MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2071 紅白歌合戦が目指す先

2022年01月23日 | テレビ番組


 新型コロナ・オミクロン株の感染拡大への懸念から、今年の年末年始もまた(「ステイホーム」の掛け声とともに)自宅で過ごす人が多かったようです。

 LINEリサーチが全国の男女約55万人を対象に行った(相当大掛かりな)調査でも、「年街年始の過ごし方」の第1位は「年越し蕎麦を食べる」で半数以上が挙げています。そして、2位は「お雑煮 を食べる」、3位は「『紅白歌合戦』を見る」と、日本の年越しのルーチンはコロナ下でも大きくは変わっていないようです。

 やはり、大晦日と言えば、おせちの余りものを肴に一杯やりながら炬燵で紅白歌合戦を見て、年越しそばなんかを食べて「ゆく年くる年」を見て寝るというのが(いまだ)日本人の定番だということでしょうか。しかし、今年の紅白に関しては、翌日(元日)のネットニュースから厳しい意見に晒されているのも事実です。

 ビデオリサーチ社(関東)による(昨年の)紅白歌合戦の世帯視聴率は前半が31.5%、後半34.3%と振るわず、無観客開催だった一昨年(2020年)紅白の前半34.2%、後半40.3%をさらに下回るものでした。特に後半に関しては、これまで歴代最低だった2019年37.3%をも下回り、2部制となった1989年以降、最低の水準だったということです。

 実際、毎年大晦日の紅白を楽しみにし、この70年間視聴を欠かしたことのない私の母親なども、今年の紅白ほどつまらないものはなかったと話しています。もっとも、近年は毎年そのように話しているので、(その原因は)彼女の中にある「紅白」のイメージと現在の「紅白」のギャップが徐々に広がっているということなのかもしれません。

 私自身は、(全部をしっかり見たわけではありませんが)エンターテイメントとしてそれなりに楽しめたのですが、ニュースサイトやSNS上にはかなりの「酷評」ともいうべき感想が並んでいるのも事実です。

 そうした中、正月三が日が明けた1月4日の総合経済サイト「東洋経済オンライン」に、音楽評論家のスージー鈴木氏が「紅白視聴率「歴代最低」を嘆く人に欠けている視点」と題する論考を寄せているのが目に留まりました。

 昨年、これまでよりも大きく視聴率を落としたNHKの看板番組「紅白歌合戦」だが、実は「占有率」(テレビをつけている家庭の中で紅白を見ている割合)で見ると一昨年よりも上がっていて、それどころか、2016年以降で最高値だったという話があると鈴木氏はこのコラムに記しています。

 つまり、昨年暮れの紅白は、実はテレビをつけている世帯の中での(他番組との)競争には「勝利」していたということ。もちろん、特に強力なライバルだった日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』が休止したことの影響も大きいのでしょうが、それでも紅白は孤軍奮闘していたと言ってよいかもしれません。

 では、何が昨年紅白の視聴率低下の原因となったのか。既にお気づきのように、そもそも紅白の時間帯に、テレビを視聴している人自体が減った、それも激減したことが影響していると鈴木氏はこの論考で指摘しています。

 昨年は、大晦日における総個人視聴率(≒テレビ視聴者総数)が大きく低下。とりわけ紅白後半のピークを迎える23時には、一昨年に比べて、なんと2割近くも減少しており、視聴率の下げ幅(40.3%→34.3%≒1.5割)を上回る状況だった氏は言います。

 強力なライバル番組の不在が、紅白の視聴率アップにはつながらず、むしろテレビ視聴者をネットに流出させた。総じていえば、昨年紅白の視聴率低下には、番組内容うんぬん以上の、より構造的で大きな問題が潜んでいたというのが氏の認識です。

 さて、テレビというメディアを取り巻く環境が大きく変化する中、それでは歴史ある「紅白歌合戦」は、これから先どのような道を歩んでいけばよいのか。そもそも、「公共放送」としてのNHKの存在理由、最近流行のビジネス用語でいうところの「パーパス」は何なのか、氏はこの論考で改めて問い直しています。

 いち視聴者として思うことは、(もちろん視聴率向上は重要だろうが)それだけに拘泥すると民放と同じになり、「公共放送」としての存在理由が薄まってしまうということ。そこでお願いしたいのは、視聴率に縛られ(すぎ)ないことを逆手に取った、視聴満足度の高い番組作りだというのが氏の見解です。

 視聴率のベースとなるテレビ視聴者自体の減少が、紅白の視聴率をも低下させる圧力と化している。(先に述べたように)この状態は構造的なもので、圧力からの回避は極めて難しいと氏は言います。で、あれば、まずできることは、内的環境としての番組内容に目を向け、視聴満足度向上に資源・施策を集中することに尽きる。結果として、高い満足度が視聴率低下のスピードを遅らせ、さらには新しい視聴者を誘引するという構造への再構築を促すはずだということです。

 では、具体的にどうすればよいのか。これまであまり省みられることはなかったようだが、これからの紅白のターゲットは、ずばり「音楽ファン」ではないかと氏はここで指摘しています。

 強烈に好きなミュージシャンや歌手がいて、他の音楽家や最近のヒット曲にも関心を持ち、ずっとサブスクを聴いていて、コロナが明けたらカラオケに行きたい、ライブに行きたいとウズウズしている(歌好きの)人たちは多いはず。そして、そんなターゲットに対し約束するべき紅白のパーパスは、「日本最高最強の音楽フェスになること」だと氏はしています。

 大みそかの慌ただしい時間、それでもあえてテレビをつけて、生で見るべき意味・見なければならない意義のある、音楽ファン必見の「ライブフェス」になること。「ライブフェス」なのだから、生放送・生歌、そして生演奏だからこそ価値があるということです。

 平成時代の紅白で推し進められた「バラエティー番組化」はもう要らない。そして、(勘のいい方ならもうお気づきのように)昨年の紅白がこの方向へ向けた第一歩だったとのではないかというのが、この論考で氏の指摘するところです。

 視聴率話が、必要以上に賑やかにかつ無責任に語られているが、「音楽ファン」の1人として、制作スタッフにはあの(←現在の)方向で迷わず進んでほしいと強く思うと氏は言います。

 「夢の紅白」では、藤井風に始まり、米津玄師、宇多田ヒカル、島津亜矢を経由して、中島みゆき、浜田省吾、竹内まりや(バックに山下達郎)、そしてトリが沢田研二という奇跡の4時間超のライブが続いていく。もちろんすべて、生放送、生歌、生演奏だと氏は妄想を広げています。

 男性対女性の「合戦」という茶番から、純粋な音楽番組に生まれ変わろうとしている「紅白歌合戦」。確かに、時代の変遷とともに(比較的大画面の)テレビに求められる視聴者のニーズも大きく変わっているのでしょう。誰彼構わず受信料をとるのであれば、それに見合った(民放とは違う)クオリティで存在価値を見せつけてほしいと、私もこの論考を読んで改めて感じたところです。


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