甲府昭和で一旦下り、20号線沿いでラーメンをいただいてから、勝沼で再び中央道に乗りました。しかし腹が満ちると当然ながら眠くなります。無停車で走りきるのは無理と見て、藤野で小休止をとってから再び走りました。実質二度の休憩により小一時間を消費し、二時台後半の帰宅という結果です。
一時帰京をしながらの長旅自体、花見の旅、あるいは北海道への遠征と組み合わせる形で何度か経験してきました。しかし、今回の活動には異なる点がありました。まず、行動の範囲の狭さが挙げられます。正月に四国を旅したとき、七日間で2000km近く走ったことを考えると、延べ16日間で1760kmという走行距離の少なさは歴然としています。
行動範囲が狭かったのは、連休を利用せず、土日に休みを付け足す形で少しずつ駒を進めたからでもあります。花見にしても北海道にしても、一週間単位の本編を中心に、その後の続編、番外編とでもいうべき活動を一体化させる形を採ってきました。それに対して今回は最長でも四日です。これにより、いたずらに行動範囲を広げずに、限られた日数を過不足なく使い切るという流れができ、道中の出来事がそれだけ深く印象に刻まれました。特に、早春から春への移り変わりを見届けられたのは貴重な経験です。
四年前から三年前にかけて、北陸に足繁く通った時期がありました。ただし、それは新幹線の開業により輸送体系が一変するという事態に迫られてのことです。引き金となった新幹線が開業すれば、これほど通い詰めることは二度とないだろうと当時は思いました。それだけに、今回の結果は自身にとっても全くの予想外でした。
毎年続けている花見の旅、北海道への遠征と違い、今回は偶然が積み重なった上での結果だけに、今後恒例行事化するかどうかは何ともいえません。しかし、通算20万kmの節目を飾るにふさわしい旅だったことだけは間違いありません。後年まで記憶に残る旅の一つとなりそうです。
一時帰京をしながらの長旅自体、花見の旅、あるいは北海道への遠征と組み合わせる形で何度か経験してきました。しかし、今回の活動には異なる点がありました。まず、行動の範囲の狭さが挙げられます。正月に四国を旅したとき、七日間で2000km近く走ったことを考えると、延べ16日間で1760kmという走行距離の少なさは歴然としています。
行動範囲が狭かったのは、連休を利用せず、土日に休みを付け足す形で少しずつ駒を進めたからでもあります。花見にしても北海道にしても、一週間単位の本編を中心に、その後の続編、番外編とでもいうべき活動を一体化させる形を採ってきました。それに対して今回は最長でも四日です。これにより、いたずらに行動範囲を広げずに、限られた日数を過不足なく使い切るという流れができ、道中の出来事がそれだけ深く印象に刻まれました。特に、早春から春への移り変わりを見届けられたのは貴重な経験です。
四年前から三年前にかけて、北陸に足繁く通った時期がありました。ただし、それは新幹線の開業により輸送体系が一変するという事態に迫られてのことです。引き金となった新幹線が開業すれば、これほど通い詰めることは二度とないだろうと当時は思いました。それだけに、今回の結果は自身にとっても全くの予想外でした。
毎年続けている花見の旅、北海道への遠征と違い、今回は偶然が積み重なった上での結果だけに、今後恒例行事化するかどうかは何ともいえません。しかし、通算20万kmの節目を飾るにふさわしい旅だったことだけは間違いありません。後年まで記憶に残る旅の一つとなりそうです。
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