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『鎌倉殿の13人』 名台詞まとめ

2024年06月29日 | 鎌倉殿の13人


『鎌倉殿の13人』名台詞


 NHK大河ドラマ第61作目として、2022年に放送された『鎌倉殿の13人』。

 総合視聴率は20%を超え、NHKプラスでの見逃し視聴回数は歴代大河ドラマ最多、NHKオンデマンドでは全ドラマで最多となりました。

 そんな神作の名台詞を簡単にまとめてみました――。





 第1回「大いなる小競り合い」


 私は、これまで何度も死を目の前にしてきた。
 しかし、その度になぜか生き延びた。
 天は必ず私を生かしてくれる。

 何ゆえか。それはわからぬ。
 おそらくはまだ、この世に成すべきことがあるのであろう。

 私に言えるのはそれだけだ。


――小四郎に「兵を挙げるおつもりはあるのですか」と問われた頼朝の返答






 第2回「佐殿の腹」


 いずれ、わしは挙兵する。
 都に攻め上り、憎っくき清盛の首を獲り、この世を正す!
 法皇様をお支えし、この世をあるべき姿に戻す!


――湯河原で朝湯につかりながら小四郎に本心を明かす頼朝






 第3回「挙兵は慎重に」


 日照りの後には何が来る?長雨じゃ。
 よって、来年は必ずや飢饉となる。
 その子らも生き延びられると思うなよ。

 食い物を独り占めにしているのは誰じゃ!
 平家じゃ。平家じゃ。平家じゃ。平家じゃ。

 平家を許してはならんぞ!


――河原で村人に対して反平家を説く文覚(もんがく)






 第4回「矢のゆくえ」


 そのお考え、1日も早くお捨てになられたほうがよろしいかと存じます。

 確かに、我らは坂東の田舎者。
 しかしながら今は、その坂東の田舎者の力を合わせねばならぬ時でございます。

 彼らあっての佐(すけ)殿。それをお忘れなきよう。


――「坂東の田舎者に頭など下げん!」と言い張る頼朝に小四郎が放った言葉






 第5回「兄との約束」


 西から来た奴らの顔色をうかがって暮らすのはもうまっぴらだ。
 坂東武者の世を作る。
 そして、そのてっぺんに北条が立つ。


――家に残した頼朝のご本尊を取りに出発する直前、北条時宗が弟の小四郎に語った言葉






 第6回「悪い知らせ」


 平家の横暴に耐えてきた者たちの不満が今、一つの塊となろうとしている。

 佐殿がおられなくても我らは戦を続けます。
 そして必ず、平家の一味を坂東から追い出す。
 私は諦めてはおりませぬ!


――石橋山の戦いで敗戦し、逃げ延びた安房国で弱気になっていた頼朝に対する小四郎の激






 第7回「敵か、あるいは」


 なぜ助けたか。

 あの時、大場勢は目と鼻の先にいた。
 にも関わらず、わしの他は誰も頼朝殿には気付かない。

 そなたは「かのお人が天に守られている」と申した。わしも同じことを感じた。
 「殺しては神罰を受ける」と思った。

 答えになっておるかな?


――石橋山の戦いで敗走し、洞窟に潜んでいた我らをなぜ見逃してくれたのかと問う義時に対する梶原景時の返答






 第8回「いざ、鎌倉」


 ここに、源氏ゆかりの由比若宮をお移しする。鶴岡八幡宮じゃ。
 この丘の下に社殿を築く。八幡神は源氏の守り神。その威光をもってこの坂東をまとめあげる。

 そして、京に攻め込み、平家を滅ぼす!


――仮御所に政子を迎え入れ、鎌倉を一望しながら頼朝が高らかに宣言する






 第10回「根拠なき自信」


 経験も無いのに自信も無かったら何もできない。違うか。


――常陸国の佐竹軍討伐の軍議中に、戦の経験が無いことを揶揄された義経が発した言葉






 第11回「許されざる嘘」


 人を許す心が、徳となるのではないのですか!


――叔父である伊藤祐親を誅殺され、怒りに震える小四郎が頼朝に向かって吠える






 第13回「幼なじみの絆」


 伊豆の小さな豪族の行き遅れがさぁ、急に「御台所、御台所」って。
 勘違いしてもしょうがないけど。

 大事なのはこれから。自分が本当に鎌倉殿の妻としてふさわしいかよく考えなさい。

 足りないものがあったらそれを補う。私だって文筆を学んだのよ。
 あなた、御台所と呼ばれて恥ずかしくない女になんなさい。

 憧れの的なんだから。坂東中の女の。


――頼朝の妾・亀の家に押し掛けた政子が、逆にたしなめられる






 振り向かなくても構わない。
 背を向けたいのなら、それでもいい。
 私はその背中に尽くす。
 八重さんの後ろ姿が幸せそうなら、私は満足です。


――江間に住む八重の家を訪れた小四郎が八重に対して心の内を明かす






 第15回「足固めの儀式」


 もっとも頼りになるものが、もっとも恐ろしい。


――謀反を企てた御家人たちへの見せしめのため、上総介広常の誅殺に同意した際の大江殿のひと言






 これから3年の内にやるべきこと。
 明神様のための田んぼを作る。社(やしろ)も作る。
 流鏑馬を幾たびもやる。

 これ全て、鎌倉殿の大願成就と東国の太平のため。


――上総介広常を誅殺した後に、彼の鎧から出てきた願文






 第17回「助命と宿命」


 姉上は「決して許さぬ」と申された。
 鎌倉殿も、それを重く受け止められた。

 姉上、あなたの「許さぬ」ということはそういうことなのです。
 御台所の言葉の重さを知ってください。


――冠者殿を殺めた者の首が片瀬川に晒されたが、「殺せと言った覚えはない」と憤る御台所に対する義時の返答






 第18回「壇ノ浦で舞った男」


 義仲も死に、平家も滅んだ。
 この先、私は誰と戦えばよいのか。

 私は戦場(いくさば)でしか役に立たん。


――壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした義経が義時につぶやいた言葉






 第19回「果たせぬ凱旋」


 あなたはおっしゃった。
 「経験も無いのに自信も無かったら何もできぬ」と。

 では、自信をつけるには何がいるか。

 経験でござるよ。
 まだまだこれらからじゃ。


――京都に上洛中の北条時政の元を訪れた逃亡中の義経に対して、時政がかけた言葉






 第21回「仏の眼差し」


 己のしたことが正しかったのか、そうでなかったのか。
 自分で決めてどうする。

 決めるのは天だ。

 天が与えた罰なら、わしは甘んじて受ける。
 それまでは突き進むのみ。


――奥州平泉を滅ぼした後、藤原氏の屋敷の前で頼朝が義時に言った言葉






 わざと言っているのなら人が悪いし、わざとでないなら気遣いがなさすぎます。
 どちらにしても私は不愉快です。


――金剛を連れて御所を訪れた八重に対する頼朝の無神経な言動に怒る政子






 第22回「義時の生きる道」


 大軍を連れてきたものだなぁ。
 見せつけておるのなら大成功。

 驕った武士は皆、滅んだ。

 我らを亡き者とするならば、この日の本は収まらん。
 やれるものならやってみるがよい。


――大軍を率いて上洛し、御所で謁見した際の後白河法皇の言葉






 第23回「狩りと獲物」


 そうだろうか。
 確かに此度(こたび)も命は助かった。だが、これまでとは違った。

 今までははっきりと天の導きを感じた。声が聞こえた。

 だが、昨日は何も聞こえなかった。たまたま助かっただけじゃ。次はもうない。
 小四郎。わしが成すべきことはもう、この世に残っていないのか...


――巻狩りの最中、義時から「鎌倉度は天に守られております」と言われた時の頼朝の言葉






 第24回「変わらぬ人」


 姫は悪くない。
 姫は、姫の生きたいように生きるべきです。
 
 帝に嫁いだところでそれが何になりましょう。きっと、今日の様なことが繰り返される。
 それでは、姫の身がもちません。
 
 鎌倉殿のことはお忘れなさい。北条の家のことも。
 「人は、己の幸せのために生きる」
 当たり前のことです。


――丹後局に叱責されたショックで屋敷を抜け出した大姫を見つけた平六が彼女にかけた言葉






 第25回「天が望んだ男」


 小四郎、わしはようやくわかったぞ。

 人の命は定められたもの。
 抗ってどうする。甘んじて受け入れようではないか。

 受け入れた上で、好きに生きる。

 神仏にすがって、怯えて生きるのは時の無駄じゃ。
 神や仏には聞かせられぬ話だがの。


――仏事のため北条一門が集まった折、頼朝が小四郎に語った言葉






 第27回「鎌倉殿と十三人」


 むしろ、良かったのかもしれません。
 「少ない者に力が集まれば良からぬことが起こる」
 頼朝様は、いつもそれを心配されておりました。


――頼家の「(宿老が)13人とは増えたものだな」という言葉に対する小四郎の言葉






 第28回「名刀の主」


 刀は切り手によって、名刀にもなまくらにもなる。
 なまくらで終わりたくはなかった。


――一幡を人質にとり、比企(ひき)の屋敷に立てこもった梶原殿が義時に対して発した言葉






 第30回「全成の確率」


 庭に引き連れられた時、全成(ぜんじょう)殿はひたすら呪文を唱えていたそうだ。

 最初の刀が振り下ろされた時、雷が近くの木に落ち、そこにいた誰もが怖れ慄(おのの)いたそうです。

 立ち筋が外れ、全成殿はまだ生きておられた。

 空が暗くなり、激しい雷雨が。進み出た八田殿がその首を落としたその刹那、嵐は止み、青空が広がったそうだ。


――全成殿の妻・実衣に、謀反の罪で誅殺された阿野全成の最期の様子を伝える小四郎






 第31回「諦めが悪い男」


 よかったかどうかはわかりません。
 しかし、これしか道はありませんでした。


――比企一族を滅ぼした後、政子の「これでよかったのですね」という言葉に対する義時の返答






 第33回「修善寺」


 おまえ、悪い顔になったな。
 だが、まだ救いはある。

 お前の顔は、悩んでいる顔だ。
 己の生き方に迷いがある。

 その迷いが救いなのさ。
 悪い顔だが、いい顔だ。


――和田殿の屋敷で15年ぶりに再会した運慶が小四郎に対して言った言葉






 第36回「武士の鑑」


 政(まつりごと)を正しく導けぬ者が上に立つ。
 あってはならないことです。

 その時は、誰かが正さねばなりません。


――二俣川の戦いの開戦前、政子に対して小四郎が発した言葉。






 今の鎌倉は、北条のやりたい放題。

 武蔵を我が物とし、息子には身に覚えのない罪を着せ、騙し討ちにした。
 私も小四郎殿の言葉を信じてこのザマだ。

 戦など、誰がしたいと思うか―――!!!


――二俣川の戦いの開戦前、説得に来た和田殿に対して畠山次郎秀忠が発した言葉






 次郎は決して逃げようとしなかった。
 逃げる謂(いわ)れがなかったからです。

 所領に戻って兵を集めることもしなかった。
 戦う謂れがなかったからです。

 次郎がしたのは、ただ己の誇りを守ることのみ。


――二俣川の戦いの後、畠山殿の首を執権・時政の前に置き、小四郎が発した言葉






 これで、執権殿は御家人の信を失いました。
 執権殿がおられる限り、鎌倉はいずれ立ち行かなくなります。

 此度(こたび)のことは、父上に政から退いてもらうための始めの一歩。


――畠山殿の非業の死による怒りを他の者に向けるため、稲毛殿を誅殺した小四郎が政子に言った言葉






 第38回「時を継ぐもの」


 今生の別れにございます。
 
 父が世を去る時、私はそばにいられません...
 父の手を握ってやることができません...
 
 あなたがその機会を奪った。
 お恨み申し上げます…


――謀反を起こした時政に「伊豆への流罪」の沙汰を伝えた後、父と子の関係性に戻る義時






 第39回「穏やかな一日」


 鎌倉殿が一度口にしたことを翻しては、政の大元が揺るぎます。
 私のやることに口を挟まれぬこと。
 鎌倉殿は、見守って下さればよろしい。


――義時の提案を無下に断った鎌倉殿に対する義時の言葉






 第42回「夢のゆくえ」


 いいかげん、覚悟を決めるのです。
 
 あの源頼朝と結ばれたというのはそういうこと。
 人並の人生など、望んではなりませぬ。
 
 なんのために生まれてきたのか。
 なんのために辛い思いをするのか。
 
 いずれ、わかる時が来ます。いずれ。


――丹後局(たんごのつぼね)が鎌倉御所を訪れ、弱気になっている尼御台に対して発した言葉






 第45回「八幡宮の階段」


 出(いで)ていなば
 主なき宿と なりぬとも
 軒端の梅よ 春を忘るな


――鶴岡八幡宮の大階段で公暁に暗殺された実朝の部屋に遺されていた歌(辞世の句)






 第46回「将軍になった女」


 全てが自分を軸に回っていると思うのはおよしなさい。
 
 どうしてもやっておきたいことがあります。よろしいですね。
 尼将軍の言うことに逆らってはなりませんよ。


――“政所はじめ”で三寅と尼将軍のお披露目がなされた後、義時に対して放った政子の言葉






 第47回「ある朝敵、ある演説」


 元はといえば、伊豆の小さな豪族の次男坊。

 その名を、上皇様が口にされるとは…
 それどころか、この私を討伐するため、兵を差し向けようとされる。

 平相国・清盛、源九郎判官・義経、征夷大将軍・源頼朝と並んだのです。
 北条四郎の小倅(こせがれ)が。

 面白き人生でございました――。


――後鳥羽上皇に自分の首を差し出す決断を政子に伝えた後、その場を立ち去る前に発した義時の言葉






 「鎌倉が守られるのならば、命を捨てよう」とこの人は言った。
 あなたたちのために犠牲になろうと決めた。

 もちろん私は反対しました。しかし、その想いは変えられなかった。
 
 ここで皆さんに聞きたいの。
 あなた方は本当にそれでよいのですか?
 確かに、執権を憎むものが多いのは私も知っています。
 彼はそれだけのことをしてきた。

 でもね、この人は生真面目なんです。全てこの鎌倉を守るため。
 一度たりとも、私欲に走ったことはありません。





 鎌倉始まって以来の危機を前にして、選ぶ道は二つ。

 ここで上皇様に従って、未来永劫、西のいいなりになるか。
 戦って、坂東武者の世を作るか。

 ならば、答えは決まっています。

 速やかに上皇様を惑わす奸賊どもを討ち果たし、三代に渡る源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです。
 頼朝様の恩に、今こそ応えるのです。





 向こうは、あなたたちが戦を避けるために執権の首を差し出すと思っている。

 馬鹿にするな!

 そんな卑怯者は、この坂東には一人もいない!
 そのことを上皇様に教えてやりましょう!


――後鳥羽上皇から義時追悼の院宣が御家人に届いたことを受けて、尼将軍・政子が大演説を行う。






 第48回「報いの時」(最終回)


 たまに考えるの。
 この先の人は私たちのことをどう思うのかって。

 あなたは上皇様を島流しにした大悪人。私は身内を追いやって尼将軍に上り詰めた稀代の悪女。

 でも、それでいいの。
 私たちは頼朝様から鎌倉を受け継ぎ、次へ繋いだ。

 これからは争いが無い世がやってくる。だから、どう思われようが気にしない。


――縁側に座っている義時の横に座って語り始る政子






 この世の怒りと呪いをすべて抱えて、私は地獄へ持っていく。
 太郎のためです。
 私の名が汚れる分だけ、北条泰時の名が輝くーー。


――毒が体に回り体が動かなくなった義時のために、薬をとりに行った政子に義時が語る


 



 編集後記


 WBC熱がひと段落したので、久しぶりに途中で止まっていたNHKオンデマンドでの『鎌倉殿の13人』の再視聴を再開。

 すっかり観なくなった『どうする家康』と比べて、伝統芸能と学芸会ほどの差を感じました。
 
 何より、作り手の日本の歴史や大河ドラマに対する愛情や敬意、熱量に雲泥の差があるように思えました。

 また、演者がまとっている雰囲気や演技、台詞のしゃべり方に始まり、劇中音楽や美術セットなども一線を画していたことも再認識。

 「神は細部に宿る」と言いますが、そういったもの一つひとつの差が作品の面白さやハマり具合の差に繋がっているのではないでしょうか。

 改めて、『鎌倉殿の13人』と言う作品の凄さを再認識したと同時に、全出演者によるパレードの開催を願ってやみません――。




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