どうも!そういえば、今回のその1で訪れた名古屋城天守閣ですが、ゴールデンウィークの終わりとともに閉鎖されて建て替えられるそうで、なかなかいいタイミングだったみたいですね。森です。
さて、今日も3日目の続きの画像を貼り付けて行きます。
たぶん・・・と言うか絶対、飽きるほどの海の画に成ると思われます。
って言うのっけから、海じゃないですが・・・。
ちょっと見ずらいですけど、那智山からはR42を南下して、太地町に突入。
ドアミラーの上に、R42のおにぎりが有るのわかりますか?
太地町と言えば、クジラと落合博満野球記念館。
落合記念館は、この日が定休日って事で、生きているうちにもう一度来れるかどうか・・・。
もう一方のクジラと言う事で、燈明崎。
ここでクジラを見つけて、海に向けて、狼煙や旗、ほら貝で合図を出していたそうです。
続いては、橋杭岩。
奥の方に立って並んでいる岩が、橋の杭のように見えると言う事で、そのような命名に。
満潮時にはこんな感じ。
昼飯は、さんま寿司とめはり寿司。
この日のもう一つの目的地は、この潮岬灯台!
昼間っから神々しいですねぇ~。
ここは、石造の灯台ですが、内装が木材となっております。
この画が、灯台の最上部なんですが・・・なんか妙に広いと思ったら・・・ランプが無いんですよ。
この画に映っているのは照明ではなくて、灯台の灯りがない。
そして、このハシゴが灯りへのハシゴ。
ただしご覧の通り、回廊のど真ん中にあるので、とっても邪魔です。
そんな不服もこんな風景を見ると大体消えてしまうのが不思議ですけどね・・・。
下に降りてお土産のストラップとポストカードを買ったところ、灯台カレンダーを頂いちゃいました。
良い人だったなぁ~。
続きましては、灯台の脇にある潮御崎神社。
風の対策か、神社は枡形の中に囲まれているような配置。
ここにも、天照大神が祭られていたり・・・。
隣の鯨山見からの灯台。
あのストレシーなハシゴもよく見えます。
続いては、潮岬の本州最南端の碑。
しかしながら、ご覧の通り奥に10mくらいありますので・・・。
で、南を向くと・・・パプアニューギニアまで何もありません!
続いては・・・紀伊大島へ。
樫野埼灯台。
ここは外のらせん階段を登れるんですが、参観灯台ではないんですねぇ~。
そのお陰で、自転車をもって登るバカが居ましたが・・・。
この島は、昭和天皇が行幸に来て、灯台の前で野立をしたみたいですね。
それと、この島は大昔にトルコ軍の船が難破した時に、一生懸命救助活動をしたことで縁が出来て、トルコの英雄の銅像が有ったり、
その事故の慰霊碑があったり・・・。
戦前のものなので、読めません・・・。
紀伊大島と串本駅を結ぶバス。
このバスの運転手さんが、「側面の画を撮りたいんだ!」とお伝えすれば、お客さんが居てもドアを閉めてくれるし、「夕日が観たい!」と言えば、あそこが良いぞと教えてくれるし、良い人だったなぁ~。
そんな夕日。
雲に隠れちまった・・・。
そして、ここでカメラの露出がおかしくなって・・・。
この後は、日没後のR42を新宮まで戻って3日目が終了。
次は、最終日のお話を・・・。
さて、今日も3日目の続きの画像を貼り付けて行きます。
たぶん・・・と言うか絶対、飽きるほどの海の画に成ると思われます。
って言うのっけから、海じゃないですが・・・。
ちょっと見ずらいですけど、那智山からはR42を南下して、太地町に突入。
ドアミラーの上に、R42のおにぎりが有るのわかりますか?
太地町と言えば、クジラと落合博満野球記念館。
落合記念館は、この日が定休日って事で、生きているうちにもう一度来れるかどうか・・・。
もう一方のクジラと言う事で、燈明崎。
ここでクジラを見つけて、海に向けて、狼煙や旗、ほら貝で合図を出していたそうです。
続いては、橋杭岩。
奥の方に立って並んでいる岩が、橋の杭のように見えると言う事で、そのような命名に。
満潮時にはこんな感じ。
昼飯は、さんま寿司とめはり寿司。
この日のもう一つの目的地は、この潮岬灯台!
昼間っから神々しいですねぇ~。
ここは、石造の灯台ですが、内装が木材となっております。
この画が、灯台の最上部なんですが・・・なんか妙に広いと思ったら・・・ランプが無いんですよ。
この画に映っているのは照明ではなくて、灯台の灯りがない。
そして、このハシゴが灯りへのハシゴ。
ただしご覧の通り、回廊のど真ん中にあるので、とっても邪魔です。
そんな不服もこんな風景を見ると大体消えてしまうのが不思議ですけどね・・・。
下に降りてお土産のストラップとポストカードを買ったところ、灯台カレンダーを頂いちゃいました。
良い人だったなぁ~。
続きましては、灯台の脇にある潮御崎神社。
風の対策か、神社は枡形の中に囲まれているような配置。
ここにも、天照大神が祭られていたり・・・。
隣の鯨山見からの灯台。
あのストレシーなハシゴもよく見えます。
続いては、潮岬の本州最南端の碑。
しかしながら、ご覧の通り奥に10mくらいありますので・・・。
で、南を向くと・・・パプアニューギニアまで何もありません!
続いては・・・紀伊大島へ。
樫野埼灯台。
ここは外のらせん階段を登れるんですが、参観灯台ではないんですねぇ~。
そのお陰で、自転車をもって登るバカが居ましたが・・・。
この島は、昭和天皇が行幸に来て、灯台の前で野立をしたみたいですね。
それと、この島は大昔にトルコ軍の船が難破した時に、一生懸命救助活動をしたことで縁が出来て、トルコの英雄の銅像が有ったり、
その事故の慰霊碑があったり・・・。
戦前のものなので、読めません・・・。
紀伊大島と串本駅を結ぶバス。
このバスの運転手さんが、「側面の画を撮りたいんだ!」とお伝えすれば、お客さんが居てもドアを閉めてくれるし、「夕日が観たい!」と言えば、あそこが良いぞと教えてくれるし、良い人だったなぁ~。
そんな夕日。
雲に隠れちまった・・・。
そして、ここでカメラの露出がおかしくなって・・・。
この後は、日没後のR42を新宮まで戻って3日目が終了。
次は、最終日のお話を・・・。
どうも!何でこんなに寒いんですかねぇ?でも、週末は暑いみたいだし・・・。森です。
さて、南紀旅行は3日目。
今回も、ひたすら写真を貼り続けます。
昨日の鬼ヶ城から、車の屋根は開けてるんですけど、この日は海沿いを走るので、しょっぱなからオープン♪
そして最初の目的地は・・・
那智の滝!
ここ、期待値以上の迫力ですよ!
この画像の通り、鳥居の先にあるのは滝です。
飛瀧神社は、熊野那智大社の別宮で、この滝が御神体で、本殿がありません。
ここに着くまで、熊野信仰についての理解度はほぼゼロでしたが、この滝を見た瞬間に拝む人が居てもおかしくないって気になりました。
もうちょっと近づけますので・・・
いやぁ~、見飽きない滝ですねぇ~。
30分くらい眺めて泣く泣くこの場を離れました。
が・・・、
青岸渡寺の塔と滝!
さらに、
この塔の上から眺めた滝!
下からは見れなかった滝つぼも見れます♪
青岸渡寺の脇にある熊野古道。
青岸渡寺から見る滝。
そろそろ厳しいですかね・・・?
因みに、ココは写真を撮ってくれる人が居ます。その際に、「ここは那智山なので『な~ち!』で写真を撮りますね。な~ち!もう一枚、な~ち!」と機械的に言ってくれますので、背中がむず痒くなりたい方はどうぞ!
と言う事で、青岸渡寺!
残念なことに工事中でした。
魚霊供養塔などもありまして、冷凍のマグロが供えられていたり、海も近いんですよね。
こちらが、熊野那智大社!
残念なことにこちらも工事中でした。
裏の本殿は見ることはできますが、写真としては面白くないので割愛。
で、右寄りに見える大きな楠ですけれど・・・
この様に成っていて、中を通ることが出来ます。
樹齢800年とか・・・。
因みに、熊野那智大社には日本一があります!
この日本一のおみくじ、1m以上の長さがありますかね?
ただ、これで渡される御籤はノーマルでした。
順路が逆になっちゃいましたが、鳥居も載せておきます。
この辺で取れる那智黒と言う石が、碁石の黒だったり、その石の値段が信じられないくらい高かったり、いろいろと学ぶものがありましたね~。
と言う事で、那智山でございました。
この3日目は、この先も濃厚な1日でしたので、今回はココで1回切ります。
続く。
さて、南紀旅行は3日目。
今回も、ひたすら写真を貼り続けます。
昨日の鬼ヶ城から、車の屋根は開けてるんですけど、この日は海沿いを走るので、しょっぱなからオープン♪
そして最初の目的地は・・・
那智の滝!
ここ、期待値以上の迫力ですよ!
この画像の通り、鳥居の先にあるのは滝です。
飛瀧神社は、熊野那智大社の別宮で、この滝が御神体で、本殿がありません。
ここに着くまで、熊野信仰についての理解度はほぼゼロでしたが、この滝を見た瞬間に拝む人が居てもおかしくないって気になりました。
もうちょっと近づけますので・・・
いやぁ~、見飽きない滝ですねぇ~。
30分くらい眺めて泣く泣くこの場を離れました。
が・・・、
青岸渡寺の塔と滝!
さらに、
この塔の上から眺めた滝!
下からは見れなかった滝つぼも見れます♪
青岸渡寺の脇にある熊野古道。
青岸渡寺から見る滝。
そろそろ厳しいですかね・・・?
因みに、ココは写真を撮ってくれる人が居ます。その際に、「ここは那智山なので『な~ち!』で写真を撮りますね。な~ち!もう一枚、な~ち!」と機械的に言ってくれますので、背中がむず痒くなりたい方はどうぞ!
と言う事で、青岸渡寺!
残念なことに工事中でした。
魚霊供養塔などもありまして、冷凍のマグロが供えられていたり、海も近いんですよね。
こちらが、熊野那智大社!
残念なことにこちらも工事中でした。
裏の本殿は見ることはできますが、写真としては面白くないので割愛。
で、右寄りに見える大きな楠ですけれど・・・
この様に成っていて、中を通ることが出来ます。
樹齢800年とか・・・。
因みに、熊野那智大社には日本一があります!
この日本一のおみくじ、1m以上の長さがありますかね?
ただ、これで渡される御籤はノーマルでした。
順路が逆になっちゃいましたが、鳥居も載せておきます。
この辺で取れる那智黒と言う石が、碁石の黒だったり、その石の値段が信じられないくらい高かったり、いろいろと学ぶものがありましたね~。
と言う事で、那智山でございました。
この3日目は、この先も濃厚な1日でしたので、今回はココで1回切ります。
続く。
どうも!ゴールデンウィークが終わってしまう・・・。森です。
さて、南紀旅行は2日目。
今回も、ひたすら写真を貼り続けます。
この日は、名古屋から熊野に移動します。
伊勢自動車道から紀勢自動車道、熊野尾鷲道路を抜けて、最初の観光は・・・
鬼ヶ城!
初めて知りましたが、世界遺産の様です。
この辺りの地層と波の浸食でできた、とてつもなく巨大な空間で不思議な空間でございました。
R42からR311へ入りまして丸山千枚田。
やっと田んぼに水を張り始めたくらいでしたかね・・・。
R311を進みます。すると・・・奈良県十津川村に入ります。そしてR169に入り和歌山県に・・・。
こちらは、熊野本宮大社が昔あった所、大斎原。
3枚目の画像は・・・、この時は良く分かって無かったですけど、たぶんこの右側にちっちゃいお社があって、左側に大きなお社が有ったんだと思います。
で、川の中州にあった為に水害で流されちゃったみたいですねぇ~。
こちらが現在の熊野本宮大社の入口。
こちらが拝殿。
拝殿の中には、サッカーのユニフォームが飾ってあります。
因みに、このポストはこの拝殿の前にあります。
この先に本殿が有るのですが、撮影禁止です!
皆、バシバシ撮ってましたけど、掟を守って撮影しておりません。
熊野本宮大社では、太古の昔の衣装を貸してくれるお店があります。私が行った時にも、2組ほどそんな太古の昔の衣装でお参りしてました。
本宮の近所にある熊野古道。
石垣の感じは確かに古そうですねぇ~。
本宮から新宮市街に向かう時に見つけたもの。
砂利採石場なのかも知れませんが、なかなか独特な岩場。
熊野速玉大社。
こんな感じで配置されているみたいですね。
上の曼荼羅では良く分かりませんが、googleマップではこの真ん中の建物が拝殿って事に成ってますねぇ。
だから、ココは撮影禁止になってないのかな?
お社の上には・・・ハートではなく『猪目(いのめ)』と言う魔除けが・・・。
この日の最後は、丹鶴城へ。
新しい石垣から古臭い石垣までいろいろとあって、不思議な城でした。
と言う事で、熊野三山の最後の一つなどなどは、次回以降に続く。
さて、南紀旅行は2日目。
今回も、ひたすら写真を貼り続けます。
この日は、名古屋から熊野に移動します。
伊勢自動車道から紀勢自動車道、熊野尾鷲道路を抜けて、最初の観光は・・・
鬼ヶ城!
初めて知りましたが、世界遺産の様です。
この辺りの地層と波の浸食でできた、とてつもなく巨大な空間で不思議な空間でございました。
R42からR311へ入りまして丸山千枚田。
やっと田んぼに水を張り始めたくらいでしたかね・・・。
R311を進みます。すると・・・奈良県十津川村に入ります。そしてR169に入り和歌山県に・・・。
こちらは、熊野本宮大社が昔あった所、大斎原。
3枚目の画像は・・・、この時は良く分かって無かったですけど、たぶんこの右側にちっちゃいお社があって、左側に大きなお社が有ったんだと思います。
で、川の中州にあった為に水害で流されちゃったみたいですねぇ~。
こちらが現在の熊野本宮大社の入口。
こちらが拝殿。
拝殿の中には、サッカーのユニフォームが飾ってあります。
因みに、このポストはこの拝殿の前にあります。
この先に本殿が有るのですが、撮影禁止です!
皆、バシバシ撮ってましたけど、掟を守って撮影しておりません。
熊野本宮大社では、太古の昔の衣装を貸してくれるお店があります。私が行った時にも、2組ほどそんな太古の昔の衣装でお参りしてました。
本宮の近所にある熊野古道。
石垣の感じは確かに古そうですねぇ~。
本宮から新宮市街に向かう時に見つけたもの。
砂利採石場なのかも知れませんが、なかなか独特な岩場。
熊野速玉大社。
こんな感じで配置されているみたいですね。
上の曼荼羅では良く分かりませんが、googleマップではこの真ん中の建物が拝殿って事に成ってますねぇ。
だから、ココは撮影禁止になってないのかな?
お社の上には・・・ハートではなく『猪目(いのめ)』と言う魔除けが・・・。
この日の最後は、丹鶴城へ。
新しい石垣から古臭い石垣までいろいろとあって、不思議な城でした。
と言う事で、熊野三山の最後の一つなどなどは、次回以降に続く。