本番前にはベラルーシのテレビでもCMが流れ、ミンスクの町中にポスターが貼られた。
CMは「預言者」の公式サイト内でも見られるので、興味のある方はどうぞ。(うまく開かなかったらごめんなさい。)とにかくあやしいCMですわ。
http://www.pro-rok.ru/3_2.php
そして8月30日当日。会場のスポーツ会館前には黒山の人だかり。とにかく人がいっぱい。そこへマーサは夫の捨平と娘のはちの子(好きな歌手:トーダル。3歳からトーダルのファンと言う変な子。)の3人で分け入ったのであった。
しかしまあ、観客がこんなにいっぱいいるのに、子どもなんてはちの子(好きなお笑い芸人:よゐこの濱口優)を入れても二人しかいませんでしたね。
内容はとてもじゃないけど子ども向けではなかったです。
まず最初に新約聖書の「ルカによる福音書」第15章11節に出てくる、有名なイエスのたとえ話「放蕩息子の帰還」の冒頭部分が、ロシア語で朗読され、いろいろな外国語(ヨーロッパの言語)で、正面の大画面スクリーン(全部で3面ある)いっぱいに表示される。
CMの最後のほうにちらっと出てくる絵もレンブラントが描いた「放蕩息子の帰還」の一部分で、このミュージカルのテーマは放蕩息子らしい。
放蕩息子のたとえ話について、詳しくはこちらのサイトをご覧ください。レンブラントの絵も見られます。
http://www.worldfolksong.com/closeup/yellow_ribbon/page7.htm
放蕩息子がどうしたんだろう、と思っているうちに、そのたとえ話が載っている聖書がパタンと閉じて、よく見ているうちにゴミの山にその聖書が捨てられているのが分かる、というかなりショッキングなシーンが・・・。
そしてそのゴミの中からいきなり現れる大勢のダンサーたち。彼らはこのゴミ山で自由を謳歌している住人なのだ。(ゴミ山でゴミを拾って生活することを自ら選んだ人たち。)
そして両手にビニール袋を持って「ゴミ袋ダンス」を始める・・・。
その後、よっ待ってました! ゴミのひとつである箱の中から預言者オレイニコフが「おっす!」と言いながら登場!(観客拍手。)
そう預言者はこのゴミ山の世界の王様なのです。
そこへ杖をついた盲目の「老人」がやってきて、預言者に頼む。
「私が死んだ後、この世はどうなるのか・・・。予言してくれ。」
するとどういうわけか、預言者(ロシア語では預言者も予言者も同意語。)は予言する引き換えに、老人が今までどんな人生を歩んできたのか話すように命令する。
こうして老人の話が始まるわけだが、それが舞台上で次々と再現される。
子ども時代、母の愛に背を向けて家出。(彼もゴミ山の出身。)
そして貧乏ゆえにうらぶれた売春街で暮らすうち、出会った清純な娘との初恋。(シャガールの絵に出てくる恋人たちのように飛び回る。)
その後有名になり富と名誉を手にした青年は、人妻との不倫の恋という罪を犯してしまう。
そして殺人の濡れ衣を着せられ、投獄される。(この刑務所のセットが馬鹿でかい。)
出獄した後、ようやく本当の愛とめぐり合い・・・
とまあ、こういうふうにあらすじだけを書くと、全然おもしろくないですね。やっぱり見ないとだめだわ、何せミュージカルだし。
それにこのミュージカルの中には暗示とか象徴が多くて、観客に考えることを要求する。考えない人からすれば、話の筋は陳腐でありきたりだし、この作品が何が言いたいのかよく分からないと思う。
(そういうマーサも、聖書のたとえ話「放蕩息子の帰還」とこの作品のテーマが頭の中でもう一つきれいにひっつかない。)
たとえば、聖書(宗教)が捨てられているゴミの山は現代社会を表していて、私たち、特に都会に住んでいる現代人は、実はゴミ山の上で暮らしているようなもんではないか?と作者は問いたいわけですね。
そういう具合に家出とは何なのか、清純な初恋とは何なのか、刑務所とは何なのか、この作品の中に出てくる要素を自分なりに「変換」しながら見ないといけない。
ゴミはゴミと思って見ていても、この作品の言いたいことは伝わりません。表面しか分からない。
こういうふうに紹介すると、何だか難しそうに思えるけど、実際にはダンスあり、歌あり、曲芸ありで、すごく楽しい舞台です。(しかし刺激が強すぎるかも。ダッチワイフダンスなんてのもあったぞ。ゴム人形が生きているように見えたけど。捨平はなぜか大喜びしていた。(^^;))
舞台の様子は「預言者」の公式サイト内でたくさんの画像で見られるので、どうぞ。(しかしこの画像だけ見てもさっぱりわけが分からないかも。)
http://www.pro-rok.ru/3_1.php?dir=_images%2Fgallery%2F008
それから、この作品のハイライト、「人妻との不倫デュエット」曲(^^;)も公式サイトで視聴できます。
http://www.pro-rok.ru/3_3.php
轟々と燃え盛る炎の中で罪な恋に落ちてしまう二人。この炎は罪人が焼かれる地獄の業火なのですね。うむむ。
登場人物全員が人生という炎の中で悶絶しているように見えてくるわ。
そして、見ているこっちも罪深い自分を感じて、地獄で焼かれている気持ちになってくる。
美と醜、聖と罪、栄光と挫折という対比がそれこそゴミの山のようにぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
音楽やダンスは明るいけれど、抱えているテーマはとても重い。
きっとこの作品は21世紀初頭の歴史に残るものになると思うけれど、内容はすごく世紀末的。
人生を語る盲目の老人が生きた時代が20世紀末だったのだから、当然なのだけれど。そして見ている観客のほとんどは20世紀末人なのですね。
しかしまあ、極彩色に彩られたきれいなんだか、汚いんだかどっちともつかないゴミの世界がステージ上にありました。私たち20世紀末人は21世紀にかけて、ゴミの上の人生を転げつつ、生きているんだね。
CMは「預言者」の公式サイト内でも見られるので、興味のある方はどうぞ。(うまく開かなかったらごめんなさい。)とにかくあやしいCMですわ。
http://www.pro-rok.ru/3_2.php
そして8月30日当日。会場のスポーツ会館前には黒山の人だかり。とにかく人がいっぱい。そこへマーサは夫の捨平と娘のはちの子(好きな歌手:トーダル。3歳からトーダルのファンと言う変な子。)の3人で分け入ったのであった。
しかしまあ、観客がこんなにいっぱいいるのに、子どもなんてはちの子(好きなお笑い芸人:よゐこの濱口優)を入れても二人しかいませんでしたね。
内容はとてもじゃないけど子ども向けではなかったです。
まず最初に新約聖書の「ルカによる福音書」第15章11節に出てくる、有名なイエスのたとえ話「放蕩息子の帰還」の冒頭部分が、ロシア語で朗読され、いろいろな外国語(ヨーロッパの言語)で、正面の大画面スクリーン(全部で3面ある)いっぱいに表示される。
CMの最後のほうにちらっと出てくる絵もレンブラントが描いた「放蕩息子の帰還」の一部分で、このミュージカルのテーマは放蕩息子らしい。
放蕩息子のたとえ話について、詳しくはこちらのサイトをご覧ください。レンブラントの絵も見られます。
http://www.worldfolksong.com/closeup/yellow_ribbon/page7.htm
放蕩息子がどうしたんだろう、と思っているうちに、そのたとえ話が載っている聖書がパタンと閉じて、よく見ているうちにゴミの山にその聖書が捨てられているのが分かる、というかなりショッキングなシーンが・・・。
そしてそのゴミの中からいきなり現れる大勢のダンサーたち。彼らはこのゴミ山で自由を謳歌している住人なのだ。(ゴミ山でゴミを拾って生活することを自ら選んだ人たち。)
そして両手にビニール袋を持って「ゴミ袋ダンス」を始める・・・。
その後、よっ待ってました! ゴミのひとつである箱の中から預言者オレイニコフが「おっす!」と言いながら登場!(観客拍手。)
そう預言者はこのゴミ山の世界の王様なのです。
そこへ杖をついた盲目の「老人」がやってきて、預言者に頼む。
「私が死んだ後、この世はどうなるのか・・・。予言してくれ。」
するとどういうわけか、預言者(ロシア語では預言者も予言者も同意語。)は予言する引き換えに、老人が今までどんな人生を歩んできたのか話すように命令する。
こうして老人の話が始まるわけだが、それが舞台上で次々と再現される。
子ども時代、母の愛に背を向けて家出。(彼もゴミ山の出身。)
そして貧乏ゆえにうらぶれた売春街で暮らすうち、出会った清純な娘との初恋。(シャガールの絵に出てくる恋人たちのように飛び回る。)
その後有名になり富と名誉を手にした青年は、人妻との不倫の恋という罪を犯してしまう。
そして殺人の濡れ衣を着せられ、投獄される。(この刑務所のセットが馬鹿でかい。)
出獄した後、ようやく本当の愛とめぐり合い・・・
とまあ、こういうふうにあらすじだけを書くと、全然おもしろくないですね。やっぱり見ないとだめだわ、何せミュージカルだし。
それにこのミュージカルの中には暗示とか象徴が多くて、観客に考えることを要求する。考えない人からすれば、話の筋は陳腐でありきたりだし、この作品が何が言いたいのかよく分からないと思う。
(そういうマーサも、聖書のたとえ話「放蕩息子の帰還」とこの作品のテーマが頭の中でもう一つきれいにひっつかない。)
たとえば、聖書(宗教)が捨てられているゴミの山は現代社会を表していて、私たち、特に都会に住んでいる現代人は、実はゴミ山の上で暮らしているようなもんではないか?と作者は問いたいわけですね。
そういう具合に家出とは何なのか、清純な初恋とは何なのか、刑務所とは何なのか、この作品の中に出てくる要素を自分なりに「変換」しながら見ないといけない。
ゴミはゴミと思って見ていても、この作品の言いたいことは伝わりません。表面しか分からない。
こういうふうに紹介すると、何だか難しそうに思えるけど、実際にはダンスあり、歌あり、曲芸ありで、すごく楽しい舞台です。(しかし刺激が強すぎるかも。ダッチワイフダンスなんてのもあったぞ。ゴム人形が生きているように見えたけど。捨平はなぜか大喜びしていた。(^^;))
舞台の様子は「預言者」の公式サイト内でたくさんの画像で見られるので、どうぞ。(しかしこの画像だけ見てもさっぱりわけが分からないかも。)
http://www.pro-rok.ru/3_1.php?dir=_images%2Fgallery%2F008
それから、この作品のハイライト、「人妻との不倫デュエット」曲(^^;)も公式サイトで視聴できます。
http://www.pro-rok.ru/3_3.php
轟々と燃え盛る炎の中で罪な恋に落ちてしまう二人。この炎は罪人が焼かれる地獄の業火なのですね。うむむ。
登場人物全員が人生という炎の中で悶絶しているように見えてくるわ。
そして、見ているこっちも罪深い自分を感じて、地獄で焼かれている気持ちになってくる。
美と醜、聖と罪、栄光と挫折という対比がそれこそゴミの山のようにぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
音楽やダンスは明るいけれど、抱えているテーマはとても重い。
きっとこの作品は21世紀初頭の歴史に残るものになると思うけれど、内容はすごく世紀末的。
人生を語る盲目の老人が生きた時代が20世紀末だったのだから、当然なのだけれど。そして見ている観客のほとんどは20世紀末人なのですね。
しかしまあ、極彩色に彩られたきれいなんだか、汚いんだかどっちともつかないゴミの世界がステージ上にありました。私たち20世紀末人は21世紀にかけて、ゴミの上の人生を転げつつ、生きているんだね。