茂原シニアアンサンブル 昴

憧れの楽器を手にしてアンサンブルを楽しんでいます。
新しい仲間歓迎です!

MSE  活動についてのお知らせ

2021-01-12 14:43:55 | 日記

日頃よりこのブログをご覧頂き、ありがとうございます。

先日緊急事態宣言が発令された事に伴い、1月16日~2月6日まで活動は中止となります。

私の音楽歴は続けて掲載する予定です。よろしく!

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私の音楽歴 №3 団員 安齋さん

2021-01-09 12:58:48 | 日記

第3回目は、チェロの安齋さんです。

安齋さんはMSE活動場所の確保をしてくださっています。

私の音楽人生  安齋 孝 (あんさい たかし)

私のシニアアンサンブル音楽人生は定年退職で福島県南会津から千葉へ来たことが始まりです。

市原のシニアアンサンブルとの音楽仲間との出会いから10年、こんな人生になるなんて今でも不思議な、自分が自分でないような気がしています。

自己紹介をしますと生まれは宮城県角田市坂津田で宮城県の南部・阿武隈山地が終点で低山が連なる山里の農家の3男としてS24/4に生まれました。

音楽との出会いは、中2の時に長兄がギターを買ってきたことから始まりました。

フランス映画の『禁じられた遊び』がギターを操るように聞こえてきた音色に驚き古賀ギターの教則本からアポヤンド奏法を学び『影を慕いて』を弾いていました。

『禁じられた遊び』はアポヤンド奏法はできませんが、アルアイレ奏法で弾き2番までできました。

高校では音楽部にギター・マンドリングループをつくり、5人でマンドリン・ギター合奏をしていました。

文化祭での西郷輝彦の『星のフラメンコ』のイントロ部のギター伴奏は大いに受けました。

その後、就職し仙山線の山寺、作並に2年、3年目に仙台、そして福島県の南会津町田島へ転勤になりました。

ここで地元の妻と結婚し子供2人を育てて、今は長男夫婦と孫2人の6人家族で大網白里市に住んでいます。孫の子守を頼まれ妻と南会津から出てきました。

あまりの気候の暖かさでボーっとしていたら息子から「定年後何かやらないとボケる」と言われ、市原シニアアンサンブルの団員募集の記事を見つけTさんへ電話し、ちはら台の練習場へマンドリンを持っていきました。

ギターの方がいいですと申し出て2回目からはギターを弾き、3年目に四街道シニアへ、つね代表から誘われ、2つ目のシニアになりました。

そこで団員の全シ連の岡村代表から大網にシニアアンサンブルを立ち上げるので協力してほしいと言われ、H25年4月にY代表の元、大網白里シニアを15人で発足しました。月2回の練習は和声を重視するT先生で楽器は後半の時間だけで、不満が出始め遠くから来る人は「歌を歌いに来たのではない。楽器の練習を中心に」と意見が出たが10月になっても改められないので私は東金シニアをつくるのでやめることにしました。その後大網白里シニアはTさんを指導者につばさと名を変え2年後に解散しました。

東金シニアは市原シニアの大野先生を迎え翌年H26年4月に発足し今に至ります。

茂原シニアはつね代表に誘われ、やれるかどうか不安がありましたが五井から夫婦で来て頑張る決意に手伝わないと後で後悔すると思い、できることをやる事で今に至ります。

チェロを始めて3か月、何とか続けています。左指の開きが大きく、ギター・バイオリンの2~3倍は開き左指の運動には最高ですが正しい音程が取れないので目印をつけたり、弾く玄の間違いだらけの連続ですが左指を見ないで弾けるようになりたいと思っています。

あと10年は健康に留意しながらシニアアンサンブルを楽しみたいと思っています。

 西郷輝彦懐かしいなあ。当時歌謡曲の御三家の一人。『星のフラメンコ』は子供でも知っていてよくまねしていたなあ~  好きなんだけど 離れてるのさ・・・(^^♪

『古賀メロディー』や『禁じられた遊び』をよく耳にしていた頃もあったな。当時はそれをギターで奏でてみたくて、ガットギター(クラッシックギター)を手にするきっかけになった方も少なくなかったのではないでしょうか?

若き日に入手したギターをお持ちの方、ギターを持って茂原シニアアンサンブルの活動会場(本納公民館ほのおか館)へ見学にきてみてはいかがでしょうか?また新たな楽しみが見つかるかもしれません。

お問合せは、090‐9146‐0504  松永 まで

 

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私の音楽歴 No.2 団員 橋本さん

2021-01-02 07:56:52 | 日記

このブログを見てくださっている皆様、明けましておめでとうございます。

新型コロナ流行の中にあり今までにないような大変な経験をなさっている方もいらっしゃる事と思いますが、これからも茂原シニアアンサンブルをよろしくお願いいたします。

 第2回目は、後ろで軽快なリズムを刻むドラムスの橋本さんです。

*注:この音楽歴掲載の順序は、その方の音楽経験のみによる事なく、かなりランダムに載せさせていただきます。

 

ドラムの橋本です。

子供の頃から叩く事が好きで、近くにある物を何でも叩いていました。

まだテレビのない時代で、ラジオからはよくラテンの音楽が流れていました。

子供心にラテンの軽快なリズムに心魅かれていました。

自分もラテンの打楽器を習いたいと思ったのですが、近くに教室などなくドラムの教室があるのを知り、同じ打楽器であるのでと習い始めたのです。

それでドラムを習いながらラテンの打楽器を少しずつ覚えて行きました。

好きなドラムなのですが、メロディーの出ない楽器である為、自分1人で楽しむことが出来ないのが残念です。

やはり他の楽器と音を共にしてこそ音楽の楽しみを味わえる楽器なのです。

ということで他のメンバーと心を同じくして、より良い音楽ができればと思っています。

そうですか。何を叩いていたのでしょうか? やかん?いや土瓶?火鉢か、ちゃぶ台か・・・

いかん、昭和の時代にgo back してしまった~

 

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