日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

賞味期限という名の無駄の制度化

2007年03月30日 | Weblog
消費期限、賞味期限、品質保持期限は品質管理上重要な要素といわれている。消費期限は、いわゆるファーストフードなど、短期間に消費されなければならないものである。握り飯、サンドウィッチ、弁当、等々コンビニエンスストアーでの売れ筋商品である。時間まで表示されている。賞味期限は美味しく食べれる期間でパックされた惣菜類15日から30日の商品である。品質保持期限とは米、冷凍食品など長期に保存の利く商品である。問題は賞味期限である。食品会社でこれを決定するとき、まず五感を動員する。見て、臭って、味わって、最初に異常を感じた事象を消費期限とする。その何分の一かを、賞味期限とする。きわめていい加減である。さらに塩度、糖度、PH、細菌検査なども関係する。先に述べたように賞味期限とは美味しく食べれる期限であって、消費期限ではない。保存さえよければ、それを超えても十分に飲食可能である。スーパーでは、販売期限というのを設け、それを超えた商品はバックヤードに下げ、飲食可能にもかかわらず廃棄処分される。その量は膨大である。6兆円産業といわれる総菜産業の1割以上が廃棄されているといわれている。生ごみ公害を生む原因にもなっている。飲食可能であっても、商品にはならないのである。それは価格に反映する。ここに食品価値と商品価値の乖離が生じる。いま賞味期限は短くなる傾向がある。低塩、低糖、無添加と健康志向は結構だが、さらに重要なことは商品回転を良くしようというメーカー側の意向が働いていることである。食品は商品に転化する。アジアやアフリカの餓えた民に賞味期限はあるか、戦後の食うや食わずの時代に賞味期限はあったか?腐ったものを食べろとはいわない。しかし何故五感を働かさないのか?色が変わっていないか、おかしな匂いはしないか、変な味はしないか?昔はそうやって賞味期限を決めていた。限りある資源を何故無駄にするのか?商品社会は無駄を制度化しているのである。

不二家食品は悪くない

2007年03月26日 | Weblog
 不二家の賞味期限切れ牛乳の使用で、問題が生じたが、問題はまさに逆である。不二家の商品に事故が起こり、その原因の究明の結果賞味期限切れの牛乳が使われていたというのなら話はわかるが、商品事故が起こっていないにもかかわらず問題にするのはおかしい。だから、マスメディアがあんなに騒いでいたのに行政処分の対象にはならなかったのである。賞味期限というのはあくまでも美味しく食べれる期間であって、保障期間ではない。牛乳や卵は生きているのであって、保存方法さえよければいくらでももつのである。会社だって事故は怖い、事故が起こるとわかっている原料を使うわけは無いのである。おそらく長い間の慣習であったのであろう。それでも事故は起こっていなかったのである。僕も食品会社の品質管理を担当していたことがあるので、賞味期限がどんなにいいかげんなものであるかは身をもって知っている。。低塩、低糖、無添加と健康志向の結果、賞味期限は短くなる傾向がある。さらに重要なことは、賞味期限を短くすることにより、商品の回転を早めようとしていることである。賞味期限には科学的根拠は無い。原料段階で賞味期限を問題にしている食品会社はまず無い(明らかに変質している場合は別)。商品価値と食品価値の乖離がそこにある。回収された多くの飲食可能な商品は、消費されないまま、廃棄されたであろう。もったいない。さらに重要なことは、不二家の従業員、不二家レストランのパートのおばさん、アルバイト学生、納入業者、お客さん、不二家食品工業が営業を自粛している間、解雇されたり、納入を停止されたり多大な影響があったのである。彼らには何も罪は無い。一人の不心得者(あえて言う)の内部告白によって始まったこの事件によって良くなったことは一つも無いのである。ただ云いたい。「不二家さん従業員は大切にしなさい」と。