6月12日の「Yahooニュース」に、国家公務員一般労働組合執行委員で国公労連書記の井上伸氏が「日本で激しい公務員バッシングが生まれる理由」と題する寄稿を行っています。この中で井上氏は、固定化した日本の雇用慣行の下で新自由主義的な政治感覚やジャーナリズムの浸透が国民生活に与えている影響について、労働組合運動を主導する立場から論点をまとめているので備忘のために整理しておきたいと思います。
日本型雇用の特徴と言えば、「終身雇用」と「年功型処遇」の二つが指摘されることが多いのですが、実はそれに加えて、労働者が「競争主義の論理(競争原理)」を受け入れているところにもう一つの大きな特徴があるというのが井上氏の認識です。
ここでいう「競争原理」とは、①自分の企業が企業間の競争に負けず、②自分も労働者間の競争に負けない、この二つがそろって初めて雇用と生活の維持・安定が可能となり、逆に言えばそのどちらかで負ければ没落はしょうがないという論理だと井上氏は言います。
氏によれば、日本型雇用の労働市場の流動性は国際的に見ても決して高い方とは言えない。言い方を変えれば、日本の労働者は企業を替わって(移って)働くという選択肢が制限されている状態にあるということです。従って、(滅私奉公ではありませんが)就職したからには企業間競争に貢献すべきだという圧力がたいへん高く、企業内の労働者間競争も非常に激しいものとなるというのが井上氏の指摘するところです。
日本の労働者の心理の奥底には企業主義の競争原理が非常に深く「内面化」されており、経営者の仕事(の目的)と自分の仕事(の内容)を同一化する感覚が労使の「共通理解」として存在している。労働組合の活動も企業の成長を前提に進められていることから企業の業績回復が何より優先され、労働者の生活水準の確保は労働者一人ひとりの努力、つまり「自己責任」に任されているというのが井上氏の認識です。
日本には、「労働能力と労働意欲があれば市場収入で最低生活は可能」という無言の大前提があると井上氏は述べています。しかし、気がつけばその根幹をなしていたはずの「正規社員」や「終身雇用」という前提が崩れ去り、「派遣切り」や「正社員切り」などが横行する現在の状況下では労働者は路頭に迷うほかないというのが、この寄稿における井上氏の眼目です。
こうした中、経済のグローバル化を背景に特に経済や政治の分野で新自由主義的な主張が強まってくると、国民の間の格差が拡大し、階層の分裂・分断が進むことになるというのが井上氏の見解です。そしてその結果として、国民全員を単一の公的な社会保障制度の対象として生活を保障するというやり方に対して、そのメリットを受けられない(拠出する側の)階層からの不満が強くなると井上氏は述べています。
所得税の累進率を減らして「フラットな税制」に近づけるべき。富裕層に対してより手厚く減税すれば経済の活性化につながる。逆に低所得者層への減税は経済効果が薄い…。マスコミやジャーナリズムなどで行われているこのような議論の陰には、自分たちの支払った税金が努力をしない低所得の人々のために使われるのは不愉快だからやめてくれという、競争社会における「公平感」があるという指摘です。
新自由主義的な経済運営の中で力を持った階層が発揮する、競争原理に基づく「政治感覚」や「生活感覚」がこの国の政治やマスコミ、ジャーナリズムを覆いつつある。そして、そうした感覚が強く反映された主張が、「自己責任」の名のもとに強い影響力を持ちつつあるのではないかとする井上氏の主張を、社会の現状を俯瞰する一つの視点としてこの寄稿から改めて認識したところです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます