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<2010年トピックス> 中学生16名がオレゴン州セーラムへ海外体験

2010-12-29 15:12:25 | 日記・エッセイ・コラム

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 伊予市の未来を担う中学生16名が8月21日から29日までの9日間、アメリカ・オレゴン州セーラムへホームスティや英語研修など初めての海外体験に出発。昨年の表敬訪問に続いて、中村伊予市長ご夫妻とともに「国際交流の翼」メンバーとして同行した。中学生たちの驚きや感動は、「一生の宝」として、報告集にまとめられている。(広報いよし「2010年11月号」参照)

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 アメリカの歴史は、開拓者の歴史である。1840年代から1860年代の南北戦争にかけて、約65万人が土地と金を求めてカリフォルニアやオレゴンなどの西部へ向かった。「オレゴン・トレイル」という西部開拓の歴史街道を通って、30万人がワゴンに家財道具を積み込みオレゴンへ。オレゴン州のパイオニア精神がここにある。1859年、オレゴンは33番目の州に制定され、2009年に150周年を迎えた。シアトルのあるワシントン州は1853年にオレゴンから分離した。

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 オレゴン州の人口は380万人、面積は本州と四国をあわせたぐらいの25k㎡。大自然の宝庫としてアメリカでも最も美しい州のひとつといわれる。州の西部は温暖な海洋性の気候。産業として木材・ハイテク・農業・観光・水産・繊維などで、インテルやナイキ・コロンビアスポーツウェアなどの企業が本拠地をおいている。州の法律で消費税はかからないといううらやましい州である。ファーマーズマーケットやオーガニック食材を使った「地産地消」、300以上のワイナリー700以上の葡萄園がありアメリカでトップクラスのワイン生産地でもある。地ビールも数多くの銘柄がある全米一のメッカ。最大都市のポートランドは人口57万人。2番目が首都セーラム15万人、オレゴン大学のあるユージン14万人で、あとは2~6万人の町が多い中小都市で成り立ち、愛媛県とよく似た都市の配置ともいえる。

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 オレゴン州の首都であるセーラムは、マリオン郡とポーク郡の境界にあるウィラメット川流域に寄りそう15.7万人の美しいまち。1841年に誕生した西部のもっとも古い町で、メソジストの伝道者であるJason Leeがセーラムの最初の開拓者として定住し、1842年にはウィラメット大学を創立した。誕生地には教会が建てられ、まちのシンボルとして市民に親しまれている。歴史的建築物も数多く保存され、歴史ある町のたたずまいが楽しめる。

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 セーラムの地名は、「平和」を意味するセム語から生まれたとされている。市役所と市立図書館のあるシビック・センターには、「ピース・プラザ」と呼ばれる公共広場がある。セーラム市街地には象徴的な州会議事堂があり、交差する道にあるウィルソン公園の緑のキャンパスでは、学生や市民、観光客がハリーフォード美術館やスポーツ・文化行事を楽しんでいた。セーラムでは、古くから農業が重要な産業として位置づけられ、オレゴン州農業組合が州博覧会を毎年セーラムで開催することを決め、8月下旬に開催されている。かつてチェリー栽培が盛んであったことから「チェリーシティ」の愛称がある。周辺には葡萄栽培やワイナリーも盛んで、ダウンタウンでは、ファーマーズマーケットも定期的に開催され、アート・フェア・アンド・フェスティバルやセーラム映画祭など、年間を通じた文化行事も行われている。P1030219
セーラムには小学校は47、ミドルスクール13、高校8など39000人の児童・生徒がおり、高等教育としてチュメキタコミュニティカレッジ、ウィラメット大学、ウェスタンオレゴン大学など4校がある。主な訪問先は以下の通り。


○ギルバート・ディスカバリービレッジ

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 セーラム親水公園の市街地にあり、科学やアートなど子どもたちの体験型の面白いミ
ュージアム。市民がボランティアで組み立てた丸太のジャングル・ジムや野外探検エリアで中学生たちも楽しんでいた。

○ヒストリック・エルシノレ・シアター



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年に復元された演劇シアターでパイプオルガンの演奏やセーラムの歴史を学んだ。

○セーラム市役所・市議会<o:p></o:p>

 市役所と図書館・ピースプラザのあるシティ・センター。セーラム市長のジャネット・ティラーさんは女性の市長。2003年から市長(無報酬)を務め、市の経済開発公社の委員長、セーラム商工会議所の副会頭、ロータリークラブのメンバー。日本の三洋ソーラー発電設備の工場を誘致し、2009年には、クロック・コミュニティセンターの建設もおこなった。P1030140
 シティマネージャのリンダ・ノリスさんも女性の行政官。市長の執行役員として公選の理事会から指名され、市の目標にもとづく政策をすすめ、予算や行政の管理などの仕事をしている。市議会は区の代表として8人で構成され、議会は毎月第4月曜日の18:30から一般公開で開催され、CCTVやアーカイブスでも見れるようになっている。P1040411
議会もスリムで市民参加が行き届いている。

○ミッション・ミル・ミュージアム<o:p></o:p>

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 セーラム市を代表する歴史博物館・
ミッション・ミル・ミュージアムは、1889年の建物で、ミシシッピー川の水力発電の電力を使い1世紀にわたって羊毛工場として使われていたもの。オレゴンの開拓時代の工業や農業・教育を学べ、アメリカ・オレゴン文化を知る歴史的遺産として観光客も訪れる。

  今回の中学生海外派遣は、伊予ロータリークラブとロータリー5010地区の20年にわたる青少年交換留学の信頼・実績のもとで、ロータリークラブとセーラム市長・伊予市長をはじめ行政関係者の協力によって実現したもの。
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 「みなさん一人一人の行動や振る舞いが、将来の伊予市・セーラム市の中学生国際交流の成功を導きます。肯定的な態度を持ち、大きな、素敵な微笑みと友情に満ちた対処で、異文化の人々とより深い絆を見つけ、相互の理解と国際親善に寄与することが可能です。楽しい人生の思い出と友情を沢山持ち帰ることを期待します」。コーディネートをしていただいた5010地区チャック・伊藤氏の援助を得て、来年以降の中学生交換派遣事業の継続、伊予市とセーラムとの経済・観光・文化など幅広い友好・親善へとつなぐ、大きな一歩になったのではないか。

 2010年 ― 伊予市の新しい国際交流スタートの年。



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<2010年トピックス> 松山エリア初の太陽光発電・災害対応型ステーション

2010-12-29 11:44:46 | 日記・エッセイ・コラム



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平成
7年の阪神・淡路大震災から15年がたち、平成13年には芸予地震、その後もこの5年以内に新潟県中越地震や岩手・宮城内陸地震など大きな地震被害に日本列島は見舞われている。石油業界では、阪神・淡路大震災のときに給油所の耐震性や耐火性が証明されたにもかかわらず、1週間にわたる停電でガソリンスタンドの機能が停止し2次被害が拡大した教訓から、国の補助制度を活用して、全国で停電時でも自立発電ができる「災害対応型給油所」の普及に努めている。しかし全国で185ヶ所(平成21年6月末)とされ、愛媛県では、昨年3月末には西条市の山内石油1ヶ所のみの現状。

 昨年7月に発表された国の地震調査の予想によれば、松山平野では「30年以内に震度6弱以上の確立が50%以上」とされる地域が多く、愛媛県の震災被害想定によれば、震度6弱でも、インフラ被害として広範囲での上水道の断水や電柱被害による停電発生、伊方原発の停止などで復旧に5日はかかるとされ、緊急輸送に交通支障が起こるとされている。
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2月22日、地域社会への貢献を目的に、あらたに「太陽光発電・災害対応型SS」をスタートさせた。これにより地震等の災害停電時に自立発電で給油所を稼動させ、緊急車両への給油が可能になり、貯水設備
(最大9トン)による飲料水・生活用水の供給とともに、帰宅者などの一時避難場所の提供の場所になる。また伊予市・伊予消防本部とも「災害協定」を締結し、「伊予市の防災拠点」として緊密な連携を図っていくことにした。当日には伊予消防署・警察署などとの災害時の作動訓練を行い、関係者による見学会も実施。
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さらに今回、太陽光発電システム
10kWhを屋根に設置をし、災害時の自立発電とともに、「2020年までに25%の削減」の政府方針のもとで、年間約3.6トンの温室効果ガス削減効果がえられる「地球環境にもやさしい」サービスステーションとして、再生可能エネルギーの普及にも貢献することになった。これからのSSの一つの方向性として、地域社会とともに歩んでいきたいものだ。


<2010年トピックス> 『伊能図フロア展えひめ』in 伊予市 ― 大盛況!

2010-12-28 23:39:05 | 日記・エッセイ・コラム

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  伊予市しおさい公園・市民体育館で開催された『伊能図フロア展えひめ』は、8
5日から8日の日程で、県内外から7800人を超える入場者を得て大成功した。

www.inopedia.jp/index.asp?patten_cd=12&page_no=844 

今回のフロア展は、伊能忠敬が測量を開始して今年で210年になることを記念した四国・愛媛で初公開となる全国巡回展。アメリカ議会図書館・国立国会図書館をはじめ内外各地の優良な「大日本沿海輿地全図」の大図214枚と中図8枚、小図3枚を最新技術によって復元・彩色し、原寸大で体育館アリーナに展示をするという大がかかりなミュージアム事業。P1040228
  会場には横約
50メートル、縦40メートル、畳約1畳分のプレート255枚が敷きつめられ、地図の上を歩きながら測量隊の足跡を体感できるというユニークなものだった。来場者は、江戸時代の地名や海岸線・町並みの絵図をたどり、写真を撮るなどして200年前の伊能測量隊の業績に大きな感動。
 
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  今回の伊予市での開催には、伊能忠敬が投宿した宮内小三郎家が現存しており、「灘町・宮内邸を守る会」など地域での伊能測量隊の調査研究や学習が背景にあった。伊能忠敬測量隊は、文化
5(1808)729日に上灘村(双海町)から森海岸を測量し、宮内小三郎家に投宿。大雨のため灘町に滞在し、翌日には再度、森海岸から本郡村・吾川村を測量し、松前・三津へと足を運んでいる。 

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  こうした地域の歴史をたどる体験学習として、68日には伊予農業高校の生徒による伊予市・森海岸での測量体験が行われ、当時の測量器材の複製を作成して海岸線を測量するというプレイベントも実施。松山市内でも74日には、愛媛大学付属中学生らが当時の伊能図に沿って道後・城北地区を歩く体験学習も行われるなど、次代を担う青少年をふくめ測量隊の偉業やかつての愛媛に思いをはせる「学習参加型」のミュージアム事業が実現できた。

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伊予市には、愛媛県下で唯一、伊能忠敬が投宿した本陣・宮内小三郎家が奇跡的に現存している。森海岸を測量した足跡をたどり、完全復元した伊能図が、その森海岸にある「しおさい公園・市民体育館」で200年の時を超えて現代に伝えられ、公開された。伊能忠敬は、完成した伊能大図のすべてを見ることはなく天命を遂げた。天国にいる伊能は、この様子をどのように眺めているだろうか。

灘町・宮内邸の保存とあわせた「郡中ミュージアム」建設時には、伊能忠敬の記念碑とともに、愛媛の足跡・伊能忠敬コーナーをぜひ実現したいもの。夢は広がる。

 



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20周年を迎えた長浜「黒壁」のまち再生

2009-04-04 00:09:40 | 日記・エッセイ・コラム

 P1020258_edited 滋賀県長浜市にある「黒壁」。市民が設立した会社による中心市街地の再生の事例として広く知られている。3月の初旬、「黒壁20周年事業」特別常設展の見学をかねて、ぶらりと町を歩いてきた。「まちづくり三法」ができる十数年前から何度となく訪れている「黒壁」のまちだが、昨今の不況の影響か、やや寂れた印象があった。

 P1020339_edited 株式会社「黒壁」が設立されたのは1988年。バブル経済の真っ只中であったが、明治33年に建築された第百三十銀行長浜支店、「黒壁」の愛称のあったこの建物の保存運動からまちの再生がスタートした。市民有志で資金を出し合い、第3セクターの会社を立ち上げ土地・建物を買い上げ、世界のガラス製品を扱う「黒壁ガラス館」をオープン。旧北国街道沿いの空き店舗を次々と「黒壁」関連店舗や工房に再生した経験は、あまりにも有名である。当時の専務・笹原司郎さんに話しをお聞きしたこともあったが、「ガラス」と「国際性」というコンセプトとの出会いを熱っぽく語っていたことを思い出す。P1020265_edited 1980年の北陸自動車開通を前後したバイパス沿いの西友・平和堂などの郊外型ショッピングセンターの進出計画を背景に、長浜の旧市街地の活性化を模索した青年会議所やロータリークラブの会長、地元銀行など企業経営者のリーダーたちが動いた。笹原氏も倉庫業の経営者であり、町なかで商売を営んでいたわけではない。パトリオティズム(愛郷心)に燃える起業家たちだった。

 P1020316_edited 「まちづくり三法」は、「黒壁」の経験からTMOという事業手法を採用したものの、手厚い制度支援があった全国のTMOは行き詰まり、新しい「まちづくり三法」のもとでも中心市街地活性化の道のりは厳しい。市民ディベロッパーとしての先駆者「黒壁」から学ぼうとする視察者は、今でも全国各地から後をたたない。

 P1020320_edited 「黒壁」の成功を評価する視点として、西郷真理子氏らは、中心市街地における町づくり会社のビジネスシステムである「合意形成のシステム」(プラン)と「開発のシステム」(プログラム)が不可欠としている。合意形成やビジョン・プランづくりに時間がかかり実践に至らないケースは、とりわけ中心市街地の商業者・地権者の権利関係の複雑さに起因している。福川裕一千葉大学教授は、土地の所有と利用を分離し、合理的な土地利用を実現していくことが中心市街地活性化の成否を握るとしている。そのためにも地権者とともに一定の開発利益を保障しつつ再生を担うディベロッパーとしての町づくり会社が必要になる。「黒壁」では中核施設を市民資本で取得・経営し、その他の事業は借り上げ、テナントをシーリングして好循環をつくり、エリア全体を戦略的に開発した先進例だという。

 P1020314_edited 「黒壁ガラス館」入館者は、年間約300万人、借家法式による「黒壁グループ協議会」のネットワークは30をこえ、一種のテーマパークビジネスとして観光客を集客している。しかし、小売業を観光型に移行させても、地元の居住者を支援する商店街振興との関係は依然として課題が残されている。旧北国街道の東側にある二筋のアーケード街や大通寺の表参道も基盤整備事業がなされているものの、シャッターの閉まった店も目に付く。

 P1020273_edited そのなかでも「プラチナプラザ」というシルバー世代が経営する野菜工房・おかず工房・リサイクル工房、「まちづくり役場」という金物店の町屋を借り受けたインフォメーション・センターなど様々な市民主体のまちづくり活動が、空き店舗を活用して展開されているのも「黒壁」ならではである。「まちづくり市民事業」の創造性・自発性に支えられていることが、「黒壁」のまち再生の成功要因なのかもしれない。

 P1020256_edited 私は長浜「黒壁」の市民力には、歴史的な蓄積・伝統と自治的な起業風土を抜きに語れないと考えている。秀吉が築城した長浜城と「楽市楽座」、絹織物・浜縮緬の特産地として栄えた歴史、長浜八幡神社の曳山まつりや子供歌舞伎、江戸時代からの北国街道沿いの歴史的町並み。地域固有の歴史的文化的環境が今日の市民力を育んできたのだと思う。2008年4月からの「黒壁20周年事業」では、長浜城歴史博物館の学芸員による「長浜と黒壁」の出前講座が1年間にわたって開催されていた。

P1020377_edited  「黒壁」保存運動からまちの再生へ。長浜には1984年に市民が主体的にまとめた「博物館都市構想」がある。株式会社「黒壁」は、その実現をめざしているのだという。20年の節目を経て、これからも長浜「黒壁」の市民力の発展について定点観察の旅を続けてみたい。


ナチュラル・オーガニックフーズのトレンド ― 健康・環境のグリーンな店舗づくり(3)

2009-02-21 23:41:01 | 旅行記

P1020168_edited_2   アメリカの流通業界は大きな変動期にあるようだ。80年代以降のショッピング・センター、ディスカウントストアなどの郊外型大型店の過剰開発によって、明らかにオーバーストア状態にある。

   ウォルマートなどの総合ディスカウントストアを別にして、アメリカのスーパーマーケットは例外なくワンフロア、取り扱う商品は食品と家庭雑貨が中心であり、「グロサリー・ストア」と呼ばれる。ウォルマートは、この食品業界にも本格的に参入しており、1993年以来、約1万3000店のストアが閉鎖に追い込まれたという。

   P1020170_edited_2 こうしたもとで、ウォルマートの価格戦略とは異なるコンセプトで業態開発を模索する小売業が生まれている。その一つが生鮮商品とナチュラル、オーガニック・フードに焦点をあてた店舗づくりである。

  フォール・フーズは、グルメ・フード、自然食品、オーガニック・フード、ベジタリアン・フード、輸入食品、豊富なワイン、ユニークな冷凍食品も品揃えし、いわゆる「グルメ・スーパーマーケット」と呼ばれる比較的高級志向の食料品小売店である。店舗の入り口にはフラワーで飾られ、オーガニックの野菜や果物がすぐ目に入ってくる。P1020171_edited_2 シーフードやミートなどの種類も豊かで産地やナチュラルな商品であることの説明。調理場はオープン方式、調理人の対面販売で顧客の安心感を高めている。店舗の中央にはオーガニック・健康関連の商品が並び、PBブランドを含めアイテム数も半端ではない。右側には、ワインコーナー、スシ、イタリアンキッチン、惣菜・サラダなどの計り売りやカフェもあり、さながらキッチンバーが店内にあるような感じだ。

  P1020039_edited_2 オーガニック市場は98年以降毎年平均20%の成長率であり、2006年には全米で167億ドル、食品小売市場の2.8%にまで急成長している。オーガニック商品は、フルーツ・野菜、精肉・魚、乳製品、飲料、パンのみならず調理済み食品やスナック食品と幅広い。日本のスシは、ヘルシー食の定番である。食の安全・安心、肥満や健康についての関心の高まりとともに、消費不況を反映してレストランではなく家庭での食事が増え、スーパーとレストランとで「惣菜戦争」が起こっていることが背景にある。

   P1020015_edited 「レストランの一流シェフの味が楽しめる」。こうした中でも、ゲルソンズはアップスケールなスーパーマーケットとして、所得の高いトレンディーな顧客をターゲットしている。カルフォルニアに18店舗を展開し、商圏として意識的に80マイルの範囲内にしか出店をしていない。ゲルソンズのミッションである質の高いカスタマーズサービスを提供するために、食品の安全とクレニネス、地産地消やプライスとバリューの関係を徹底して追求しているという。1フィート当たり25ドル(全米マーケット平均11ドル)、客単価35ドル(同29ドル)と販売効率も高い。

   P1020020_edited イタリア風のレストランを思わせる外観。店内にはチーズや各種ワインの充実、カフェバーやベーカリーコーナー、シーフードや最高級のプライム等級のミート、シェフ級のコックが作る惣菜、サラダバーには50アイテム12種類のドレッシングがそろっている。スープステーションもあり、オリーブカートなど高級感が演出されている。中央正面にはカスタマーコーナーがあり、ホテルのフロントのように顧客に対応できる徹底ぶりだ。ゲルソンズのギフトバスケットも人気があると聞いた。ラルフル、ボンズなどの伝統的なグロサリーストアやフォール・フーズなど特色ある業態との差別化をどのように構築するか。ゲルソンズは、「ショッピングを楽しむ」というミッションに、さらに磨きをかけようしているようだ。

   P1020104_edited ロサンゼルスのビセント・フーズは、1948年から60年間にわたってビバリーヒルズの高額所得者を対象に世界から2万3000アイテムを取り寄せる老舗ストア。決して広いスペースでない店内には1通路1リーダーを配置し、品揃えと顧客サービスに努めている。坪効率・客単価の高さは他を凌ぐという。チラシ・特売も必要のないVicentのブランド力である。駐車場には高級車が並ぶ。

   Pap_0010 サンフランシスコのドレガーズも、高級住宅街の中にある高額所得者向けのグルメストアである。サンフランシスコ近郊に3店舗を持つ1925年創業の老舗。世界各地からグルメ食材5万アイテムを揃えるという。特にワインの品揃えには定評があり、アメリカの主要なグルメ雑誌で常に高い評価を得ている。レストランの運営も行うほか料理教室、生活雑貨にも力を入れており、チェーン企業とは一線を画している。

   P1020192_edited こうした高額所得者向けの店舗に対して、低所得者やミドル層に人気があるのが低価格ストアのトレーダー・ジョーズである。各種食料品を始め、多くのオリジナル商品の展開で知られ、1.99ドルで販売される格安カリフォルニアワイン「チャールズ・ショウ(Charles Shaw)」は人気が高い。PBブランドが80%を占めているのも特徴だ。アメリカではPBブランドに対して消費者がバリュー感覚を持ち始めている。消費者意識の変化のもとで、PBブランド商品の展開もまた、流通業界の新たなトレンドになっている。ウォルマートは、このPBブランドにも狙いをつけているという。

  P1020197_edited 世界的な金融危機と消費不況。ロープライスを中心にすえた圧倒的なウォルマート戦略のなかで、どのような流通・小売の業態が顧客のニーズを捉えるのか・・。会員制倉庫型で業務用商品を大量に販売する卸売店コスコ。イギリスのテスコが展開しているフレッシュ&イージィというコンビニ型・セルフレジの小規模なエコストアetc 。多様な形態をとりながらウォルマートと凌ぎを削っているのだ。