小説・鉄槌のスナイパー・一章・NOー(5)CG
そして玉をレーンに入れて打ち始めた。するとまたフィーバーして連ちゃんして時間を忘れるほど熱中していた。
そして気が付くと十箱も出していた、時計を見ると午後二時を回っていた。
「もうこんな時間か、オバサン残りは使って下さい」。下の皿に溜まった玉を出して残りはおばさんにやった。
「アリガトウね、じゃあ打たせてもらうよ」と嬉しそうに席を代わった。
そして台車を借りて景品交換所に向かった。すると、抱える程のバンドを交換所へ持っていった。計算すると、五百円で十万以上も稼いでいた。
店員に交換所を聞くとへ景品を抱えるように持って店をでた。
駐車場にある小屋、駐車場の片隅に小さなプレハブ小屋があった。
窓口一杯に景品を置くと、両手で数えながら金額を口で言い、十万円を先に渡すと一万五百円差し出した。
有難う御座いました。こんな事もあるのか、快感だった。
通りに出るとタクシーを拾ってアパートに向かった。
そして石田街沿いのコンビニに寄って暖かい飲み物とスナック菓子、弁当を買ってアパートに向かった。
すると、もう引っ越しセンターのトラックが到着していた。
タクシーがアパートの前で止まるとトラックから三人の男立ちが降りて来た。それは夕べ来た人達だった。「済みません、ご苦労様です」。
部屋を開けて何を何処へ降ろすか責任者と相談した。
次々と家具が降ろされて行った。すると責任者が粗品を持ってアパートに挨拶回りをしているのだった。
私はそれを見て驚いた。今時の引っ越しセンターでは挨拶回りまでしてくれるのか。私は部屋に入るとタンスから封筒を三枚取り出して五千円づつ入れた。
そして一服して貰うように話し、買って来たジュースとスナック菓子を出した。「少ないですけど気持ちです、タバコでも」と封筒を一人一人に渡した。
「済みません、では遠慮なく」もう少し多くても良かったかな、そう思いながら喜ぶ顔を見ていた。
そして午後五時には総ての家具が入った。
そして請求書が渡され、私は遠慮しないようにと大目に払い、残りは夕食代にしてくれと告げた。
「しかし、此れでは頂過ぎです」。
「此れは会社の経費ですから、自分の腹は痛くありませんので」。
すると責任者は勉強しない正規の額の領収書を別に切った。
「此れなら少しは近藤さんにもお小遣いが出来ます、有り難うございます。では遠慮なく頂戴します」。
私は買って来たジュースとスナック菓子を袋ごと渡した。すると、若い作業員は嬉しそうに抱えてトラックに乗り込んだ。
「有り難う御座いました、では失礼します」。
そして、パ~ン、とクラクションを鳴らすと長野に帰って行った。
誰もいなくなって静まり返った部屋、私は机に向かってバソコンで引っ越しに掛かった経費の計算をして本社の経理にメールを送った。
此れで年明けの五日まで何もする事がなくなった。
夕飯の材料でも買いに行くか、スーパーへ出掛けて材料を買い込んでアパートに戻った。そして米を研いで炊飯器にセットした。
するとチャイムが鳴った、出ると真っ白な髪をして年の多い新聞屋さんだった。
私は二つ返事で了解した。出された申し込み用紙に書き込んでいると、おじさんは出て行った。そして直ぐに戻って来た、
手には紙袋を下げて、「此れをどうぞ」。中には洗濯洗剤、ママレモンなどが入っていた。そして一月分はサービスすると言うのだ。そして今日の朝夕刊を置いて帰って行った。
私にも新聞屋のおじさんの気持ちは良く分かっていた。私も営業一本でやって来て営業の辛さは身に染みていた。
すると、ピッピッピッと炊飯器がご飯が炊けた事を知らせた。
冷蔵庫には引っ越し前に買った物がそのまま入っていた。適当におかずを作って夕食を済ませた。
こうして一人の寂しい年越しを向かえる事になった。
何もする事もなく、街に出でビデオを借りてアパートで観ている毎日だった。
そして三十一日、紅白も年事につまらなくなっていた。と言うより、歌手を知らないから観ても楽しくないのだ。この五~六年は観てはいなかった。
NO-5-10
そして玉をレーンに入れて打ち始めた。するとまたフィーバーして連ちゃんして時間を忘れるほど熱中していた。
そして気が付くと十箱も出していた、時計を見ると午後二時を回っていた。
「もうこんな時間か、オバサン残りは使って下さい」。下の皿に溜まった玉を出して残りはおばさんにやった。
「アリガトウね、じゃあ打たせてもらうよ」と嬉しそうに席を代わった。
そして台車を借りて景品交換所に向かった。すると、抱える程のバンドを交換所へ持っていった。計算すると、五百円で十万以上も稼いでいた。
店員に交換所を聞くとへ景品を抱えるように持って店をでた。
駐車場にある小屋、駐車場の片隅に小さなプレハブ小屋があった。
窓口一杯に景品を置くと、両手で数えながら金額を口で言い、十万円を先に渡すと一万五百円差し出した。
有難う御座いました。こんな事もあるのか、快感だった。
通りに出るとタクシーを拾ってアパートに向かった。
そして石田街沿いのコンビニに寄って暖かい飲み物とスナック菓子、弁当を買ってアパートに向かった。
すると、もう引っ越しセンターのトラックが到着していた。
タクシーがアパートの前で止まるとトラックから三人の男立ちが降りて来た。それは夕べ来た人達だった。「済みません、ご苦労様です」。
部屋を開けて何を何処へ降ろすか責任者と相談した。
次々と家具が降ろされて行った。すると責任者が粗品を持ってアパートに挨拶回りをしているのだった。
私はそれを見て驚いた。今時の引っ越しセンターでは挨拶回りまでしてくれるのか。私は部屋に入るとタンスから封筒を三枚取り出して五千円づつ入れた。
そして一服して貰うように話し、買って来たジュースとスナック菓子を出した。「少ないですけど気持ちです、タバコでも」と封筒を一人一人に渡した。
「済みません、では遠慮なく」もう少し多くても良かったかな、そう思いながら喜ぶ顔を見ていた。
そして午後五時には総ての家具が入った。
そして請求書が渡され、私は遠慮しないようにと大目に払い、残りは夕食代にしてくれと告げた。
「しかし、此れでは頂過ぎです」。
「此れは会社の経費ですから、自分の腹は痛くありませんので」。
すると責任者は勉強しない正規の額の領収書を別に切った。
「此れなら少しは近藤さんにもお小遣いが出来ます、有り難うございます。では遠慮なく頂戴します」。
私は買って来たジュースとスナック菓子を袋ごと渡した。すると、若い作業員は嬉しそうに抱えてトラックに乗り込んだ。
「有り難う御座いました、では失礼します」。
そして、パ~ン、とクラクションを鳴らすと長野に帰って行った。
誰もいなくなって静まり返った部屋、私は机に向かってバソコンで引っ越しに掛かった経費の計算をして本社の経理にメールを送った。
此れで年明けの五日まで何もする事がなくなった。
夕飯の材料でも買いに行くか、スーパーへ出掛けて材料を買い込んでアパートに戻った。そして米を研いで炊飯器にセットした。
するとチャイムが鳴った、出ると真っ白な髪をして年の多い新聞屋さんだった。
私は二つ返事で了解した。出された申し込み用紙に書き込んでいると、おじさんは出て行った。そして直ぐに戻って来た、
手には紙袋を下げて、「此れをどうぞ」。中には洗濯洗剤、ママレモンなどが入っていた。そして一月分はサービスすると言うのだ。そして今日の朝夕刊を置いて帰って行った。
私にも新聞屋のおじさんの気持ちは良く分かっていた。私も営業一本でやって来て営業の辛さは身に染みていた。
すると、ピッピッピッと炊飯器がご飯が炊けた事を知らせた。
冷蔵庫には引っ越し前に買った物がそのまま入っていた。適当におかずを作って夕食を済ませた。
こうして一人の寂しい年越しを向かえる事になった。
何もする事もなく、街に出でビデオを借りてアパートで観ている毎日だった。
そして三十一日、紅白も年事につまらなくなっていた。と言うより、歌手を知らないから観ても楽しくないのだ。この五~六年は観てはいなかった。
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