森田宏幸のブログ

Morita Hiroyukiの自己宣伝のためのblog アニメーション作画・演出・研究 「ぼくらの」監督

出版社は「アニメ」業界の企画を引きうけている

2010年08月08日 15時51分13秒 | アニメーション研究
森田宏幸です。
今日は2010年8月8日です。

先日、山本寛(やまもと ゆたか) 監督の「私の優しくない先輩」を見てきました。
とてもよかった。
癖のある設定の登場人物ばかりなのに、皆とても魅力が感じられた。
結末も開放的だった。
沖縄国際映画祭の「トップクリエイターたちが明かす!映画の舞台裏」でお会いした、
はんにゃの金田哲(かなだ さとし)さんの演技もすばらしかった。
山本寛監督には、敬意を払いたいと思います。


今日は、前の記事で予告したとおり、
Business Media誠というサイトに載った
「業界が“先祖返り”している――『ハルヒ』『らき☆すた』の山本寛氏が語るアニメビジネスの現在 」
というインタビュー記事について、私の考えを書きたいのですが、
今まさに現役で活躍しておられる山本氏の記事を、
無神経にどうのこうの云う失礼を犯さないように気をつけたいです。

山本寛氏は、インタビューの中で、
私たちアニメーションの作り手は、
時代に対応した柔軟なやり方をしていかないといけない、と
メッセージを送っておられます。
おっしゃるとおりです。

アニメーションの作り手の皆さんには是非読んでいただくといいと思います。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010.html


この記事に対する私の考えは、表題のテーマ、
「出版社は『アニメ』業界の企画部門を引きうけている」
を柱に掲げた上で書きたいと思います。
というのは、私は、山本氏より10歳年上で、
どちらかというと、先祖返りの先祖の方に近い。
なので、山本氏が新しい時代のやり方を解いておられるなら、
私は過去の、旧来のやり方について、くわしく論じる方が、
皆様のお役に立てる、と考えました。


さっそく表題についてですが、

「出版社は『アニメ』業界の企画部門を引きうけている」

とは、私が、4,5年前から、仲間と呑んだりする時に好んで話す持論です。

「要するに、出版社が企画、『アニメ』会社は制作、
 テレビ局やレコード会社、映画会社が宣伝、配給と、役割分担が決まってるんですよね。
 極端な話、原作漫画は『アニメ』(や映画)の企画書なんですよ」

などと、興がのると、私はよく話します。
すると、
相手によっては、難しい話にキョトンとされることもあるけれど、
勘のいい、それこそプロデューサーのような方なら、笑いながら

「まあ、それはもちろんそうですけど、そういう話は角が立つから、
 そうはっきりは言わないのですよ」

などと、たしなめられます。(笑)
そうしたまわりの反応からいって、
これはもう当たり前に、業界の組織論として、認識されていると思うのです。

いや、ゲームが原作の「アニメーション」だって多い、
おもちゃ会社の企画もある、制作会社のオリジナルだってある、と皆さん云うかも知れません。
しかし、キャラクターや設定の開発は、ゲームやおもちゃでも、
ストーリーの開発は漫画で行う、というケースが、その中にさらにあると思います。
作家がオリジナルの企画を持ち込んでも、
出版社やおもちゃメーカーとの共同原作というかたちがとられたりすると思います。

だから、大まかに見たときに、
「アニメ」業界の企画部門は出版社が担っている、ということでいいと考えます。

このことをアニメーターである私の立場から補足します。

私は、ずーっと現場で、アニメーターだから、
「アニメ」の制作会社で仕事を考えてきました。
だけど、前述のような状況は、今に始まったことじゃないから、
頭のいい先輩からは、
「本気で『アニメ』作りたかったらね、本当は『アニメ』会社にいちゃダメなんだよ」
と、教えられたものです。

この開き直ったような逆説を、1年ほど前だったか、私が例によって、
出版社の編集者が集まる呑み会で披露したら、
「そりゃ、そうですよ!」
と声をそろえて全員に一蹴(いっしゅう)されました。

かたや、私は友人の漫画家に、
「僕の漫画を森田君の手で『アニメ』にしてくれないか」
とよく頼まれます。
それと同時に、漫画業界の、食えない状況を聞かされます。
その窮状に耳を傾けていると
漫画は映像産業の企画書に過ぎないのであるから、
映像化されないと充分なお金はもらえない、という意味の解釈に帰結せざるを得ません。

これは、漫画家の方に言わせたら、とても失礼な話でしょう。
でも、映像業界の組織論を考えていくと、どうしてもこのような結論になってしまいます。
これは、あくまで組織論です。
漫画の文化としての価値の話をしているのではありません。
漫画の文化としての価値は、今や誰しも認めるところで、否定のしようがありません。
あと、さらに念のためですが、
私が「ぼくらの」を作るとき、原作をどう意識したかという話とも、まったく関係ありませんので。


さて、ここで、
山本寛 監督のインタビュー記事を見てみたいと思います。


http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010.html
(山本氏のインタビュー記事から転載始め)

山本 ある意味で「もう商売にできないのかもしれないなあ」と感じています。「今、加速度的に“先祖返り”しているのかな」とも思っています。7月24日にリリースしたアニメ『BLACK★ROCK SHOOTER』はグッドスマイルカンパニーというフィギュアメーカー、いわゆるおもちゃ会社が製作委員会の幹事会社となって作ったアニメです。おもちゃを宣伝するためのアニメになっていて、これは現在主流のスキームではないのですが、1970~80年代には主流だったスキームで、そこに今、戻ろうとしているんですよね。

 『BLACK★ROCK SHOOTER』には配信する媒体がありません。しいて言うならDVDで、会社が違う3つくらいの雑誌にDVDソフトを付けて、無料配布します。テレビというメディアも介さないので、言ってしまえば“手売り”ですよね。
 「DVDソフトをあげるから、その代わりにおもちゃを買ってね」という大胆不敵な手法に出たのですが、世のビデオメーカーは「そんな風に配布されたら、俺たちの商売は上がったりだ。それで食っているのに」と大激怒です。でも、「そのスキームで業界の人間が食っていけない時代になっているのなら、もうしょうがないんじゃないですか」と僕は思っています。
 これはネット社会の弊害なのですが、どうしても作品映像はYouTubeなどにアップされて見られてしまいます。もうこれを止めることはできないと思うので、お皿(DVDソフトやBlu-rayソフトなど)を売って映像そのもので商売するのには限界が来ている。それならば、作品に関連したおもちゃを買ってもらう代わりに映像はタダですよ、で僕はいいと思っています。
 あるいはもっと先祖返りして、パトロンがお金を出して、アニメを制作するようになるかもしれない。それで作品が貴族の家の額に飾られようが、博物館に持っていかれようがそれはそれでいいんじゃないか、というか「それもやむなし」という感じですね。僕らはとにかく作品を残さないと意味がないので、作品を残せるのであれば四の五の言っていられないという時代が来るんじゃないですか。もちろん、できるだけ多くの人に作品を見てもらいたいという気持ちはあるのですが、ごちゃごちゃとした利害関係の中でそれを言っている場合ではないということです。
(転載終わり)


森田宏幸です。
このように、まるでプロデューサーのような、実務経験をもとに語られる山本監督のお話は貴重です。
私は、ずっと紙と鉛筆だけを相手にしてきたので、会社の経営や、プロデュースの実務の話には苦手意識があります。
しかし、それでも、現場のアニメーターの立場からも、頑張って学んで、ものを言うべきと考えて、今、これを書いています。

引用した山本氏のお話の中で、私がとくに気になったのは、
「パトロンがお金を出して、アニメを制作するようになるかもしれない。」
という部分です。

実は私自身もこれと同じ話を、あるプロデューサーから、
たしか、7,8年前だったか、聞いていました。
それと同じ話が、今このように、山本監督のような若い作り手の口から出てきたことが、
私個人としては、非常に感慨深いです。

ただし、当時の私は、この話にあまりピンと来ませんでした。
私の感じ方はこうです。

「日本の『アニメ』は、人からお金を出してもらって作るのが当たり前だ。スポンサー、出資者、映画会社だろうがビデオ会社だろうが、お金を出してもらって、作らせてもらう。そして、出来上がったアニメーションは、そのお金を出した人が所有する。(著作権を持つ)
とっくの昔から、「アニメ業界」はパトロンの時代になってるじゃないか。何を今さら・・・」

と。私の態度はちょっと卑屈でしょうか。
しかし、今でも私の頭の中では、
制作費を出資する製作会社と、パトロンの違いがごちゃごちゃになってよく分からなくなります。
かろうじて、色分けすれば、

アニメーション(や映画)を作ることに対して、
自らも役割を持って、出資するのが製作会社で、仕事なので資金の回収にこだわる。

それに対してパトロンは、アニメーション作りに役割は待たず、資金の回収にもこだわらない、
ということなのでしょうか。

そんな作り手にとって都合の良い存在が現れるのでしょうか。

そもそも、
役割を持たずにお金だけ出す、そうした存在に頼って、
自分たちの仕事が成り立つのだろうか、と私は思って、
このパトロンのお金でアニメーションが作られるという状況が、いまいち飲み込めません。

再び、山本監督のお話を引用します。


http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010.html
(山本氏のインタビュー記事から転載始め)

――おもちゃ会社以外の企業、例えばクルマ会社やビール会社などがスポンサーになる可能性についてはどうお考えですか? テレビアニメ『けいおん!』(第1期2009年、第2期2010年)が楽器販売に影響を与えたようなことは他業界でもできるのではないでしょうか。
山本 その辺でさすがだと思ったのは、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが愛知県豊田市のトヨタ自動車本社内に「西ジブリ」というスタジオを作ったことです。「おお、トヨタと組むつもりか。さすが鈴木さん、先見の明がある」と感じました。だから、そういった他産業に対する目配せも積極的にしていっていいと思うんです。
 実写の『私の優しくない先輩』ではカルピスに特別協賛として入っていただいたのですが、そういう提携の仕方はアニメも考えていかないといけない。村社会に閉じこもって悶々としている場合ではなくて、アニメは色んなところに売っていく必要があって、それに億劫(おっくう)になったところから多分、崩れていくのでしょう。
 スタジオジブリはディズニーと提携したり、トヨタと仲良くしたりと、意外とラディカルにやっています。この業界の最先端はスタジオジブリなのですが、それだけ危機意識を持って、アンテナを張りめぐらせて、色んなことを考えていらっしゃるんだろうと思います。だから、それに僕らも付いていかないといけない。
(転載終わり)


森田宏幸です。
特別協賛という言葉が出てきました。
例に挙がっているカルピスは、自社のカルピスの宣伝に、「私の優しくない先輩」のタイトルを使用し、
俳優さんにも出演してもらったりする。
そのことで映画の宣伝にもなる、という協力関係のことです。
これはお金は出さず、宣伝だけを担ってくれる存在です。
やはり、役割を持って、映画を助けてくれます。

「猫の恩返し」のハウス食品様も特別協賛でした。
3Dで作られたバロンが、カレーのCMに出てました。
ハウス食品は、たくさんのテレビのCM枠を持っているので、
「猫の恩返し」の宣伝を助けて下さった。
おまけに、レトルトのカレーをたくさんスタッフに差し入れてくださって、
独身スタッフがとても助かってました。
そんな話はともかく。

この特別協賛に近いのは、テレビ番組にCMを流すスポンサーではないかと思います。
近年、番組スポンサーの予算で、「アニメ」が作られるケースは少ないのです。
予算は、製作委員会が出して、テレビの番組枠を買いとって、放映するというかたちが多い。
これが、これから、スポンサーによる制作に戻るのだとしたら、
たしかに先祖返りと云うことになりますね。
スポンサーのあり方は、パトロンに近いし。

一昨年のアニメーション協会のイベント Into Animation5 で、
舞台で挨拶された 「おしりかじり虫」で有名なうるまでるび氏も、
コムサ・ストアにDVDを置いて販売した、というお話をされていました。
個人作家のアニメーションは、引き立ったデザインなので、
服飾メーカーのブランド価値と相性がいいのかも知れません。

このように、作家が自ら直接、支援者とお付き合いをして、
自分の創作活動を成り立たせていくかたちには魅力を感じます。
そうした気概を持っている作り手は、個人作家の方に多いと思います。
私も、そのような生き方に憧れて、
去年、池田爆発郎氏と自主制作をやりました。
出来れば、お客さんから直接お金をいただいて食べていく生き方が出来ないかと
本気で思います。
ただ、それはなかなか難しい。

私を含めて、テレビや映画のアニメーションを作る作り手は、
プロデューサーが構築してくれたしくみを通して観客と出会います。
また、広告代理店を通して、スポンサーと出会ったりします。それが普通です。

アニメーションを作るしくみというものは、
いくとおりも選択肢があるというわけではない。
無駄がなく、持続できるしくみで、しかも、
日本の産業構造と折り合えるかたちを突き詰めていくと、
ある典型的なかたちというものに、収斂(しゅうれん)されていきます。

具体的に書きます。

最初に書いたとおり、企画は出版社です。
とくにアニメーションの多くは、漫画雑誌が企画を担っている。
制作は「アニメ」会社。これは当たり前として。
作った作品は、発表されないことには、お金になりませんから、
DVDを販売するビデオメーカーやレコード会社が必要になりますが、
出来れば、配給会社に引きうけてもらって、映画にするのが一番です。
宣伝は、広告代理店の仕事ですが、
なんといってもテレビ局に引きうけていただくのが良い。新聞社が加わればなお良いです。
マーチャンダイジング(キャラクター商品を使った商売)展開を担うのは、総合商社です。
総合商社の流通網、販路は、海外にも広がっています。
ここに、海外の大手配給会社が加われば、云うことなしということになります。

これらの企業すべてが、映画に出資して、しかも、
出資するだけでなく、それぞれ重要な役割を具体的に担うということになって、
これで、製作委員会が出来上がるということになります。

スポンサーがお金だけ出して、役割は持たないのとは、本質的に違います。

宣伝にしろ配給にしろ、プロの実務能力を持っているところが、それを担ってお金も出す。
製作委員会方式は、無駄のないしくみに思えます。

そして、日本で、この製作委員会に強い布陣を敷こうとすれば、
大手の映画配給会社や、大手出版社、
テレビ局、大新聞のいずれかが名を連ねることになります。
それほど、多くの選択肢にはなりません。

大手の映画配給会社は3社、
民放テレビ局は5社、大新聞は5社ありますが、
実際はこれらの会社がタテにヨコにと互いに結びつきあって、
2つか3つの勢力に集約されるのだと思うのです。

つまり、
これら製作委員会に名を連ねる企業たちは、
なにもアニメーション作りのためだけに集うわけではなく、
映画以外の分野でも互いに協力し合って、
複合企業体(コングロマリット)を形成しています。

私が云う「企画は出版社」という話は、
そうした体勢の中での話であるわけです。

これらの複合体の力があまりに強いというのが、
日本の映像の作り手たちの、長年の悩みの種でしたが、
ジブリなどはこのしくみの上で成り立っています。
マッドハウスの「サマーウォーズ」などもそうです。
複合企業体が長年積み上げてきたノウハウの恩恵にあずかる優れた作り手も多い。

もっと云えば、昔は、
こうした役割を、映画配給会社単独で、担っていました。
小津安二郎や黒澤明が活躍していた時代です。
アニメーションで云えば、東映動画がそうです。
そのあと、テレビの時代が来て、映画会社とテレビ局は互いに協力し合うようになって、
こんにちに至っています。

いや、そうはいっても、「アニメ」作りの組織論が、それだけということはないだろう、
というわけで、山本寛監督だけでなく、
さまざまな作り手がいろいろな方法を試みていると思いますが、
どこに難しさがあるかというと、
お金を持っている企業を探すことは出来ても、
宣伝や配給、関連商品の流通という、専門的なノウハウを持っているところが
なかなかないことです。

ちなみに、そういう意味において、
スタジオジブリがトヨタ自動車と接点を持ったとしても、
それはあくまでお金ではないだろう、という見方になります。
パトロンではない限り、ジブリはトヨタにどのような実務を期待しているのでしょうか?
といって、私も行って聞いてきたわけではないですが。
新聞で読んだ範囲のことしか私も知らないのですが、何かあるのでしょうね。
個人的には、
トヨタ自動車の世界に通用する工程管理、品質管理のノウハウ(カイゼンとか・・・)が、
ジブリを介して日本の「アニメ」業界に移植されたらすばらしいなと、
思ったりはします。

それはともかく、
新たな「アニメ」作りの組織論の話でした。

私が「練馬 vs 秋葉原?」の記事で、杉山知之(すぎやま ともゆき)氏の著書からの引用で紹介した、
「キャラクターを通じてマンガ、テレビアニメ、映画、ゲーム、CMなど、メディアを串刺しにする」
という戦略が、実はそうなのではないか、と、私は最近思うようになってます。
経済産業省が描いたモデルではないかと思うのです。
ちなみに、「出版社だけが『アニメ』の企画をやるのではなく、
 ゲームや玩具がアニメーションの企画を担ってるケースも目立つではないか」
という見方は、むしろこっちでしょう。

国内で熟成された、出版社やテレビ局の既得権益に対して、
新たな枠組みで、対抗しているように、私には見えます。
外資も入ってくるでしょう。
そして当然、アメリカから導入された、
インターネットという、新しい時代の通信網がカギになっています。

インターネットという、新たな通信、流通手段の力で、
作り手たちにチャンスが広がる、という発想が、
これも7,8年ぐらい前から私の耳にもよく聞こえてきます。
コンテンツの中でも、ネットの回線に乗せられる、デジタルコンテンツがもてはやされます。
しかし、この場面でも、どうも私はピンと来ないのですが。。

ネットの世界なんて、
日本国内のテレビ5社、新聞5社なんてものじゃない、
Googleと、Appleと、Amazon、、、、ですか?
あまりくわしくないですが、
全世界で、数社のグローバル企業しかいない、
とんでもない寡占状態です。

Youtubeなどの影響で、国内の映像産業が痛んでいることは、
山本寛氏の話している通りです。
これらグローバルIT企業の勢力と折り合わなければ、痛んで、弱って、
山本氏の云うとおり、
「貴族の家の額に飾られる」か、「博物館に持っていかれる」のでしょう。
ほんとに。


実は、
「これから映画はパトロンに支援されて作られるようになる」
という私の知人のプロデューサーの話には、続きがありました。
実は、この話は、
ハリウッドのプロデューサーから教わった、とその人は云うのです。
ある、著名なハリウッドの監督が、
「ネットの影響で、これから映画はタダになる。著作権のビジネスは成立しない。
 映画はパトロンの支援で作られるようになる」
と予言しているそうなのです。

当時は、前述のように私はチンプンカンプン(死語?)でしたが、
今思うと、話がよく分かります。

これは、「アニメ」制作会社やアニメーターが食える食えないとかの、
レベルの話ではなく、
日本の大手の配給会社やテレビ局、出版社に対しての脅しのように感じられます。
ほとんど黒船襲来です。我々作り手の頭越しに、
日本の映像産業全体に大砲が向けられてるように見えます。

その結果の、山本氏の報告であろうと思います。

ネットの力で、我々作り手が、どのようにチャンスを広げるか、
という話より、
日本のテレビ局や配給会社、出版社が、彼らとどうやって折り合って、
生き延びるのかの方が、重要な気がします。
そこを見極めて、対応していく先に、
私たちの未来があると思えてなりません。

とはいえ、私個人としては、業界がどう転ぼうと、
現場で手を動かすことしか出来ませんけどね。


            (つづく)
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8 コメント

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作曲者の意図。 (Unknown)
2023-06-28 12:13:04
原作が終わる前にアニメ化され

不満足な最終回を迎えたアニメ「ぼくらの」。

もし・・・

最近のアニメのように1クールで一旦中断し

原作の完結を経て第二期を製作されていたら・・・

2クール目のEDはこの曲だった。

https://www.youtube.com/watch?v=xwvmJW4bV20

じゃあ、2クール目のOPは?

https://www.cdjournal.com/main/cdjpush/ishikawa-chiaki/1000000034

石川智晶のコメントを読んでる内に

同じアルバムに収録されながら陽の目を見なかったこの曲を

そのつもりで作ってあったんじゃないかと想い始めてる。

https://www.youtube.com/watch?v=l6oeF0xlQ1E

ミスリード
曲詩:石川智晶 編:西田マサラ

夜に桜が白く浮き立つ
君を連れていく春の月へ
名前を捨てたバタフライ
何処にいっても君は楽にはなれない

日々の上澄みだけを飲み干し
君は日向を歩いていたよ
世界を味方にした君が
何故姿を消す必要があるんだ?

ミスリード 背中にサイレンが聞こえるのに
満開の花に吸い込まれていく
悲しいくらい君を知らない ミスリード
斑な雲 ちぐはぐな夢を見ている様だ

過去の名残惜しさが空しく
机の上に積み上げられる
薄汚れたバタフライ
一緒に捨てないか? そう言えばよかった?

緑の池にひとひら落ちた
花びら突く生き物達よ
苦し紛れに生きてる様に見えるか?
小さなしぶきが 飛んだ

ミスリード 遠くでサイレンを鳴らしている
気付かないふりで足早になる
泣きながら叫んで欲しいよ ミスリード
君のシリアスについて行けなくなる前に

ミスリード 背中にサイレンが聞こえるのに
満開の花に吸い込まれていく
悲しい位君を知らない ミスリード
斑な雲 ちぐはぐな夢を見ている様だ

ミスリード 遠くでサイレンを鳴らしている
気付かないふりで足早になる
泣きながら叫んで欲しいよ ミスリード
君のシリアスについて行けなくなる前に
返信する
Unknown (Unknown)
2020-10-14 11:57:28
十年だんまり。笑
返信する
Unknown (Unknown)
2010-12-20 22:16:04
企画書扱いした「ぼくらの」が文化庁から賞を貰いました。
何かコメントはありますか?
返信する
Unknown (Unknown)
2010-12-18 09:30:54
>たしなめられます。(笑)

せっかく身近にたしなめてくれる人がいるのに馬の耳に念仏なわけですね。
返信する
Unknown (Unknown)
2010-10-25 12:11:19
>シルフさん

他人の言ったことをさも自分が言ったように発言するのは、みっともないですよ
返信する
何様ですか? (シルフ)
2010-10-23 23:00:16
漫画がアニメの企画書?
完全に下に見てますよね?
媒体が違うだけで発表の場が同じ一個の作品じゃないですか。
それを只のプロットの様に扱って作品を預かる、と言う意識の欠片も無いですよね?
それも、ちゃんと作品として回ってる物を自分の物差しで自分の解釈で改変して否定する、プロの姿勢じゃない。
それに、この自論にしたって貴方は、作品を映像化して企画をアピールする末端、宣伝広告担当でしかない。
そんな立場であるにも関わらずアーティスト気取りで大本の原作者となに肩を並べようとしてるんですか?
返信する
アニメの未来 (NAOYA)
2010-09-15 01:12:40
興味深い考察拝見させていただきました。
アニメとCG業界両方に足を突っ込んでいる者として、日本のアニメの行く末を案じています。
山本氏の記事で興味深かったのは日本のアニメが作画クオリティバブルに陥っているということでした。手間をかけて描いても、それほど売り上げに貢献していない状況がますます現場を苦しめているというのはCG業界も同様です。
CG技術が上がりクオリティを求められるわりにギャラはそれほど上がらないという状況はアニメ業界と一緒です。
これからは映像コンテンツだけでは儲かりませんから、マーチャンダイジングが必要になってきます。
アニメ会社でこれに成功しているのはジブリや東映アニメーションなど著作権を持っている制作会社でしょう。
ほとんどのアニメ制作会社は版権を持たない出版社の下請けに近い状況で漫画原作のアニメを作りつづけています。
今後はTV局や出版社など旧来の枠組みが衰退していき、ネットや電子出版に飲み込まれていくと思われます。
過去、映画産業が衰退しテレビ産業に力を奪われたように新たな枠組みにシフトチェンジする時期なのでしょうね。
返信する
Unknown (Unknown)
2010-08-23 19:44:36
こういった情報はアニメの雑誌や特集を読んでもぜんぜん触れられない部分なので現場の人間が積極的に書くというのはなかなか面白いですね。
アニメファンと呼ばれている人達は多くの場合、自分たちが見ているものがどういう構造で作られているのか知らない状態で作品を見ているのでこういう風に現場の人間の意見を聞ける機会というのは大切だと思います。
また機会があったら書いてもらえるとうれしいです。
返信する

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