日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

モーセ3民数記(物語部分を中心に)

2014年07月24日 | Weblog
  

モーセ・3「民数記」物語的部分を中心に
 民数記は「創世記」「出エジプト記」「レビ記」についで、第4書を形成する。この後に「申命記」が続き「モーセ5書」は、終了し「ヨシュア記」につながる。

  慨 説
 本書には、イスラエルの民が1、シナイの荒野を出発し(1章~10章)、2,40年にわたる荒野の旅を経て(11章~20章)、3、ヨルダン河の東モアブの平野にたどり着く(21章~36章)までが描かれている。モアブの対岸には約束の地カナンがあった。この間に神から祭儀・律法の授与があり、民の反抗と処罰があり、2回の人口調査が行われた。

  イスラエルの民の罪と罰
 神はアブラハムと契約(カナンの地の授与と、その子孫の増大繁栄)を結び、イサクにも、ヤコブにも、ヨセフにもそれを確認している。しかし、この契約はあくまでも、「カナンの地に入ったら」という条件付きである。神はモーセにその実現を迫る。モーセは神の助けを借りて出エジプトを果たし、神の導きに従って進むものの、この契約を果たせずにいる。カナンに至る道は困難に満ちており、進行は、はかどらない。イスラエルの民はイラつく。その不満をモーセ(=神)やアロンにぶつけ、繰り返し抵抗する。まさに「民数記」は不満と抵抗の物語である。それ故、イスラエルの民は、神の怒りに触れ、厳しい罰を受ける。約束の地へ入ることは禁じられ、新しい世代に代わるまで、約40年間、荒野(モアブの地)に留まることを強いられる。モーセもアロンも約束の地「カナン」を目前にして没する。「罪深きイスラエルの民」の責任を負ったといってよいであろう。
 民数記における不満の構造をみると、民の不満・抵抗→神の怒り→災い→民の悲鳴→モーセの執り成し→災いの終息と云う形をとる。

  神による赦し
 古き世代が完全に交代し、新しい世代にバトンタッチするまでには40年間という歳月が流れていた。神罰は、その罪をイスラエルの民に気付かせる事にあった。新しい世代は、旧世代の罪と責任を常に心に刻み、約束の地カナンに臨まなければならなかった。それ故に、彼らは、旧世代と違って神に従順であった。神はこれを受けて、向きを変えて出発せよと命じる(申命記1章5~8節)。イスラエルの民は、新しい世代の一人ヨシュアに導かれてカナン入りを実現する。

  二頭政治
 さて、ほぼ、300万とも云われる民(日野市の人口は平成26年6月1日現在18万338人である。これから考えても、その多さは想像に余るものがある。まさに民族の大移動である)と放牧する家畜をまとめてカナンの地に至るためには、強力な指導体制を必要とする。モーセを政治的な指導者と考えるなら、アロンは宗教上の指導者と考える事が出来る。二頭政治が行われていたのである。モーセの下には、12部族が、アロンの下にはレビ族が祭司階級として従った。この両者を統合し、導いたものがモーセであり、その上に神がいた。民数記は、それ故二つの要素に分ける事が出来る。物語的要素と、律法的要素である。今回は、物語的要素を中心に述べていく。

  軍事組織と人口調査
 エジプトからカナンに至る道は決して楽な道程ではない。その過程には、異民族がおり、異教徒がおり、巨大な国家があり、イスラエルの民の行く手を阻んでいる。ある場合は話し合いをし、ある場合は戦った。このように異なった民と対決しながらカナンの地に至るためには強力な指導体制を必要とする。それが軍事体制である。軍事組織は典型的なタテ社会であり指揮系統は一貫している。民をまとめるには最適な組織である。イスラエルの民は氏族ごとに軍団を組織し、連隊を組んで行軍した。行軍の順序は氏族ごとに決められていた。ラッパの合図で進軍し、ラッパの合図で止まった。祭礼や戦争の場合もラッパは吹き鳴らされた。全ての行動は、ラッパによってなされた。

  人口調査
 軍事体制を組織する為には、人口調査を必要とする。20歳以上の軍務につくことのできる男子の数が数えられた。それ故、軍務につくことのない祭司階級であるレビ族はこの調査からは除かれた。しかし、レビ族はレビ族としての独自の人口調査が行われた。
 この人口調査は2度にわたって行われている。一回目は、1章1~19に、2回目は26章1~4に、詳しく述べられている。
 1回目は、イスラエルの民が、出エジプトを果たした2年目の第2の月の一日、神はモーセに人口調査を命じる。この時、レビ人は除かれたが、後に別個に登録された。
 2回目の人口調査は1回目から数えて40年の歳月が流れていた。この時、1回目に登録された者=出エジプトを果たした世代は、イェフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュア以外には一人もいなかった。先に述べた、その罪により「彼らは荒野で必ず死ぬ」と、神から宣言されていたからである。世代交代が行われていた。この新世代がモーセ、アロンの死後、モーセの参謀ヨシュアに率いられカナン入りを果たす。

  カナンの地の征服に当たっての勧告
 神はモーセに云う。あなた達(モーセ+新世代)がヨルダン河を渡って、カナンの地に入ったならば、と云って次の事を勧告する。
1.その地の住民の全てを追放せよ。
2.その土地を占領し、そこに住め。私があなた達に与えた約束の土地だから。
  (これを行わず、彼らを生かしておくなら、将来禍根を残すであろう)。
3.この占領地を嗣業の地としてイスラエルの民に与えよ。
4.全ての偶像(石像であれ、鋳造であれ)を打ち壊せ。
5.全ての高き所(異教の礼拝所)を破壊せよ。
そして神は支配すべき土地の範囲を定め、氏族ごとに嗣業の地を与えた。
 「申命記」9章1節~6節には何故、神がカナン民を追い払うのかの理由が描かれている。聖書は言う「あなたの神、主が、あなたの前から彼らを追い出された時『わたしが正しいから、主が私にこの地を得させて下さったのだ』と云ってはならない。これらの国々が悪い為に、主はあなたの前から彼らを追い出そうとしておられるのだ」。「主があなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たす為である」。要するに、主は契約を果たすために、悪に染まった民を滅ぼそうとしているのである。
 この時、カナンには、異民族がおり、異教徒がおり、異なる文化があり、豊かな生活(乳と蜜の流れる地)があった。彼らは、悪に染まっていたかもしれない。だから、その抹殺を、神は命じたのである。まさに侵略である。ここに一神教の怖さがある。唯我独尊。異教は邪教であり、それを信じるものは死に値する。そこには宗教的寛容は無い。イスラエルの民にとっては「約束の地」であっても、侵略される者にとっては、全く関係のないことである。迷惑なだけである。

  イスラエルの民の不平・不満そして反抗
神はイスラエルの民にカナンの地を与えると契約するに当たって「わが前において完全であれ」と云っている。その為に律法を与え、様々な祭儀を与え、正しい関係を保とうとした。そして行く手を阻む困難に立ち向かう強い民にしようとした。そこには、イスラエルの民に対する試練があった。それに打ち勝つ為には強い指導者を必要とした。政治的にはモーセを、宗教的にはアロンを選び、これをイスラエルの民の長とした。しかし、イスラエルの民は、神の前で必ずしも完全では無かった。
 民数記は、神に対する不平、不満、抵抗によって彩られている。その原因となるのは、水や食料の欠乏の問題、モーセやアロンの指導者としての正当性の問題、荒野の旅の苦しさ、強大な敵への脅威など様々あるが、これは二つの要素に分ける事が出来る。
 一つは、飢えの問題(11章1~9節、20章1~5節)である。ここではイスラエルの民は、カナンに至るまでの間、40年間、絶えることなく、パンの一種マナを与えられて(出エジプト16章35~36節)いたにも拘わらず、肉や果物などを望み、エジプトにおける奴隷の自由を懐かしむ。厳しい環境の理解は無かった。神はその強欲の罪を罰する。
 二つは、契約からの解放、自由の問題(12章1~2節、13章~14章、16章、25章)である。ここではイスラエルの民(時にはアロンも)は神の定めに反抗する。
 16章はこれを典型的に表す。レビ族のコラハはアロンとその一族の祭司職独占に対し異をとなえ、ルベン族のダタン、アブラムはモーセの指導者独占を否認し、ペレの息子オン及び、250人の長老と共謀して、モーセ及びアロンに歯向かう。これらは神の処断によって無事収まるが、ここにはイスラエル12部族の間にも、レビ族の間にも、その指導権と、祭司権をめぐって、派閥争いがあったことを物語っている。モーセにしてもアロンにしても、神によって支えられているとはいえ、その指導権は盤石の物では無かったのである。
 次に13章についても述べる必要があろう。カナンの地を目前にして、この地の偵察が行われた。その結果、次の事を知る。
1、この地は、乳と蜜の流れる豊かな土地である。
2、しかし、この地には強大にして巨大な敵が住み、城壁に囲まれている。イスラエルの民の力をはるかに超えていると思われた。
 カレブとヨシュアは神の臨在を信じ、攻めのぼることを主張する。しかしそれ以外の民は勝利を信ぜず、嘆き悲しみ、モーセとアロンを非難し、エジプトへの帰還を主張する。それは明らかに神との間の契約違反であった。
 神は怒り、カレブとヨシュアを除いて、イスラエルの民にカナンの地に上ることを禁じた。そして40年の歳月が流れた。出エジプトを果たした古い世代は死に絶え、交代し、新しい世代に代わっていた。

  新しい世代の物語→神の祝福 
 次は新しい世代の物語である。それは21章から36章(最終章)にかけて記述されている。これらの章においては、新しい世代が活躍する、2回目の人口調査が行われ、カナン対岸モアブの地までイスラエルの民が侵攻する模様が描かれている。そこにはシナイの荒野に留まり、神に対し不満不平を並べ苦悩し抵抗する陰鬱な姿は無い。彼らは、ホル山を旅立ちエドムの町を迂回し葦の海を突き進む。ここで一つの事件が起るが、無事解決したイスラエルの民は、オボト→イイア・バリム→ゼレト川→アルノン河の対岸→ベエル→マタナ→ナハリエル→バモト→モアブの平野→ピスガの山頂と行軍した。この間、アモリ人の王シホンの地を占領し、ヤゼルの国を滅ぼし、パシャの王オグと戦い、これを破った。このような快進撃を知ったツィポルの子でモアブの王バラクは、危機を感じ、ペオルの子でミディアン人の預言者バラムを呼びイスラエルの民を呪詛するよう願う。しかし、バラムはバラクの意に反し、いや自分自身の意にも反して、神の啓示に接し、イスラエルの民を祝福してしまう。そして、バラクの王国は滅亡する、と預言する。しかし、モーセがミディアン人と戦い、これを滅ぼした時、イスラエルの民を誑かし、淫行を行わしめた(25章)張本人として一緒に殺されている。

  逃れの町
 これは、神がモーセを通じて行った善政の一つである。神は憎しみや、敵意に基づく計画的、意図的殺人と、過失やはずみに基づく過失致死を厳密に区別し、血の復習から逃れるために作られた町であり、これを「逃れの町」と呼んだ。冤罪事件にも適用された。この町に逃げ込んだものは、それが意図的でない事、冤罪であることを実証しなければならなかった。取りあえず逃げ込み、正しい判断を待ったのである。
                 平成26年7月15日(火) 報告者 守武 戢 楽庵会


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