三好キリスト教会(Miyoshi Christ Church)

愛知県のみよし市(三好町)にある小さな教会の案内です。
まだ小さいですが皆様のお越しを心からお待ち申し上げています。

元旦だって礼拝です

2011年01月01日 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。

新年の最初は元旦礼拝です。
10年前に、この場所で三好教会が始まった時も、元旦礼拝から始まりました。

今日の元旦礼拝は、10年前と同じぐらい少ない人数で行いました。


メッセージの聖書の箇所はⅠ列王記19章、エリヤがバールの預言者と対決して、完全勝利を収めたはずなのに、洞穴に逃げなければ行けない状態であった時に、神さまが現れて下さった場面。

私たちは目の前の勝敗、状況に捕らわれすぎることが多い。そして目の前の状況が良ければ気分が良くなり、「運がいい」などと言い、悪ければ落ち込む。
今日も多くの人が「初詣」に行き、2951(福来い)などと言って賽銭を投げ入れたりしている。
しかし、私たちを作った天地万物を作った神さまは、すでに一人一人に良いものを与えている。だから、「福来い」などと言う必要などは無い。

問題なのは、テレビや雑誌や色々な雑多な情報が飛び交う中で、私たち一人一人が、その神さまからのメッセージをちゃんと受け止めているかどうか。

エリヤが最悪の状況の中で神さまのメッセージをもらったのは、地震の中では無かったし、大風の中でも無かった。私たちはそのような「大きな出来事」に目を留めがち。しかし、神さまはそのいずれにも存在しなかった。
その後の「かすかな細い声」の中に存在していた。

私たちはその細い声を受け止めているだろうか。

また、新年のこの時期は、「今年一年の抱負」という目標設定をよく行ったりします。
この一年、またこれからの数年、どういう風にしていきたいか、そのような幻を持つことは、大変すばらしいことです。その為に頑張ることも大事でしょう。
でも、もっと大事なのは、「自分の目標」ではなく、「神さまからどのような目標(幻)を与えられているのか」ということだと思う。

たとえば、信仰の父と称されるアブラハムは、四十を過ぎてから、神さまがすばらしい場所だから行きなさい!と言われた場所に行き、「星の数ほど子孫を与えるよ!」と言われたのに、百才になってやっとイサクが与えられたわけです。
と言うことは、自分が今どうしたい、ということではなく、神さまがわたしをどうしたいのか?と言うことを考えるべきなのです。

自分がこうしたいから、教会員を増やしたいから、恵まれたいから、だから神さま、来て下さい!というのでは、「福来い」といってお賽銭を投げている人と変わりがない訳です。

私たちが、私たちを知っている、私たちを作った神さまに従おうと言うのであれば、まず神さまが言われることに耳を傾ける、聖書を読む、そして祈ると言うことが大切になる訳です。

そして、その声は、世の中の賑やかな音にかき消されるような、「かすかな細い声」かもしれません。
でも、その細い声に耳を傾けるべきなのではないでしょうか。



礼拝後はみんなでおしるこを食べながら、ゆっくりしていきましたよ!
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1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとう! (フーアマン・ゲアハルト)
2011-01-02 02:44:45
素晴しいメッセージでした。色々な声の中から神様の御声を聞き分けることは今年の課題でもあり、毎日の課題でもあるとおもいます。
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