日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

書簡集1「ローマ人への手紙」「行い」から「信仰」へ

2019年05月18日 | Weblog
  書簡集1 「ローマ人への手紙」 「行い」から「信仰」へ。
  はじめに
 「ローマ人への手紙(ロマ書)」は新約聖書の第6番目の書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの各福音書、「使徒の働き」)で使徒パウロによるローマ教会の信徒に宛てた書簡である。AD55年ごろ書かれパウロの神学思想が体系的に詳述されている。
 この書は、パウロが間もなく訪れる予定の未知のローマ教会に宛てて、いわば神学的な自己紹介の書である。彼の信仰理解の核心を提示し、ローマ教会に福音を延べ伝えている。「福音はユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にもすべて信じる者に救いを得させる神の力である。神の義は、その福音の中に掲示され、信仰に始まり、信仰に進ませる。『義人は信仰によって生きる』と書いてある通りです(1:16~17)」。この言葉は本書の主題であり、この主題のもとに組織的に構成された書が「ローマ人への手紙」である。
 本書は、第1部(1~8章)と2部(9~16章)に分かれており、第1部では、「人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によるのである(3:28)」という信仰義認説がアブラハムの例を引いて述べられている。それなら神がモーセに啓示した律法は誤りだったのか、律法は罪なのか、という疑問が提示される。パウロはこれをきっぱりと否定される。信仰と律法と罪との関連が説かれる。第2部ではイスラエルの救いの歴史と、異邦人の救いの問題、キリスト教の倫理、信仰の軽重などがそれぞれ述べられ、最後に神の義を行動に移すように命じている。

 書簡集新約聖書の最後を飾る書簡集はすべてで21書ありそのうちの13の書簡がパウロのものであるとされている。しかし、そのうち確実に彼のものと思われるものは「ローマ人への手紙」「コリント人への手紙」(第1、第2)「ガラテヤ人の手紙」「ピリピ人への手紙」「テサロニケ人への手 紙」(第1)および、「ピレモンへの手紙」の合計7書である。その他の書簡については、新約聖書の目次を参照のこと。

 パウロ:キリスト教史最も重要な使徒のひとり。小アジアのタルススでローマの市民権を持つユダヤ人の家庭に生まれる。パリサイ派の一員としてキリスト教徒を迫害する。パウロは別名サウルと呼び、「使徒の働き」の中に、その回心とその後の活躍が詳しく述べられている。回心後のパウロは、異邦人伝道を使命とし、3回の伝道旅行でエーゲ海一帯に福音を伝えた。エルサレムで捕らえられたが、ローマ市民の権利として皇帝に上訴する。ローマに護送されるが、その扱いは緩やかであり、「こうしてパウロは満2年の間、自費で借りた家に住み、訪ねてくる人たちをみな迎えて大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエスキリストのことを教えた(使徒の働き、28:30~31)」しかしその後ネロ帝によって処刑されたという。。彼はキリスト教を普遍的宗教とした貢献者で、彼が各地の信徒に宛てた書簡が新約聖書の中に収められている。

 時代背景:前1世紀までにローマが国際舞台に登場してきた。この時イスラエルのユダヤ人たちは内部抗争に明け暮れ国は弱体化していた。これに乗じてローマはイスラエルに侵入しローマの支配下に置き属領とした。ローマは総督を派遣してこれを支配した。ユダヤ教はキリスト教の誕生と勢力の拡大によって新たな局面を迎えていた。多くのユダヤ人がキリスト教を受け入れた。ユダヤ教の指導者は危機感を抱いた。キリスト教ははユダヤ教の分派とみなされたり異端扱いされた。反キリストの指導者ラビや祭司は信心深いユダヤ人に対し「法の順守」を求めた。「行いの原理」を徹底することにより「信仰の原理」と対抗した。そこには両者のせめぎあいがあった。その当時の状況をパウロは次のように述べている。「この民のところに行って告げよ、あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることがないからである。神のこの救いは異邦人に送られました。彼らは耳を傾けるでしょう(使徒の働き、28:26~29)。これがエルサレムのまたローマの民の状況だったのである。パウロはかたくなな自国の民から離れて異邦人に向かった理由がここにあったのである。
 
 各章ごとの説明
 1~4章:本書の中心テーマはイエスキリストへの信仰を通して得られる救いである。パウロはアブラハムを引き合いに出してキリストによる神の恩寵を強調した。人が義と決定されるのは信者の側の信仰と、それに結び付いた神の側の恩寵によるものと力説する。またユダヤ人にも異邦人にも等しく神の恩寵は下りそこに差別はない子とも強調している。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です(1:16)」。
「ではどうなのでしょう。私たちは他のものに勝っているでしょうか。決してそうではありません。私たちの前に、ユダヤ人もギリシャ人もすべての人が罪の下にあると責めたのです。それは次のように書いてある通りです。『義人はいない。一人もいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない』(3:9-11)」。
「しかし今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によって証されて、神の義が示されました(3:21)」。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ神の恵みによりキリスト・イエスによる贖いのゆえに価無しに義と認められるのです(3:23~24)」
 5~8章(救いの保証1):パウロは、主を信じる者は救いの約束を受け、罪と律法のくびきから解放されると論じている。ただし、律法や決まりごとは自分の行いが悪と気づかせてくれるゆえに善いものと見做している。反面、人間に出来ることは。罪の自覚を得ることのみで救済には至らないと結論付けている。救済は神からの恩寵によるものであって、信仰によって義とされ信じる者はイエスとともにあり罪から解放されるのである。すべての人が罪によって神から離れたように、イエスの償いによって、すべての罪は赦されるのである。
「しかし私たちがまだ罪びとであったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます(5:8)」。
「罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命です(6:23)」。
「けれども、もし神の御霊があなた方のうちに住んでおられるなら、あなたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません(8:9)」。
「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのこと中にあっても圧倒的な勝利者になるのです。わたしはこう確信しています。死も、いのちも、み使いも、権威ある者も、いまあるものも、後に来るものも、力あるものも、高さも、深さもそのほ、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません(8:37~39)」。
 9~11章(救いの保証2):「神が選んだイスラエルに対して神ご自身が忠実であられたことに触れ、同じように神は信じる者に忠実であられることを思い起こさせる。パウロはご自身がイスラエルの一員であり(11:1)、かつてキリスト者を迫害していたため、イスラエルの民がみな神から選ばれた民であることに気づくことを望んでいる。パウロは神がイスラエルを選んだように、キリストを信じる者を新しい民として選ぶという。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心で信じて義と認められ、口で告白して救われるのです(10:9~10)」。
 12~15章前半:パウロは福音がいかに人を変えるか、そして替えられた人はどのようにふるまうべきかを宣べている。さらにユダヤ教の習慣を固守すると、そうでない人々の間に緊張関係を生ずることについても宣べている。
「そういうわけですから、兄弟たち。私は神のあわれみのゆえに、あなた方にお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」。
15章後半~16章(信じる者を変える福音)書簡の終わりにパウロは今後の旅行の計画を宣べ、最後のあいさつで手紙を終えている。
「兄弟たち。私はあなた方に願います。あなた方の学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい(16:17)」。

 本書の区分
「ローマ人への手紙」は教理的な書で4つの部分に分けることができる。
1、義の必要について(1:18~3:20)
2、義が与えられることについて(3:21~8:39)
3、義の証明について(9:1~11:36)
4、義を行動に移すことについて(12:1~15:13)
 上記で明確にわかるように、この書簡のテーマは「義」です。聖霊に導かれて、パウロは全人類の罪について書いています。彼はこの書において、神の、み言葉の真理(義)について語っています。
 義:神の正しさ、また人の神の前での正しさ。キリストが律法を終わらせたので主を信じる者はすべて義人とみなされた。
 著書パウロはこの書簡を書くにあたり書記テルテオの助けを借りている。
>平成年3月12日(火)報告者守武 戢 楽庵会
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする