高輪ゲートウェイ駅から泉岳寺へと向かいました。
徒歩10分で到着です。 中門の手前に四十七士の石碑が有りました。
泉岳寺の中門を通り抜けます。
かつては三つの門(総門・中門・山門)がありましたが、現在は中門と山門のみが残っています。
泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
青松寺・総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺のひとつに数えられています。
山門は1832年(天保3年)に34世大道貞鈞和尚代が再建しました。
1階部分の天井には「江戸三龍」の一つ、銅彫大蟠龍(どうちょうだいばんりゅう)がはめ込まれています。
2階部分には釈迦三尊像と十六羅漢が安置されています。
泉岳寺は慶長17年(1612年)に徳川家康により創立されました。
高輪の地に移転後、現在まで400年余の歴史が有ります。
本堂は1953年(昭和28年)に落成した鎌倉様式の建築です。
ご本尊は釈迦如来、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である摩利支天などが納められています。
義士墓所へ向かいます。 途中には赤穂義士記念館が有りました。
討ち入りから300 年目となる2001年(平成13年)に義士の貴重な遺品などが納められた記念館が建設落慶されました。
1701年(元禄14年)、江戸城松で吉良上野介に切りつけた浅野内匠頭は、徳川綱吉に切腹を命じられます。
切腹後、亡骸は菩提寺である泉岳寺に葬られます。
翌年、赤穂浪士は吉良上野介を殺害し、1703年(元禄16年)、大石内蔵助など四十七士は切腹し、泉岳寺に葬られます。
現在では赤穂義士墓所として残り、国の史跡となっています。
赤穂義士墓所には討ち入りした四十七士のほか、討入り以前に自害した萱野重実の供養墓を含め48基の墓塔が並んでいます。
入口で火の着いたお線香の束を買って墓所へと入りました。
1墓につき2本の線香をあげると丁度よい本数だそうです。
外人さんも大勢お参りをしていました。 赤穂義士を知っているのかなぁ?
墓所には線香の煙が白く漂っていました。
時代劇でしか知らない赤穂義士ですが何か神聖な気分になりました。
全てのお墓に線香をお供えして山門へと戻ります。
途中には首洗い井戸が有ります。
打ち取った吉良上野介の首をこの井戸で洗い、主君の墓前に供えたそうです。
そんな義士への鎮魂を込めた水琴窟の音色が清らかでした。
泉岳寺の門前にあるお土産屋さんの義士堂小泉商店。
お店の人が忠臣蔵に関連する雑学をレクチャーしてくれました。
次の名所へと向かいます。
続く・・・