
尾崎豊の生家(朝霞)
尾崎豊は練馬の都営住宅で幼少期を過ごした後、小学5年生の時に朝霞に建てた一軒家に引越しています。
同時期に、兄の康さんが使わなくなったアコギの練習を始めたため、この家はアーチスト・尾崎豊の誕生の地ともいえるでしょう。
そんな尾崎の生家が売りに出されている (更地にして引き渡し) ということで、2009年に線香を上げさせてもらった時の様子を紹介します――。
[出典] LIFUL HOME'S
外観

尾崎は1976年8月20日、健一さんが埼玉県朝霞市に建てた一軒家に引っ越しました。
健一さんが材木屋で働いていた時の友人が朝霞で建築会社を営んでいた縁で、相場の半値で建ててもらったそうです。

二階の左側が尾崎の部屋で、右側が康さんの部屋。玄関を開けると廊下の先に階段があり、階段の頂上の左右に部屋があります。

玄関にある石畳には、尾崎によって、ビリー・ジョエルの『Honesty』の歌詞が刻まれていました。(15歳の時に書いたようです)

こちらの写真は、青学高等部1年生の時、家の門の前で通学前にポーズをとっている尾崎。

1階
玄関を入ってすぐ左側の部屋がリビングダイニングになっていて、入口から見て右奥に尾崎豊の遺影がありました。
線香を上げさせてもらった後、健一さんと色々とお話させて頂きましたが、映像や写真でよく見ていた人が目の前にいて、ちょっと不思議な感じでした。
来訪したファンにいつもラーメンの出前をとっていたそうですが、ラーメン屋が配達をしなくなったためラーメンは食べれずじまい。。
なお、キッチンの壁には、尾崎が書いた自戒の貼紙が掲示されていました。
2階
尾崎豊が少年時代からデビュー後にかけて使っていた部屋。
階段を登って左側にあるこの部屋は、今は健一さんが寝室として使用しているため、ここ数年はファンの人には見せないようにしていたとのこと。
机の上に積もっていた埃を払うと、少年時代の尾崎豊によって刻み込まれたあの“I Love you”と“Rock'n Roll”の文字が目の前に。
数冊のアルバムも置いてあり「見てもいいよ」といわれたけど、何ともいえない罪悪感に襲われて、1ページだけ見て静かにアルバムを閉じました。。
(写真に写っているメロンは健一さんから頂いたもの)
ちなみに、尾崎の部屋へと続く階段の上には、本棚が設置されていたようです。(当時は気付かなかった)
・尾崎豊の生家(朝霞)
埼玉県朝霞市溝沼4丁目4-2
※東武東上線「朝霞台駅」「朝霞駅」から徒歩約20分
編集後記
「十代の教祖」と呼ばれたカリスマの家は、どこにでもある普通の民家でした。
尾崎豊が使っていた部屋も何の変哲もない一般的な部屋で、伝説のロックスターが勉強や曲作りに勤しんでいたとは思えない普通さでした。
尾崎家に生まれた少年に備わっていた音楽の才能と鋭い感性が、彼にあの様な輝かしくも壮絶な人生を歩ませたのかと思うと、才能とそれに群がる人間社会の恐ろしさを感じました。
【アーチスト・尾崎豊の原点】
朝霞に引っ越した尾崎は、「東京出身の転校生」ということで女子に人気になり、それを妬んだクラスメイトにいじめられるようになりました。
その状況に嫌気がさした尾崎は、朝家を出て、共働きの両親が仕事に出た後に家に戻るという登校拒否生活を、半年間ほど続けていたそうです。
その際、自室で兄の康さんが使わなくなったアコースティックギターの練習をするようになり、アーチスト尾崎豊へと成長していきました。
そんな尾崎豊の人生がつまった朝霞の生家が取り壊されるというのは、ファンとしてはなんともやりきれない思いで一杯です。
【出典】「尾崎豊 永遠の愛と孤独」
「尾崎豊ゆかりの地 / 朝霞」「尾崎豊の生家跡 (練馬) 」