がテーブル席に腰掛け休憩しており、そろそろ閉めるつもりだったと、暗に断るような第一声が発せられたのです。そうですかと引き下がればそれまでのところ、あまりの唐突さでこちらが呆気にとられていると、幸いにして入店を許されるという経過です。
カウンターには分厚い一枚板が奢られ、それに沿ってざっと二十種以上もの大皿が並んでいました。品数の豊富さと、見れば一目で分かる家庭料理を中心にしたところは、長崎の「こいそ」と同じです。酒も肴も品書きは一切なく、酒はビールと清酒がせいぜい、肴は目の前の大皿を見て選ぶというのがここでの流儀なのでしょう。カウンターの背面には、今は使われている気配のない黒板があります。開店当初はおすすめの品などを記していたのが、常連客が増えるにつれてそれさえ行われなくなり、今のような形になったのだと推察しました。
自分と同じボストン眼鏡をかけ、白髪交じりの頭を後ろで束ねた店主は、風貌通りの一風変わった人物でした。無駄に愛想を振りまくこともなく、一見客の自分に対してもいわゆる「タメ口」です。とはいえ無愛想でぶっきらぼうなわけではなく、飄々として捕らえ所がないというのが適切な評価のような気がします。教祖の推奨店の中では、横浜の「麺房亭」の店主にも通ずる独特さではありますが、饒舌なあちらの店主とは一味も二味も異なります。自身知る中でいうなら、釧路の「鳥善」の店主に最も近いという印象です。
酒は駒を逆さにしたような変わった形の徳利に注がれてきました。おそらく二合はあるでしょう。この徳利を含め、素焼きを中心にした器の一つ一つが凝っています。唯一残念なのは、惣菜を電子レンジで温める結果、いかにもそれらしき不自然な温かさになってしまっていることです。煮魚などはともかく、最初に頼んだ茄子の煮付けなどはそのままいただいても十分いけそうなだけに、そのような惣菜については加熱無用でお願いする手はありかもしれません。
徳利一本と惣菜三品でお愛想は二千円也。酒も肴も一品五百円見当という、大衆酒場と変わらぬ手頃さです。しかも価格なりの分量というわけではなく、酒は上記の通り大徳利で、惣菜についても一人客には十分な量があり、最後にいただいたグラタンなどはかなりの物量感がありました。高価な刺身も流行の地酒もなく、万人受けという点では若干の疑問符がつくものの、日参するにはこのような店こそ理想的ではないでしょうか。今回もさすがと感服した次第です。
★鬼無里
奈良市角振新屋町10 パーキング奈良2F
0742-22-5787
1700PM-2200PM
不定休
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