日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

森下洋子作『バレリーナの情熱』後半、小田島雄志との対談

2011年03月22日 | Weblog
 これは前作の続きである。20000字という文字制限があったのでやむ追えず二つに分けたのであって興味のある人は前作から読んでほしい。
 
 対談(小田島雄二・森下洋子)
 この対談は本文の集大成と云ったもので、そこには、格別に新しいものはない。内容を深化させたり、別の角度から見たりしたもので、はなはだ興味深かった。最初には加齢による踊りの変化について話し合われている。これは本文の「バレリーナと年齢」の項でも語られている。20代はただ夢中で音に合わせて踊っていただけだったが、それが30代を過ぎたころから、その作品の心を表現出来るようになってきたという。加齢による体の衰えは、自分の力をコントロールする能力を身につけ、力をセーブすることによって解決できる。一つの作品を踊りきるには、相当の体力を必要とするので、この能力を身につけることが必要条件である。それより重要なことは作品の心が見えるようになったことだと、森下洋子は言う。20代では見えなかったものが加齢による人生経験の豊かさによって見えてきて、踊りの質を変える。芸術的に進化させることが出来る。観客がその役の人物の心を感じることが出来るかどうか。それがバレリーナにとって最も重要なこと、である。「マーゴがヌレエフと『ロミオとジュリエット』を踊った時は40歳を過ぎていました。それでも年齢をこえて、甘美で美しさにあふれるジュリエットを踊れたのは、マーゴが磨いてきた年齢と、一人の女性として持つ魅力にほかなりません」「40代の踊りには、20代の人がいくら頑張っても出せない内容があります」と森下洋子は言っている。過去から現代にいたるまで何度も踊っている「白鳥の湖」、「ロミオとジュリエット」、について話題は広がる。「白鳥の湖」は結局は男と女の物語なのだと結論する。なぜ王子は騙されたのか? 対談相手の小田島は『おれが王子でもオディールに惚れるよ』といっている。オディールにはおそらくオデットにはない魅力を備えていたのではないか? 僕が考えるに、妃の候補者として妃選びのパーティーに参加した王侯貴族の娘=王女たちは全て乳母日傘で育てられた純粋無垢の娘たちである。それに対してオディールは悪魔の娘、そこには気後れがあり、悲しさがあり、劣等感がある。そこには王侯貴族の娘たちにはない陰ある魅力がある。その初めて出会う怪しげな魅力に王子ジークフリードは、心を奪われたのでのではないか?黒鳥オディールには悪魔的な人間というイメージが常につきまとうが、偶然、悪魔の娘に生まれたにすぎない、普通の純粋無垢の娘と、考えるべきであろう。ここまで考えるのは考えすぎかもしれないが、オディールを悪魔的人間と考えるのではなく,結局は、普通の人間の三角関係なのである。このように森下洋子が考えられるようになったのは年齢のなせる技であろう。ヌレエフの存在も大きかった、と森下洋子は述べている。そのほか「ロミオとジュリエット」、「ジゼル」など再演ごとに演技が変わっていったと、その変っていった様子を具体的に話している。ロングランを続けている「女の一生」の杉村春子は、おばあさんという年齢になっても17歳の娘をメイクなしに演じていると小田島は感動している。若さには若さの特権があり、それなりの素晴らしさをもつと同時に、歳を取った人にでなければ出せない何か=表現力がある、と小田島は言う。美に対する感受性と、美を表す表現力、それは加齢とともに深化していかなければならないし、おのずから出てくるものでなければならない。そこにはたゆまぬ訓練を必要とする。「よく技術的には20代まで、といいますが、それは本当です。その基礎がしっかりしていれば、30代、40代になっても肉体的にも精神的にも、どんどん筋肉は強くなっていくと、現在は身をもって体験し、確信をもって言うことが出来ます」。加齢による、美に対する感覚の深化、表現力の進化は、年齢とは関係がないことを表している。舞台人(バレリーナも含めて)とは、様々な人間の代弁者であり、生きている人の心の断片を、見せていく仕事である。そして、命とか、生きると云う事を、自分の心の深いところで共感し、それを伝えていく仕事なのである。そして、それが出来るのはある程度の年齢を必要とする、のである。
 そのほか夫・清水哲太郎との関係も話題になる。演出家でもある夫に対しては、演出に関しては夫に従うが、演技者として共演するときは、いろいろと議論するときもあるという。その辺のけじめをしっかりしているので長続きしているのではないかという。バレエ人生における夫の存在は大きいといっている。彼のアドバイスがなかったら、今の自分はなかった、とまでいっている。そして、彼の踊りに対する姿勢の厳しさ、追求心を教えてもらったからこそ、ここまでこられたのだと、彼を称賛している。
 さらに、精神的には橘秋子先生(中学~高校時代を通じて師事した先生)の存在は大きかったといっている。バレエ技術の基礎を徹底的に教えてくれたと同時に、人間の生き方の根本的なものを教えてくれたという。バレエが踊れるからといって、人として半端になってはいけない、人として優れていなければいけない、と諭されたという。集中力を養う訓練として寒稽古もあったという。「月に一回、バレエ団で山奥の滝に打たれにも行きました」と森下洋子は言う。滝に打たれても風邪をひかない肉体と、精神力が、これによってつくられたと云う。これを通じて人生に現れる様々な困難な壁を乗り越えることが出来る確信が出来たという。そして現在の精神力の強さの育たない風潮を嘆いている。バレエの華やかな面だけを見て入ってきて、その陰にある困難な事態に直面して、予想に反したといって、嫌になり、すぐに止めてしまう。その変わり目の速さに森下洋子は驚いている。近年、精神主義は、はやらないが、何をするにしても精神力の強さがなければ、事を成就することは出来ない。こんなところにも戦後民主主義教育の破綻を見る。
 森下洋子は小田島の「バレエをやっていなかったら何になっていたと思う?」という質問に答えて「バレエ以外には考えられない、何度、生まれ変わってもバレリーナでありたい」と答えている。好きなことを仕事にし、様々な困難を克服し、成功した人間にして初めて言える言葉であろう。
 森下洋子には、多くのバレリーナの経験する怪我もなく、多くの芸術家の経験する挫折もなければ、絶望もない、そして今なお輝いている。素晴らしい伴侶にも恵まれ、さらにルドルフ・ヌレエフ、モーリス・ベジャール、ジョルジュ・ドン等々の天才との出会いと、共演がある。この作品「バレリーナの情熱」は、才能に恵まれ、健康に恵まれ、時に恵まれ、人に恵まれ、環境に恵まれ、運にも恵まれ、バレエ界という、すそ野の広い世界の頂点にたった一人のプリマの成功の物語=エッセイである。プリマも含めて、世の中のスーパースターとはすべての条件の整った人間に対して、神から与えられる称号といえるであろう。
この作品はバレエ人生に対する賛歌であると同時に、生きていくことの賛歌でもある。

森下洋子プロフィール
1948年12月7日生まれ。
広島県広島市江波(現・中区江波)出身。
吉祥女子高卒。
2001年より「財団法人松山バレエ団」団長(夫の清水哲太郎は総代表)。

 3歳よりバレエを始め、葉室潔、州和みち子、橘秋子、等に師事。橘秋子の死後、1971年に松山バレエ団に入団し松山樹子(現夫・清水哲太郎の母)に師事。1974年に25歳で第12回ヴァルナ国際コンクールにて金賞を受賞(清水哲太郎は銅賞)。「日本人には体型的にバレエは無理」という世界的な偏見を払しょくし、日本にも世界的バレリーナが育っていることを世界に知らしめた。2度の芸術祭大賞をはじめ、日本芸術院賞、ローレンス・オリビエ賞(ヌレエフと共演した「ジゼル」で受賞)など数々の賞に輝く。海外公演も多数。
このようにして森下洋子は世界のトップ・プリマとしての地位を確立する。既にバレエ歴は半世紀を超える。森下洋子は言う「バレリーナは40歳ぐらいが体力の限界と云われ、この年齢(この時53歳)で全幕をとうして踊れる人は、世界でも私の他にいないですね」(読売新聞でのバレリーナを目指す中学生との対談)と自画自賛している。彼女は、1970年代から現在まで、日本のトップ・バレリーナの地位を誰にも譲っていない。これほど長く第1線でトップ・ダンサーとして活躍しているダンサーは世界広しといえども森下洋子の他には、マイヤ・プリセツカヤあるのみである。
森下洋子は言う「日本人の繊細な動きなどは、欧米人にはまねができない。だから、私をゲストとして招いてくれるのだと思う」と。日本人の良さを再認識し、その長所を伸ばしていく必要があろう。今、日本のバレエは世界にも通用するようになっている。森下洋子はさらに言う「みなさんも、はじめから夢をあきらめないでください。やって見ようかと思うか、私には出来ないと悲しむか、そこで人の生き方は変わると思う。苦しくとも続けていけば、いつか実を結びます。1日1日、何か目標を決めて、それに向かって大きくなってください」と。

 
  小田島雄志=英文学者、演劇評論家

  森下洋子作『バレリーナの情熱』 角川文庫 角川書店発行


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森下洋子作『バレリーナの情熱』

2011年03月22日 | Weblog
 今回は趣向を変えて、世界のプリマとして今なお観客を魅了し続けている森下洋子の作品「バレリーナの情熱」を取り上げる。この作品は1984年(昭和59年)5月大和書房より刊行された単行本に加筆し、角川書店より文庫本化して1994年(平成6年)1月25日に発行されたものである。単行本からは28年、文庫本化からは18年の歳月がたっている大分古い作品である。しかし今なお新しい。単行本から28年たった今でも日本のバレエ界の状況は基本的には変わってないのではないだろうか?この作品は森下洋子が「一人の女性としての素顔、華麗な舞台の裏話、そして(もう、故人になった)モーリス・ベジャールや故ルドルフ・ヌレエフといった偉大なアーチスト達との思い出などを嫋やかな筆致で綴る。--------バレエの魅力をたっぷりと堪能できるエッセイ集」(裏表紙の解説より)である。 巻末には、小田島雄志氏(演劇評論家・英文学者)との対談が収録されている。
 この作品に登場する、ルドルフ・ヌレエフ(1938年~1993年55歳没),マーゴ・フォンテーン(1919年~1991年72歳没)、モーリス・ベジャール(1927年~2007年80歳没)ジョルジュ・ドン(1947年~1992年45歳没)はいずれも故人になっているが、森下洋子(1948年12月7日~64歳)とその夫の清水哲太郎(1948年2月1日~64歳)は今なお健在で活躍している。
 この作品の前半は「バレエとは何か」という極めて基本的なものから始まる。基本レッスンの大切さ、それ以上に技術を支える心の大切さが語られ、さらにバレエを支える道具(トウ・シューズ、衣装)の正しい選択と着用の仕方、保存の方法などが語られている。そしてプロのダンサーにとって最も関心のあるプリマの条件が示される。それは神から与えられた天性のもの(存在するだけで観客を魅了するオーラ=花、鋭い音感、感受性、表現力)に左右されるという。その上での厳しい訓練が必要だという。素質があればただの石ころも磨き方次第でダイヤとして輝くという。
 そしてどんなことがあっても舞台に立つとそれに集中できるスイッチをもつこと、さらに、もう一つのスイッチとして舞台や練習の後のリラックスを上げている。それなくしては緊張の連続の舞台をつとめることは出来ないという。森下洋子は、私は良く学びよく遊んだといっている。遊び友達もたくさんおり、その人たちは全員、仕事熱心の素晴らしい仲間であり、遊びの中で得たものは多いとも言っている。さらにお洒落についても語っている。普段は流行に左右されないシンプルなものを好むが、森下洋子として公式の席に出るときは、きちっと化粧し、靴もバッグもそろえ、立場をわきまえたおしゃれをするという。そしてそんな席に出席する機会が、近年、増えてきたとも言っている。ルドルフ・ヌレエフのパートナーを長年務めた世界のプリマ=マーゴ・フォンテーンのおしゃれは素晴らしく、エレガントという言葉は彼女の為にあるようだといっている。
 そして、プロのダンサーとして自立していくための苦労話が続く。世界のプリマも最初はしがない貧しいダンサーにすぎない。プロとして自立していくためには食べていかなければならない。「自分が踊りたいために、自分が稽古したいために、バレエを続けていきたいがために、自分が練習する時間を減らして、食べていくためのお金を作らなくてはならない--------これが、実はバレエ界の現実です」と森下洋子は述べている。バレエのコンクールに出場し賞を取ることも自立していくための足がかりになる。森下洋子はパルナのコンクールで金賞を取り、世界の舞台へと羽ばたくことを可能にした。バレエをしていく上で必要と思われることはなんでもしたという。自分の公演の時、森下洋子は新聞社に売り込みに行ったという。このように沢山の切符が売れるように努力している。今、宣伝媒体はたくさんある。「ぴあ」という雑誌などはその典型であろう。こうなると踊りの技術だけでなく営業能力も必要になる。切符の売れるダンサーになることが必要である。それで初めてプロのダンサーといえるのである。どんなに自己の能力を誇って見ても、誰からも見てもらえなければ意味はない。無名時代は技術を磨くだけではなく、それを見てもらう努力をすべきである。そしてその実力を見る者に認めさせることである。日本は西欧と違って黙っていても切符の売れる国ではない。国立のバレエ劇場をもちバレエ団の団員に給料の支払われる西欧とは文化の違いは歴然としている。経済一流、文化四流と欧米人に馬鹿にされている現実をしっかり見据えることである。「私はバレエ以外何も知らない」と威張っておれる国ではない。そんなダンサーは日本では生き残れない。そのうちに消えていくだろう。人と人とのつながりも大切である。人を介してどんなチャンスが巡って来るか判らない。人が支えてくれる。森下洋子はバレエ界の人間だけでなく、女優、歌手、歌舞伎俳優、ファッション・デザイナー等々を友人として付き合っている。それらの人たちとのつきあいを通じてバレエの普及に努めている。
 西欧のバレエ団は専用のバレエ劇場をもちそこには稽古場が併設されている。森下洋子はその一例として、パリ・オペラ座について述べている。そこには個室があり、エトワール(オペラ座バレエ・ダンサーの最高位・星=スターという意味を持つ)用に準備されている。マーゴ・フォンテーンは引退後もそこに居を定めて後進の指導に当たっていたという。さらに個室には一人の世話役のおばさんがおりエトワールの着替え、汗ふき、舞台が終われば衣装を簡単に洗って翌日に備える。個室の横に彼女たちの部屋があり、そこに常駐し、エトワールたちの面倒を見、自分の娘のようにいつくしみ、誇りに思っているという。文化四流の日本にはそんなシステムはない。森下洋子は言う「外国にはオペラやバレエの伝統があり、国家や公共団体(さらに大企業)がお金を出しているからやれるのです」と。「日本ではバレエ団が自分の力でやらねばなりません」と。日本ではプリマといえども楽屋ですべてを一人でやっているのではなかろうか?せいぜいお弟子さんの一人が無料で助手についている程度であろう。さらに森下洋子は言う「外国は社会、政治が違うのです。税制も違い、芸術は優位にあります」と。そこにはバレエを含めて芸術全般に対する日本政府の無理解があり、その背後にはエコノミック・アニマルと蔑視される日本人の情操の低さがある。こんな拙劣な条件の中でも「ときには、日本のバレエ団のほうが優れた運営と、優れた作品を上演していることもあるのです」と、森下洋子は胸を張る。これを例外とするのではなく、普通にすることで世界に羽ばたく日本バレエを確立していくことが出来るであろう。
 このように森下洋子は外国と日本のバレエ事情を比較し、日本の拙劣なバレエ環境を嘆きながらも、「伝統と封建性」の同居するオペラ座によだれを垂らす必要はないという。オペラ座は長い伝統(その前身はルイ14世の時代までさかのぼる)を誇るバレエ共同体であるがゆえに、そこには学ぶべき多くの点があるにしても、そこには封建的な階級制があり、規制がある。それは今やパリ・オペラ座の発展にとって桎梏になっていた。この弊害を森下洋子は指摘したのである。日本のバレエ界には誇るべき伝統がない代わりに封建制もない。そこには自由があり、自己を解放する場所がある。そんな場所として森下洋子とその夫=清水哲太郎は「松山バレエ団」を両親(清水哲太郎の)から引き継ぎ運営している。
 ソ連(現ロシア共和国連合)より亡命し、パリ・オペラ座の芸術監督に就任したルドルフ・ヌレエフはパリ・オペラ座の封建制に抗して、積極的に実力ある若手を主役に抜擢し、さらに、それまで女性中心であったバレエに男性を重視した演出・振り付けを行い、その後のバレエ界の近代化に貢献している。
 以上のように森下洋子は、バレエ界の持つ歴史的、社会的側面を述べた後に、個人的な問題に入っていく。個人的な問題として、最も大切なものは結婚と出産だという。それについては第3章「バレリーナの結婚」の中で述べられている。ここにはバレエ界だけではない一般社会にも共通する、結婚と仕事の問題がある。そこには結婚を取るか、仕事を取るかの問題があり、結婚後は、仕事と結婚生活を両立させるにはどうするかの問題が生ずる。日本の男性は結婚後は女性を所有物視すると嘆いている。さらに妊娠、出産、育児と家庭生活と仕事を両立させるのは大変である。森下洋子はあくまでもバレエを中心に考える。バレエ・ダンサー清水哲太郎を夫に選んだのもその辺の配慮があったからであろう。そこには好いた、惚れた、というだけではない、バレエ人生を視野に置いた、冷徹な選択眼がある。そして子供に関しては、思いっきり踊りたいという気持ちに変わりがない限り、生むつもりはないという。森下洋子は自分の教室にレッスンに来る幼い子供たちを自分の子と見なしていたのかもしれない。夫哲太郎との関係でその結婚生活を見るとき、夫の絶対的な理解を必要とする。そこには自分は自分、他人は他人といったドライな人間関係を必要とする。もちろん夫婦である限り、共通部分があるわけで、2つの円を重ねたとき出来る共通部分が夫婦としての領域であり、残りの三分の一ずつはお互い神聖にして侵さざるべき領域でなければならないという。森下洋子自身は指摘してはいないが、仕事と育児を両立させるためには、社会的に子育てをする施設(託児所)が必要であろう。これは行政に期待する以外にはない。しかし日本の行政は、この面においても、あまりにも貧困である。
 森下洋子は言う「舞台の上で自由に踊り、自分を解放できるのは戻る巣があるからともいえるのです」と。そしてその巣とは「バレエ団」であるという。バレエ団はお互いに信頼できる人間関係で構成されている。そこには踊り手を踊りにだけ専念させてくれるブレーン(頭脳=事務方)がいる。プロデューサーがおり、制作全体を統括する。彼らが公演のスケジュールを創り、予算を組み、公演依頼を調整し切符の手配、販売を行う。このようにバレエ団は踊り手が踊りだけに専念できるように外部を固めると同時に、内部にも目を向ける。内部には演出家がおり、振付師がいる。舞台監督がおり、装置、小道具、衣装、照明、指揮者とオーケストラの面々が舞台を仕上げるために汗を流している。このように舞台を成立させるためには、裏方、表方の活躍があり、そのひとつが欠けても舞台は成功しない。バレエはまさに総合芸術であり、小説家や画家のような個人芸ではない。森下洋子は言う「--------、バレエは私一人で出来るものではありません。大変多くの人々が陰で働き、踊り手もたくさん出て、いわば仲間たち全員の結束が、舞台の上で花開き実を結びます、ここでいう私とは、複数の大勢ということなのです。ここでは、一応代表して“私”のことを話しているにすぎません」と。バレエ団は、一つの家族であり、社会なのである。
 森下洋子は自分の教えている幼い子供たちを見て言う。この子達は一時的な趣味の範囲で終わるかもしれない。しかしバレエの舞台で多くの人が働き、それぞれが関連しあい、お互いがお互いを尊敬し、自分の役割を果たしているのだと知ってもらうだけでもよい、と。そこには小さな社会があるのだと知ることによって、将来、社会に出て社会の構成員の一人になった時、表方、裏方、どんな立場にいようとも、自らを尊び、他人を敬うことのできる人間になっていくことを期待している。バレエはまさに情操教育であると同時に人間教育であり、社会教育なのである。

  基本の重要性
 今まで文学ばかり扱ってきたのになぜ畑違いのバレエなど扱ったのか?それは僕自身がバレエを趣味とするバレエ・ダンサーの一人だからである。バレエ経験はもう15年を超えるのではないかと思う。それ以前にはソシアル・ダンス(現在も継続中)ジャズダンス等々も踊っている。だからダンス歴は長い。
 そこで学んだものは体つくりの重要性である。とくに体幹を鍛え、まっすぐに立つことの重要性である。まっすぐ立つためには身体の中心に軸を通さなければならない。これ(軸)無くして上手く立つことも、飛ぶことも、回ることも出来ない。軸はバランスを保つために重要である。ルルベに立つとき、飛び上がって着地するとき、沢山回った時、崩れないためには体に軸が出来ていなければならない。腹筋、背筋、側筋と、極端にいえば体の筋肉のすべてを鍛えなければならない。しかも外部の筋肉ではなく、内部の筋肉(インナーマッスル)を。この身体の基礎の上にバレエに必要な筋肉を鍛えなければならない。それはレッスン以外にない。森下洋子は言う「人間の筋肉は鍛えれば鍛えるほど美しく輝きます。そして内臓を含めてスタミナが付いてくるのです。真剣にバー・レッスンを続ける人は、途中で汗びっしょりです。バレエに基本レッスンが必要な理由は、単純な基本の中に複雑な美の出発点をくみ取り科学的な技法を体得できるからです」と。日ごろの鍛錬によって筋肉を鍛え、美しいプロポーションを創り、維持することがバレエ・ダンサーの必要条件である。これを怠ると、身体は日ならずして衰えてくる。40歳を過ぎても天才ルドルフ・ヌレエフはどこにいてもレッスン場を探しレッスンに励んでいたという。彼のような天才的なバレエ・ダンサーでも、その基礎にはたゆまぬレッスンがあったのである。
 バレエ技術の基本中の基本にプリエがある。その意味は「折りたたむ」というということであり、足を曲げ、身体の位置を下げていく動きで、クラシック・バレエのすべての動きの中に取り入れられており、舞踏のすべてのパの中に存在している。立つとき、飛ぶとき、回る時、着地するとき、この動作がないとうまくいかない。この動作は弾力性を養い、股関節を開く(アンドゥオール)能力を発達させる。一つの動きから次の動きに移る時の滑らかさと柔らかさを生み出し、安定性を高めるのにも役立つ。プリエの動きがしっかり出来ていないと、脚で床を十分押すことが出来ないので良いジャンプができず、着地も上手くいかない。要するに、プリエはジャンプの為のバネになり、着地の時に生ずる衝撃の緩和(吸収)になる。このように重要な基本であるため、バー・レッスンの最初には必ず5ポジションのプリエが行われる(現在では第3ポジションのプリエは省略される)。第6ポジションもあるが、ジャズダンスなどでは使われるがアンドゥオールを基本とするバレエでは使われることはない。バレエはプリエから始まるといって過言ではあるまい。そして、美しく踊るための出発点となる。素人には何を言っているか判らないと思うが、基本の大切さの一例としてプリエを上げただけなので理解してほしい。
 しかし、これはあくまでも、バレエを踊るための技術である。技術は手段であって目的ではない。では目的とは何か?森下洋子は、それは心だという。瞬間芸術としてのバレエ。観客を魅了するものは、心である。心を表現するものは技術ではあっても、心のない技術は無意味である。観客の心に感動を与え、永遠にその感動を刻み込むことが出来るかどうかが、芸術と認められるかどうかの境目だと森下洋子はいう。森下洋子の踊ったジュリエットを見て「ステーキとすき焼きの味がした」といった批評家がいたという。そこにはシュークスピアの「ロミオとジュリエット」の徹底的な研究と、その上での日本的な解釈があったといえるであろう。バレエは「心の芸術だ」と森下洋子の師であり、夫清水哲太郎の母親でもある松山樹子が云ったというが、その心の大切さ、困難さを森下洋子は語っている。僕は詩吟をやるが、読書百遍、意おのずから通ずというから、その詩を何べんも読み、その意味を考え、それを表現しろと先生からいわれている。3月20日(日)中野ゼロホール(小)でコンクールが行われる。今、入賞を目指して頑張っている。吟題は「秋思」劉禹錫(りゅう・うしゃく)作である。(地震のため中止となる)。本来、技術と心は一つのものであって、切り離すことの出来ないものである。

 神からの贈り物
 この作品は世界のプリマにまで上り詰めたバレリーナ森下洋子のバレエ賛歌である。彼女はプリマの条件は「それはどんなに頑張って練習したとしても得ることが出来ず、教えようにも教えることの出来ない、持って生まれた天性のものである」と述べている。
 その一つはどれだけ身体が歌えるか、の音感である。優れたバレエ・ダンサーは全て音感が良いといっている。
 次に豊かな感受性と、表現力を上げている。人の心に感動を与えることのないバレエは無意味であり、プロのダンサーとしては失格だという。形を形どおり踊っており、技術的には完ぺきでも、ちっとも人に感動を与えないバレリーナがいる。いわゆる優等生の踊りである。プロにとっては技術と心は切っても切れないものである。
 さらにプリマにとっての絶対条件として、“花”を挙げている。存在するだけで周囲を圧倒する、おのずから生ずるオーラ「つまり、舞台に出てその人が踊ると、パッと明るくなる、存在感がある、舞台が映えるということが、とても大切なことです」と。そしてこれらの素質を生かし、たゆまぬ訓練をした人にのみプリマの称号を神は与え賜うのである。もちろん自分が「プリマ」などとは森下洋子は一言も書いていないが、その自負心は持っているであろう。これらの条件を一つも満たしていない人はプロの道は早々にあきらめたほうが良いであろう。バレエなどという、つぶしのきかない仕事にいつまでもこだわっていると、人生の落後者になる。
 以上でこの作品の前半部分の紹介を終わる。後半は森下洋子と偉大なアーチスト:モーリス・ベジャール、ジョルジュ・ドン、ルドルフ・ヌレエフとの出会い、共演での裏話が語られる。それが第4章「モーリス・ベジャール、そしてジョルジュ・ドンとの出会い」であり、第5章「ヌレエフという人」である。

 第4章『モーリス・ベジャール、そしてジョルジュ・ドンとの出会い
 作者(森下洋子)は当時(1960~80年)ベルギーの国立20世紀バレエ団を率いていたモーリス・ベジャールより、新作「ライト」の出演依頼を受ける。そこで共演をすることになる、そのバレエ団の団員ジョルジュ・ドンの推薦によるものだった。モーリス・ベジャールは男性を主体にバレエを構成する振付師なので「ライト」で主役として女性を選びその役を自分に割り当てられたことに感動する。しかし危険な賭けかもしれない。森下洋子は悩む。しかし失敗を恐れずに引き受ける。人生の中で必ず存在する「時」を感じたからだと、森下洋子はいう。
 ヴィヴァルディ―作「ライト」は女の一生の物語であり、ライトという女性が生まれて、成長し、様々な男性と恋をし、苦しみ悩んだ挙句に真実の愛に目覚めて、結婚、母親になっていくという物語である。さらにその娘の人生も描かれる。
 舞台は2部構成であり幕間なし、暗転のみの135分間。一幕目はライトの結婚まで、二幕目は娘の出産と、成長までが語られる。舞台はライトの出産前から始まる。母親の陣痛の苦しみ、出産後の幼児期、共に独特の演出が行われる。今までのバレエの振り付けにはないものだけに、森下洋子は苦労する。その苦労の状況が克明に描かれている。そして恋、貧しい青年(ジョルジュ・ドン)を嫌い、豊かな男性とのみ付き合っていたライトも、真実の愛に目覚めて貧しい青年と恋をし、結婚に至る。豊かな男性を象徴するものは「欲望」貧しい青年を象徴するものは「真実の愛」。本来の道を踏み外し豊かな青年たちと踊る時はジャズダンスが効果的に使われる。バレエとジャズ、その音楽の使い分けが面白い。
 衣装 ライト:ピュアーな純真な女性ということで、7色の虹を総合する意味での白のボディタイツ。母親役の女性(一人でなく数人登場する):ブルーのボディタイツ。7人の虹の役目:豊かな男性たち:きらきらして豪華な7色(虹の色)のロングスカート。貧しい青年(ジョルジュ・ドン):上半身は裸、下はタイツ。ライトが自分のところに戻ってからは白のロングスカート。
 森下洋子は言う「ベジャールの振付は、“動”の中に“静”があり、“静”の中に、次なる激しい“動”を感じるのです。筋肉の緊張と緩和の繰り返しの中に、クラシックバレエでは見出せないおもしろさがあります」と。森下洋子はモーリスだけではなく、団員のすべてにも気に入られ、公演も成功裏に終わる。「初演後の批評に『今までのモーリスにない新しい作品だ』とありましたが、今まで男を主体にしてきたモーリスが、なんと女性を主役にしたというだけでも、また違ったものが出たということもあるでしょう」と、さらにベジャールから「この作品はヨーコがいなくては出来ないんだ」といわれたといって、自画自賛している。評論家の批評も好意的で「こんな美しい、生れ出てきたままの、あどけなさをもっている人間を演じた人がいるだろうか」「そこから少しずつ女に成長していく過程が、はっきり見えた」と絶賛している。ベルギーでも、パリでも「ライト」の公演は超満員で、大成功に終わったのである。
 この後、森下洋子は皆から変わったといわれる。長年相手役を務めることになるヌレエフからも「あなたの踊りは変わり、美しくなった」といわれている。何かのキッカケで自分はがらりと変わったという人がいる。モーリス・ベジャールの影響は大きかったのである。しかし森下洋子は言う「技術的面でも一つのステップを上る時期と、ちょうどモーリスと出会った時期が一致した、ということかもしれません」と。モーリス・ベジャールの影響を認めながらも自分自身の成長の一段階と彼女は考えたのである。
 さらに33歳という歳にこの作品に出合ったことを彼女は感謝している。舞台芸術において何かが見えてくるのが30代だからと彼女は言う。何が一番大切かが見えてきた時期にこの作品に出演できたことが成功の元だったという。

 ジョルジュ・ドン(1947年2月25日~1992年11月30日)のこと
「ライト」で森下洋子と共演し、貧しい青年役を演じたのが、ジョルジュ・ドンである。彼は来日したこともあり、その出演作品の映画「愛と哀しみのボレロ」(モーリス・ベジャール振付)はバレエ以外のファンも虜にして、大騒ぎされている。
 ジョルジュ・ドンは20世紀バレエ団のディレクターもつとめ、その主催者=モーリス・ベジャールの我儘を抑えそれを調整する所謂女房役だったという。その踊りの実力はヌレエフ級で何かをもっているダンサーであり、舞台では日ごろ抑えている情熱が一気に噴き出し観客を魅了したという。しかし普段のドンは、芯は強いが、さびしげで、ナイーブでおとなしく、その立ち居振る舞いも物静かで、ぼそっとしていて母性本能をくすぐるところがあったと森下洋子は述べている。そんなドンが恋をし、その恋に悩み、舞台をつとめられなくなり、ベニスでの「ライト」の公演では突然出演をキャンセルする。代役と踊りを止む無くすることになった森下洋子は、そのために苦労したという。日本ではドタキャン騒動を起こすとその芸術生命は怪しくなるが、しかし西欧では舞台をほっぽり出しても、実力があり切符さえ売れればよいというドライな面があり、自分はどんなに恋に悩んだとしてもそんなことは出来ないと森下洋子を驚かせている。ジョルジュ・ドンはそんな森下洋子の自制心の強さを賞嘆している。そんな弱い面をもつジョルジュ・ドンに対しても怒りを爆発することなく森下洋子はまた一緒に踊りたいと願っている。それほどドンは素晴らしい踊り手だったのである。

 モーリス・ベジャール(1927年1月1日~2007年11月22日)という人
「ライト」の振付師であり演出家のモーリス・ベジャールは東洋の思想や日本の文化にも関心が深く、よく勉強している。市川猿之助、坂東玉三郎、辻村ジュサブロウたち歌舞伎役者たちとも積極的に交流し彼らを魅了している。その作品は判りやすく、音楽は美しく、誰にでも理解可能な演出を試みている。その為かどこに行っても観客を満員させている。人間的には素直な面をもち、それで人を魅了する。過去にクラシックバレエもきっちりと学び、マーゴ・フォンテーンとも踊った経験を持っている。彼は「男を創る人」といわれて来たが、「ライト」によって見事に女を創ったといえる。その一翼を森下洋子が荷なったのである。そこに彼女身の自負心がある。

 第5章『ヌレエフという人』
 ルドルフ・ヌレエフ(1938年3月17日~1993年1月6日 54歳没)は、幼少より踊りに興味を示し、バレエレッスンも体験する。17歳でバレエの名門校ワガノワバレエ学校に入学。本格的にバレエを学ぶ。名教師プーシキンに師事したのち、ソリストとしてキーロフバレエ団に入団。ニジンスキーの再来といわれる。その踊りは観る人を虜にした。しかし、社会主義リアリズムの政治主義と形式主義に反発、その激しい性格と反抗的態度に政府から警戒される。1961年にパリでの海外公演の途中で亡命。彼はその生い立ちや、亡命のいきさつについてはほとんど語らなかったと森下洋子は言っている。しかし、ソ連(現ロシア共和国連合)では素晴らしい基礎訓練をし、今の自分があるのだと語ったという。
 1963年ごろから英国ロイヤルバレエのゲストとして20歳近く年上のプリマ、マーゴ・フォンテーン(1919年5月18日~1991年2月21日 72歳没)とペアをくみ10年以上に及んだため、伝説のパートナー・シップといわれた。その息の合った踊りから、その中を疑われたが、マーゴ・フォンテーンは自伝の中で「以来、ヌレエフと私の中に説明しがたい一種独特の感情が生まれたことは否めない。それは好意であり、また愛が幾多の形を取ることを信じられる人だけが愛とも呼ぶのなら、そうに違いない。だが恋ではなかった」ときっぱりとそれを否定している。彼女は外交官の夫をもち、その最期をみとっている。マーゴが引退したのちは「わたし(森下洋子)が(ヌレエフと)最も数多く共演したバレリーナになりました」と述べている。
 そんなヌレエフと森下洋子が初めて会ったのは、彼女がまだ15才のときであった。それは、ヌレエフとマーゴが松山バレエ団の団員達にレッスンのために来日した時だった。その時はただ憧れの目で、二人の素晴らしい踊りを見惚れているだけだったが、その7年後に自分がヌレエフと踊れる日が来ようとは、夢にも思わなかったと森下洋子はいう。この時は「海賊」のグラン・パ・ド・ドゥを踊っただけだったが、その後「ドン・キホーテ」「白鳥の湖」「ジゼル」等々を踊ることになる。ヌレエフは森下洋子の踊りが気に入っており、絶えず「僕たち気が合うからね」と云ったという。1980年を境に、ヌレエフと森下洋子の仕事がふえてくる。「ヌレエフというストロングなパートナーと出会えたことは、最も幸せなことです」と森下洋子は云っている。「すぐれたパートナー・シップは、お互いに、お互いに持てる力を100%以上発揮させ合い、見事な調和美を創りだします」「ヌレエフとのパートナー・シップは、私にとって磨き続けていく宝物でした」と。森下洋子が云うようにヌレエフは素晴らしい踊り手であると同時に振付師でもあったのである。
 いずれにしても森下洋子は「あれだけ“花”をもった人を私は知りません」といい「ヌレエフからは努力の大切さを学んだ」ともいっている。「彼は20世紀のバレエを変えたし、もう彼のようなダンサーは出てこないかもしれません。一緒に踊れたことを心から幸福のことだったと思います」とも述べている。さらに、彼女は、ヌレエフについて次のように絶賛する「きっと神様が、地球の人々に踊りの美しさ、楽しさ、を知らせるために、特別に地上使わした踊りの精です」と。
 多くの海外公演を経験したヌレエフではあったがソ連での公演は行われていない。おそらくソ連当局から拒否されたのであろう。病気の母を見舞うため母国の土を踏むのに散々苦労したことを考えれば当然のことであろう。
 1980年代にはパリ・オペラ座の芸術監督をつとめ、それまで女性中心だったクラシックバレエ界で、男性のバレエダンサーが重要視されるようになったのは彼の功績が大きい。またモダン・バレエにも興味を示し、多くの作品を発表、出演している。
1982年にオーストリア国籍を取得。
1993年エイズによる合併症のため54歳で死去。
パリ・オペラ座の舞台監督であったヌレエフはオペラ座葬で送られた。森下洋子は過激なスケジュールをぬって葬儀に参列。埋葬された郊外の墓地にも訪れる。参列者の多くは去ったのちだったが、一輪の花を手向ける。そこには一足のバレエ・シューズが置かれていた。

  1983年春、松山バレエ団の創立35州記念公演で、その時、招かれたヌレエフと、森下洋子は「白鳥の湖」と「ジゼル」を踊っている。その時の様子がこの作品の中で、事細かに語られている。
 「白鳥の湖」について
 バレエは「白鳥の湖」に始まって「白鳥の湖」に終わる、といわれている。それ故、どんなにバレエの素人でも題名くらいは知っているであろう。だから内容の詳細は述べない。
 登場人物
 オデット: 純真で、美しく心優しいオデット姫は、お花畑で花を摘んでいるときに、その美しさをねたんだ悪魔ロッドバルトによってその姿を白鳥に変えられる。夜だけ人間に戻るオデット姫は、湖のほとりまで追ってきた王子ジークフリードと遭遇する。その美しさに魅了されたジークフリードは明日の妃選びの舞踏会で彼女を選ぶことを約束する。
 オデット姫を演じる森下洋子に対し振付師であり、ジークフリードを演ずるヌレエフは、森下洋子に対しオデットは白鳥である前に一人の純真でピュアーな女性であることを自覚せよという。その上で白鳥を演じろという。ジークフリードと会った時の心のときめき、恐れ、動揺等々恋する乙女の心理がそこにある。また、悪魔の呪いは「何ものも恐れずに真実の愛を誓う者が現れる」まで解けないのであるから、オデットにはジークフリードに対する夢と希望がある。その心の動きを羽根の動きで表現しろという。
 オディール: 森下洋子は次のように言う、「女性経験の豊富な王子ジークフリードがオデットとオディールをそんなに簡単に間違える訳がない。おそらく、オディールにもオデットと共通した女としての優しさ、美しさ、かわいさがあったのではなかろうか」と、だから、オディールをことさら挑発的に、華やか、かつ魅惑的に演じる必要はないのである。妃選びを前にして、そんな女性を王子ジークフリードは見過ぎるほど見てきているはずであり、それにだまされるほど愚かではない。だからマーゴはヨーコに言う「意識してオディールを魅力的にする必要はない。自然のままオディールの持つ美しさを表現すればよい」と。これがヌレエフのオディール観である。しかし僕はもう一歩進めたい。オディールをオデットと間違わせるためには、オディールは恋する乙女でなければならない。その美しさ、優しさ、かわいさは恋する乙女のものでなければならない。それは決して作られたものではなく、おのずからその姿からにじみ出るものでなければならない。恋する乙女の持つ、ときめき、不安、恐れ、並みいる華やか、かつ魅惑的な王女たちを前にしての動揺、気後れ、恐れ、決して前に出ない奥ゆかしさ、しかしいぶし銀のように光り輝き、あたりを圧倒する、その気品、美しさ。この時、初めてジークフリードを我が物にできるのである。オディールはジークフリードを始めてみたとき、その魅力に圧倒され、好きになったのである。いわゆる一目惚れである。この時始めて二人は恋する乙女として対等になる。オディールはオデットを演じたのではない。一点を除いて、オデットそのものだったのである。ヌレエフがそれを意識していたかどうかはわからないが森下洋子がこの2人を一人で演じている。そんなオディールを、いとほしく思いジークフリードが妃に選んだとしても誰が批難することができるだろうか。二人は盾の表と裏だったのである。そしてジークフリードは裏面を選んでしまった。しかし、このためには必然性がなければならない。ジークフリードはオデットにはない、オディールの魅力に魅かれたのである(これについては後述する)。これは現実には恋の裏切りになる。その罪と罰が4幕目である。オディールは悪魔ロットバルトによって恋する乙女に変身させられたのだと考えることもできるが、それではちっとも面白くない。本当に恋する乙女であってほしい。この時一時の愛に溺れて燃える、切ないオディールの女心が表現されねばならない。たとえ間違えて妃として選ばれたとしても、所詮は悪魔の娘、その恋を実らせることはできない。役目を終えれば再び悪魔の娘にもどらねばならない。そこには一瞬の恋に燃える乙女の姿がある。オディールの中に、かなわぬ恋に悩む切ない女心を見る。二人はまさに盾の両面であって、表には希望があり、裏には絶望がある。ここにも罪と罰がある。この違いを使い分けて踊るのは至難の技であろう。
 もしジークフリードが聡明な王子であり妃選びという重要な義務と責任を自覚していたならば、恋に溺れることなく冷静さを保ち、この違いに気づき選択を誤らなかったであろう。
 第4幕目の演出は版によってさまざまだが、大きく分けて二つに分類される。一つはこのヌレエフ版のようにオデットの魔法が解けて二人は幸せに暮らしました、というものと、もう一つは、反対に魔法が解けず、オデットもジークフリードも共に死んでしまう悲劇的なものである。原作はチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」によっており、筋はないので、その解釈は様々あってよい。悪魔によって白鳥に姿を変えられたオデットは「何ものにも恐れずに真実の愛を誓う人が現れるまではその魔力は解けない」のである。この時王子ジークフリードが真実の愛を誓う者として表れたのである。オデットを白鳥から人間に変えられるものは彼以外にいなかったのである。そして彼はオデットの前に永遠の愛を誓い、妃選びの舞踏会で彼女を選ぶことを誓ったのである。しかし彼はオデットを裏切る。人間の力で悪に打ち勝つものが愛ならば、その裏切りは愛の喪失である。だからジークフリードは、魔力からオデットを解放することは出来なかったのである。神は決してジークフリードの裏切りを許さないであろう。それ故、私は悲劇的な結末こそ「白鳥の湖」の論理的結末と考えたいのである。愛の裏切りは、次に述べる「ジゼル」にも見られる。ここにもその罪と罰が描かれている。いずれにしても白鳥に姿を変えられてしまった人間の悩み、苦しみ、悲しみがある、しかし、最後には、希望があった。そしてその希望をジークフリードは無残にも挫いたのである。その内面の真実を踊りで表現するのは至難の業である。ヌレエフはオデットとオディールの心の動き、その違いを羽根で表現しろと森下洋子に言う。
 二人の愛は天国で結ばれるという、たわごとを言う人もいるが、そんな慰めはこの作品の主題を犯すだけである。
さらに一歩進めよう。王子ジークフリードとオデットを、裏切りなど日常茶飯事、権謀術数渦巻く、滅びゆく階級(皇族を含む上流階級)の象徴と見なすならば、悪魔ロットバルトとオディールは、新興勢力=ブルジョアジーの象徴と見なすことができよう。自らの階級に脅威を与える,これらの新興勢力はおそらく皇族を含む上流階級にとっては悪魔に思われたであろう。「白鳥の湖」はまさに階級闘争なのである。フランス革命ではルイ16世は処刑されている。故に「白鳥の湖」は僕の立場からいえばハッピーエンドに終わってはならないのである。

 「ジゼル」について
 記念公演のもう一つの出しものは「ジゼル」である。この作品もあまりに有名なので、その詳細は述べない。この作品も「白鳥の湖」と同じく罪と罰が描かれている。シレジアの公爵アルブレヒトはその身分を隠し、村の娘ジゼルに近づき、恋仲になる。ジゼルに恋する森番のヒラリオンはそれが面白くない。その嫉妬心から、アルブレヒトの身分を明かしてしまう。アルブレヒトの婚約者(バチルダ)が父=公爵と共に現れる。アルブレヒトに恋焦がれるジゼルは二人の仲を見て、その衝撃に耐えきれず心臓の弱いジゼルは母の胸の中で息絶える。
 森の沼のほとりに墓地があり、ここには結婚前に亡くなった処女の精霊=ウィリー達が集まる場所があり、ジゼルも、ウィリーの女王ミルタによってウィリーの仲間に向かいいれられる。ヒラリオンもアルブレヒトもウィリーたちに捕えられる。ヒラリオンは、死の沼に突き落とされ、アルブレヒトは死ぬまで踊り続けなければならなくなる。ジゼルは女王ミルタにアルブレヒトの命乞いをする。しかしアルブレヒトは踊り続ける。そのうちに夜が明け、ジゼルを含めてウィリー達は去っていく。踊り疲れたアルブレヒトは一人沼のほとりに立ちつくす。
 アルブレヒトは本当にジゼルを愛していたのか?ヒラリオンの行為は、死の沼に突き落とされねばならぬほどの罪なのか?議論の余地を残している。当時の貴族にとって村娘などは欲望の対象以外の何ものでもなく、婚約者がいながら、身分を隠しジゼルに近づいたことはそれを表している。ジゼルを恋するヒラリオンが、アルブレヒトの身分を暴いたのは当然のことであり、批判されることではない。ジゼルが死んだのはヒラリオンの罪ではない。アルブレヒトは婚約者とその父が現れることによって変わる。公爵に礼をつくし、バチルドに対しても困惑し、あわてながらも、彼女にキスをし、その愛を示す。貴族としての本来の姿に戻る。そこには村娘ジゼルを愛する姿はない。その変化をヌレエフは描く。婚約者が現れる前の優しげなアルブレヒト(ヌレエフ)の目、それに溺れていくジゼル(森下洋子)。森下洋子はヌレエフの迫真の演技の中で恋に溺れていくジゼルを自然に演ずることが出来たという。ここにも「白鳥の湖」と同じ二重化がある。「白鳥の湖」では白鳥であると同時に一人の乙女、そして「ジゼル」では一人の乙女(第一幕)であると同時に、妖精(ウィリー)(第二幕)である。生の世界と死の世界が同居する。アルブレヒトと結ばれることへの激しい希望が1幕なら、死者になってのアルブレヒトとの再会の喜びと別れの悲しみが第2幕である。一幕目の希望(陽)と二幕目の絶望(陰)の違いを、どう表現するか?それが森下洋子の課題であった。小田島雄志との対談で森下洋子は次のように述べている。「二幕にしてもね、妖精であるけれど純粋な乙女だと。それと愛している人を助けなければいけないということで、要するにただ美しい妖精じゃなくてもっと人間臭い女性の思いがそこにはなくてはいけないんじゃないかと思うようになってきたわけですね。やっぱり愛した人を助けるというね、死んでしまったけど彼と出会えた喜び、そして夜明けにはまた別れていかなければならない悲しみ。そういう感情を表現しなければ、という感じに変わってきましたね」。「もちろん妖精ですから、技術的には絶対に音をさせないってことはあるんですけど」と。ここには心の表現としての技術の問題が同時に語られている。森下洋子は18歳で「ジゼル」を初演するが、その時は音に合わせて夢中で踊っていたにすぎないと笑っている。
 ヌレエフの助言は適切で、とても役立ったという。ヌレエフは演出家としても相手役としても最高のダンサーだったと森下洋子は回想している。これで、前半を終える。後半は森下洋子と小田島雄志の対談である。最後まで書き終わったのだが、20000字以内という制限があったために後半につなげる。





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