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【創立60周年】「円谷プロダクション初代本社 / 怪獣倉庫」跡地

2023年04月12日 | 日本文化


 円谷プロダクション初代
本社(怪獣倉庫)



 小田急線「祖師ヶ谷大蔵駅」から程近い場所にあった円谷プロダクション初代本社。

 2008年2月に閉鎖、解体されるまで、この場所でウルトラマンを始めとした様々な作品を生み出し、日本中、世界中の子供たちに夢と感動を与え続けました。

 “円谷プロダクション創立60周年”を記念して、ウルトラファンにとっての伝説の聖地について、簡単に紹介させて頂きます――。







 特殊映画研究所



 1948年3月31日、東宝撮影所を依願退職した円谷英二氏。

 『ハワイ・マレー沖海戦』を始めとした戦時中の戦意高揚映画の制作などを理由に、GHQから公職追放の指定を受けて、特殊技術課が解散したためです。


  


 同年、祖師谷の自宅の敷地内に平屋のプレハブ小屋を建てて「特殊映画研究所」(名称は諸説あり)を設立し、映画各社の特撮部分の下請けを始めました。

 研究所は円谷英二邸の正門を入って左側、旧円谷一邸があった場所にあったようです。






 円谷特技研究所



 1950年10月、東宝に復帰した森岩雄によって所内に部屋を貰った英二氏は研究所を移設。
 
 その後、1952年2月に公職追放解除となって東宝に復帰した英二氏は、1954年公開の怪獣特撮映画『ゴジラ』に特技監督として参画して大ヒットを記録。


      


 ドル箱となった東宝特撮の撮影で多忙となった英二氏は1956年、自宅敷地内の研究所を再開する形で「円谷特殊技術研究所」を設立。

 研究所内には、1ヘッドのオプチカルプリンターや線画台、ミッチェル撮影機、コマ撮り用の機械が設置されていました。

 東宝の現場では出来ないような手間や時間のかかる合成やコマ撮りなどを、研究所の弟子たちが行っていました。

 『キングコング対ゴジラ』(1962年)の大ダコが人を掴まえるシーンや、ゴジラが飛び上がってキングコングを蹴り飛ばすシーンのコマ撮りもここで行われました。





 円谷特技プロダクション



 “東宝から独立して、自らが求める特撮映像をより追求したい”

 1963年4月12日、英二氏61歳の時、私設研究所だった円谷特殊技術研究所は「株式会社円谷特技プロダクション」として会社登記されました。

 祖師谷の住宅街の片隅で、世界に冠たる「円谷プロダクション」が産声を上げたのです。





 特技プロには、特撮技術の高野宏一氏、佐川和夫氏、光学合成の中野捻氏、企画・文芸の金城哲夫氏、特撮美術の深田達郎氏らが入社。

 『ウルトラQ』『ウルトラマン』『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』『マイティジャック』『怪奇大作戦』などの円谷作品を支えました。

 特技プロの社屋は『UNBALACE (ウルトラQ) 』が決まる直前に、東宝撮影所の映写室の横にあった映写技師の控室の一角に移ったそうです。





 そして、1964年3月に東宝が資本参加することになり、東宝の衣装部である京都衣装の倉庫が社屋として提供されることになりました。

 この建物こそ、2005年まで円谷プロダクションが本社を構えていた社屋です。

 満田かずほ氏によると、1964年の暮れ辺りに砧の社屋に移り、「ようやく広くなって会社らしくなった」と思ったそうです。



[出典 Facebook | 大石一雄]


 1968年には社名を「円谷プロダクション」に変更し、この場所でウルトラマンを始めとした様々な作品を生み出し続けました。

 2005年の本社移転後は、砧社屋として 怪獣の着ぐるみ等の展示やCG製作、試写室などに利用されていました。

 そして、2008年にその役目を終えるまで、世界中の子供達に夢と感動を与え続けたのです。





 なお、現在の円谷プロのロゴマークは、円谷特技研究所の看板を作る際に、中野稔氏によってデザインされました。

 ツブラヤの“ツ”の字を線で繋ぎ、飛翔や上昇の願いを込めて右肩上がりにしたもので、紙飛行機にも見えるデザインを英二氏は大変気に入ったそうです。

 

 

 円谷プロ建屋の雰囲気



 円谷プロダクション建屋の雰囲気は、関係者の自伝本の中でも描かれています。

 『ウルトラマン』のフジ隊員役・桜井浩子氏や、『ウルトラセブン』のアンヌ役・ひし美ゆり子氏の面接もここで行われました。


【不思議なにおい】

 世田谷の砧、東宝撮影所のちかくにある円谷プロダクションには、二十数年を経た現在でも、ぼくたちを引き寄せる不思議なにおいが満ちあふれている。

 その魔力をなんと形容したらいいのだろう。





 ツ・ブ・ラ・ヤという名前にこめられた呪文のような夢の鍵が、いまだに、その場所には保管されているような感じだ。

 むかし、あの夏の夕方、一さん(英二氏のご長男)たちと蛾の襲来にさわいだ場所は、時間をこえて、そのままのたたずまいだ。

 文芸部の扉を開けると、かつての仲間たちが呼吸をしているような錯覚にとらわれる。


 [出典]『ウルトラマン誕生 / 実相寺昭雄・著



[出典 Facebook | 大石一雄]



【こぢんまりとした教員室】

 私が円谷プロダクションをはじめて訪れたのは昭和63年の2月、寒い日の朝だった。

 モルタルづくりの事務棟のガラス戸を押し開け、板ばりの廊下に足を踏み入れたとき、懐かしい思いはもっとはっきりしたものになった。





 事務室は二、三十年前まで、この国のどこにでもあった村の小学校の、こぢんまりとした教員室を思い出させたからである。

 そこには当世流行のアルミサッシではない木枠のガラス窓があり、すりガラスをとおして陽光がやんわりと室内にさし込んでいた。


 [出典]『ウルトラマン昇天ーM78星雲は沖縄の彼方 / 山田輝子・著



【職人の会社】

 当時の円谷プロの社屋は、お世辞にも綺麗といえるような建物ではなかった。

 一歩足を踏み入れるとそこには、映画『海底軍艦』に使用した船や飛行機の模型、ミニチュアセットが無造作に置かれていて、“職人の会社”というのが第一印象だった。




「おはようございます!佐原健二です。東宝から来ました」

 すると、今までそこでずっと下を向きながら何かのミニチュアを必死に作っていた三人のスタッフ全員が、私のほうを同時に見た。

 (中略)

 ひとりの男が少し小走りに、明るい顔をして出てきた。それが、金城哲夫だった。金城さんは私を見つけるなり、元気よく話し始めた。


 [出典]『素晴らしき特撮人生 / 佐原健二・著



【ずいぶん古い家】

 世田谷区・砧の東宝撮影所を出ると、左手に小川が流れていた。

 その川を渡り左へ曲がると、ゆるやかな登り坂になっている。そして、その坂を10mほど行くと、右側に円谷プロダクションがあった。





 ――ずいぶん、古い家だわ――

 木造モルタルの平屋は、どう見てもプロダクションという感じはしなかった。かろうじて、新しい表札ができたばかりのプロダクションであることを示していた。


 [出典]『ウルトラマン青春期 フジ隊員の929日 / 桜井浩子・著






【古びた建物】

 円谷特技プロダクションは閑静な住宅街にありました。

 路地を曲がるとすぐ右側に車と階段の入り口が2つあって、「え~っ、ここがぁ?」と思うほど古びた建物です。

 時間前に着いた私は恐る恐る社屋の庭に建つ。ここは何かの古い跡地なのか?平屋で長屋風の建物が逆L字型に建っていた。

(中略)

 試写室を出た、太陽が眩しかった。

 まずはそのままの衣装で撮るからと、キャメラマンが会社の敷地を出て、目の前の空き地に案内された。ヒメジョオンや雑草の生い茂った原っぱだった。


 
 [円谷特技プロダクション周辺(1963年)]


(中略)

 「それでは、奥の部屋で隊員服に着替えてきてください」
 「あっ、はい」
 「森次さんは、そのままちょっと待っててください。菱見さんが着替えたら一緒に写真を撮ります」

 こうして末代まで残る世紀の写真を撮ることになろうとは、誰もわかっていなかった。


          


  [出典]『アンヌ今昔物語 ウルトラセブンよ永遠に… / ひし美ゆり子・著


 円谷プロ建屋内部



 往時の円谷プロダクション建屋の内部について、色々な著書で紹介されています。

 『ウルトラマン』のころは、入り口を入るとすぐ右手に制作部の大部屋があり、一切の管理をしていた本丸だった。

 そして左手に真っ直ぐ廊下が伸びていて、その廊下の両側に、ネガ編集、ポジ編集、光学などの部屋があった。(中略)

 そして、その廊下から別棟をつなぐように数段高くなったところに、社長室、文芸部、試写室などがあったのだ。(中略)
  
 当時の円谷プロには、なんとなく分教場の教員室、といった雰囲気があった。木造校舎と同じ匂いを嗅いだものである。

 ただ、壁に各監督が使用したフィルムの使用量を表示したグラフが貼られており、それがわたしには、ちょっぴりイマイマしいグラフだった。
 


[出典 大怪獣戦30怪獣大あばれ!!(1966年) ]


【ヒーロークイズ大百科PART3】

 かつて存在したケイブンシャが発行した「ヒーロークイズ大百科PART3」には、1980年頃の貴重な円谷プロの内部写真が掲載されています。

 事務所の黒板には『ウルトラマン80』の放送リストが書かれており、役員室には円谷英二氏の写真が飾られていました。






 怪獣倉庫



 倉庫内に本編やイベント用の怪獣スーツが保管されていたため、”怪獣倉庫”と呼ばれて多くの特撮ファンたちに聖地として親しまれていました。

 当時のスタッフたちは訪れたファンを快く迎え、自由に見学させてくれたそうです。

 過去作品の小道具を管理する概念が無い時代だったため、怪獣倉庫に遊びにきた子供に、ウルトラ警備隊の衣装や小道具をあげたりしていたとか。


  




 1989年3月放送の「ウルトラマンを作った男たち」で使われたスカイドンやウー、シーボーズなどの怪獣スーツも保管されていたようです。



[出典 @hiro28409755 | Twitter]


[出典 @hiro28409755 | Twitter]


[出典 @hiro28409755 | Twitter]


[出典 @hiro28409755 | Twitter]



 なお、現在プロとして活動している下記の方々は、怪獣倉庫の常連出身だそうです。

 ・『ガメラ』の特殊造形を担当した特殊メイクの第一人者「原口智生
 ・平成『ゴジラ』シリーズの敵怪獣の造形で知られる「品田冬樹
 ・ウルトラ怪獣のソフトビニール人形製造の大手メーカーM1号の社長「西村祐次」



【ロケ地としての怪獣倉庫】

 怪獣倉庫は『ウルトラファイト』の「怪獣モルグ」の撮影場所や、森次晃嗣氏とひし美ゆり子氏のインタビュー場所にもなっています。





 また、『ウルトラマンマックス』第24話「狙われない街」で、メトロン星人と隊員が話をするシーンにも使われました。





 なお、『ウルトラセブン』第11話「魔の山へ飛べ」で、ダンの魂と肉体が合成されるシーンは円谷プロの試写室が舞台になっています。






【映像で見る怪獣倉庫】

 最後に、怪獣倉庫の内部を潜入取材した貴重なVTRを見つけたので紹介させて頂きます。

 両方とも2007年にリニューアルされる前の円谷プロ設立当時からあるもので、往時の怪獣倉庫の雰囲気を感じられます。






 本社から砧社屋へ



 2005年4月にTYOに買収された円谷プロダクションは、本社を世田谷区八幡山に移転。

 初代本社は改装され、「キヌタ・デジタル・シンフォニー」というウルトラ戦士や怪獣の着ぐるみ等の展示やCG製作に利用されることになりました。

 怪獣倉庫は2007年にリニューアルされ、見学ツアーも行われていたようです。









[出典 @MasaHI521 | Twitter]



 円谷プロダクション初代本社の最期



 本社移転後も円谷プロ砧社屋として存続していましたが、経営効率化による拠点集約のため、2008年2月での閉鎖が決定。




 建屋は翌年4月に取り壊され、日本が誇る国民的特撮作品を生んだ伝説の聖地は、惜しまれつつその歴史の幕を閉じたのです。

 「勢いとパワーで今も残る作品が作れた。時代が流れて古い建物がなくなっても、また新たに長く残る作品を作ればいい」

 『ウルトラマン』で科学特捜隊のフジ隊員役を務めた桜井浩子氏は、そう話した――。

 
 
 
 
 
 
【エピローグ】
 
 そう、あれは『ウルトラマン』の終盤近くか、円谷プロの文芸部で、英二さんを中心に特撮王国の夢を喋ったことがあった。
 
 もちろん、一さんもいた、金城哲夫さんもいた、大伴昌司さんもいた、上原正三さんもいた、他にスタッフ達もいたと思う。
 
 あの頃は、何人かで集まれば、ディズニーにも対抗せんとする一大王国建設への青写真を語り合っていたものだ――。
 
 
 ー 夢の王国断章 / 実相寺昭雄 (円谷英二の映像世界より) ―
 
 
 
 
 

 

 編集後記



 円谷プロ初代本社では、伝説の番組にまつわる様々な歴史的な出来事が繰り広げられました。

 1964年の晩秋、TBSプロデューサーの栫井巍(かこい・たかし)氏は、『ウルトラQ』を怪獣路線に変更することを円谷プロの事務所で市川支配人と金城氏に伝えました。

 主演の佐原健二氏は、番組のタイトルが『UNBALANCE』から『ウルトラQ』に変わることを円谷プロで円谷一氏から聞いています。





 また、『ウルトラQ』のロケは、円谷プロの駐車場から小型のバスで出発していました。

 しかし、スタッフやキャストでギュウギュウ詰めで補助席も満席になるほどで、椅子に座れずにロケ現場で立ちっ放しのスタッフもいたとか。

 そして、ウルトラマンのスーツアクター・古谷敏氏は、撮影が始まる前に円谷プロでウルトラマンの最終デザインの小型の像を見せられました。

 「これに俺が入るのか」と思うと同時に「きっと当たる」との予感が走り、得体の知れない力が湧くのを覚えたそうです。





 また、デザイナーの成田亨氏は、打ち合わせはいつも文芸企画室という部屋で行っていて、デザインルームもあったそうです。

 円谷英二監督も東宝撮影所から円谷プロによく立ち寄って、特撮スタッフ達に難しい宿題を与えて出来ていないと怒ったりしていたとか。

 前触れもなく立ち寄った時などは、スタッフの顔色がサッと変わったといいます。



[出典 Facebook | 大石一雄]


【伝説の場所】

 世界に誇る伝説の作品を生み出した伝説の建物があった場所にも関わらず、跡地周辺にはその功績を顕彰する記念碑などはありません。

 円谷プロ本社の敷地にあったブロック塀と同じものが小道を挟んだ右側にもあり、往時を偲ばせる唯一の歴史物といえます。





 「クール・ジャパン戦略」を国策としている国において、世界に誇る伝説の作品を生んだ伝説の建物があった場所に敬意が払われていないのは悲しいことです。

 円谷プロ初代本社の功績、歴史的価値が再評価されて、跡地周辺に記念碑が建立されることを願ってやみません。


【CSRと利害関係者】

 ウルトラシリーズを生み出した場所への記念碑建立は、昨今重要性が増している企業の社会的責任(CSR)の観点からも求められているといえるでしょう。

 CSRとは、企業に社会的公正や環境などへの配慮や、従業員、投資家、地域社会などの利害関係者に対して責任ある行動をとることを求める考え方のこと。
 





 つまり、ウルトラシリーズを生み出した場所に建物を建てた会社は、否が応でもウルトラファンが利害関係者になるため、彼らへの配慮が必要になるのです。

 そのため、それらのファンの気持ちを無視した経営を続けることはCSRを果たしていないことになり、企業価値を下げることに繋がっているといえます。



【世界規模でのウルトラ人気】

 円谷プロダクションの公式Youtubeチャンネルの登録者数は、250万人を突破しています。

 チャンネルには、世界各国の老若男女が登録しており、ウルトラ人気はすでにワールドワイドなものになっています。




 この250万人ものファンたちが神聖視して大切にしている場所への記念碑建立に協力すれば、企業価値や企業イメージが世界規模で高まることは必至です。

 そして、ウルトラファンは永続的に世界規模で増えていくので、永続的に企業価値を高める続けることができるのです。



【実寸大での復元の夢】

 円谷プロ初代本社の建屋は、2005年の本社機能移転時に取り壊しの動きがありましたが、円谷一夫氏の尽力によって砧社屋として使用することになったそうです。

 以下、「ウルトラマン誕生 / 実相寺昭雄・著」より引用させて頂きます。

 
 かの豊島区のトキワ荘が消滅したことに危機感を抱いたものたちは、世田谷の文化遺産をどうすればいいのか、マスコミを通じてバラバラだったが同時多発的な声を上げ始めた。

 しかし、現実的に動く会社を採算を無視して、純粋な思いだけで守ることはできない。

 そんな中で旧本社を残し、"砧社屋"として形を壊さず、将来の円谷博物館という夢も内包しつつ、編集室や試写室などの入る場所として使っていく方向に決めたのは一夫会長の努力であった。

 この建物が失われれば、円谷を取り巻いていた"気”も失せる、と思っていた私はとりあえずの保存を一夫さんに祝福した。



 しかし、抱えていた負債の大きさから建屋の存続は叶いませんでした。





 そんな中、豊島区のトキワ荘が昨年、マンガミュージアムとして実際に建っていた場所からほど近い場所に実寸大で復元されました。

 円谷プロ初代本社もトキワ荘に匹敵する文化的価値があり、社屋を生で観ることが叶わなかった日本中、世界中の人たちの需要も見込めます。

 伝説の建物を実寸大で復元した施設がオープンされれば、多くのウルトラファンは歓喜することでしょう――。


 
・円谷プロダクション初代本社跡



【出典】「特撮の神様と呼ばれた男」「翔びつづける紙飛行機 特技監督 円谷英二
    「私の芸界遍歴」「素晴らしき特撮人生」「日本特撮技術大全
    「Wikipedia」「@Nakaken_UPAL | Twitter」「@momk12 | Twitter
    「ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか?」「ウルトラマン ベストブック
    「不滅のヒーロー ウルトラマン白書」「ヒロコ ウルトラの女神誕生秘話
    「“特撮の神様”円谷英二と円谷プロダクション初代本社
    「ありがとう夢工房 円谷プロ砧社屋 ~ウルトラマンと共に歩んだ40年~


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