日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

旧約聖書 第8書『ルツ記』家族の愛

2014年12月31日 | Weblog

 旧約聖書 第8書「ルツ記」家族の愛
 はじめに 
「ルツ記」は、旧約聖書の中で最も短い書であり、第8番目を構成する。ルツ記には、これまでの書にみられたような、皆殺しだとか、破壊し尽くすだとか、焼き尽くすだとかといった殺伐とした表現は無い。ナオミとその嫁ルツと、その夫となるボアズの三者が織りなす家族愛の物語である。一服の清涼剤であり、気分を和ましてくれる。それらが、当時のイスラエルの慣習であった「レビラート婚」、「落ち穂拾い」、「町の門」、「買い戻しの権利」「履物を脱ぐ」などという、我々には一寸なじみのない言葉と共に語られている。時は、士師の治めていた時代(ルツ記1章1節)というから、「士師記」と繋がるところもあると思うが、士師の名は明かされていない。
 ルツ記のポイントは、モアブ人であり異教徒であったルツが、改宗し(ルツ記1章16節)、姑のナオミと共に、モアブよりユダの地ベツレヘムに戻り、そこで苦労の末、ボアズと結婚し、イスラエル人の慣習に従い、その律法にしたがって子孫存続を成した、という事にある。その子孫がイスラエルの世襲の王ダビデであり、ひいては救世主たるイエス・キリストに繋がって行くのである。救いがあるから労苦が人間に訪れる。神は耐えることの出来ない試練を与えない。
 梗 概
 ルツ記は、1章1~22節:モアブの往還、2章1~23節:落ち穂拾い(ボアズとの出会い)、3章1~18節:麦打ち場にて、4章:交渉(4章1~12節)、男子誕生(4章13~17節)、系譜(4章8~22節)。の4つに分かれている。
 この章の主人公の一人ナオミは、全財産を売り払い、夫(エリメレク)と2人の息子マフロンとキルヨンを伴って飢饉に陥ったユダの地、ベツレヘムを逃れてモアブの地に移り住む。そこでマフロンはモアブの女ルツを妻とし、キルヨンは、オパルを妻とする。そして、約10年間この地に滞在する。しかし、夫エリメレクは死に、二人の息子も子を成さぬまま、死ぬ。ナオミは飢饉の収まったベツレヘムに戻ることを決心し、2人の寡婦に、この地に留まり新しい人生を模索せよと諭す。レビラート婚(後述)の義務から解放しようとした。オパルはこれに同意しこの地に留まるが、ルツはこれを拒否し、ナオミと行動を共にする。
 ベツレヘムでルツはこの地の有力者であり、近親者でもあるボアズに出会い、ボアズの畑で落ち穂拾い(後述)をする。ボアズはルツに好意を抱く。より多くの落ち穂を拾えるように配慮する。かくしてルツは姑のナオミと共に生計を立てることが可能となった。
 ボアズのルツに対する好意を知ったナオミは、2人を結びつけようとする。ボアズの寝所に入り、為すべき事を成せと命じる。ルツはその通りにする。ボアズは驚き、その訳を問う。ルツは「あなたは買い戻しの権利(後述)のある人物です。わたしを買い戻して下さい」と迫る。ボアズは応える「私は権利をもつ第Ⅰの人ではない、もっと近い権利者がいる」、その人との話し合いの結果を待てと云い、そのまま、何もせずに帰宅させる。
 「町の門」(後述)で、ボアズは第一の権利者に会い、その権利を譲り受ける。第一の権利者は履物(後述)を脱ぎ、契約は成立する。ボアズは町の長老たちに会い、その証人とする。ボアズはナオミの夫エリメレクの、また2人の息子の全財産を買い戻し、ルツをも買い、妻とする。長老たちはこれを認め証人となった。ボアズは、ナオミの養子になり。ルツの義弟となる。レビレート婚は成立する。
 かくして、ルツはボアズの妻となった。そして彼女は一人の男子を生んだ。オベデと呼ばれた。オベデの次はエッサイであり、エッサイの子がダビデである。すなわちオベデはダビデの祖父である。このようにしてナオミは跡を絶やすことなく、子孫の増大繁栄に寄与したのである。
 ナオミがベツレヘムに帰った時、町の人々は「ナオミが帰ってきた」と喜び歓迎した。しかし、ナオミは云う「私をナオミ(幸せ)と呼ぶな、マラ(苦しみ)と呼べ」と、更に「主はわたしを卑しくし私を辛い目に会わせられたのに」と。しかし、全能者である主は、ナオミを不幸のままにしなかった。ルツはボアズを得、オベデを生み、姑のナオミは養母として、これを抱きしめ、慈しんだ。その孫ダビデは、王にまで出世したのである。
「終わりよければ全てよし」。
用語解説
  レビラート婚
長男が後継ぎの無いまま死んだ場合、兄の財産と名前を存続させるために、弟が兄の妻と結婚して、最初の子を兄の後継ぎと定め、兄の財産と名前を末代まで継がせるのがこの結婚制度の目的である。普通なら、夫に先立たれた妻は、誰と結婚しても良いわけであるが(ルツ記1章8~9節、15節)血を重んじ、イスラエルの純粋性を保ち、神の選民として存続させるためには、この方法が必要だったのである。
 この書に即して説明するならば、マフロンの弟キルヨンは既に死亡しているので、ルツと結婚することは出来ない。この場合2つの選択肢がある。一つは、寡婦ナオミが再婚し、第三子(男子)を生み、ルツが、これと結婚することである。しかしその子が適齢期になるまでには時間がかかり、ルツがそれまで待つことは事実上不可能である(ルツ記1章11~15節)。第二の方法は、この書で明らかにされているようにナオミが、養子を取り、彼をマフロンの義弟としてルツと結婚させることである。この書の場合、ボアズがその役割を担う。嗣業の地の継承順序には法則があり、1番目が弟、2番目が父と母の兄弟(叔父・伯父)、3番目が祖父の兄弟、4番目がこれ以外の最も近い近親者となる。ボアズの場合はおそらく4番目であろう。この場合にも優先順序があるようである。
 買い戻しの権利
 土地は究極的には、神なる主の所有物であり、原則として売買は禁じられていた。止むを得ず、これを売却する場合、これを買い戻す権利と義務が売却者本人に伴っていた。本人による買い戻しが、様々な事情によって不可能な場合、親族が、その権利と義務を果たさなければならなかった。債務奴隷に零落した場合も本人または親族が、買い戻しの権利と義務を有した(レビ記25章47~49節)。
 買い戻しの権利とレビラート婚の関係
 この書に即して言えば、ナオミに代わって買い戻しの義務と権利を得たのは、ナオミの近親者であるボアズであった。ボアズは、売りに出されていた、エリメレク(ナオミの夫)と、マフロンとキルヨン(ナオミの2人の息子)の土地を含めた全財産を買い戻す(ルツ記4章9~10節)。次に必要な事は、この地を嗣業の地とし、代々つなげていくことである。この場合、ルツの弟にならねばならない。ボアズはナオミの養子となり、ルツの義弟となる。かくしてボアズはルツを妻として迎え、オベドを生む。オベドの子がエッサイであり、エッサイの子が、イスラエルの王となるダビデである。
 落ち穂拾い
これは主なる神が嗣業の地をもたない弱者(在留異国人、みなし児、寡婦)に与えた権利である。落ち穂拾いについては、聖書は随所でこれについて述べている。レビ記19章9~10節にはこれについて以下の如く述べる。「あなたがたの土地の収穫を刈りいれるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。また、あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなた方の神、主である」と。同様な表現は、レビ記23章22節、申命記24章19~22節にも表現されている。神は弱者を見捨てない。
 この書には、寡婦(やもめ)となったルツが自分と義母ナオミを養うために裕福な遠縁の親戚ボアズの畑で落ち穂拾いする様子が生き生きと描かれている。ここでルツはボアズに出会う。ボアズはルツの姑に対する献身に接して、好意以上のものを感ずる。ミレーの絵画「落ち穂拾い(挿画)」は、これを扱ったもので、有名である。
 町の門(ルツ記4章1節) 
 町は、囲みの中にあり、出入りのために門が造られた。士師の時代、イスラエルの地は戦乱の場であり、各都市は城壁を築き自衛していた。それは、自衛のためにだけでなく、その町の力、権威を象徴した。朝に開かれ、民は仕事に行き、夕方に閉鎖された。また町の門のあたりは広場になっていて、町の長老たちの集会場になったり、裁きの場になったり市場になったりした。この書に即して言えば、ボアズがナオミの土地を買い戻す際に、この場所で、その権利者の第一位にある人と交渉をもつが、その証人として、町の長老たちがここに集まり、その決定を見守り、これを確証した。箴言31章23節参照。
  履物を脱ぐ
 ルツ記4章7節 「昔イスラエルでは、買い戻しや権利の譲渡をする場合、全ての取引を有効にするために、一方が自分の履物を脱いで、それを相手に渡す習慣があった。これがイスラエルにおける証明の方法であった(法的確証行為)」。ルツ記の場合、ボアズより継承順位の近いものは、この権利を放棄し、ボアズに譲渡した。この場合、「彼が、『私は彼女をめとりたくない』と云い張るなら、その兄弟の寡婦になった妻は、長老たちの前で、彼に近寄り、彼の足からくつを脱がせ、彼の顔につばきして、彼に答えて言わなければならない。『兄弟の家を立てない男は、このようにされる』彼の名は、イスラエルの中で、『くつを脱がされたものの家』と呼ばれる。(申命記25章9~10節)」と。しかしルツ記では、何の問題も無く引き継ぎは完了している。権利を放棄したものは「つばを吐きかけられもしなかった」し、「兄弟の家を立てなかったもの」とも言われていない。
 はじめの真実
 ルツが姑のナオミを捨てず、ユダの地ベツレヘムに戻って改宗したこと。
 後の真実
 ルツがボアズの子を生み、その子がイエス・キリストに繋がった事。
平成27年1月13日(火)楽庵会 報告者 守武 戢
 
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旧約聖書 7書 『士師記』

2014年12月13日 | Weblog

  旧約聖書 第7書 士師記
 はじめに
 士師記は、創世記から始まる旧約聖書の第7番目の書であり、旧約聖書39巻中の1巻を構成する。王国が成立する以前の12部族連合の歴史を語る上で重要な位置を占めている。内容的にはヨシュア記と重なる面もあるが、視点が異なっている。神とイスラエルの民との葛藤が描かれている。この書に、初めて土師が登場する。「しし」ないしは「さばきつかさ」と読む。士師は両者の葛藤の解決者として現れる。第2章は士師記の要約である。
 士師記は内容的には3部分に分かれる
1、対外的緊張がもたらす試練(1章1節~3章6節)
2、士師たちの活躍(3章7節~16章31節)
3、対内的緊張がもたらす試練(17章1節~21章25節)
旧約聖書翻訳委員会訳 旧約聖書「ヨシュア記・士師記」より
 士師とは
 士師の言葉の意味は「治める者」「裁く者」であって、モーセやヨシュアの様な預言者でも無ければ、もちろん、王でもない。王が現れる前、イスラエルの民を裁いた指導者であり、救い主である(士師記18章1節、19章1節)。王国制度下の王と異なって世襲制では無く、原則として臨時的、個人的なものであった。英雄的、解放者的性格を有する大士師と、裁判人、仲裁者として性格づけられる小士師に区別される。
以下の様に区別される。

 神が士師を起こされた理由
 士師記には神とイスラエルの民との間の葛藤が描かれている。イスラエルの民は神に絶えず反抗した。イスラエルの民は常に神の前で悪しきことを行った。主なる神を見捨て、嗣業の地で異教の神バアルやアシュタロテに仕えた。偶像を祈り、異邦人を妻とし、夫とした。神は怒り、罰として、異国の王に彼らを支配させた。主は契約(地の授与と民の増大繁栄)をお守りになる方である。絶対にそれを犯さない。だからあなた達イスラエルの民も我が前で完全であれ、と命じる。それが両者の交わした契約だからである。イスラエルの神は、それを犯すものを許せなかった。イスラエルの民を異国に売り渡した。イスラエルの民はその圧政に苦しみもがいた。この罰は神による試練であった。この試練は苛酷であった。彼らは、主に救いを求めた。神は耐えることの出来ない試練を与えない。主はこれを憐れみ、士師を起こした。士師は神の意を体して圧政者と闘い、これを滅ぼし、イスラエルの民を救った。更に、イスラエルの民を教育して、神への信仰に立ち帰らせた。それ故、長年の間イスラエルは平穏であった。これが主なる神が士師を起こした理由である。民は士師の生存中はその教えにしたがった。しかし、士師が死ぬと、またまた神の前で悪しきことを行った。イスラエルの民はこれを6度も繰り返した。
 イスラエルの民が、神の前で悪しきことを行った理由
 移動の時代が終わり、定着の時代になると、イスラエルの民の関心は牧畜から農業へと移る。しかし、主なる神は、牧畜の神である。神が求めるものは動物の血であって、農作物ではない。カインとアベルの物語を読む時それが良く分かる。カインは農作物を、アベルは小羊を神に捧げている。神はアベルの捧げものを、良しとし、カインの捧げものを無視した。(創世記4章3~4節)。嗣業の地では異教の神が信じられていた。異教の神バアルは豊饒の神であり、多産の神である。それは農業の神である。農業に転じつつあったイスラエルの民がこの神に関心を持ち、これを信じたとしても不思議ではない。先住民との間に文化的交流が生じ、農作業の技術などを学び、次第につながりを深めたとしても、それは自然の成り行きであったろう。しかし、それは神にとっては重大な契約違反であった。故に、「神の前で悪しき事を行った」事となる。先住民との間の性的混交が生じ、イスラエル人としての純粋性が無くなることは、選民としての自分への信仰者を失うことになる。それは、神にとっては許されざる事だったのである。
 士師たちの活躍
 「イスラエルの子らは、主の目の前で悪しき事を行った」この言葉は聖書が大士師について語る時、その冒頭に必ず出てくる枕言葉である(例外アビメレク)。神は怒り、その罪として、イスラエルの民を異国の民に引き渡した。その圧政によって彼らを苦しめた。その時、救い主として出現したのが以下にあげる大士師である。
オトニエル→カレブの弟でケナブの子。彼は、神よって罰せられ、異国の王に苦しめられていたイスラエルの民を救う。その後、彼の治世、国土は40年間平穏であった。
エフド→オトニエルの死後、現れた大士師がエフドである。神の怒りに触れ、イスラエルの民は18年の間、異国の王の支配下にあった。これを救ったのがベニヤミンの人ゲラの子左利きの士師エフドである。彼は策を弄してモアブの王エグロン剣によって刺し殺す。その日、モアブは征服されて、国土は80年間にわたって平穏であった。エフドの後小士師シャムガルが現れ、彼もイスラエルを救った。
デボラとバラク→この二人も。悪しき事を行ったイスラエルを救うために現れる。カナン人の王ヤビンはその将軍シセラを使ってイスラエルを20年に渡り圧迫した。シセラは鉄の戦車900台をもちイスラエルを力づくで抑えていた。バラクは神の力を借りてシセラの全戦車隊と全陣営を打ち破った。シセラは逃走して、ヤビンと友好関係にあるヘベルの妻ヤエルの住む天幕に逃げた。しかし彼女は夫を裏切り、シセラを殺す。この後イスラエルは力を増しカナンの王ヤビンを滅ぼす。
アビメレク→ギデオンには多くの妻がおり、70人の子供がいた。アビメレクはその一人であり、彼は末っ子のヨタムを除いて兄弟全てを殺し、シケムの首長たちに選ばれ王となる。ヨタムはこの決定を不服とし、美しい詩で自分の気持ちを表現し、その場を立ち去る。アビメレクは、3年間イスラエルを支配する。しかし、神がヨタムに霊を下されたので、首長たちの離反を招き、これと対決する。戦いはアビメレクの優勢に進むが、一人の女の放ったひき臼の上石に頭を打ち砕かれ死亡する。ヨタムの呪いが実現したのである。
トラとヤイル→アビメレクの後、共にイスラエルの危機を救った小士師である。二人合わせて45年間イスラエルを治めた。
エフタ→どんなに厳しい裁きに会っても、のど元過ぎれば何とやら――イスラエルの民は、救い主、士師が死ぬと、性懲りも無く主なる神を忘れ異教の神を信じ始める。要するに神の前に悪を行ったのである。神はあきれ果て、イスラエルの民を異邦人の王の蹂躙に任せる。「救ってほしいなら、今信じている異教の神に頼め」と、突き放す。しかし、それでもと泣いてすがるイスラエルの民を滅ぼす事は出来ない。神は契約を守るお方だからである。改悛し、自分にすがる限り、救わざるを得ない。神は嫉妬深いと同時に、慈悲深い。まさに悪女の深情けである。恋は惚れた方が負けである。
神は、イスラエルの救い主としてエフタを起こす。エフタは救いの条件として、自分の愛すべき娘(処女)を捧げる事になる。ここに、エフタの悲しみがある。「こうしてイスラエルでは、毎年、イスラエルの娘たちは出て行って、年に4日間、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うことがしきたりとなった(士師記11章39~40節)」。
彼の後イブツアンが、エロンが、アブドンがイスラエルを裁いた。合計20年であった。
サムソン→サムソンが生まれた頃イスラエルは神の前に悪を行った。その為、40年の間ペリシテ人の支配下にあった。サムソンの母は石女(うまずめ)であった。しかし、神は彼女にサムソンを与える。彼は生まれながらのナジル人であった。彼の妻はペリシテ人であった。サムソンを語る場合、「謎かけの話し」、「サムソンとデリラ」の話は余りにも有名である。詳細は省略して、まず「謎かけ」の話から始めよう。宴会の席でサムソンはペリシテ人に対し、次のような謎かけをする。「食らうものから食べ物が出、強いものから甘いものが出た」。ペリシテ人はこれに答える事は出来なかった。ペリシテ人の妻に接して、その答えを引き出す。その答えは、「蜂蜜より甘いものは何か、雄獅子より強いものは何か」であった。聖書にはこれ以上の事は何も書いていない。この答も問いと同じく難解である。つきつめて云えば、それは愛である。愛ほど甘く、愛ほど強いものは無い。更に云えばイエスキリストの愛である。獅子より強きもの、それはユダ族より出で獅子と預言されたイエスキリストである。蜜より甘きもの、それは罪びとの救いを告げるイエスの愛の福音である。イエスキリストの十字架と復活、そこから人類の救いが出る。サムソンの中に私はキリストの姿を見る。サムソンの出した問答の中に人生における信仰上の正解(真実)がある。サムソンはペリシテ人の支配下にあって20年間士師としての役割を果たした。
サムソンを語る場合、その怪力も有名である。獅子をも切り裂く怪力である。サムソンは、デリラと云う女を愛した。ペリシテの領主は彼女に命じてその怪力の秘密を探らせる。サムソンは女に弱い。今回も、その秘密を明かしてしまう。それは髪の毛にあった。ナジル人はその髪の毛を切ってはならないのである。デリラは、その秘密を知り、彼の髪の毛を剃り落としてしまう。彼は神通力を失う。捕えられ牢に繋がれ両眼はえぐり取られる。彼は、自分の死をかけてその力を神より授けられる。髪は牢にいる間に伸びて来たのである。その怪力を得れば、サムソンには恐れるものは無い。ペリシテ人は彼らの神の祭りを盛大に催していた。サムソンはその会場に引き出される。見せしめのためである。彼はその怪力で建物を破壊し、そこに集っていた3000人以上のペリシテ人を皆殺しにする。
 最後に
士師記を読んで感じる事は、イスラエルの民は、カナン入りを果たしたものの、完全には統一されず、イスラエルの民、他宗教国家、神、と三者の織りなす葛藤が存在しており、イスラエル12氏族の内部にも葛藤があった、と云う事である。イスラエルは内外に敵を抱えており、決して安定はしていなかった。聖書は云う「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた(士師記21章25節)」と。
平成26年12月9日(火)楽庵会
報告者 守武 戢 
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