175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

私のバーチャル戦争体験

2004年12月23日 | Weblog
戦争映画における戦闘シーンとかを見ていつも思うのは、
「オレ、ほんと戦時中に生まれなくてよかった」ということである。
不謹慎なコメントかもしれませんが。

百歩譲って、強制的に入隊させられたり、竹やり持ってエイヤーッ!(※)みたいな訓練をやらされたりは、(苦痛以外の何物でもないだろうけど)なんとか我慢はできそう。
ただ、間違っても、戦場にだけは行きたくない。
戦場でメリークリスマスなんて言いたくない。
戦場に出たら、駒ですから。

飛んでくる砲弾とか、敵の銃弾とか、地雷とかで吹き飛ばされるヤツが、必ず何分の何かの確率でいて、しかもそれに当たるか当たらないかがあまりにも恣意的なところが、興醒めである。
で、死にかけてる戦友のそばで「衛生兵!衛生兵!」って叫ぶやつがいるんだけど、よく見たら衛生兵もヤラレチャッテル!みたいなパターンが、戦争映画ではありがちだ。

話が逸れました。
いずれにしても、そんな切羽詰った修羅場に送り込まれた日には、ですよ。
こっそり安全な場所に逃げ出せるものなら、ぜひとも脱走したい衝動に駆られるだろう。
逆に、敵に完全に包囲されて逃げ場を失ったときとかは、素で青ざめると思うし、ちびると思う。ちびるっっていうか、完全に出ちゃってると思う。

一発芸やるから許してください!とか、間違いなく通用しない。
一発芸やらされた後にズドン!とかは、ホント最悪だ。
その晩、僕を撃ち殺した敵の兵士たちは、「HAHAHA!」なんつってウイスキーを飲み、ハッパを吸ってラリっているに違いないし、そんなアメリカンなやつらも、次の日には食中毒か何かで全滅しているに違いない。

加えて、僕はビビリであるから、戦力にならないばかりか、勝手にテンパって、投げ損ねた手榴弾か何かで自爆しそうな気がする。
本来なら相当滑稽な行為だが、戦争時、誰も笑ってはくれないだろう。
その、余裕のない状況、余裕なんて持てない状況がイヤです。
それだけでも、現代の日本に生まれてよかったと思える。

極めつけは、無駄死にしたとして、それが「名誉の戦死」みたいな感じで、故郷で祭り上げられたりすること。
「いや、自分、運が悪かっただけです!」とか「毒キノコ食べて死んじゃったんです!」とか、声を大にして言いたい。
言いたいけど、遺族の立場を考えたら言えないだろうし、そもそもが死んじゃってるから何も言えない。

前回のブログでテキトーに日本を憂いてみましたが、戦争始まっちゃったらそれこそ憂いてるヒマもないわけで、
だからまあ、テキトーに憂いていられるくらいの中途半端さが、丁度よいのではないだろうか。

で、中途半端なくらいが丁度よいのではないだろうか、なんつって、あ~、ナベツネうぜぇ、とか、ブッシュうぜぇ、とか、ジョンイルぶっ殺してぇ、なんて冗談まじりにボヤいているうちに、だんだんとリアルな憎しみがわいてきちゃって、気付いた時には戦争がおっ始まっちゃってるのではないだろうか。

うーん、オチがイマイチ。


※「竹やり持ってエイヤーッ!」:これは、僕が2年時に履修していた大学の講義「コミュニティ心理学」において、先生が、ベトコンを形容する際に用いた言葉である。ちなみに、竹やりで相手を突き刺す感じの振り付きだった。余談だが、そのアクションがあまりにも唐突だったため、当時一緒に講義を受けていた僕と僕の友人は、授業中にも関わらず、失笑を禁じえなかった。