日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

晩秋の能登を行く 完結編 - 元の鞘

2019-11-16 12:59:05 | 北陸
名古屋では雲一つなかった空に、関ヶ原を越えた頃から少しずつ雲が出始め、敦賀で日本海側へ出ると曇りました。福井では時折晴れ間がのぞいたものの、小松が近付いた頃には本降りとなり、金沢へ着いた頃には止むという経過です。バスで市街へ移動して、今夜の宿に荷物を預け、ひとまず身軽になりました。これは元の鞘に収まったということでもあります。

金沢に列車が着くまで、福井へ行くかどうかを考え続けました。最後まで迷いがあったということです。いずれにしても「買う」には違いないだけに、「迷ったら買え」の原則では決められません。さりとて、「今しかできない方を選ぶ」という観点でも決めることができませんでした。明日の晴天を生かすという点にだけ着目すれば、福井へ行くのが「今しかできない方」ともいえます。しかし、はるばる行くなら雪景色、残雪、水鏡、稲穂といった絵になるものがあってほしいと思います。それらのいずれもない状況で、高岡から延々走っていくのかと考えたとき、是非行きたいと思うほどの意欲が湧かず、むしろ大変だという心情が頭をもたげました。
能登編の後半に似たような場面がありました。北上を始めたところで曇り、この条件でわざわざ行くかと一時は懐疑的になるも、翌日晴れる可能性に賭けて、行ける場所まで行こうと決め、明くる日に半島の先端まで辿り着くという顛末です。あのときは、まだやれる、もう一花咲かせたいという心情が最終的な決め手となりました。しかし、今度はそう思わせるだけの決め手がありません。むしろ、北海道から新潟を経て富山と能登を渡り歩き、金沢だけ素通りして福井で終わるという流れが、長旅の結末としていささか唐突に思われたとでも申しましょうか。
そのようにして考えを巡らせた結果、遠くへ行きたいという純然たる願望ではなく、あと数年で撮れなくなってしまうという危機感が、自分を福井へ駆り立てていることに気付きました。そこまでして行ったとしても本末顛倒です。金沢駅で降りたとき、素通りするには惜しいという心情を断ち難かったことから、その時点でようやく腹を括った次第です。

そのようなわけで、それなりに納得した上での結論です。とはいえ、一切の迷いが払拭されたわけでもありません。明日になれば、冴えない曇り空を見上げて、福井ならどうだったかと臍を噛むかもしれません。新幹線が敦賀に延伸された暁には、あのとき撮っていればと悔やむかもしれません。しかし、旅に多少の後悔はつきものです。失ったものを取り返して余りある成果があればよいともいえます。そのためには、まず金沢で過ごす時間を充実させることです。
先ほどから再び雨が降ってきました。あいにくの雨模様ではありますが、それなりの使い道があることについては出発前にも申した通りです。今回も満喫できれば幸いに思います。
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