goo blog サービス終了のお知らせ 

日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

書簡集14-1 へブル人への手紙

2020年05月01日 | Weblog
 書簡集14の1 へブル人への手紙
 はじめに
 この手紙の受取人はへブル人です。へブル人とはユダヤ人のことです。へブル人、ユダヤ人、イスラエル人は、ほとんど同じ人たちです。これまでのパウロの書簡集の宛先と違って、へブル人は、決して異邦人ではありません。著者と同じユダヤ人です。捕囚によって各地に散らされていた、ユダヤ人かもしれません。いずれにしても、同じユダヤの地に生まれ育った著者と同じユダヤ人です。このユダヤ人は、もともとはユダヤ教を信じていました。回心して、キリスト者になった者たちです。キリストの福音を聞いてイエスこそ約束のメシアと信じたのです。ユダヤ教に対する優越性を知ったのです。当時のことです。これらのものに反対する勢力がいました。反キリストです。ユダヤ教徒たちです。彼らは硬軟両用の戦略をとります。激しい迫害を与えたり、偽教師を遣わしして、甘言で彼らの信仰を、もとのユダヤ教に戻そうとしたのです。未熟な聖徒たちは、それに乗せられ、古いユダヤ教の教えや、習わしに戻ろうとしたのです。キリストの新しい教えから離れようとしたのです。試練の中、信仰の成長は妨げられていました。いや、後退していたのです。この事態は、他の敬虔なキリスト者にとっては由々しきことです。著者は、ユダヤの聖徒たちが、イエス・キリストを信じる信仰を維持、成長させ、かつて彼らが信じていたユダヤ教の信仰に戻らないように、この警告の手紙を書いたのです。著者は心を込めて言います「あなたがたは、光に照らされた後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。人々の目の前で、そしりと苦しみを受けたものもあれば、、このような目にあった人々の仲間になったものもありました。あなたがたは捕らえられている人々の仲間になったものもありました。あなたがたは捕らえられた人々を思いやり、また、もっと優れた、いつまでも残る財産を知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみ心を行って、約束のものを手に入れるために必要なものは忍耐です。『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。遅くなることはない。私の義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら、私たちの心は彼を喜ばない』。私たちは、恐れ退いて滅びるものではなく、信じて命を保つものです(10:32~39)」と。「このように、あなたがたの信仰は、今どんなに苦しくとも、報われる時があるから、忍耐をもって待ち望め」と、著者は信仰に揺るぎを感じている彼らを諭している。
 この後、著者はイエスの他の神に対する卓越性を明らかにする。イエスは至高の存在である。これなくして信仰の後退下にあり、その至高性に疑いを抱く聖徒たちを、もとの信仰(イエスの教え)に回帰させることは出来ないのである。
 この書簡の著者はだれか:この書は他のパウロの13の書簡と異なって、著者名は明記されていない。差出人不明の書簡である。その差出人から「ヘブル書」は「特定の状況下」に置かれたキリスト者のグループに宛てて書かれたものである、と知ることが出来る。11章には、旧約聖書の著名な登場人物(アベル、エノク、ノア、アブラハム、アブラハムの妻、ヤコブ、イサク、エサウ、ヨセフ、モーセ、ラハブ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル)に触れていることから、著者は、旧約聖書に精通したものであると考えられる。
 この書の著者はパウロであるという説は有力ではあるが、その根拠は、内容的な一致である。しかし、必ずしも一致しているとは言えないのである。パウロの書簡の宛先は、あくまでも異邦人であって、「へブル書」の宛先とは異なるのである。へブル書の宛先は「信仰の後退したもの」、へブル人であって、異邦人ではない。仮にパウロであるとしたら「へブル書」の中に名前を明記するはずだからである。それがパウロの書簡の習慣だからである。へブル書だけが例外と言うのはおかしい。そこで、余計な憶測を排して、この書の著者は「不明」である、と考え「著者」と呼ぶことにする。しかしいずれの人物が著者であっても、神の聖霊を宿した人物が著者であることに疑いをはさむことは出来ない。彼は神の権威をもって私たちに語り掛けている(Ⅱテモテ3:16参照)。
 律法の行いから神を信じる信仰へ:「誰でもキリストの中にあるなら、その人は、新しく作られた人です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました(Ⅱコリント5:17)」。この言葉は「へブル書」のすべてを要約している。古いものとは、モーセの戒律に代表される「律法」である。新しいものとは人と神との契約である。古いものとは、一時的であり、限定的である。新しいものとは、無限であり、永遠である(7:22~25参照)。「律法から、神を信じる信仰へ」これはパウロの13の書簡を貫く基本的思想である。この思想を「へブル書」は引き継ぎ、さらに展開している。
 キリストとは至高の存在である。このことをヘブライ人に理解させることが、この書の著者の最終的な目的である。へブル人たちはこのことを理解しなかった。いや理解できなかった。反キリストの偽の教えがこの真実の理解を妨げていた。「あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神の言葉の初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています(5:12)」と。著者はキリストの至高性を教え、この方に対する信仰の在り方を教える。
 メルキゼデクとはどのようなお方か:メルキゼデクと言う人物は、きわめて聞きなれない人物名である。本書に出てくる(5:10,6:20,7:2,3,6)ほかは創世記(14:18~20)と詩編(110:4)に出てくるだけである。
 メルキゼデクとはサレムの王で、優れて高い神の祭司であり、その名を訳すと義の王であり、次にサレムの王、すなわち平和の王である。父もなく母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神に似たものとされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。族長のアブラハムでさへ、戦利品の十分の一をメルキゼデクに捧げています。メルキゼデクは、霊的にアブラハムよりも上位にあることが示されています(7:1~3)。さらに詩篇110:4では「主は近い、御心を変えない。あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司です」と。あなたとはメシアを指し、この時代イエス・キリストは存在していないが、キリストを象徴している。
 新約聖書では、イエスは大祭司であり、メルキゼデクの系統をひくものとみなされている。これまで大祭司の職務は、アロンを代表とするレビ族のものであり、神の幕屋には、彼ら以外の者は、近づくことも許されなかった。しかし、イエスは大祭司である。レビ族の系図にないものが、アブラハムから十分の一をとって、約束を受けた人(イエス・キリスト)を祝福したのである。イエスはレビ族以外のユダ族であり。本来なら大祭司になることの許されない部族の出身である。何故か。著者は言う「さて、もしレビ系の祭司職によって完全に到達できたのだったら    民はそれを基礎として律法を与えられたのです   それ以上何の必要があって、アロンの位でなくメルキゼデクの位に等しいと呼ばれる他の祭司が立てられたのでしょうか(7:11)」。前の戒めは、弱く無益のために廃止されましたが、    律法は何事も全うしなかったのです    他方で、さらに優れた希望が導き入れられました。その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、命の力によって、祭司となったのです。神のご計画を前進させるものを、神はお選びになるのです。「神が新しい契約と言われた時には、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えていきます(8:13)」。著者は、古びてすぐに消えていくものに頼るなと、揺るぎのへブル人を諭す。
 これまでの復習: この書の主題は、信仰に揺らぎを感じ、元のユダヤ教に回帰しようとしている者を、再びキリスト者に戻すには何をなすべきかを語ることにある。そのためには古い教え(ユダヤ教)に対して新しいキリストの教えは、すべてにおいて卓越していることを証明しなければならない。それが、キリストの教えに疑いを抱くへブル人を説得する唯一の方法なのある。そのためにこの書の著者が行ったことは
1、 イエス・キリストの卓越性(ユダヤ教が信じる、御使い=天使、モーセの律法、レビ的祭司にたいする)を、歴史的、神学的に証明し、
2、 試練の中で信仰の成長が妨げられている聖徒たちに警告を与え
3、 ユダヤ人キリスト者の信仰は保たれねばならないと、諭すことであった。
 終わりの時に、神は御子によって語られた:「神はむかし父祖たちに、預言者たちを通じて、多くの部分(歴史書、儀式、詩文)に分け、いろいろの方法(夢、幻、啓示、奇蹟、時には直接的な語り掛け)で語られました。この終わりの時には、御子によって私たちに語られました。1、神は御子を万物の相続者とし、2、また御子によって世界を造られました。3、御子は神の栄光の輝き、4、また神の本質の完全な現れであり、5、その力あるみことばによって万物を保っておられます。6、また罪の清めを成し遂げて、7、すぐれて高いところの大能者の右の座に着かれました。御子は、み使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけみ使いよりもまさるものとなられました(1:1~4)」。
 終わりの時に、神の啓示は完全なものとなった。キリストそのものが神の言葉であった。「はじめに言葉があった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった(ヨハネ:1:1)」。キリストそのものが神の自己啓示である。神は人となられ、人間の前に出現し、人間に神の本質を示し、神の言葉を語られた。キリストは神の真理のすべてを人間に啓示された。
 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、辱めをものともせずに十字架をしのび、神のみ座の右に着座されました(12:2)」。
 言葉の意味
 御 子:御子とはキリストのことである。終わりの時に神の啓示は完全なものになった。キリストそのものが神の言葉であった。「はじめに言葉があった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった(ヨハネの福音書1:1)キリストそのものが神の自己啓示である。神は人となられ、人間の前に出現し、人間に神の本質を示し、神の言葉を語られた。キリストは神の真理のすべてを啓示された。この方は王の王、主の主である。他の何物にも代えがたい偉大な神です。
 神のみ使い:み使いは、霊的存在で、超自然的なことは出来るが、それらは、みな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるために、これは私たちクリスチャンのことですが、遣わされたものに過ぎない。「御子」は、そのみ使いに拝まれる対象であって、御子とは、まったく比べ物にならない存在である。
令和2年3月10日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会


書簡集13 ピレモンへの手紙 パウロの執り成し

2020年05月01日 | Weblog
  書簡集⒔ ピレモンへの手紙 パウロの執り成し
 はじめに
 パウロは3通の獄中書簡を書いています。「エペソ人への手紙」「コロサイ人への手紙」と、この「ピレモンヘの手紙」の3通です。当時ピレモンはコロサイの教会の牧者でした。パウロは「コロサイ人への手紙」を、コロサイの教会に送っただけでなく、この個人的書簡「「ピレモンへの手紙」も併せ送ったのです。
 獄中で産んだ我が子オネシモのことで、あなた(ピレモン)お願いしたいのです。
 「ピレモンへの手紙」は、おそらく、パウロの最後の書簡であり(おそらく、と言うのは、次の「へブル人の手紙」もパウロの作だと言うものもいるからです)パウロの書簡の中では、最も短く、最も個人的な書簡です。ピレモンに対して書かれた個人的書簡であるため教義的内容は見当たりません。
 その内容の第1は、牧者ピレモンの愛の深さ、信仰の深さが語られ、第2にはキリスト者に回心した逃亡奴隷オネシモの罪の赦しを、パウロがピレモンに願うところにあります。キリストの前では奴隷も自由人も平等でなければならないのです。牧者であるピレモンは当然それを知っているはずです。奴隷と言う身分は本来あってはならないのです。パウロはこの奴隷制度に対して、一言も批判していません。奴隷制を前提にして話を進めています。時代的限界を感じます。
 しかし聖書は時代を超えた書です。
 パウロの友人で同労者でもあるピレモンはコロサイの「家の教会」の牧者であり、多くの奴隷を抱えた裕福な地主貴族の1人でした。ところが深刻な問題が発生したのです。ピレモンの奴隷の1人オネシモがピレモンに経済的損失(盗みか)を与え、ローマに逃亡したのです。いわゆる逃亡奴隷です。オネシモはローマでパウロ(キリストの宣教ゆえに捕らわれの身になっていた)に出会い、救いの素晴らしい知らせ(福音)を受け入れ、キリスト者として再生したのです。そこでパウロはピレモンに手紙を送り、オネシモを逃亡奴隷としてではなく、我々と同じキリスト者として送り帰すから厳しく罰するのではなく、愛をもって受け入れてほしいと願います。そしてオネシモがピレモンに与えた経済的損失を、私が贖おうと約束するのです。
 時代背景
 パウロの生きた時代の産業構造を見ると、その主要産業は農業で、地主貴族の手の内にありました。その労働力は専ら、地主貴族の抱える奴隷=農奴が担っていました。その賦役労働が彼らの収入源でした。次にその農産物を扱う商人がいました。地主の一部が市場を作り商人となったのです。彼らは出世して御用商人となります。王侯貴族の付き合いで海外に進出します。交通網が整備され、貿易港が出来ます。商人は社会的に一大勢力になります。商人の進出は社会構造を変えます。農機具(鋤。鎌、鍬)の生産は、農業者の副業であった。この技術者も奴隷でした。戦乱の世のこと武器にも手を出しました。戦車、大砲などの重機は海外に頼ったでしょう。御用商人が、権力者から注文を受け工業者に発注したり、海外に頼ったりしていました。技術者は富を蓄積し、その金で身分を買い解放奴隷となります。かくして彼らは独立して中小の企業家になるのです。工業の始まりです。ここに士農工商の社会が生まれます。
 当時、労働は卑しい者の仕事であって、奴隷の担うものでした。富裕な自由人(貴族を中心とする)は労働を嫌い、学術、文化、芸術、政治を専らとしていたのです。彼らは高学歴者であり、彼らの通った大学は、当時、文化の中心であったエジプトにあり、地主貴族の子弟は、好んでエジプトの大学に留学しました。彼らの中には労働の尊さを知るものはいませんでした。労働=奴隷の仕事だったからです。
 彼らの中には「締まりのない生活(Ⅱテサロニケ3:6~15)」をする者がいました。彼らは人の作ったパンをタダで食べていた(賦役労働への依存)のです。「働らかざるものは食うべからず」にもかかわらず何も仕事をせず、おせっかいばかりしていました。おそらく、彼らは時の権力に不満を持ちながらも、何の行動に出ることなく、また、信仰者になることもなく、ただ不満を並べているに過ぎない中途半端な「締まりのない生活」をしていたのです。彼らの不満の第1は度重なる戦乱ででした。パウロは彼らに対して自分でパンを稼げと、労働の尊さを説いています。
「ピレモンの手紙」の内容構成

 登場人物
1.ピレモン:オネシモは彼の奴隷である。奴隷を所有しているということは、彼が富裕な貴族であることを示している。同時にコロサイの「家の牧師」でもあった。初代教会の時代、民家が教会であり、そこに信者が集まり礼拝していた。彼は心優しい牧者であり、主イエスに対する信仰と聖徒に対する愛は深く、民に敬愛されていた。そこにパウロはオネシモの救いを期待したのである。奴隷とは戦乱で敗れた捕虜、没落家族、社会の底辺に落とされた人間の仕事であり、生殺与奪の権利は主人に握られていた。とはいえ、必ずしも、過酷な労働条件の中で働かされていたわけではなかったらしい。それなりに生活は保障されていたし、権利も持っていたという。当時、奴隷の数は自由な市民に比べて多く、彼らの生活を保障することは、その反乱を恐れる権力者にとっては必要だったのである。パウロはピレモンのやさしさと慈悲深さに期待し、逃亡奴隷のオネシモを厳しく罰することなく、その寛大な性格をもって赦すことを期待したのです。しかし、ピレモンが彼を赦したかどうかは、聖書には書かれていません。
2.オネシモピレモンの奴隷であったオネシモは何らかの経済的損失をピレモンに与え、逃亡し、ローマでパウロに出会う。ここで回心してキリスト者になる。当時、逃亡奴隷は捕まれば、主人に生殺与奪の権利を握られていた。死刑になることもあったらしい。パウロはこの逃亡奴隷オネシモをピレモンに帰すにあたり、逃亡奴隷としてではなく、神を信じる聖徒として帰国させるから、寛大に扱うように勧める。その結果については書かれていません。
3.パウロ:この時のパウロは一回目の捕らわれの身で、比較的自由な環境(軟禁状態)の中で生活をしていました。「パウロは、それ(捕縛)から2年の間、借家に住み、訪れた人たちを歓迎し、大胆に神の国と主イエス・キリストのことを語りました。それを妨げるものは誰もいませんでした(使徒行伝28:30)」。パウロは比較的自由な環境の中でオネシモに会うことが出来、彼を回心させることが出来たのです。検閲を受けることもなく異邦の人ピレモンに手紙を書くことも出来たのです。パウロはピレモンに牧者の立場から「あなたにあなたのなすべきことを、キリストにあって命じることもできるのですが、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います(8節)」とあくまでも強制ではなく、愛をもって今はキリスト者となった逃亡奴隷オネシモに対して寛大なる措置をとるようにと願ったのである。救いとは「愛」であり、信仰の基本であることを、パウロは知っていたのである。
 概 要:パウロはコロサイの教会で牧者ピレモンが聖徒たちに示した博愛と、優しさを語り、称賛する。それは逃亡奴隷オネシモに対する赦しの伏線であり、それを、あらかじめ語っているのです。赦しは愛である。オネシモはローマでパウロに会う。ここでオネシモは回心してキリスト者になる。運命的出会いがあったのです。逃亡奴隷としてではなく、キリスト者として帰国させるから、愛をもって、寛大に処置せよとパウロはピレモンに命令ではなく、嘆願するのです。そしてオネシモがピレモンに与えた経済的損失を、私が贖う、と約束する。
 パウロの贖いは、キリストの贖いに通じるものがある。贖いには犠牲を伴う。キリストはその死によって民の罪を贖い、パウロは、オネシモがピレモンに与えた経済的損失を弁済することによって、その罪を贖うのである。
令和2年2月11日(火) 報告者守武 戢 楽庵会

書簡集⒓ テトスへの手紙 遺言の書

2020年04月28日 | Weblog
 書簡集⒓ テストへの手紙 遺言の書
 はじめに
 パウロの使命は異邦人伝道である。異邦の地で異教の徒を、あるいは宗教的無関心層をキリストの教えに導いていくことであった。その福音伝道の結果、多くの人を集めていた。成果はそれなりに上がってはいたが、個人の力には限界があった。その力は結集され、組織化されなければならなかった。それが教会であった。教会はイエス・キリストを基礎として築かれねばならならない。パウロは多くの迫害の下に、各地に教会を築いている。教会は神の家であり、共通の神を信じる者の集まる清い共同体である。外に信仰を発していくためには、強固な組織を必要とする。特にこの時代、反キリストが各地でその勢力をふるっていた。内には背教が起こり、外では反キリストの勢力が時の権力と結びつき教会を迫害していた。パウロは捕らえられ、ローマに送られ、しばらくは軟禁状態にあったが、ネロ皇帝の時代に死刑を宣告された。死を前にしてパウロを取り巻く宗教的環境は危機的状況にあった。この状況から抜け出すためには、強力な指導者を必要としていた。その後継者として選ばれたのがテトスであった。テトスはパウロの信頼に足る強力な同労者であり愛すべき弟子でもあった。彼はギリシャ人で、クレテ島の教会の牧師を務めていた。パウロの宣教旅行には何度も同行している。
 パウロは本書間によって、テトスに教会の乱れを正すように命じている。教会は穢れていたからである。教会の秩序の立て直しと、それを担うにふさわしい長老と監督者を選ぶように命じている。(1章)。さらに教会の様々な年代の人々と奴隷に対して、テストがキリスト者の模範として、勇気と大胆さをもって教え導き、その宗教的根拠をも示せと要請している(2章)。キリストの教えは従来の教えとは大分、異なっていたからである。キリスト者は社会的存在として教会外の人たちとも和合を図り、手を差し伸べ、助け合い、無用な論争を避け、清い社会的存在であれと、教え諭している。高慢でなく謙虚であれとキリスト者としての在り方を説いている。神は私たちの罪を清め、心に聖霊を遣わし、新しい喜びを授けられる方であるゆえに神の恵みを忘れず、一身に体し、心より励めと勧める(3章)。
 パウロが最も嫌ったことは「神を知っていると口では言っていながら、行いでは否定(1:6)」することである。
 誰から誰へ:パウロから霊的な同労者テトスへ。
 いつどこで書かれたのか: AD64~65年「テモトへの手紙」の第1と第2の間に書かれたと言われている。ローマでの最初の獄中生活の後に書かれたと言われている。
 なぜかかれたのか:反キリストの勢力下、クレタの教会の信仰の危機を前にして、その立て直しをもくろみ、テトスにその重大な役割を託して書かれた。
テトスへの手紙の内容構成。

 各章ごとの説明:
 1章:テトスに託された任務、パウロによってテストが遣わされたクレタ島の教会は、問題を抱えた教会であった。「実は、反抗的なもの、空論に走るもの、人を惑わすものが多くいます。特に割礼を受けたものがそうです。彼らの口は封じなければなりません。(1:10)」。割礼を受けたものとは律法を使って、食べるものに清いものと、穢れたものを区別する差別主義者を指しています。彼らは偽教師と呼ばれており、真実を語らず家々(教会)を破壊していました。パウロたちの福音宣教の努力は妨げられ、信仰は危機に晒されていたのです。
 パウロはテトスに二つの課題を与えます。1、教会秩序の立て直し、2、それを実行する牧者(長老と監督)の任命、の2つでした。彼らは人格者であり、教会を管理できる能力者でなければならなかった。このような資格を付与された彼らは「その資格によって「クレテ人はむかしからの嘘つき、悪いけだもの、怠け者の食いしん坊」と言う不名誉ではあるが、偽らざる事実に対処しなければならなかったのです。「厳しく戒め、人々の信仰を健全にし、ユダヤ人の空想話や真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい(1:13~14)」とパウロはテトスに命じる。偽教師(反キリスト、親ユダヤ)の影響が彼らの上に影を宿していたのです。パウロはテトスに言う「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です(1:16)」と。
 >2章: 健全な教えにかなう指導と、その根拠。1章において、パウロはクレタの教会が信仰において危機的状況にあることを知り、その罪からの解放を指示する。2章においては、主に対する慎み深い生き方(2:1~10)とはいかなるものかを具体的に語る。
1. 年上の人に対して=老人(男性)、老婦人(2:1~3)
2. 若い人に対して(2:4~8)
3. 奴隷に対して(2:9~10)
 パウロはテトスに言う「彼らに与える、健全な教えにふさわしいこと、を話しなさい」と、健全な教えとはいかなるものかを語る。それは偽教師の偽の教えに対して、真の教えとはいかなるものかを示し、慎み深い生き方を教え、不敬虔とこの世の欲を捨て、私たちの救い主キリスト・イエスの栄光ある再来を待ち望め、と勧めているのです。
 「キリストが私たちのために、ご自身を捧げられたのは、私たちをすべての不法から贖いだし、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のために清めるためでした(2:14)」。いかなる罪びとでも悔い改めと、神への立ち返りがあれば、救われるのです。「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません(2:15)」。
 ローカルからグローバルへ、イスラエルから世界へ、神のご計画は着々と進んでいるかのように見えます。
 >3章:良いわざに導くことと、その原動力: パウロはテトスに言う「私はかつてキリスト者を迫害する罪びとであった。しかし、そんな罪びとである私を救い主である主が恵みと愛を示し、罪の穢れを洗い流し、心に聖霊を遣わし、救ってくださったのです。罪びとである私を主が救ってくださったように、あなたの聖徒たちも主は必ず救ってくださるのです。その確信をもって支配者たるキリスト・イエスに服従し、従順で、すべての人に良いわざを進んでするものに聖徒たちを導きなさい。そうすれば主は必ず慈しみと愛を、彼らの上に注がれるのです。それを信じて祈りなさい。しかし、祈れば必ず救われるとは限らない。救いは、神の一方的なあわれみであって、彼らが罪びとであるか否かは関係ない。かつて罪びとであった私が救われているのだから。
 主は天地創造の前から、我々を選び、救っているのである。それゆえ、人が主を選んだのではないことがわかる。我々は神に選ばれているがゆえに神を信じる。神を信じたが故に選ばれたのではない。選ばれたものに聖霊が宿る。しかし、愚かな我々はそれを知らない。時に神に反抗する。聖霊の宿らざるものは、決して神を信じない。サタンの申し子である。だから、彼らは滅びの対象であっても救われることはない。しかし、サタンは甘い言葉によって誘惑する。サタンは天使の姿で人に近づくという。悪霊によって聖霊を追い払おうとする。神のご計画をサタンは妨げる。神とサタンの戦いは「はるマゲドンの戦い」まで続く。パウロは次のように言う「神は、私たちの行った義のわざによって救われるのではなく、ご自分のあわれみゆえに聖霊による、新生と、更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。。神はこの聖霊を、私たちの救い主たるキリスト・イエスの恵みによって豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ永遠のいのちの恵みによって、相続人になるためです(3:3~7)」。ここに神の壮大なご計画を見ることが出来るのです。
令和2年2月11日(火)報告者 守武 戢 楽庵会

書簡集11 テモテへの手紙 第2 パウロの殉教

2020年04月09日 | Weblog
  書簡集⒒ テモテへの手紙 第2 パウロの殉教
 はじめに
 本書は獄中で書かれた使徒パウロの最後(テスト、ピレモンと並んで)の書簡として有名である。パウロはこの後、ローマ皇帝パロにさばかれ殉教死している。
 牧者としてパウロは最愛の同労者であり弟子でもあるテモトに対して、自らの死の直前に、反キリストの支配下、テモトが指導者として立つうえで必要なアドバイスを本書簡に託した。この書簡にはパウロの心中が愛情豊かに描かれている。正しい教義、変わらぬ信仰、確信をもって耐え忍ぶ力、そしていつまでも続く愛を、伝えている。

 そろそろパウロの、⒔の書簡集も終わりに近づいてきた。この辺で彼の思想をまとめてもよいころだと思う。
 彼の思想の根底にあるものは、人類の救済であり、その基本は『行いから、主を信じる信仰へ』である。人はこうありたいと願いながらも、こうある自分に絶望する。人は自分が欲する善行を行いたいと望みながらも、実際には自分が欲せざる悪をなしてしまう。パウロはこれを罪と断じ、人間の本姓と考えた。パウロは自分の罪深さ、不完全さを常に感じていたようである。それゆえに人間の無力さが強調される。彼は人による自力救済はありえないと考える。神の恩寵によってのみ救われるのである。「行いによるのではなく信仰によって」これが彼の考える救いの根本原理である。それではパウロにとって「神の恩寵」とは何だったのであろうか。パウロはイエスの「十字架の死」こそ、神の自己犠牲であり恩寵であると考える。イエスは自らは何の罪もないのに、我々人の罪を一身に背負って死んで行かれたのである。贖いの死である。この贖いの死によって、人は解放されたのである。十字架上でイエスは「完了した」と叫んでいる。これを信じて、イエスの教えを信じて、これを実行することで、人は新しく作り替えられ、再生するのである。この新しい生は物質性を捨てて、人類史から神の世界に逃れることではない。人類の救済史とはあくまでも、その本来的な物質性から、神の導きによって、より高次な霊性を獲得していく過程である。この進歩の過程を描いたものこそ、ルカの「使徒行伝」であり、パウロの「13の書簡集」である。
 「ローマ人への手紙」「コリント人への手紙1,2」「ガラテヤ人への手紙」=救済
 「エペソ人への手紙」「ピリピ人への手紙」「コロサイ人への手紙」=教会について。
 「テサロニケ人への手紙1,2」=主の再臨について
 「「テモテへの手紙1,2」「テストへの手紙」「ピレモンへの手紙」=牧会書簡
 「使徒行伝」の後半は回心後のパウロの3回の異邦伝道の過程が描かれている。その過程は霊的進歩の過程でもあった。
 そしてこのような立場に立つとき、現実世界は不幸と矛盾に満ちてた不完全なものとして相対化されていく。だが、同時にこの物質的世界こそ、神の救済史の舞台であり、神が現存し、働きかける場であり、主のご計画を成就される世界でもある。かくしてイエスの十字架上での死は霊的に必然的なものとなる。イエスの磔刑と復活なくして人類の救いはない。
 誰から誰へ:牧者としてのパウロから最愛の同労者テモテへ
 いつ、どこで:紀元64~65年の間。、2度目の獄中生活のとき。殉教の直前にこの書簡を書く。それ故、「パウロの遺言の書」と言われる。。
 本書の特徴:反キリストの勢力が猛威を振るっている中、パウロはテモテに言う「あなたは偽りのない信仰の持ち主である。私の按手によって内に抱いた神の賜物を再び燃え立たせなさい。神が私たちに下さったのは臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊である」。パウロは強固な意志をもって反キリストに立ち向かえとテモテに促す。神の選びと救いは、私たち人の御業によるのではなく、神ご自身の計画に基づき、永遠の昔に、キリスト・イエスにあって賜った恵みによる。だからそれを信じて反キリストと戦えと、命ずる。本書はパウロの最後の手紙であり、パウロの心中が優しく描かれている。正しい教義、変わらぬ信仰、確信をもって耐え忍ぶ力、そしていつまでも続く愛がその特徴として描かれている。

 重要個所
 1:7:「神が私たちに与えてくださったものは、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
 3:16~17:「聖霊はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。それは神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」。
 4:2:「み言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい」。
 4:7~8:「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄光が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです」。
 内容構成

 各章ごとの説明(1章~4章)
 1章:この時代、エペソの地はその内外において背教が起こっていた。聖徒の中からもパウロから離れていくもの、敵対するものが出ていた。パロによる裁きの時もだれ一人彼を支持する者はいなかった。さらにアジアにいる異邦人の世界でも聖徒たちはパウロから離れていった。パウロはこの四面楚歌の事態に信仰の危機を感じていた。これまで培ってきた福音宣教の効果は、まさに潰えようとしていた。教会全体がキリスト・イエスから離れていた。パウロは孤独であった。聖書は終わりの時、背教が起こり、困難な時が来ると預言している。この危機的状態には対応せねばならなかった。このような暗闇の中で書かれたものが第2の書簡であり、選ばれたのが信仰の同労者であり友人でもあるテモテであった。パウロは彼に会いたいと思う。ローマに呼んでいる。彼は信仰において純粋な徒であり、パウロの按手により神の賜物が与えられていた、それを燃え立たせよとパウロは言う。「神が私たちに与えたものは、臆病の霊ではなく、力と霊と慎みとの霊です(6~7節)」「私が聞いたキリスト・イエスの健全な言葉を手本にして、あなたのうちに宿る善いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって守りなさい(13~14節)」と、反キリストと戦う自分の苦しみを共有し、ともに戦おうとパウロはテモテに命じているのである。テモテは反キリストと戦うべきすべての条件を備えていたのである。 
 反キリストと戦うためにはキリスト・イエスを知らなければならない。キリストを知ることは神を知ることである。私たちの救いはキリスト・イエスにおいて永遠の昔から決まっているのである。キリスト・イエスの現れと、その十字架の死と、復活によってキリストは死を滅ぼし、福音による命の不滅性を明らかにされたのである。パウロはこの福音によって牧者に任命された。しかしローマはこれを拒んだ。その代償が獄中生活であった。肉体としてのからだは滅びても「私のお任せしたもの=いのち」を「かの日」=主の再臨の日のために神が守ってくださるとパウロは確信していた。死は彼にとっては神に至るための経過点に過ぎなかった。
 背教のものがいる半面、世の中の片隅に神を信じる信仰の人(オネシボロ)がいることはパウロにとっては慰めであった。それは一筋の光であり、将来の希望の星であった。
 2章:パウロは言う「たとへ死が近くても私にはイエス・キリストにある命の約束がある。従って死を恐れず、信仰を持ち、福音を伝える」と。
 テモテは常にパウロによって祈られていた。それはテモテにとっては慰めであった。
 パウロはテモテに牧者の牧者になれと勧める。それは主の教え(真理)の継承にとって必要であった。パウロは常に将来を見つめていた。
 イエス・キリストは100%神であると同時に100%人間である。
 パウロは言う「キリスト・イエスの立派な兵士として私と共に苦しめ」「主の忠実なしもべとして、主の規則に従え」「私が牢に繋がれたのは、キリストの真理を宣べ伝えたからである。私は牢に繋がれていても、神の言葉は繋がれていない。私は喜んで、どんな苦しみにも耐え忍びます。神はおのずから選ばれた人にキリスト・イエスの救いと、永遠の栄光をもたらすからです」。私たちは永遠に神の、み手の中にある。「もし私たちが、苦しみに耐えかねてキリストを拒否することがあれば、キリストも私たちを拒まれるであろう。たとい、信仰をなくしたかと思えるほど私たちが弱くなっても、キリストは真実を貫き、私たちを助けてくださいます。私たちは主の一部分になっているので切り捨てられることはないのです。そして主はいつでも約束を果たしてくださいます」。「神から褒められるよう熱心に励め。立派な働き人になれ。聖書の奥義を理解せよ。偽りの教えにだまされるな」
 神の真理は、巨大な岩のように何が起ころうと揺らぐことはない。主は自分に属するキリスト者を知っておられ、悪から遠ざけられる」。あなたは主を信じるという最高の役割を担うなら、キリストの最高の目的のために用いて頂けるのです。信仰と愛とを保ち、主を純粋な気持ちで愛し、またそのような人と交わりなさい。真理に逆らう人たちを謙遜な気持ちで諭せば、神の助けによって真理に逆らう人も、誤りを正し、神に立ち返り、サタンの誘惑から逃れることが出来るのです。
 反キリストによる偽の教えが流布し背教の人すら出る「信仰の危機」に直面して、パウロはテモテになすべきことを伝え、それが継承されるように牧者の養成すら行ったのである。
3章:パウロは言う「終わりの日には困難が訪れると」終わりの日における困難とは人間社会の秩序の崩壊である。パウロは19の悪徳のリストを挙げる(2~5)。まとめてみると、それは自分を愛し金銭を愛する、貪欲な自己中心主義の万蔓延である。これが教会内部においても起こっていたのである。エペソの教会には背教が起きていたのである。まさに、主の日が近づいていたのである。テサロニケ人への手紙Ⅱ、2:3では「まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです」と、パウロは語っている。まさにこの時、終わりの日(主の日)が近づいていたのである。異端的な考えがはびこり、情欲に溺れた愚かな女性が不倫に走るということが起こっていた。彼らは学んではいても異端的な学びであるがゆえに、真理に到達できない。彼らは信仰に逆らう、知性の腐った、信仰の失格者であって、救われることは永遠にないのである。
 このような中、あなたは私に降りかかった迫害や苦難に対して逃げ出すことなく、付いてきてくれましたと、常に自分と共にあったことに対してパウロはテモテに感謝の意を現わしている。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願うものは皆、迫害を受けます(3:13)」。「しかし、主は一切のことから私を救い出してくださいました」。それゆえ「学んで確信したところにとどまっていなさい」とパウロはテモテを励ます。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」。。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられたものとなるためです」とパウロは、この章を結ぶ。
 聖書は神の言葉である。その教えの中心は4つある。
1、 教え:何が、神の正しさかを教える。
2、 諫め:聖書に耳を傾ける時、神の正しさを知り、自分が神の基準を満たしていないことを知る。神が正であり、自分が不正なのである。神の前で謙虚になるとき、神の戒めが起こる。
3、 矯正:聖書を学ぶ過程で自分の足らざるところを認識したとき、自分の在り方を神の在り方に変えていくことを指す。方向転換である。
4、 義の訓練:神の正しさの中で、いかに生きるべきか、いかに神の基準の中に自分を保っていくかを学ぶことである。聖書はその性質から、対決型で書かれている。自分の今の生き方を捨てて、神の在り方を受けていくことが聖書の書かれた目的である。
 4章:「キリスト・イエスのみ前で厳かに命じます(4:1参照)」パウロはテモテに言う。「み言葉を宣べ、伝えなさい(4:2参照)」「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、真理から耳をそむけ、空想話にそれていくような時代になるからです(4:3~4参照)」。パウロは自分の刑が執行される日が近づいている今、この「信仰の危機」から、民を救うために、自分に代わって慎み、困難に耐え、伝道者(牧者)としての自分の務めを果たしなさい」とテモテに命じる。パウロは言う「私はすでに、勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。正しい審判者である主が、義の栄冠を私に授けてくれるのです。わたしだけでなく、主の現れを慕っている者には、誰にでも授けてくださるのです(4:7~8)」あなたもそれを授かる資格が十分にあるのです。信仰を守り通しなさい。
 この時、パウロは四面楚歌の中にあった。同労者であったデマス、クレスケンス、テトスらはパウロから離れ、銅細工人アレキサンデルはパウロを苦しめ、皇帝ネロの裁きの時、パウロの弁明を支持するものは一人もいなかった。彼のそばにいたものはルカだけだった。彼は孤独であった。しかし孤独ではあっても主は彼と共にあった。主の明確な言葉を聞くことが出来たのである。パウロはテモテをローマに招いている。その時マルコも伴えと要請している。マルコは伝道旅行の時つらさから逃げ出した男である。パウロの怒りを買った男である。その男を「役に立つ男」とパウロは言う。マルコは変わったのである。パウロはテモテをローマに招いた代わりにテキコをエペソに送っている。パウロは主から力を与えられ、異邦人伝道において御言葉が余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々が、御言葉を聞くようになるよう助けられたのである。パウロの異邦人伝道は反キリストとの戦いであり、それは苦しみの連続であった。苦しみと恵は表裏一体である。
 テモテへの手紙Ⅰ 第6章
 奴隷は主人を尊敬せよ。神の御名と教えがそしられないためです。良い奉仕から益を受けるのは、あなた(奴隷)自身だからです。
 満ち足りた心を持つことの敬虔こそ、大きな利益を得る道です。衣食があれば、それで満足すべきです。我々は、裸で生まれ、裸で死んでいくからです。
 金銭を愛することは、あらゆる悪の根源です。金銭欲に陥った人は信仰から迷い出て苦痛に満ちた人生を送るからです。
 神の人よ、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを熱心に求め、永遠の命を獲得しなさい。イエスキリストの現れる時まで、あなたは命令を守り、傷の無い、非難されることのないものでありなさい。
 富んでいる人たちよ、その富を惜しまずに施し、喜んで分け与えなさい。
令和2年1月14日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会

書簡集10 テモトへの手紙 第1 牧会書簡とは

2020年02月29日 | Weblog
  書簡集10 テモテへの手紙 第1 牧会書簡とは
 テモテへの手紙は牧会書簡と呼ばれている。牧会書簡とは牧者に宛てた手紙である。牧者とは牧場において、家畜を世話するものを云い、教会において、その運営に携わり、聖徒をキリストへと導く聖職者を象徴している。
 はじめに
1、 誰が書いたか:パウロ。「疑似書簡」とも言われ、その真作性を疑うものは多い。
2、 誰に宛てて書かれたか:使徒テモテへ。
3、 なぜ書かれたのか:パウロの最も信頼するテモテが教会におけるその指導的役割を十二分に果たすことを期待して、この書簡を書いた。
4、 いつ、どこで書かれたのか:西暦64~65年の間。パウロがマケドニアにいたとき。
5、 この書簡の特徴。:教会での儀式のやり方や教会の組織、共同体の責任者となる「監督」や「奉仕者」に関する勧めが中心になっている。それだけでなく、誤りのない正しい信仰を保つことへの勧めを、夫婦、責任者などに対して行っている。さらに非キリスト者に対する警告も行っている。
 牧会書簡とは
牧会書簡とは、冒頭で示したように、牧者(聖職者)に宛てた手紙である。その書簡には、聖徒の救霊に関する救済活動、特に、聖徒に対する心構えや、彼らが守らねばならない教会の規律や制度が描かれている。牧会書簡には本書のほかに、「テモテへの手紙Ⅱ」「テトスへの手紙」「ピレモンへの手紙」の4書簡があり、これらはこれまでの書簡のように異邦人の教会に宛てたものと異なり、個人に宛てているので「個人的書簡」と呼ばれている。牧会書簡にはパウロ的伝統が「健全な教え」として特徴づけられ、これを担う監督(司教)、執事(助祭)に期待される徳目が、偽りの教えを説くものの不品行とに対置されている。
パウロは言う「私は、その福音を、主からゆだねられたものです(1-11)」「私の子テモテよ(中略)私はあなたにこの命令をゆだねます(1:18)」。主はパウロの牧者でありパウロはテモテの牧者である。このころ異邦人社会には偽教師が横行しており、その影響下にあった。彼らはパウロたちの福音宣教の活動を妨げていた。これに対応するために、聖徒たちを効果的に指導できる牧者を必要としていた。このために書かれたのが「牧会書簡」である。
 テモテとは:(ギリシャ語読みはティモテオス)
 テモテの出身地は現トルコ南部ルステラ(使徒16:1)。初期キリスト教徒。「信仰によるわたしの真実の子」とパウロはいう。ここから、テモテは、彼の最も信頼する愛弟子であり、協力者であった事がわかる。パウロが手紙を出した当時、彼は、エペソ教会の聖職者であった。正教会では十問徒の一人であり「聖使徒ティモフェイ」と呼ばた。
 テモテの父はギリシャ人で、彼には信仰深い母と、祖母がおり、彼女たちは、彼を幼いころより教育し、聖書の奥義を教えた(Ⅱテモテ1:15、同3:15)。
 テモテがパウロの愛弟子であり、良き協力者であったことは、次のことよりわかる。1、パウロの第1回と、第2回の宣教旅行に同行したこと。この時、割礼を受ける。
2、テモテはパウロに同行するほかに独自でマケドニアなどに派遣され、その地で指導に当たっていること。
3、「コリント人への手紙Ⅱ」「ピリピ人への手紙」ではテモテはパウロと並んで書簡の差出人に名を連ねていること。
4、エペソの教会には「偽教師」が存在していた。パウロはテモテに「これと対決して信仰による神の救いのご計画を実現せよ」と命じる。
5、テモテは若くしてエペソ教会で指導的立場にあったが、若さゆえにその指導的能力を疑うものがあった。パウロはテモテに自信をもって指導者らしく振舞えと激励する。
6、のちの伝承によれば、65年パウロはテモテを按手し、エペソ教会の司教とした。テモテはその後15年間、エペソの教会を指導した。
 テモテはエペソの多神教徒に殺害されたといわれている。
 以上のことから判断してテモテは信仰深い、母と、祖母に育てられ、パウロに認められ愛され、同労者として、神の道に進んだ聖者と考えることが出来る。
 本書間の重要個所(各章ごと)
 1章:「なぜなら、キリストは、私をこの務め(異邦人伝道)に任命して、私を忠実なものと認めてくださったからです(1:12)」。
 2章:「神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです(2:5)」。
 3章:「『執事』は、一人の妻の夫であって、子供と家族をよく収める人でなければいけません(3:1~2)」。
 4章:「このことばは真実であり、そのまま受けるに値することばです。私たちはそのために労し、また苦心しているのです。それはすべての人々、事に信じる人々の救い主です。生ける神に望みを置いているからです(4:9~10)」。
 5章:「同じように善い行いは、誰の目にも明らかですが、そうでない場合でも、いつまでも隠れたままでいることはありません(5:25)」。
 6章:「『信仰の戦い』を勇敢に戦い、永遠の命を獲得しなさい。あなた(テモテ)はこのために召され、また多くの証人たちの前で立派な告白をしました(6:12)」。
 内容構成

 各章ごとの説明
 第1章:神はキリストの牧者であり、キリストはパウロの牧者であり、パウロはテモテの牧者であり、テモテは聖徒たちの牧者である。結局、神はテモテの牧者となり、テモテの教えとは神の教えになる。
 パウロはテモテをエペソの地にとどめて、命令する。「「あなたはキリスト者として堅く守らねばならない教えを死守して、偽りの教えに対して、信仰の戦いを勇敢に行わなければならない」と。ここでパウロは、1、守らねばならない教えとは何か。2、偽の教えとは何か。3、信仰による戦いとは何か。を、この章の主題にして、語る。
1、守らねばならぬ教えとは、「清い心と、正しい良心、偽りのない信仰から出る愛を目標にしてあゆみ、神の救いのご計画を達成することの中にある」。
2、偽の教えを教えるもの(偽教師)をパウロは「ある人たち」と呼んでいる。彼らは真の神の目指す目標を見失い、違った教えを説いたり、律法を重視し、律法の教師にならんと欲しながらも、律法とは何かを理解していない。律法の根底に潜む愛を理解せず、律法主義(教条主義)に陥っている。このことから偽教師の罪は「真の神を知らない」と言うことの中にある。
3、パウロはかつては反キリストとして、キリスト者を迫害するものであったが、それが神の啓示によって選ばれ、最終的には悔い改めによって救われたのである。救いには2種類ある。神の選びが先にある場合と。悔い改めが先にある場合である。パウロの場合は、彼の心の中には聖霊が宿っていたのであろう。そこで神は、他の人々の模範として「罪びとのかしら」であったパウロを選んだのである。「キリスト・イエスは罪びとを救うためにこの世に来られたのである」。「罪びとのかしら」であったパウロを、その寛容をもって。神は救われたのである。パウロは言う「罪びとのかしらであった私すら救われたのである、ましてや、あなたがたが救われないわけがない」と慰める。パウロはテモテに命じる。「信仰と正しい良心を保ち福音宣教のために戦い抜け」と。「ある人たち」は正しい良心を捨て反キリストに転じた。彼らは神の怒りにふれ信仰の破船にあった。救いも、破滅も共に神の御業なのである。救われるためには神を汚してはならない。神の戦いがそこにあることを忘れてはならない。
第2章:キリスト・イエスは主の牧者である。罪びとである私たちの罪を贖うためにこの世に来られたのである。「キリストはすべての贖いの代価としてご自身をお与えになりました(2:6)」。パウロは主の牧者である。「その証のために私は宣伝者、また使途に任じられ(中略)信仰と真理とを異邦人に教える使徒とされました。そしてテモテはパウロの牧者である。「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人のために願い、祈り、とりなし、感謝が捧げられますように」。すべての人、王とすべての高い地位にある人は民の牧者である。それは私たちが敬虔にまた威厳をもって平安で静かな一生を過ごすためである。ここには牧者の重層構造が見られる。このように、結局はテモテはパウロによって牧者とされ、神のみ心を伝える使徒とされたのである。神の救いのご計画はキリストから始まって民に至るのである。
パウロは男と女に対しても牧者となる。パウロは男と女の信仰生活においてなすべきことを語る。ここでは男は女に対して牧者となる。女は男から作られたからである。また女はサタンによって罪びとと定められたからである。「しかし女が慎みをもって、信仰と愛と清さを保つなら、子を産むことによって救われます」。当時の社会の女性観を見ることが出来る。聖書もそれを反映している。
第3章:この章で聖徒たちの牧者である「監督」と「執事」とに対する資格と、教えと目的が語られる。
監督:初期キリスト教の高位聖職者。後のプロテスタント教会の聖職やカトリックの司教。日本の正教会やメソジスト教会でも、かつて職制名として用いられた。ビショップ。
執事:キリスト教(聖公会)で監督(主教)、司祭に次ぐ第3位の聖職。カトリック教会では助祭と言う。
長老:初期キリスト教会で監督に次ぐ聖職の階級。後に牧師を補佐する聖徒代表にも言うようになった。庶務を担当したといわれている。
 2章においてパウロは、教会の秩序について語った。3章においては、この秩序を保つための牧者(指導者)である監督と執事について、その資格及び活動の在り方が語られている。教会の牧者(指導者)はその役割分担として、監督、長老、執事に分けられている。しかし初期のキリスト教会では実際には明確に分担されていたわけではなく、単なる「世話役」としてすべてをこなしていたらしい。 時代を経るにしたがって、この階級制は、徐々に整備されていったようである。
 パウロは監督、執事の守らなければならない徳目を挙げているが、ここではその詳細は省略する(聖書を読んでほしい)。パウロは女性の牧者についても言及している。また若くて経験の浅い牧者は高慢になりやすいので気を付けよと警告を発している。 
 監督・執事の務めを立派に果たせよ、とパウロは言う。その時、キリスト・イエスを信じる信仰において強い確信を持つことが出来るのである。
 この監督、長老、執事、聖徒の集う神の家=教会こそ真理の柱、また土台である。偉大なのはこの敬虔(信仰)の奥義である。
 目に見えざる神は受肉(キリスト・イエス)によってこの地に現れ、
 その聖霊の働きは義とされた。
 み使い(キリスト・イエス)は福音をイスラエルの地に宣教し 
 その働きは、イスラエルより世界に広まり
 そののちみ使いは、栄光のうちに召天され、神の右の座に着けり。
4章:この時代エペソの地は偽教師たちに犯されていた。彼らは結婚を禁じたり、断食を奨励したりして、真の神からの贈り物を拒否せよ、と民をたぶらかしていた。。パウロはこれらの信仰から離れた「嘘つきども」から聖徒たちを守れとテモテに命令する。
 パウロはこの信仰の危機に直面して、テモテにキリストの良き奉仕者になれと勧める。テモテの奉仕者としての活躍により聖徒たちが、真の神に立ち返ったとき、あなた自身も変えられ、その信仰は深化する、とパウロは言う。まさに教えることは学ぶことなのである。
 パウロはテモテに言う。「年が若いからと言って、誰からも軽く見られないようにせよ」と。立派な奉仕者(牧者)たる者のその条件と、心得を語る。霊的な成果は、経験の多少によって決まるのではなく、信仰の在り方(軽重)によって決まるのである。人生経験ではなく、その人が霊的に成長しているか否かに、人々をキリストに導き、キリストがその人の心の中に形作られているか否かによって決まるのである。「言葉にも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔においても聖徒たちの模範となるべき人であれば、牧者(牧師)にとって年齢は関係ないのである。「あくまでもそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも、救うことになります(4:16)」。
 5章:パウロは、テモテに対して様々な聖徒に対する接触の仕方を教えます。
 家族として接しなければならない人に対して
 教会とは神の家であり、我々は神の家族である。
  年長者に対して     父親に対するように
  若い人たちに対して    兄弟に対するように
  年取った婦人に対しては    母親に対するように
  若い女に対しては     姉妹に対するように
  やもめに対しては      本当のやもめなら敬いなさい
 やもめに対して 旧約聖書の中に「レビラート婚」が出てくる。兄の嫁が未亡人になったら、その弟が、その嫁を妻にすることが出来る。これは家系を断絶から守ると同時に、経済的にその嫁を扶助するという面も持っている。一種の福祉制度である。本書では教会がその役目を果たしている。しかし教会が扶養するのは神を信じる「やもめ」に限られる。身内がいる場合、彼らにその面倒がゆだねられる。若いやもめは、早く結婚せよとパウロは勧める。情欲にかられ、サタンの罠にかからないためである。
5章では、そのほかに長老に対して、罪びとに対してもその救いの在り方が語られている。教会とは主の家であり、我々は主の家族である。万人は教会の中にあってすべて平等である。すべては救われる。
6章に関しては次の機会にゆだねる。「神にも仕え、また富にも仕えることは出来ません(マタイ6:24)」。「信仰の戦いを勇敢に戦い永遠の命をかくとくしなさい」。「そうすれば神はご自分の良しとするときに、その現れを示してくださいます」。
令和元年12月10日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会


書簡集9 テサロニケ人への手紙2 再臨とは

2019年12月28日 | Weblog
  書簡集9 テサロニケ人への手紙Ⅱ(再臨とは)

 はじめに
★ 誰が誰に、いつ、どこで、何のために書かれたのか。本書簡の特徴とは何か。
、誰が書いたか:パウロ(シルノワ、テモト)
、誰に向かって書かれたか:テサロニケの教会に向かって
3、いつ書かれたか:紀元50~51年ごろ。2回目の伝道旅行(トロアスーピリピーテサロニケーベレヤ)の際
4、どこで書かれたのか:避難先のコリントで
、何のために書かれたのか:テサロニケの教会はパウロが短期間(3週間)ではあったが福音宣教に努めた異邦人の教会であった。この時と、第1の手紙でパウロの説いた「主の日」の理解(教理真理)が偽教師を通じて聖徒たちに誤って伝えられていた。それは「主の日はすでに来た」と言うものであった。それを信じたテサロニケの聖徒の間には動揺が走っていた。これを伝え聞いたパウロは、彼らが信仰を強め、教義上の誤解を正すべく第2の手紙を書いたのである。
 テサロニケの聖徒たちは模範的な教会を維持、発展させるために、苦難の中で戦っていた。彼らがくじけないためには力強い励ましが必要であった(1章)。そのために、パウロは、自分の代わりに使徒テモトをテサロニケに送っている。
 さらに、教理的に誤った教えが広まっていた。それは「主の日」はすでにきているというものであった。それを正す必要があった(2章)。「主の日」に関する言及はこの書簡のテーマでもある。
 テサロニケの教会は、模範的な教会ではあったが、主に従わず、放縦な「締まりのない生活」をする反キリストではないが、非キリスト者が存在していた。彼らには「戒め」が必要であった。悔い改めて神に立ち返れとパウロは勧告する(3章)。主の再臨の時、救われるためである。
 パウロは言う「偽教師にはだまされるな」と。テサロニケの教会が迫害と艱難に耐えながらも、従順と信仰において、今までのように模範的な教会であり続け、成長していくことをパウロは切に願い、その達成を確信していたのである。
 最後にパウロはテサロニケの教会ために祈る。「どうか主イエスの恵みが、あなたがたすべてと共にありますように(3:18)」と。
第1の手紙と、第2の手紙の間には1年ほどの間があったとされている。

1、言葉の意味

 再び「再臨」について
 「あなたがたを離れて天に上げられた、この主イエスキリストは、天に上げられた同じ有様で、またお出でになります(使徒の働き1:11)」。それが神のご計画だからです。
 再臨とは復活して天に上ったとされるイエスキリストが、世界の終わりの日にキリスト者を天に導きいれるために、また、世界を義によってさばくために、再び地上に降りてくることを云う。しかし、その日は、確実に起こることであっても、いつ起こるのかは神のみが知る事項であってその他のものは、たとへ天使であっても知りえないのである。それにもかかわらず、テサロニケにおいて、異端の集団、過激な者たち、熱狂的な信者たちが、再臨の時を予測して、社会的動揺、混乱を引き起こしていた。その誤りを正すためにパウロは、この第2の手紙を書いたのである。
 パウロは言う。再臨の前には必ず、しるし(前兆)があると。そのしるしとは背教であり、不法の人(滅びの子)の出現であり、不法のものが支配する闇の世界(大患難時代)であると。この闇の世界を終了させるために、キリストは再臨されるのである。しかしその日は、いつかはわからない。だからいつ再臨されてもあわてないように常に信仰において義であれとパウロはテサロニケの教会の聖徒たちに勧めるのである。
 主は不法の人をさばくために栄光のうちに再び来られます。主の支配する、その国は永遠に終わることはありません(Ⅰコリント15:23~28参照)」。神のご計画は完成する。
 2、内容構成

 3、各章ごとの説明
 第1章:パウロはテサロニケの教会に挨拶を送り、恵と平安があなたがたの上にありますようにと祈る。
テサロニケの教会は迫害と艱難の中にあって、それに耐えながら神に対する従順と信仰において、マケドニアとアカシアの教会に対して模範を示していた。その教会としての成長に対してパウロはこれを称賛し誇りに思う。そして「あなたがたの苦難は神の国のためです」と言い「艱難は信仰を純化させる神の恵みである」と教える。そして主の再臨の時、「主に義なるものは救われ、不義なるものは永遠の滅びの刑罰を受ける」と語る。さらに言う「どうか私たちの神が、あなたがたをお召しになるにふさわしいものにして、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように(1:11)」それは「主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです(1:12)」。
 第2章:キリストの地上再臨の前に反キリストによる大患難時代が来る。そのことを聖書は、「主の日が来る」という。使徒パウロはテサロニケの教会にそのことをよく話していた。彼らはそれをよく知っていたはずであった。それにもかかわらず、「主の日」はすでに来ている」という誤った教えを聞いたとき、テサロニケの教会は、動揺し、混乱した。そのため、パウロは「主の日」に対する正しい知識をテサロニケに再度、伝える必要があった。それで書かれたのが、テサロニケに対する「第2の手紙」である。「主の日」に関する知識を正しく伝えることが、この手紙の中心的内容である。
パウロは「主の日」に関する誤りを正すために、まず「主の日」が来る前に起こる出来事を語る。1、背教が起こる、2、不法の人(滅びの子=反キリスト)が現れる、3、神殿が建てられる、4、不法の人が真の神を否定して、神殿に座し自らを神と僭称する(2:4参照)。これは大患難時代を現している。大患難時代の後に来るのが主の再臨であり、千年王国である。千年王国の時、主イエスとその聖徒たちがこの王国を支配し、反キリスト(サタン)はみ使いによって、底知れぬところに投げ込まれて、千年の間、閉じ込められる。パウロは言う「あなたがたが知っているとおり、その定められた(携挙)ときに現れるように、今引き留めているもの(教会)があるのです(2:6)」と。しかし、携挙の時、教会は天に上げられ、引き留めていたものが不在になると、サタンは解放され、軍勢を集めて主の軍隊と戦う(ハルマゲドンの戦い)。」「主は、み口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます(2:8)」。サタンは永遠の滅びの中に落とされる。不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴うのである(2:9参照)」。この章を読まれる方は「ヨハネの黙示録(20:1~14)を併せて読んでほしい。ここには「最後の審判」までが描かれ、神のご計画が語られているからである。パウロは言う「最後の審判の時、主によってえらばれているあなたがたは、あらかじめ救われているので、堅く立って主の教えを守りなさい」と。
第3章:パウロは異邦人伝道の成果が,テサロニケの教会において達成されていることを喜び、誇りとしていた。そして言う「終わりに兄弟たちよ、私のために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところと同じように、早く広まり、あがめられますように(3:1)」と。主の教えがテサロニケの教会から他の異邦人世界へと広まることをパウロは願い、それが実行され達成されることを確信していた。
しかしこの模範的教会にも信仰を持たないものがいることをパウロは逃亡先のコリントで伝え聞いていた。
この時テサロニケには2種類の主に従わないものがいた。それは反キリストと、非キリストである。反キリストは初めから主の選びからは退けられていた。彼らはキリストの教えを否定し、偶像礼拝に励んでいた。彼らは不法の子であり、滅びの子であって、悪魔の化身であった。救いの対象ではなく滅びの対象であった。これに反して非キリストは、キリストの教えに従おうとはしなかったが、決して反キリストではなかった。彼らは働く能力を持ちながら、怠惰な生活を送っていた。それゆえ、「締まりのない生活をしている者」と呼ばれていた。彼らは自分の手でパンを稼がず、教会の恵みに頼り、まじめに働く人の献金を利用して生活していた。彼らは何も仕事をせず、おせっかいばかりして世の顰蹙を買っていた。パウロは言う「こんな連中とは付き合うな」と。「しかし、その人を敵とみなさず、兄弟として戒めなさい(3:15)」と。悔い改め、神に立ち返ったものを、主は赦すのである。悔い改めは赦しの絶対条件である。
これに反して、信仰に生きるパウロたちの生活の在り方はは厳しく、身を律して生活をしていた。その宣教には報酬を得る権利を持ちながらも、自給伝道に努めていた。それは聖徒たちの模範となるためであった。だからこそ「あなたがたは、たゆむことなく善を行いなさい。この手紙に書いた教えを忠実に守りなさい」と言うことが出来たのである。
令和元年11月12日(日) 報告者 守武 戢 楽庵会


書簡集8 テサロニケ人への手紙1

2019年10月19日 | Weblog
書簡集8 テサロニケ人への手紙Ⅰ
  はじめに
 パウロの書いた他の多くの書簡とは異なり、「本書簡」には、パウロによる目立った叱責はなく、テサロニケの教会員に対する愛と称賛の言葉にあふれている。それ故この書簡はピリピ人への手紙と並んで書簡集の中で最も心のこもったものと言われている。

 テサロニケの教会は、パウロが第2次伝道旅行の際に誕生した教会です。ここでパウロたちは宣教中に反キリストの勢力に追われコリントに逃れます。テサロニケにいた期間は短期間(約3週間)であったにもかかわらずテモテを通じて知ったテサロニケに関する知らせはとても良いものでした。とても成長していたのです。それは素晴らしいもので、他の教会に対し模範となっていたのです。しかし、同時に危うさも潜んでいたのです。それでパウロは自分の霊的な兄弟であるテモトを信仰の確認のためにテサロニケに送ったのです。テサロニケ人への手紙には、使徒パウロたちが、どのような福音を語ったのか、、そしてどのような面においてテサロニケの教会が模範的な教会になったかを知ることが出来ます。1、宣教の拡大、2、再臨、3、神の喜び、等々について語られます。
  再臨(the Second Advent): 世界の終末時にキリストが再びこの世にあらわれることを云う。この手紙においてパウロはイエス・キリストの再臨に重点を置いて語っている。この書の主題と言ってもよい。再臨の前のキリスト教徒の艱難(3:3)、再臨におけるキリスト教徒の復活(4:13~18)、キリスト再臨の時期(5:1~2)等々を語る。
 「私たちは主のみ言葉通り言いますが、主が再び来られる時(再臨)まで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令とみ使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下ってこられます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と出合うのです(携挙)。このようにして私たちは、いつまでも主と共にいることになります。こういうわけですから、この言葉をもって互いに慰め合いなさい(4:15~18)」。
 この書で再臨について語っているところを挙げてみる。
 1:10、「イエスが天から来られるのを待ち望むようになったか」、2:19、「私たちの主が再び来られるとき」、3:13、「私たちの主が自分のすべての聖徒と、ともに再び来られるとき、4:14~17:「主が再び来られるときまで」5:1、「兄弟たち。それら(再臨の日)がいつなのか」、5:23、「主イエスの来臨のとき、責められることのないように」
 テサロニケ:テサロニケは現在のギリシャ第2の規模の都市「テッサロニキ」を指す。紀元1世紀にはテサロニケはマケドニア王国の、エーゲ海に面した都市のひとつであった。この都市は、ピリピから約100km離れたところに位置していた。この都市は2つの特徴を持っていた。1、エーゲ海に面した良港に恵まれていたこと 2、ローマとアジアを東西に結ぶ主要幹線道路(エグナティオ街道)がこの都市を貫通していたことの2つである。良港と幹線道路の存在は、人の往来を盛んにし、当然の帰結として、古代ギリシャのマケドニア王国の中で、最も人口が多い商業都市として繁栄していた。この地には、かつてパウロの訪問によって教えを受けた聖徒たちが多く住んでいた。この地でパウロは福音宣教を行ったが、反キリストのユダヤ人たちに追放される。それゆえ短期間の宣教を余儀なくされた。落ち着いた地でも迫害され、コリントに逃れ、自らが立ち上げたテサロニケの教会の聖徒たちに手紙を送ったのである(使徒行伝参照)。
 内容構成

 各章ごとの説明
 第1章:あいさつ:パウロはすべての手紙でその冒頭に挨拶文を置く。この挨拶は3つに分かれる。1、著者 2、あて先 3、短い祈祷文である。
 著者:「パウロ、シルノワ、テモテから」とある。パウロが私たちと言うのはこの3人のことである。この3人の共同執筆と言うより、後の2人は、資料提供、編纂にかかわったものとおもわれる。著者はあくまでもパウロである。
 宛先:「父なる神および主イエスキリストにあるテサロニケ人を教会へ」。父なる神および主イエスキリストという枕詞もパウロの書簡集の決まり文句です。
 短い祈り:祈りの言葉も決まり文句です。「恵みと平安」を祈っています。
 テサロニケ人の信仰と模範
 あいさつの後には感謝の祈りがささげられる。私たち神の御前に、1、信仰の働き2、愛の労苦、3、主イエスキリストへの望みの忍耐、の3つ(1:3)である。この3つはそれぞれ連動している。信仰に伴う、人を真に愛することの苦難、それはイエスキリストが、再来されることを喜びとして忍耐強く待つことによって贖われる。
 かつて、パウロがテサロニケの教会を訪れたとき自身の行った福音により、テサロニケの教会員たちが、神を知るようになったことをパウロは、喜びをもって明らかにしている(1~4~6参照)。そして言う「あなたがたも苦難の中で、聖霊に喜びによって、御言葉を受け入れ、私たちと主とに、ならう者になりました。そしてあなたがたはマケドニアとアカヤとのすべての信者の模範となったのです(1:7)」と。
 ここにはキリストの極意の2つが語られている。すなわち1、主を知ること、2、異邦人に対する福音宣教の広がり、である。「テサロニケの神への信仰はあらゆるところに伝わっているので私は何も言わないでよいほどです(1:8)」と、パウロは言う「私たちを受け入れ、偶像を廃止して神に立ち返り、私たちを救い出して下さるイエスの再来を、あなたがたがどのように、待ち望むようになったか、それらのことを他の人々が言い広めているのです(1:9参照)」と。テサロニケの教会は内においても外においても模範的な教会であったことがわかる。
 第2章:パウロはテサロニケの聖徒たちに言う。「私たちがあなたがたのところに行ったことはむだではありませんでした(2:1)」と。無駄ではなかったということは一定の宣教効果があったことを意味している。パウロたちがテサロニケにいたのはわずかな期間であった。パウロたちはピリピに始まって移動した場所でも必ず迫害にあっている。それゆえテサロニケにいた期間もわずかであった。しかし、そのわずかな期間に、大胆に自由に宣教に努めたのである。ある場合には母のように優しさをもって、またある場合には父のように厳かさをもって。その結果「あなたがたは、私たちの愛するものとなり(2:8参照)、「ご自身の御国と栄光に召して下さる神にふさわしく歩む(2:12)」ことを願うようになったのである。福音宣教には母のような優しさと、父のもつ厳しさを必要とするのである。聖徒たちはこれを神の意志であり、神の言葉として受け入れなければならないのである。しかし、神の意志を自由に、かつ大胆に実行に移すには、その環境はあまりにも厳しかった。反キリスト者は、パウロたちが異邦人の救いについて語り、実行に移すのを妨げていた。このようにして反キリスト者は、いつも自分の罪を満たしていた。しかし神の怒りは彼らの上に望むであろう。とパウロはその希望を語る。
 パウロはコロサイの地から再度テサロニケの地を訪れたいと願っていた。しかしサタン(反キリスト者)がそれを妨げていた。サタンはイエスの再臨を恐れていたのである。イエスの再臨は自らの滅びであるとサタンは予知していたからである。それで、パウロは、自分の代わりにテモテをテサロニケに送ろうと決心したのである。
 第3章:パウロはテサロニケにおける、その滞在期間が短かったゆえに、その宣教活動が十分になされなかったのではないかと危惧していた。テサロニケが苦難の中にあって動揺しているのではないか、また自分たちの労苦が無駄になっているのではないかと確かめるために、テモテを自分の代わりにテサロニケに送ったのである。しかし、それは杞憂であった。テモテがテサロニケにおける信仰と愛について、よい知らせをもたらしてくれたからである。パウロは主に感謝し、イエスご自身が道を開いてテサロニケへの訪問を可能にしてくれるように祈る。「私たちはあなたがた(テサロニケ人)の顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています(3:10)」。ここに、パウロたちの異邦人伝道にかける力強い意志を感じることが出来る。
 第4章パウロはテサロニケの聖徒たちに自分の願いを告げ、こうあれと勧告する。願いとは神を喜ばせよ、ということであり、勧告とは神を喜ばすために歩め、ということである。パウロは言う「神は自分を喜ばすために私たちを選んだのであり、それは私たち聖徒を通じて、神のご計画を達成することを目的としているからである」と。「神のみ心は、あなたがたが清くなることです。「穢れを行わせるためではなく聖潔を得させるためです」。神のみ心に違わず、選ばれた民が歩むことこそ神の最大の喜びなのです。だから、み心に沿わずに歩む「神を知らない」異邦人を神は最も嫌われるのである。この時、テサロニケには、偽教師に代表される反キリストがあふれていた。パウロはこれらの敵と戦いながら、異邦人伝道に努めたのである。「イスラエルから全世界へ」パウロはテサロニケの聖徒たちに言う「「あなたたちこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちです」「実にマケドニアの兄弟たちに対して、あなたがたはそれを実行しています」「兄弟たち、どうか、ますます、そうであってください」。と、自分の身を清め神に喜ばれる人として、マケドニアの全土に「神のみ心を」伝えたテサロニケにパウロは絶大なる感謝を送る。ここには、異邦人伝道の効果がテサロニケを通じて「神を知らない異邦人」に伝えられたことが明らかにされている。ここには、主の2つの奥義が語られていることが判る。神のみ心に従うことと、異邦人伝道の2つである。さらに第3の奥義が語られる。それは主の再臨である。その時、私たち聖徒はいつまでも、主とともにいることになる。こういうわけですから、この言葉をもって互いに慰め会いなさい。(再臨については、すでに述べたので重複は避ける)。
 第5章:再臨の日はいつか、また、いかなる時に訪れるのか。それは、だれも知らない。神のみぞ知る、である。予告なしに突然襲うのである。これは神に対して義なるものか、不義なるものかに拘わらず訪れるのである。しかし闇を歩むものには滅びが、光の中を歩くものには救いが用意されている。「神は、私たちが、み怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです(5:9)」。だから主の再臨を慎み深く待て、主はいつも、あなたがたの傍らに立ちあなたたちと共に生きることを望んでいるのです。「ですから、あなたがたは、今しているようにたがいに励ましあい、互いに徳を高めあいなさい。そういう時が、主の再臨の時なのです。このとき「責められるところの無いように、あなたがたの霊、たましい、体が完全に守られますように、あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます(5:23参照)」。テサロニケはパウロたちの宣教によって堅く立ってはいたが、まだまだ未熟さを残していた。絶えず反キリストの誘惑の中にあった。悪魔は常に天使の姿をして現れる。だからこそパウロは言う。「すべてのことを見分け、本当に良いものを堅く守りなさい、悪はどんな悪も避けなさい(5:21)」そして最後にパウロはテサロニケに祈る「私たちの主イエス・キリストの恵みがあなたがたと共にありますように(5~28)」と。

 「おとぎ話はやめて」

 「人々は困窮し、死に瀕し、生態系は壊れる。私たちは絶滅を前にしている。なのに、あなたがたはお金と永続的経済成長と言う『おとぎ話』を語っている。よくもそんなことが!」目に涙を浮かべ、怒りで小さな体を震わせる少女の叫びに、国連本部の総会ホールは静まり返ったという。国連の「気候行動サミット」が地球温暖化の抑制を目指して,ニューヨークの国連本部で今月(9月)の23日に開かれた。その場所に、国連気候変動対策の機運を高めるため、若者世代の代表として招かれたスウエーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(16歳)がいた。彼女はホールを埋めた各国の首脳や閣僚に厳しい言葉を浴びせた。ドイツのメルケル首相は「気候変動と地球温暖化は人間によって引き起こされていることは疑いない」単なる自然現象ではない。それゆえに、人による、国際的取り組みの緊急性を訴えたという。 大人の世代の排出した温室効果ガスによって、深刻な被害を受けるのは、将来の世代である。「私たちの将来を奪わないで欲しい」とグレタさんは叫ぶ。大人の出したツケをなぜ若者が負わなければならないのか。今、「地球を救え」と訴える若者のデモが世界中で行われている。

 しかし、このような取り組みがある半面、このような取り組みに真っ向から反対する勢力も、また存在する。彼らは、温室効果ガスが生み出す人間の産業活動が、気候変動に影響を与えているという、科学的定説に異議を唱える。彼らは、当然「気候行動サミット」の存在意義を否定する。彼らは、石油メジャーなどから多額の寄付を受けているとされるシンクタンク(頭脳集団)「ハートランド研究所(米イリノイ州)」の科学者たちである。彼らは教育現場にも介入し「化学燃料の使用が地球の気候に影響を与えているいるという科学的根拠はない」とか「北極圏の氷の融解は、異常なペースでは起きていない」など学界の定説を片っ端から否定する。彼らは懐疑派と呼ばれている。しかし、それは科学的根拠に基づいたものと言うより、ある種の利益集団の意向を汲んで、科学的な装いをこらしているにすぎない。そこには今が、将来を決定するという危機感はない。あるのは目の前に横たわる利益だけである。「この国では気候変動は政治的なものになってしまっている」と、米国の高校で「地球科学」を教えているキルステン・ミルクス博士は言う。
 なぜ、長々と一見、聖書とは無関係なことを宣べたのか。それはパウロが異邦人伝道を行うにあたって、必ずぶつかった壁、それが偽教師だったからである。彼らは意識的、無意識的に過ちを教え、あたかも真実かのように、民を偽っていたのである。まさに懐疑派である。パウロの異邦人伝道はまさにこの偽教師たちとの戦いであった。パウロは言う「過ちから目をそむけよ、真の神に従え」と。2000年前の現実が、まさに、今、現在、この地に起こっているのである。
 (この文章は毎日新聞(朝刊)9月25日(水)の記事をもとに作成しました)。
令和元年10月8日(火)報告者 守武 戢 楽庵会

書簡集7 コロサイ人への手紙

2019年09月27日 | Weblog
 書簡集7 コロサイ人への手紙

 はじめに
 誰が書いたか: キリストイエスの使徒パウロ、および兄弟テモテ。パウロが自筆であいさつを送ります(4:18)。一説ではパウロは目に障害があったのでテモテが口述筆記したともいわれている。

 いつ、どこで書かれたか: AD58~62年ごろ、ローマの獄中で。

誰に向かって書かれたか: 小アジアにある町コロサイ(現在のトルコ)にいる聖徒たちでキリストにある忠実な兄弟たちへ(1:2)。

>誰がこの手紙を届けたか: 愛する信仰の友テキコと忠実な愛する兄弟オネシモ。パウロは言う「この二人が、こちらの現状を、みな知らせることでしょう(4:9)」と。パウロは彼らが手紙の運び人であったことを明らかにする。さらに福音を広めるために、この手紙を「ラオデキヤの教会にも回してください」と願っている。
ローマには全国に広がる郵便制度があったと思われるが、厳しい検閲制度があったであろうから身内を選んだのであろう。

その内容; 本書簡は神学的考察(1章~2章)と実践的勧め(3章~4章)の二部構成になっている。神学的考察の部分では、コロサイ人に対し、霊にあって頭であるキリストの神聖さを理解し、完全であれと命じ、それを妨げている者たちに対する警告を行っている。実践的勧めの部分では、信仰生活において、なすべきこと、なすべきではないことを説明する。さらに信仰上、上にあるものを求めよと提示する(3:1~4)。古い自分は死んで、、新しい自分を生きること(3:5~14)を示し、ユダヤ教徒ではなくキリスト教徒としての生き方を示す。そこにはキリスト教徒、異邦人の区別はない。パウロの書簡集は異邦人伝道であることを忘れてはならない。

言葉の意味
信、望、愛」「知識、善行、力」(1:3~12)
信仰なき希望は、一種の利己主義的満足に陥り、愛なき信仰は、教理の固執となり、希望なき信仰は、永遠の栄光の輝きを失い、信仰なき愛は、人情的愛に過ぎない。
真の知識は、神の御意を知ることであり、真の善行は神の御旨を行うことであり、真の力は、神の助けによりて来る。上記2つのみ言葉は不可分の関係にあり同一物の異なる角度よりの観察と考えられる。

嗣業:神の国において実現すべき未来の約束である。それは神の光の中で輝く。

大キリスト論:「ヨハネの福音書」1章1~5節参照。キリスト論の基が描かれている。ここにはパウロが宣べんとしたことが網羅されている。パウロは言う「御子は見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら万物は御子にあって作られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は万物より先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうしてご自身がすべてのことにおいて第1のものになられたのです(1:15~18)」と。パウロはキリストを至上の位置に置いている。

内容構成


>各章ごとの説明
1章;パウロが手紙を書いた異邦人の諸国は、彼らの行った福音伝道の任務の遂行によって「世界中で実を結び広がり続けた(1~6)」コロサイもその一つであった。使徒の一人エパプロスはその福音伝道に寄与し、コロサイに教会を立ち上げた。しかし、パウロたちの伝道は一定の効果をあげながらも順風満帆というわけにはいかなかった。絶えず彼らの前に立ちはだかる「偽の教え」と戦わなければならなかった(この状況は2章にも述べられている)。彼らは教会が教会として成り立つ基本を崩し、自分たちの誤った教えを流布しようとしていた。その影響は阻止されねばならなかった。コロサイは神によってえらばれた都市とはいえ、その内部に弱さをはらんでいた。パウロはコロサイの聖徒の誤れるキリスト観を是正するべくこの手紙を書いたのである。
1章はこのように弱さをはらんだコロサイ人に対してイエスこそ第1の人であり、成熟した真の信仰を持てと命じる。
パウロはここでコロサイに対し3つの祈りを捧げる。1、神のみ心についての知識を身につけよ(1:9)、2、主に喜ばれ、善行のうちに身を結べ(1:⒑)、3、忍耐を尽くして神に感謝を捧げよ。これらは神の光の中で輝くことを指している。父なる神はわれらを選び、救い、戒め給い、その嗣業に値するものされたがゆえに、われらはこの父に感謝せねばならない。これらのことは、コロサイ人だけでなく我々に与えられた祈りの義務といって良い。
13節から23節にかけてはパウロのキリスト観が述べられている。それが先に述べたいわゆる「大キリスト論」である。キリストは大地の生まれる前から存在し、万物はこの御子によって成り立ってる。これをパウロの宇宙論と言うものもいる。
神は私たちを暗闇の中より救い出し、御子の支配のもとに移してくださいました。同様に、あなたがた異邦人も、かつて暗闇の中に存在していた。それが御子の死によって贖われ、己と和解されたのです。この土台の上に立って福音の望みを受け入れ「偽の教え」に抗して御子を信じる信仰に留まれと、パウロはコロサイ人に強く求める。
24節から29節にかけてはパウロの任務と、そのための努力が描かれている。パウロは言う「神の言葉を余すことなく伝えるために、あなたがたのために神からゆだねられた務めにしたがって、教会に仕える者になりました」と。ここでパウロは今まで隠されていた奥義を語る。この場合の奥義とは異邦人においても神の恵みが現わされることを意味する。このことは神の恵みが、これまで異邦人に対しては除外されていたことを意味している。それをパウロは「隠されていた」という。ここにパウロの異邦人伝道の意義がある。潜在化していたものは顕在化するのである。それをパウロは自らの任務として、努力したのである。

2章:「あなたがたは、このように主キリストを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また教えられたとおり、信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい(2:6~7)」。
「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っているのです。そしてあなたがたは、キリストにあって満ち満ちているのです(2;9~10)」。満ち満ちているとは、完全であることを意味する。キリストの義によって100%正しいとみなされている。完全である聖徒に何が必要なのか。必要なものはないはずである。パウロは言う「必要なことはこの状態を保ち続けることである」と。キリストにあって確固たる、揺るぎのない信仰を持ち続けることである。それによって、「だましごとの哲学」が入り込む余地はなくなる。しかし、コロサイ人にはまだまだ揺るぎがあった。保ち続ける難しさが、そこにはあった。様々な誘惑が彼らを取り巻いていた。彼らの信仰は必ずしも堅くはなかった。「だましごとの哲学」は、その揺るぎの中に付け入り、コロサイ人のキリストにある信仰を妨害した。パウロはそれを恐れていた。パウロはコロサイ人に確固たる信仰を求め、「だましごとの哲学」の「悪」を指摘する。
「だましごとの哲学」のとりこになるな」とパウロは言う。「それは、この世の幼稚な教えによるものであって、そこにはキリストの教えはない(2:8)」。
あなたがたは肉による割礼を受けた者でなくキリストの割礼を受けたものである。
また、水によるバプテスマにより「キリストと共に死に、キリストとともに埋葬され、キリストとともに復活した者である」。かくしてあなたがたは神の恵みによってキリスト者に変えられた者となる。「神はキリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除し、彼らを捕虜として凱旋の行列に『さらし者』として加えられました(2:15)。
16~23節までは「偽りの教え」と真のいのちであるキリストの教えを比較して、「律法や、その儀式などの取り決めは一時的なものであって本体(キリストの教え)の影に過ぎない。本体が現れた今、御遣いを信じる信仰によって生きるべきであって、「善い行いをし、様々な規則によって救われるという、この世の考えから解放されねばならない。

3章:「コロサイ人の手紙3章」のテーマは「神によって蘇らされた私たち」である。キリストと共に蘇らされた者として、どのように生きていかなければならないのか、その具体的な勧めが語られている。その内容は、おもに「思いなさい(3:1~4)」「身につけなさい(3:5~17)」「従いなさい(3:18~4:1)」の3つにわけることが出来る。
天にあるものを思いなさい:「こういうわけで、もしあなたがたがキリストとともに蘇らされた者なら上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが神の右に座を占めておられます。あなたがたは地上のものを思わず、天にあるものを求めなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現れると、その時あなたがたもキリストと共に栄光のうちに現れます(3:1~4)」。この文章には新約聖書の基本が述べられていると同時に、この章の本質が語られている。
蘇らされたもの:キリストの十字架と共に死に、、キリストと共に蘇った者。真のキリスト者を指す。この章ではコロサイの聖徒を指す。
上にあるもの:天、神の国。そこにはキリストが神の右に座を占めておられます。あなたは地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
あなたがたはすでに死んでいる:私たちの肉の欲望(偶像礼拝など)=罪はキリストの十字架の贖いによってキリストと共に死んでいる。霊的蘇りを意味する。かつてコロサイ人は、その偶像礼拝によって神の怒りを招いていた。しかし、「あなたがたは、古い人をその行いとともに脱ぎ捨て、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主の形に似せられて、ますます新しくされ、真の知識に至るのです(3:9~10)」。神を思い、神を身につけよ、とパウロはコロサイの聖徒に望む。
あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されている:神に選ばれた者は、たとえ神に反抗することはあっても、その体内に聖霊を宿している。これをパウロは隠されていると表現する。このものが神の恵みを受けたとき、人は変えられる。「私たちのいのちであるキリストが現れると、その時あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れることが出来るのです(3:4)」と、パウロは言う。しかし思うだけでは可能性を見るだけであって、その思いを身に着け、実行に移したとき、真に選ばれたものとなり「聖なるもの」となる。
身につけよ:「それゆえ、神に選ばれたもの、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。たがいに忍びあい、だれかが、ほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦しあいなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい(3:12~13)と、主の愛を身に着けた者のなすべきことを語っている。パウロは「上のものを求めよ」「天にあるものを思え」と命じたのち「身につけよ」と命じたのである。それはキリストにあって、新しい姿を身に着けて進まねばならない、と言うことである。
当時、不品行と結びついた偶像礼拝が横行していた。これらの偶像を殺せとまでパウロは言う。コロサイ人は、新しく変えられねばならない。神と人、人と人とは愛によって結びついている。「愛は結びの帯」として完全なものである。神と人とは和解し一体化せねばならない。「あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい(3:17)」。
従いなさい:パウロは、聖徒たちはどのように礼拝すべきかについて指示し、妻と夫、子供と両親、奴隷と主人に対して勧告を与える。妻は夫に従い、子供は両親に従い、奴隷は地上の主人に従えと勧める。しかしその関係を人と人との関係としてではなく、主と人との関係に移行せよと命じる。そして主を人が愛するように真心を込めて相手を愛せよと勧告する。そのことによって、あなたがたは主からの報いとして御国を相続することが出来る。そうでない場合、不正の報いを受ける。そこには不公正はない。

4章:「目を覚まして祈りなさい」。とある。しっかり目覚めて、心の目を覚まして、祈れということであろう。自分の関心と欲望のために祈ってはならない。そのような祈りは、神によって聞かれることはない。上にあるものを求める歩み、と言うものは、まさに神の力によってなされものであり、人の努力でなされるものではない。自分の力の限界を知り、神の力にすがって祈ることが重要なのである(4:3参照)。そして宣教のために祈ろう。キリストの奥義が宣教者を通してはっきり語られるように(4:3)。またそれにふさわしく塩味の利いた語りが出来るように(4:4)。パウロが奥義と言う場合には2つの意味がある。一つはキリストにある十字架の救い。二つ目は、この救いがあまねくユダヤ人、異邦人の区別なく与えられることの2つである。「祈りに飽いてはなりません。熱心に祈り続けなさい。神様は祈りに応えてくださると信じて待ち、それが聞き入れられたら、感謝するのを忘れてはなりません」。
パウロは、支援者たちの支えなしに働きをすることは出来なかった。一人で働きのできるキリスト者の働き人はいません。私たちは皆、神と共に働く同僚です。私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、建物です。7~18節でパウロは働きを助けてくれる人たちの名(テキコ、ネオシモ、アリスタルコ、バルナバのいとこであるマルコ、ユストと呼ばれるイエス、キリスト・イエスのしもべであるエパフラス、愛する医者ルカ、それにデマス)を挙げて感謝しています。パウロにとっては、とても大切な人たちです。「この手紙があなたがたの所で読まれたならラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラヂオキヤから回ってくる手紙を読んでください。ここにパウロの異邦人伝道にかける意欲を見ることが出来る。

まとめ:初代教会と同様、コロサイ教会のユダヤ教的な戒律主義の問題は、パウロにとっては悩みの種子であった。行いではなく、キリストを信じる信仰によってのみ救われる、という概念は、徹底的に他のものと違い、異邦人伝道を困難にしていた。旧約聖書を知るものには律法は、あくまでも神がモーセに与えたもので絶対的価値を持っていた。それゆえ、キリスト者の中にも律法から決まりを抜粋してキリスト信仰に加えるものが出てきたとしても不思議ではなかった。特に割礼を信仰のあかしとして考えるものがパウロの福音伝道の壁になっていた。これに対しパウロは霊的割礼を主張し、キリストが来られた今は、肉体的割礼は不必要であると主張した。これは旧約聖書時代の儀式もまた不要とするものであった。これは一種の宗教改革であった。私たちは福音を理解することで戒律主義にも他の異端の教えにも騙されなくなるのです。
令和元年9月10日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会

書簡集6ピリピ人への手紙 喜びの書簡

2019年08月22日 | Weblog
  書簡集6 ピリピ人への手紙 喜びの書簡
 はじめに
 新約聖書のパウロの書簡集(13書簡)のうち、既に報告した「エペソ人への手紙」、今回報告する「ピリピ人への手紙」、これから報告予定の「コロサイ人への手紙」、「ピレモン人への手紙」の4つはローマの獄中で書かれたので「獄中書簡」と呼ばれている。
ピリピの町は、アレクサンドル大王の父フィリポス2世にちなんでピリピ(フィリピ)と名付けられた町である。ピリピはパウロの時代にはローマ帝国の植民都市のひとつで、マケドニア地方の第一の都市として繁栄していた(使徒、16:12)。第2回伝道旅行の際、パウロはトロアスで一人のマケドニア人が彼の前に立って「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」という幻を見て(使徒16:8)ピリピに行く決心をし、ピリピに渡って宣教活動を行い、その地に教会を設立した。この教会はヨーロッパにおいてパウロが設立した最初の教会であったので、パウロはこの教会に特別な親近感を抱いていた。この教会もまたパウロの福音宣教に物心両面から協力していた。(4:14~20参照)。「物のやり取りをして」パウロの宣教活動を支えた唯一の教会でもあった(4:15参照)パウロはこの教会に喜びをもって感謝の意を示している。パウロとこの教会は、特別に深い絆で結ばれている様子が、この書簡を通して知ることができる。できることなら再度あなたたちの所を訪れたいとパウロは獄中より祈っている。しかしこの祈りは実現することはなかった。
この教会はパウロにとって「主に従った良い教会」ではあったが、決して完全であったわけではなく、内部に対立をはらんでいた(4:1~3)。パウロは「キリストの御名によって一致せよ」と勧め、それが実現することを心から願ったのである。
獄中書簡であるにもかかわらず、この書簡は最も喜びに満ちたものであるといわれている。パウロ自身イエス・キリストの啓示によって回心しそれまでの生活と決別し「主を信じる信仰」を義として生きているように、あなたがたもキリストの名のもとに義にかなった生活をするように」とパウロは聖徒たちに求めた。主において変わること。変わり続けること。それは、信仰を深めることを意味する。「信仰の進歩と喜びのために私と共に戦え」と、パウロは説いている。我々の信仰に完全はない。与えられた場所から出発せよ。完成に向かって走り続けよ、その結果として喜びが保障される。それ故この書簡は「喜びの書簡と言われている。
 言葉の意味
喜び: ピリピ人の手紙を読むと、繰り返し「喜び」が語られている。別名「喜びの書簡」と呼ばれるゆえんである。その喜びの源泉はどこにあるのか。それは「我々の国籍は天にある」ことから来ている(3:20)。「そこから主イエスキリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです(4:20~21)」。これ以上の喜びがあるだろうか。パウロはピリピの聖徒たちに「私の喜び、冠よ」と呼びかけ「どうかこのように主にあって、しっかり立ってください。私の愛する人たち(4:1)」と語る。イエスを信じる人は新しく生まれ変わった人である。天に国籍のある人は、神の国の国民であるから、神のみ言葉を喜び、学び、語る。聖書の言葉を愛する。人生における本当の「喜び」とは、物質的なものや、楽しく快適な状況からくるものではないとパウロは強調する。喜びとは、自分が神の愛をいただいており、神様が私たちの人生において確かに働いておられるという静かな確信のことを意味する。どんなことがあろうと神様はそばにいて助けてくださるのです。イエス・キリストの臨在がいかに絶え間なく安定してあり続けるかを知って喜び、イエス様を通して我々も喜びを見出す必要があります。しかし、多くの人々は「キリストの十字架」の敵として歩んでいます。彼らの思いは地上のことだけです。彼らにあるのは滅びであって、彼らがどんなに彼らなりに努力しても「喜び」に至ることはない。
1章: 4,18,25,26節.2章:2,28節、3章:1節、4章:1,4,10節を参照のこと。
パウロ:キリスト教史の中では、パウロは最も重要な使徒である。小アジアのタルススでローマの市民権を持つユダヤ人の家庭に生まれる。パリサイ派の一員としてキリスト教徒を迫害したが、34年ごろ回心し、異邦人伝道を使命とし、3回の伝道旅行でエーゲ海一帯に福音を伝えた。エルサレムで捕らえられたが、ローマ市民の権利として皇帝に上訴。ローマに護送され、その後ネロ帝によって処刑されたらしい。この間の事情は「使徒の働き」に詳しい。キリスト教を普遍的宗教とした貢献者で、彼が各地の信徒にあてた書簡が新約聖書に収められている。回心前の名はサウロ、回心後の名はパウロである。サウロはイスラエルの初代の王サウロからとったといわれている。本書の3章においてパウロは次のように信仰告白をしている。「私は8日目の割礼を受けイスラエルの民族に属しベニヤミンの分かれのものです。生粋のへブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところの無い者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、一切のことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨ててそれらをちりあくた、と思っています。それは、私にはキリストを得、また、キリストの中にあるものと認められ、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです(3:5~9)」。と。
 キリストに向かう一致:パウロは4章でピリピの教会の中に不一致があったことを語る。それは、ユウオデヤとスントケと言う敬虔な女性信徒の間の確執を指している。パウロは教会の平安のために「キリストにあって一致せよ」と命じる。
 不一致はなぜ起こるのか。バベルの塔の話に象徴されているように、人は、ややもすると、その高慢から自己を神格化しようとする。神は人の高慢を最も嫌うお方である。天にも届こうとする塔の建設を中止させるために、それまで一つであった言葉をバラバラにして不一致を起こさせる。意思の疎通は阻害される。「人による一致は高慢を生み、神による一致は恵みと平安を生む」。と。人による不一致は、神の御業であり、神による一致へと導く。これもまた神の御業である。
 キリスト者の一致は、キリストから始まる。それはキリストに向かっていく。キリスト者の一致はお互いにキリストによって救われ赦され愛されているという共通の基盤から出発する。そしてキリストの福音のために働くということに向かっていく。一致は出発点とともに、到達点、目的、目標が必要である。そしてお互いが、一つの到達点を目指していくとき、そこに一致が育っていく。キリストにある一致、キリストのための一致、一致を助ける協力者の存在こそが福音を広めることを可能とする。
 「どうか、私たちの父なる神と、主イエスキリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように(1:2)」。
パウロの死生観:パウロに限らず、キリスト者にとって生とは死のためにある。生は一時的なものであり、死は永遠である。死は肉体的には終わりであっても霊的には終わりではなく永遠の世界である。そこは神の住む真に自由な世界である(我々の国籍は天にあり)。しかし、この永遠の命をだれもが得られるわけではない。パウロは言う「あなたがたは霊を一つにして、しっかりと立ち、心を一つにして、キリストの福音にふさわしい生活をしなさい(1:27)」と。生とは永遠の命を得るための準備段階であり、神を信じる信仰によってのみ永遠の命が与えられるという確信こそが必要なのである。「神の国」の存在は科学的には証明できないからである。この確信こそが歴史の中にあってキリストの信徒たちが残酷な迫害にあっても、死をも恐れぬ信仰を貫くことができたのであろう。これが、「生きることはキリスト、死ぬことは益です(1:21)」の意味である。パウロは言う「あなたがたの信仰の進歩と喜びのために、私は生きながらえて(中略)いるのだ(1:24参照)」と。キリストを信じる信仰の世界に入った人間のみが、永遠の世界(神の国)に入ることができるのである。キリストによって霊的に変えられること恵みと平安が与えられること、これがパウロの書簡集の目標であり、聖書の目標でもある。
祈りの力:祈りは私たちの心を守る。私たちは祈るとき「イエスキリストの名によって祈ります」と言う。それにはイエスキリストを信じます。イエスキリストを通して祈ります。神がイエスキリストを通じて、この祈りに応えてくださることに感謝します」と言う意味が込められている。キリストの名のもとに祈るとき主は必ず応えてくださるのである。
本書の目的:「どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵と平安があなたがたの上にありますように(1:2)」。パウロはピリピ人から送られた贈り物への感謝の気持ちを伝え、真の喜びは、イエスキリスト以外からは受け取ることは出来ないという事実を語る。そして、より強いキリスト者になるためになすべきことを語り、より強くあれと励ます。そこにはピリピの教会に対する深い愛情があった。
著 者:キリスト・イエスの奴隷であるパウロとテモテによって書かれた。テモテが代筆したともいわれている。
執筆年代:西暦61年ごろ:
執筆場所:ローマの獄中
内容構成:以下の表を参照
 
 >各章ごとの説明 
 第1章:パウロはピリピの聖徒たちの協力に対して感謝の意を表し「あなたがたが最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかってきたことに感謝しています(1:5)」「キリスト・イエスが来る日まで、それを完成させてくださることを、私は堅く信じています(1;7参照)」と祈る。
パウロは獄中生活を含め主に仕える際に経験した逆境は福音の前進に役立ったと語る。「私がキリストのゆえに投獄されたということを聖徒たちが知り、主にあって確信が与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神の言葉を語る、心を合わせようになりました(1;12~14参照)」「私にとっては『生きることはキリスト、死ぬことも益です(それ以上です)(1:21)』その上に、信仰を守るにあたり、、心を一つにして力強く立つようにとパウロは勧める。「あなたがたはキリストのために、信じる信仰だけでなくキリストのための苦しみをも賜ったのです(1:29)」。「私が経験したと同じ戦いをあなたがたは経験しているのです(1:30参照)」キリストを信じることは苦しさを伴うことであると語っている。
 第2章:パウロはさらに聖徒たちに言う「私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください(2:2)」と。一つにまとまっているかに見えたピリピの教会にも不一致はあったことがわかる。
そして、パウロは愛、従順さ謙遜さの模範として、自らを低くしてこの世に現れたイエス・キリストを模範として挙げる(2:5~11)。そして、キリストが神の定めた運命に粛々と従ったように「恐れおののいて、自分の救いの達成に努めなさい、神はみ心のままに、あなたがたのうえに働いて事を行わせてくださるのです(2:13)」「傷の無い神の子供になり、命の言葉をしっかり握って、彼ら邪悪な世代の間で世の光として輝き(2:15~16参照)なさい、と勧める。
獄中にいる自分の代わりに信仰深く福音宣教に心より務めているテモテと、自分が窮乏していた時、物質的な援助をしてくれたエパフロデトとをあなたがたの所に送り、彼らによって、あなたがたが、私に仕えることのできなかった分を果たしてくれるであろうとパウロは祈った。
 第3章:パウロはピリピの聖徒たちに警告する「1、どうか犬に気をつけなさい。2、悪い働き人に気を付けてください。3、肉体だけの割礼のものに気を付けてください(3:2)」と。彼らはユダヤ化主義者であり,偽教師である。彼らはピリピだけではなくパウロが福音伝道を行った異邦人の国には必ず現れ、その宣教を妨害し、聖徒たちをたぶらかしていた。これに対してパウロは言う「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものに頼みにしない私たちのほうこそ割礼のものなのです(3:3)」と。パウロは信仰を義として生きることこそ、キリスト者の基本であり、この基本に帰るようピリピの聖徒たちに勧める。そして聖徒たちに私を見習うものになれという。「私が迫害者から、キリストの啓示によって、敬虔なキリスト者に変身したように、あなたがたも変身せよ」と。「しかし、私はまだまだ修行中であり、道の半ばにある」「だから、私たちは、すでに達しているところを基準として進むべきです。(3~16)」と、救いに至る道は狭き門であると、パウロは言うキリスト者になるのは易くとも、その奥義を窮めるのは難しいのである。パウロは言う「神の栄冠を得るために目標を目指して一心に走れ(3:14)」立ちはだかる障壁を超えて進め。と言う。
パウロはこれをまとめて言う。「1、よい模範に目を向けよ(3:17)2、悪い模範を避けよ(3:18~19)3、私たちの国籍は天にあり(3:20)」と。1と2の結果3に至る。「キリストは万物を自身に従わせる御力によって、私たち卑しい体を、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです(3:21)」。神のご計画の最終目的は、罪びとたる人を神の似姿に変えていくことにある。
 4章:この章は、本書の結論といって良いであろう。
パウロは言う「私を愛し、慕う兄弟たち、私の喜びの冠よ」「どうかこのように主にあってしっかり立ってください。私の愛する人たち」。この後、パウロはピリピの聖徒たちに励ましを与え、心を一つにして力強く立ち、信仰を守るために協力し合うように強く勧めている。ピリピの教会は主から与えられた恵みによって安定した穢れなき教会ではあったが、そこに問題がないわけではなかった。ユウオデヤとスントケと言う二人の敬虔な女性の聖徒の間に確執があったことをパウロは指摘する。そしてキリストの名のもとに一致せよと言い、教会員はその和解に手を貸せと命じている。その確執の原因をパウロは述べていないが、教会内部の確執であろう。この確執は教会内部に悲しみと不安を与え、最悪、教会の内部崩壊を引き起こす危険をはらんでいた。それは教会の敵にとっては朗報であった。そうならないために、パウロは言う「祈りと感謝によって心を一つにしてあなたの願い事(2人の和解)を神に知ってもらいなさい。そうすれば人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます(4;6)」と。その結果として和解は成立し、教会の一致は保たれる。パウロは神の平安を確約する。
パウロは、「真実なこと、尊ぶべきこと、正しいこと、純真なこと、愛すべきこと、誉れあること、徳と言われるもの、称賛に値するものを心にとめて、私から学び、受け、聞き、見たことを実行しなさい」とピリピの聖徒たちに信仰のより一層の深化を勧める。
肉から霊へ。パウロは足るを知る秘訣を神より授かっているがゆえに、どんな境遇にあっても満ち足り、どんなことでも出来ると、神からの恵みを感謝し喜びを表す。しかしピリピの教会から与えられた物的援助を決して忘れない。物的援助の奥にある霊的祝福をパウロは見る。ピリピの教会は信仰において深化し、神の国の近いことを示している。

「2019年夏季ファミリー聖会㏌御殿場」に参加して
 2019年8月11日(日)の午後から8月13日(火)正午まで、2泊3日のファミリー聖会が御殿場のYMCA東山荘で行われた。今年は、天竜めぐみ教会(久志目栄司牧師)が聖会事務局を担当した。
 第2礼拝後、参加者は各自の車に分乗して2時過ぎには日野キリスト教会を出発した。我々4人(進藤雄也、純子夫婦、中川さん、私)も同じころ出発し、途中サービスエリアで早い夕食をとり、受け付け開始の5時には東山荘に到着した。受付をすまし5号館の108号室に落ち着いた。
 集会は19時から始まった。ゲスト講師は熊本の大津キリスト教会の米村英二牧師。牧師は白髪のやせ型で品のいい高齢者であった。その語り口は物静かではあったが迫力はあった。長澤牧師のように元気溌剌と言うわけではなかったが説得力のある語り口であり、好感が持てた。ご夫妻で参加された(写真参照)。
 その話は、ご自分の具体的な体験を通じて,本質に迫るというもので、人とは何か、人は何のために生き、どのように生きるべきか、と言う本質的な問いかけが、その話の根底に貫いていた。そのテーマは「キリスト教信仰に基づく人間形成」にあり、それを聖書に照らして行うべきであると理解し、行ってきたと。と証しする。
その話は、エレミヤ書(1:5~8)、ロマ書(3;21~22,5:1,7:24)、使徒行伝(20:24)を下敷きにして語られた。
 第1日目:神はエレミヤを生まれる以前より知り、預言者として聖別していた。同じく私たちもキリストを信じる信徒として主によって聖別されている。それにふさわしく歩まなければならない。そこにはキリストが受けたような苦しみ、悲しみ、信仰を妨げる壁があるかもしれない。主は私たちと常にともにあり、遠くから見守ってくれている。恐れずに主が私たちに備えてくれた道を歩もう。
 第2日目:ロマ書は律法の行いからキリストを信じる信仰を義として生きよと語る。人はキリストによって変らねばならない。そこには神の愛、無条件の愛(アガペー)がある。今、家庭崩壊の中で犠牲になる子供たちがいる。この家庭に神はいない。変わらねばならない。神を取り戻し、喜びに満ちた、健全な家庭を築かねばならない。
 第3日目:使徒行伝20章24節の言葉「けれども、私が走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることが出来るなら私のいのちは少しも惜しいとは思いません」。牧師はこの文章から、次の2つの言葉を選ぶ「走るべき行程を走り尽くし」と「神の恵みの福音をあかしする任務」である。走り尽くすとは、神が私たちのために備えてくださった道を、ひたすら目移りせず走ることであり、任務とは私人としてではなく公人として神に仕えよという意味である。「汝の隣人を愛せよ」と言う言葉があるように、人は一人で生きることは出来ない。お互いに影響しあって生きている。公人とは神に選ばれた人を指し、任務とは福音を宣べ伝えることを意味する。そこにあるのは愛であり、ゆるしである。我々は変えられ、新しい人間関係を築き上げねばならない。その役割を教会が担っている。一言で言うなら牧師の言葉は、次の聖書の言葉に尽きると思う。「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく作られたものです、古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました(Ⅱコリント人への手紙5章17節)」。
これで米村牧師の言葉は終わる。果たして牧師の言葉を正確に伝えられたかどうかは極めて心もとない。しかしこれが私、守武 戢の感想である。参加した人の意見を求む。

 あかし:8月18日(日)、日野キリスト教会で特別礼拝があり。そこで、ナオス・キリスト教会の遊佐学伝道師の「あかし」を聞く。「1975年、栃木県生まれ。12歳の時に薬物を始める。18歳の時少年院に入り、出てから覚せい剤に溺れ始め新宿歌舞伎町でヤクザになる。薬物の症状で幻聴・幻覚・激しい被害妄想に襲われ、自宅マンションの5階から飛び降りる。集中治療室を経て、1年間の入院生活を余儀なくされる。その後、破門になり刑務所に2度服役。刑務所の中で人生を変える一冊の本と出合う元ヤクザの牧師の書いた「悪タレ極道のいのちのやりなおし」この本の中でイエス・キリストに出会い、生かされていることの意味を知る。出所後、3か月後に受洗。2019年伝道師になる。現在は依存症の施設で働き、神学校に通っている(説明書から)」。
 あかしをした伝道師の姿には「地獄を見た人」にありがちな暗さは微塵もなかった。そこには、悔い改め、神に救われた人の喜びの姿があった。私は、神の恵みを知ることが、すべてを変えるカギである、と確信した。 
                                         令和元年9月10日(火)報告者守武 戢 楽庵会


書簡集5 エペソ人への手紙 獄中書簡 教会はキリストのからだなり

2019年07月13日 | Weblog
  書簡集5 エペソ人への手紙 (獄中書簡)教会はキリストのからだなり
 はじめに
 「エペソ人への手紙」は、AD62年ごろ、ローマの獄中(3;1,4:1,6:20)で使徒パウロが小アジアのキリスト者の共同体(エペソの教会)にあてて書かれたものだという。パウロはエペソに3年間滞在し、聖徒たちに説教し、教えた。この書簡が書かれたのはパウロがエペソの指導者とミレトスで分かれて4年後ということである。この時パウロは異邦人伝道ゆえに捕らえられ、ローマにいた。比較的緩やかな軟禁状態にあり、「こうしてパウロは満2年間、自費で借りた家に住み、訪ねてくる人をみな迎えて大胆に少しも妨げられなく、神の国を宣べ、伝え、主イエスのことを教えた(使徒の教え28:30)」。このようにパウロは比較的自由な生活が保障されていた中で「エペソ人への手紙」を書いたとされている。
 「神のみ心によるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵と平安があなたがたの上にありますように(1:1~2)」。ここから「エペソ人への手紙」は始まる。
 エペソ人への手紙は異邦人の国に広がる偽使徒や、ユダヤ教徒などに対し、信仰の義を前に押し出して、特定の問題等に対して書かれたというよりも、作者パウロ自身のエペソ人に対する深い愛情を表明したものとされている。勿論、彼らがキリストの教えに従って生きることを望んでいないわけではないが、これまでの書簡集(ローマ、コリント、ガラテヤの各書簡書)と違ってパウロの救済の思想が描かれているというよりも、むしろ救いと教会との関係が描かれている。ここにこの書の特徴を見ることができる。

 教会とは
 パウロが創始した最大の教会の一つがエペソの教会である。パウロはエペソに3年間滞在し、この地の聖徒たちに説教をし、教えた。エペソの手紙は励ましの手紙である。パウロはこの手紙の中で教会とは何かを語り、教会の性質とその存在意義を説明し、その構造(肉的、霊的)を語った。イエス・キリストの教会とは、イエスを愛しイエスに仕えようと決意したあらゆる人種や国籍の人々の集まる聖なる共同体である。「そして神様は一切のものをキリストの足元に従わせ、一切のものの上に立つ頭(かしら)であるキリスト・イエスを教会にお与えになった。教会はキリストのからだであり、一切のものを一切のものによって満たす方の満ちておられるところです(1:22~23)」。まさに神のみ心を知るために、また、その御心を世界に広めるために神によって造られた場所(拠点)が神の教会である。「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国民でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族(教会の一員)なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、イエスご自身がその礎石です。この方にあって組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたも共に建てられる御霊によって、神の住まい(教会)となるのです(2:19~22)」。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだ(教会)に連なり、ともに約束にあずかるものとなることです(3:6)」。「これは今、天にある支配と権威に対して、教会を通して神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠なるご計画によることです(3:10~11)」。「むしろ愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、頭(かしら)なるキリストに達することができるためです。キリストによってからだ全体(教会)は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して(教会が)愛のうちに建てられるのです(4:15~16)」。
5章後半(5:22~33)から6章前半(6:1~9)にかけては教会と家族についての勧め(教会と夫婦、両親と子供、主人と奴隷)が語られる。
1.キリストは教会の頭であったように(5:22~)
2.教会がキリストに従うように(5:24~)
3.キリストが教会を愛し、教会のためにご自身を捧げられたように(5:25~)
家庭の頭である夫に妻は従えと、パウロは言う。
 勿論、従うということは、イエスの十字架での贖罪が我々罪びとに対する愛であったように 夫と妻は愛をもって結ばれなければならない。夫は自分のすべてを妻に捧げ、妻は喜んでこれに従う。家庭における夫と妻との役割の重要性がここで語られている。この関係は両親と子供、主人と奴隷との関係にまで広げられている。6章の後半(6:10~24)では教会は自分を滅ぼそうとして攻撃を仕掛けてくるサタンとその手下たちに対して武装してこれに立ち向かえとパウロは命令する。教会は信仰の場であると同時に、サタンに対する防御かつ攻撃の場でもある。我々は教会によってすべての敵(内と外)から守られている。

 >あらすじ
 エペソ書は、まず初めに神のご計画から始まる。神はイスラエルの民に「汝らを諸国民の王とする」と語っている。ここから異邦人伝道が始まる。神を知らぬ異邦人は、この伝道によって選ばれた民となる。このように民が神を選んだのではなく、神が民を選んだのである。それゆえに、彼らは必ずしも神に従順ではなかった。道に迷い、闇の中を歩んでいた。しかし、神は選ばれた民のうちに聖霊を宿しているのを見て取っていた。その聖霊は明らかにされねばならなかった。神の恵みこそ、人を変えていく神の力である。律法とか義務とかでは人を変えることは出来ない。ただ神の恵みがそうするのである。パウロはエペソの聖徒たちに「私たちの父なる神と、主イエスキリストから」そうした「恵み」が注がれますようにと祝福のあいさつを送っている(1:2参照)。
 使徒パウロが「エペソ人への手紙」を書いた目的の一つは、すでに立ち上げられていた教会を、さらに強めることにあった。イスラエル人と異邦人との間に存在するすべての隔ての壁(律法主義、選民意識と差別意識)を打ち壊し、平和を実現し、キリストにあってすべてが一つになり、異邦人とキリスト者の一致という神のご計画=夢を実現することにあった。「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかるものとなるのです」このように神のご計画は壮大で、その福音宣教の幅をイスラエルから世界へと広げていくのである。しかし、そのためには選民として選ばれた異邦人は、新しく作り替えられねばならなかった。パウロはエペソの聖徒に言う「イスラエル人も異邦人もキリストにあって神に近づけ」、「神を知るために、召しにふさわしく歩め」と。そして言う「どうか、私たちの主イエス、キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示と御霊をあなたがたに与えてくださいますように(1:17)」と、パウロは祈る。この後、パウロは5章と6章の前半にかけて教会と夫婦の関係、親子の関係、さらに主人と奴隷の関係を取り上げ、そのより良いかかわりを築くことこそが神を喜ばすことになるのだと強調する。そしてこのすばらしい教会をサタンの攻撃から守るために、神の武具で武装せよと命じる。これ以上は「教会」の項で述べたので省略する。そして最後に「どうか、父なる神と主イエス・キリストから平安と信仰に伴う愛とが兄弟たちにありますように。私たちの主イエス・キリストを朽ちぬ愛をもって、愛する人々の上に恵みがありますように(6:23~24)」と、この書簡を結んでいる。

 ">>この書簡の作者:使徒パウロ(これにつては疑義もあるが、専門的になるので指摘するにとどめる)。
 >書かれた年代:西暦60年ごろ。ローマに収監されていた時。

 この書簡は果たして獄中書簡か:
 この書簡は一般的には獄中書簡と言われているが「使徒の働き」によると「私たち(作者ルカとその仲間)がローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された(使徒の働き28:16)」「自費で借りた家に住み(使徒20:30)」とパウロが牢に繋がれていたという記述はない。軟禁されてはいても行動のある程度の自由は保障されていたようである。「エペソ人への手紙」はこのような状況下で書かれたのであろう。しかし、「エペソ人の手紙」の中には「鎖に繋がれていても(6:20)」という表現は存在する。これは「捕らわれの身」の象徴的表現なのであろうか。聖書にはこのような食い違いは随所に存在する。しかし、書かれた場所も、時代も、さらに書いた人も違っているのだから仕方がないのかもしれない。しかし、聖書は神からの啓示の書であるという観点からみると、ちょっとお粗末である(冗談)。

  
「使徒の働き」:作者はルカ。パウロの書簡集を読む場合、この書を読むことは必須である。特に後半部分はパウロの回心とその後の異邦人伝道について詳しく述べられている。イエス・キリストの死後、パウロ等の働きによってキリスト教が世界各地に伝わっていく経過がこの書には描かれている。
令和元年7月9日(火)報告者 守武 戢 楽庵会