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滅美ル ー滅びの美学ビルー

2018年11月22日 | 釧路



 滅美ル ー滅びの美学ビルー



 釧路の中心街である北大通には、駅前を始めとしてたくさんの廃ビルが存在します。

 人口の減少、基幹産業の斜陽化などによる景気低迷の影響で後継テナントが決まらず、長い年月、野ざらしにされて建物の老朽化が先鋭化し、芸術性を帯びた廃ビル。

 それが、”滅びの美学ビル”、略して“滅美(ビ)ル”なのです――。








  旧ホテルオーシャン



 1972年12月に映画館やボーリング場、ビジネスホテルなどが入った複合商業施設パルコとして開業しましたが、2005年に倒産。

 その後、2007年にビジネスホテルにリニューアルされましたが、北大通に続々と建設されるホテルとの競争激化により、2012年末に廃業しました。

 その後は後継テナントが決まらず、そのまま廃ビルとなっています。











・旧ホテルオーシャン
 釧路市黒金町13丁目26



  旧足立第3駅前ビル



 ロッテリア釧路駅前店などのテナントが入っていたビル。「和商市場」という北海道を代表する観光名所のすぐ横にある廃ビルが長年放置されています。












  旧釧正館ビル



 釧路駅前の一等地に建っている廃ビル。1階と2階が店舗で、3階から6階がビジネスホテルだったようです。

 窓に“テナント募集中”という貼り紙が貼っていましたが、“募集中”の部分の窓ガラスが割れて板が打ち付けられ、“テナント”のみになっています。

 廃ビルになって10年以上が経過していると思われます。













 なお、1984年公開の「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」の冒頭では、廃ビルになる前の「釧正館ビル」が映っています。





  旧丸ト北村



 かつては、1906年創業の老舗百貨店でした。

 衣料品を全般に強みを持つ釧路では有力な百貨店の一つへと成長しましたが、競合激化による売上不振で2000年2月29日に閉店。

 現在は、老朽化が進んで外壁が剥がれ落ちて危険なため、建物周辺がバリケードで覆われています。




















・旧丸ト北村
 釧路市北大通4丁目6



  旧丸井今井釧路店別館














・旧丸井今井釧路店別館
 釧路市北大通5丁目2



  旧日本通運釧路支店



 1987年のゼンリン住宅地図で調べてみると、日本通運釧路支店と書かれていました。













・旧日本通運釧路支店
 釧路市北大通4丁目



  旧丸井今井釧路店



 1968年6月30日にオープンした丸三鶴屋新館でしたが、1996年8月31日に閉店。

 同年10月4日に丸井今井釧路店がオープンしましたが、2006年8月20日に閉店。その後、「ショッピングセンターKute」としてオープンすべく外観をリニューアル。

 しかし、テナントが集まらず、オープンを控えたまま閉店したようです。

 その後、後継テナントが決まらないまま、末広町という釧路一の繁華街に恐竜の屍のごとく居座り続ける巨大な廃ビルとなっています。
























・旧丸井今井釧路店
 釧路市末広町4丁目3


  旧衣料品店



 末広町パステルパーク立体駐車場の斜向かいにある昔、衣料品だったと思われる建物。シャッターの錆びれ具合に、月日の流れを感じさせます。








  旧オクノデパート



 末広町パステルパーク立体駐車場の横にある建物の階段が錆びついています。

 この建物は、1970年10月23日に「そうごデパート」としてオープン、その後、1978年に「オクノデパート」と改称して営業していましたが、2001年に閉店。

 その後2012年8月に「幣舞ふれあいホール」として営業していましたが、こちらも閉業してしまったようです。










  巴人道跨線橋



 駅前と駅裏を結ぶ歩道橋。かなりの年月が経っており、錆だらけになっています。





















  駅裏



 駅裏にも、朽ち果てた建物がたくさん放置されています。新橋共栄大通、新橋大通も衰退が著しくなっています。

 ゼンリン住宅地図によると、昔はお店が密集して賑わっていたようです。



[出典] ゼンリン住宅地図(釧路市) 1987年




































  鉄北センター



 駅裏には、鉄北センターという商店街があります。

 1967年頃に誕生し、最盛期には周辺を含めて100店以上が軒を連ね、漁師や国鉄・JR職員たちで賑わっていました。

 しかし、漁業の衰退などによって次々と閉店し、現在営業しているのは5店のみで、潰れたお店の建物も朽ち果てたままになっています。

 この場所だけ時代から取り残され、時間が昭和で止まった異空間のようでした。ちなみに、黒白柄の野良猫が数匹住み着いていました。


















  編集後記



 全国各地に残された廃墟にはファンが多く、廃墟ブームが度々繰り返されてきました。

 2021年5月には、“廃墟の女王”と呼ばれる神戸市の旧摩耶観光ホテルの廃虚が、国の登録有形文化財に決まりました。

 朽ちてゆく建物の姿に私たちが魅力を感じるのは、そこに“滅びの美学”を感じるからでしょう。

 ⇒廃墟、朽ちゆく美しさ 「聖地」マヤカン、観光資源に


 通常であれば、店舗が閉店するとすぐに別なテナントが入って建物がリノベーションされて、建物も朽ちることなく存在し続けます。

 しかし、後継テナントが決まらず、長い年月放置されて建物の老朽化が先鋭化し、芸術性を帯びるようになった廃ビルが北大通にはたくさん存在しています。

 そんな中で、新しく建設されるビルもあり、新設ビルと老朽化しきった廃ビルとのコントラストによって建物の老朽感が際立っています。

 釧路市として、今後もこうした廃ビルに対してアクションを起こせないのであれば、観光振興に活用すればいいと思います。





 要は、それらの廃ビルを釧路のマニアックな観光名所としてPRするということです。

 高性能のカメラ付きスマートフォンやミラーレス一眼レフが普及し、『インスタ映え』なる言葉も作られる今、バズる可能性を秘めていると思います。

 今回の写真はスマホで撮影したものなので、画素数の高い一眼レフであればもっと芸術性の高い写真を撮ることができると思います。

 ”肉を切らせて骨を断つ”ではないですが、ピンチをチャンスに変えるためにも、八方塞がりに陥っている今の釧路がとるべき方策の一つなのかもしれません。

 現状に危機感を持って、なりふり構わない施策を打ち出していかないと、夕張のような状況になってしまう可能性が無きに非ずだと思います――。



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