諸行無常の響きあり

フィリピンの小さな焼き鳥居酒屋の親父のつぶやき

雨の中

2011年06月09日 08時44分05秒 | つぶやき

開店して4ヶ月になったブランチの営業を終え、本店に戻る。昨日は一日中低気圧の影響で雨降り、コミュートによる移動をする私とっては、なかなか大変である。


戻ったらまだお客さんが裏のバハイクボに居り、表の店は既にかたづけに入っていた。雨の水曜日、丁度日本で言えば梅雨のような天気、隣のカビテ州では暴風雨に見舞われたそうであるが、ラスピニャス市は一日中弱い風と雨の日であった。

それにしても晴天の日は気温が相当上がるが、昨日は肌寒い一日、気温は25度前後といったところだろう。街は通勤する人々以外は人があまり見当たらない。外を歩く人たちは何がしかのジャケットを着込み、寒い寒いと連発していたが、25度前後の気温は私にとってはさわやかこの上ない気温である。


雨の中を通学する生徒はしたたかに濡れながらも、ところどころで雨宿りしながら帰宅していた。人は気温によって食べ物のオーダーが変わる。昨日のお客さんはほとんどがラーメンと焼鳥の注文、やはり暖かい食事が恋しいのだろう。

最近始めたこのアイスクリームだが、売り上げは順調であるが、やはり昨日のような気温の下がった日はさすがに買う客も少ない。来週の始めからすぐ目の前の学校も新学期が始まる。そうなると店内は学生食堂と化してしまうわけだが、その準備の為に補充要員を現在募集中である。

しかし、やはりフィリピンに雨は似合わない。小麦色の肌をした人たちはジャケットを着ることなど年に何回あるのだろう。まあ暑くても日除けの為にジャケットを着る女性達もいるようであるが、傍で見ているだけでむさ苦しく感じるのは私だけであろうか・・・・。







唄で綴る日比関係

2011年06月07日 09時50分14秒 | つぶやき
徳永英明 最後の言い訳 タガログバージョン
テッド伊藤が歌っていた。



来生たかおのグッド・バイ・デイ
Miguel Veraタガログ・バージョン


徳永英明のレイニー・ブルー
同じくテッド伊藤


これは逆バージョン
タガログ語の唄を日本語に・・・・・フレディーアギラのANAKを杉田二郎が歌っている。



当時今から何年前になるのか、好んでカラオケで歌ったものだ。今やこの辺りの唄を歌ってもフィリピンではウケナイ(汗)というより日本に行っていたタレント達は40代から50代になっているだろう。そうした女性達がカラオケ屋に出没する訳も無く、我々が自己満足で唄う歌は今の若いフィリピーナたちは何のことやら解らないだろう。

過ぎ去った日々の日比関係、唄が架け橋で一緒になった夫婦もいるだろう。それにしてもフィリピーナを妻にしている日本人の方って唄が好きで上手い人が多いのは気のせいか・・・・・。あのテッド伊藤は今何処で何をしているのだろう・・・・・。

杉田二郎の『息子』は確か私が高校生だったかな・・・いや中学生だったかな・・・1978年の唄だそうである。










新学期前日のSM

2011年06月06日 09時27分00秒 | 日記
始業前日のSM


本日からパブリックスクールは新学期の開始である。そのせいか昨日は学用品や制服を買い求めるお客でモールは大勢の人が出ていた。親は毎年この時期になると授業料の支払いや学用品などの出費が重なる為に、物入りの時期となる。こちらではいっせいに学校が始まると言うのではなく、パブリック以外のプライベートスクールはその学校によって新学期の始業日が異なる。

地方に帰っていた学生達も戻ってくる人間もいれば学費が無く一時休学する生徒もいる。こちらではお金があったら又復学すると言うパターンも珍しくない。のんびり、ゆっくりのフィリピン、30歳代の大学生も珍しくはないし、40歳代、50歳代もいるかもしれない。それで卒業したら何をするのか、何か目的があるから学校に入るのだうが、いい仕事はここでも又お金持ちのご子息達が優先する。

それにしても、中東の不安定にも拘わらずまだまだ海外に出稼ぎに行きたがるが、その気持ちを利用した詐欺まがいのエージェンシーもあるようだ。毎月の給料が200ドル、フィリピンペソで9000前後、それがいい給料なのかどうかは本人次第だろうが、それにしても海外に出稼ぎに行くメリットは何故だろうとさえ疑問に感じる。


クリック願います
bunner bulog lunking
??@BlogRanking



メン好きなメンメン

2011年06月05日 10時10分21秒 | つぶやき
デジブック 『夕暮れ時』

夕暮れ時、晩酌タイムが始まる。
仕事帰りや夕暮れからの晩酌を楽しむ邦人たちが寄り集まり、思い思いの肴を食べながら飲む、最後の仕上げはラーメンか冷麺の注文が多い。

こちらフィリピンでは仕上げにラーメンと言うパターンはあまり無く、こうしたマミーと呼ばれる麺類は主にミリエンダと呼ばれる中間食として多く食べられる。


※フィリピン・ラーメンのマミー


当店の横に毎日屋台を出すこの片腕の無い店主、出身はレイテ島だそうであるが、これだけ真面目に欠かさず毎日店を出す、独身だそうであるが、よき伴侶を見つけて欲しい物である。


※片腕が途中から無い店主


最近は米粉を使ったピリ辛麺のタイヌードルなども屋台として流行っているが、やはりフィリピンの定番はマミーやロミー(うどんに似ている)、ソッタンホンと呼ばれる春雨、何れもスープと共にご飯のおかず代わりとして食べられる場合が多い。

後は『パレス』と呼ばれる牛肉ベースの味付スープの中にご飯を入れてある物や、『バチョイ』と呼ばれる牛煮込みラーメンなども好んで食べられるようである。

店に来るお客さんは大概『サバウ』(スープ)は無いのかと聞く人が多いが、多くの店は小さな入れ物でサービス・スープを出す、うちではこの手のスープは扱っておらず、味噌汁を勧めるのだが、是も中々好調である。

何せ汁っけのある食べ物が大好物のピノイたち、サービスで出されるスープはシニガン(タマリンドという酸っぱい木の実で味付けしたスープ)の具無しであったり、ボラロ(牛足の煮込みスープ)の具無しスープであったりする。

因みに日本風のラーメンは丼物と併用して注文をする場合が多く、数人で小分けしてご飯と一緒に掻きこむ食べ方が好まれるようであるが、これもフィリピンの食文化なのであろう。






民度(Cultural standard)

2011年06月02日 02時05分29秒 | つぶやき
『民度』以前知り合いのお客さんから、聞きなれない言葉を聞いた。


※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/12/19 06:20 UTC 版)

民度(みんど)とは特定に地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの程度を指す。テレビ番組の内容が時代、地域の民度と連動しているとの考えが存在する。






今回の東日本大地震が起きた際の日本人の対応はこの『民度』の高さが他国の例と比喩されたようであるが、その後の原発事故の政府の対応はどうだったであろう・・・。1986年に発生したチェルブイリ原発事故の際に日本政府は当時のソ連政府に対しての情報公開を要求した。ところが今の日本政府の対応は・・・・。

フィリピンに住む私が、その問題をとやかく言っても仕方ないので、このフィリピンの『民度』というテーマで日記を書いた。知的水準、教育水準、文化水準、行動様式という観点から言えばこのフィリピンという国の国民の『民度』はどうなのだろう。民度が高いという使い方より、低いという使い方が一般的には良く使われるようであるが、前回書いた記事の他人の駐車場に平気で車を停めるということ自体、この民度の問題が起因しているのではなかろうか。

国全体に流れる良否の判断の違い、国民が国民として自意識を持つかどうか・・・・。こちらでもニュースで盛んに時事ニュースを流す、しかしこのニュースを見て一般国民がどう理解するのか。例えば日本から渡比または帰国してくる人たちの手荷物に食品が入っているとする。当時日本の地震、津波に伴う原発事故がこちらでも盛んに報道されていた。

それを受けたフィリピン政府は入国者の荷物チェックを厳重にし、食品は全て没収と言う一幕もあったようだ。日本からのお土産と言えば誰しもが目にするであろうN社のカップラーメン、土産として持ち込もうとした物が全て没収された場面もあったようだ。カップラーメンと放射能汚染、どういう関係があるのか専門家ではない私は理解できないが、そうした風評はフィリピン中に流れると過剰気味の反応になってしまうと言う事はある。

昨日もニュースで魚が大量死したとの報道、本日の市場では魚が全く売れなったそうである。ガソリンが上がると報道されれば、それに乗じた価格の値上げが市場などでも起こる。禁煙令が出れば全ての場所に置いて禁煙だと言う話が出る。台湾製の清涼飲料水に有毒な物質が混入していると報道されれば、翌日から台湾製の食品が全く売れなくなる。

ただ自国の持つ生産性が低い為に海外からの輸入品に頼らざるを得ないと言う事も伴いこうした出来事が連日報道されるのも仕方がないが、それですら不思議に感じない国民達、世間で起きている出来事はほとんどが『蚊帳の外』の出来事であり、自分の身に直接降りかかる事のみが彼らの真実なのだ。

しかしこうした風評は私が幼い頃に日本で経験した出来事に似ていなくもない。情報の正確さが庶民に正確に伝わらない為に偽情報や過剰な情報が蔓延する。当時の日本はTVがようやく普及し始めた頃で、新聞などが主な情報源であったのだろう。しかしその新聞は大概の家庭で最低でも朝刊は取っていた気がする。

だが今のフィリピンはどうであろう。おそらく国民の何割も新聞ですら読まないのではなかろうか。TVと言えばお笑い番組やタレントの誰々がどうしたこうした・・・その他の番組は踊りや歌が主流、これがテレビ番組の内容が時代、地域の民度と連動しているということになるのだろう。

『民度』ここフィリピンで感じる全ての出来事が外国人の我々には理解できないことが多いが、是に起因しているというのが大きいと感じる今日この頃である。まあ昔の日本のトイレットペーパー騒動もそれに似ていなくも無いがその昔、本気でアンティーポロのマリア像が血の涙を流したなどという報道を信じる国民性がここにある。