日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

東北一周花見の旅 2013番外編

2013-05-08 23:24:13 | 東北
疲労と闘いながらの長距離走行だった過去三年の復路から一転、グランクラスを奢って悠々の当日帰着となった昨晩でしたが、やはり十日を超える長旅の疲れはいかんともしがたく、一風呂浴びるやいなや倒れるように眠ってしまいました。それから一夜が明けて驚いたのは、通勤路で眺めた木々の緑がかなり色濃くなっていたことです。出発まで辛うじて咲き残っていた八重桜は完全に姿を消し、土手へと上がる階段は草ぼうぼうになって、たかが十日と少しで季節がここまで進んだかと感心させられます。昨日まで着込んでいた長袖二枚と上着が今日は半袖シャツ一枚に替わり、都会は名実ともに初夏を迎えたのだと実感した一日でした。

さて、長旅はこれにて一段落したわけなのですが、マイカーを旅先に残しての一時帰京だけに、自分の中では旅が終わったという実感が一向に湧きません。それだけに、道中を振り返るにはまだ早いといった感があり、心は今も旅先にあるというのが本音ではあります。よって、目下念頭にあるのはもっぱら津軽のことであり、その津軽に関して思うのは、この噛み合わない天候がどうにかならなかったかということです。
なにしろ、三日間滞在したにもかかわらず、薄日と明るい曇り空がそれぞれ二時間ほどあったのを除けば、花見をする気も失せるような曇や雨のどうしようもない天候が続き、夜桜でさえ一晩は雨で使い物になりませんでした。ところが、こちらがひとたび津軽を離れるやいなや、今日は朝から終日晴天という掌返しで、明日明後日も時折日差しがのぞくと予想されています。さらには駄目を押すかのように、今週末に舞い戻ったときには土日の二日とも雨というのですから、実に見事なまでのすれ違いです。

昨日ざっと眺めた時点で、早咲きの木でもところどころ開きかけの蕾が残っていたことからして、今週末に再訪しても花が残っているのは確実でしょう。しかし、今回改めて思ったのは、開花状況よりも天気の方がはるかに重要ということです。開花状況を注視しつつ、五分咲きを過ぎて満開へ向かおうとする絶好の時期に、弘前に三日滞在するという時間配分は、まさに狙い通りのものでした。しかし、どんより曇った空の下で眺めても、まあこんなものかといった程度の印象しかなく、弘前で過去何度も出くわしてきた見る者を圧倒するような光景が、今回は全くといっていいほどありませんでした。要は、見頃を多少前後したとしても、晴れれば見事な絵になるということで、今年でいうなら鶴ヶ城の桜がまさにそうです。弘前の桜は、残念ながらその正反対になってしまうのかもしれません。
もっとも、一度開いた蕾が閉じることはなく、その点で開花状況はある程度読めるのに対し、天候の読みづらさはその比ではありません。日中を丸々棒に振った五日などは、もともと連休後半で一番の好天と予想されていました。それがあれほど見事に外れては、こちらとしてもお手上げです。
繰り返す通り、このような冴えない天候だからこそ桜が長持ちしたのであって、晴天が続けば連休前半あたりで終わっていたでしょう。あと一日早く晴れてくれればという状況は今回に限ったことではなく、都内で花見をしているときも、中通りの古木めぐりが頓挫したときも、何度となくそのようなやるせない場面がありました。十一日間を通じて考えれば、例えば地元で花見をしていた半月と比べても、晴れた日の割合はさほど変わらないのではないでしょうか。これもある意味運命だったと今は割り切っています。誰を恨むでもなく、皮肉としかいいようのない巡り合わせに苦笑させられる弘前での花見でした。

ここまで振られ続けたことからして、週末の天気予報が直前に好転するなどという虫のよい話は期待していません。まあ現実的な展開としては、二日のうち一日は花散らしの雨に打たれる弘前の桜を眺め、もう一日は小坂か大館に足を延ばして、東北六県で一応花見ができればよいといったところではないでしょうか。五月の中旬まで東北で花見ができるだけでも十分と考えることにします。
気分は既に今週末を通り越し、海峡の彼方へと向いています。そして拡大策にも新たな構想が。詳細は後日(ニヤリ)

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