
政府が進める「同一労働同一賃金」は、同一企業における(いわゆる)「正規雇用労働者(無期雇用フルタイム労働者)」と「非正規雇用労働者(有期雇用労働者、パートタイム労働者、派遣労働者)」の間の不合理な待遇差の解消を図るために導入された制度です。
同一企業内の正規・非正規間の不合理な待遇差を解消し、どのような雇用形態を選択しても納得が得られる処遇を受けられるようにする。そのことで、多様な働き方を自由に選択できるようになるとするこの制度は、2020年4月に施行された「パートタイム・有期雇用労働法」により、大企業では施行と同時に、中小企業では2021年から適用されることになりました。
同法により、事業主は正社員と非正規社員の間で給料や手当など待遇に不合理な差を設けることが禁止されたほか、社員から待遇の違いについて説明を求められた場合、その理由を説明しなければならないとされています。一方、この4月から同制度の適用が開始された中小企業では、昨今の新型コロナウイルスの影響で業績が悪化した中小企業を中心に、対応が進んでいないケースが多いとの指摘もあるようです。
人材サービス会社「エン・ジャパン」が去年12月から今年1月にかけて中小企業150社に対して行ったインターネット調査では、「パートタイム・有期雇用労働法」への対応が「既に完了している」と回答した企業は28%にすぎず、「現在、取り組んでいる」「対応が決まり、これから取り組む予定」と回答した企業を合わせても51%にとどまっているということです。
また、「同一労働同一賃金」のめどがついていると回答した中小企業に「対応する上での悩み」を複数回答で尋ねたところ、「人件費の増加」と「正社員と非正規社員の待遇差が不合理かどうかの判断」がいずれも23%と最も多かったとされています。
こうした結果からは、非正規職員への依存度やその雇用形態にも企業・業種ごとに様々な違いがあり、対応に苦慮している企業が多いことがわかります。そんな折、7月27日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」に掲載されていた「同一労働同一賃金は正義か」と題する一文が目に留まりました。
ジョブ型雇用の世界では「同一労働同一賃金」の原則が貫かれることが多いが、「労働の質」を考えれば、労働が同一かどうかを判断するのは難しいと筆者はこのコラムに記しています。
同じ職務を遂行しても、労働の質には(もちろん)違いがある。それは、人によって勤労意欲や能力が様々に異なっているからだと筆者は言います。勤務期間の長い労働者は、経験を生かして質の高い労働を提供できる。その点から言えば、一部では「非合理」といわれる年功賃金制も合理性を持っているということです。
また厄介なことに、その勤労意欲自体が(逆に)賃金水準から影響を受けることもある。これらを関係を様々に読み解けば、「同一労働はあり得ない」と考えた方が妥当ではないかというのがこの問題に対する筆者の認識です。
それにもにもかかわらず「同一労働同一賃金」の原則が言われるのは、弱い労働者を保護するためであるのは間違いないと筆者はしています。低い質の労働しか提供できない労働者が、賃金を下げられたり解雇されたりするリスクに晒されることは容認できない。米国では労働組合が、労働の質の評価を賃金に反映させることに強硬に反対しているのも、同一労働同一賃金の原則を貫くためだということです。
そして、こうした部分がジョブ型雇用の弊害であり、最大の問題(そして限界)であると筆者は指摘しています。同一労働同一賃金の理想を文字通りに貫けば、質の低い労働を提供する労働者が得をすることになり、質の高い労働を提供する労働者にとっては不利になる。そうなれば、誰も質の高い労働を提供しようとしなくなるというのが筆者の見解です。
このような弊害に着目すれば、同一労働同一賃金の原則は労働者の利益にならないし、会社の利益にもならない。実際、日本の企業が(職域を超え)従業員の工夫や提案を取り入れられたのは、ジョブ型雇用をしていなかったからだということです。
法律に「同一労働同一賃金」という(いかにもわかりやすい)原則が盛られた以上、今後はこの原則がもたらす深刻な弊害にも目を向ける必要があると、筆者はこのコラムに綴っています。米国の経営学ではこれまで、「賃金は何に対する対価か」について盛んに議論されてきた。(筆者によれば)そうした中で「職務(ジョブ)に対する対価」であるという見方がある一方で、「命令を受容する範囲に対する対価」だという見方があるということです。
定められた職務を超えて追加報酬なしで遂行する仕事の範囲を「無差別圏」と呼ぶが、これは、この無差別圏の広さが賃金水準を決めるというもの。無差別圏が広いほうが会社にとっては使い勝手が良いので、給料が高いというのが合理的になるということです。
例えば、残業を命じられた際に、「積極的に受ける人」のほうが「自分の都合を優先したい人」より給料が高くてもそれ自体問題はないのではないか。無差別圏の概念は、ジョブ型雇用の単純な原則にとらわれるのを防いでくれるというのが筆者の指摘するところです。
さて、ここまで読んできて、このコラムの主張に大きくうなずく読者もいれば、「さすが日本を代表する経済紙」「生産性第一の経営者目線」と感じる読者もいることでしょう。確かにコラムの指摘を当然のものとすれば、(最終的には)会社や上司の命に対し従順に働き続ける者ばかりが求められ、評価される組織になってしまうことは想像に難くありません。
一方、同一労働同一賃金を文字通りに受け止めるだけでは、筆者も言うような(かつての社会主義国家のような)活力のない職場を生むことにもつながることでしょう。もとより筆者の指摘は、「同一労働同一賃金」の運用に当たって必要な視点ではあることは間違いありません。しかしその一方で、こうした考え方が使用者の根底にある限り、日本の「働き方改革」はいつまでたっても「絵に描いた餅」であり続けるのもまた事実です。
(原則を守りつつも)雇用者の同意のもと、一定のルールのもとに被雇用者の努力を評価したり、意欲を喚起したりすることはできるはず。結局のところ、評価は人が行うもの。バランスを取りながら組織を持続可能な形で運営することこそが、これからのビジネスには求められているのだと、このコラムから改めて感じた次第です。
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