音楽、とりわけロックはセックスのようなものだということは、ロックを聴いている者たち誰もが感じることに違いない。エクスタシーという「ちいさな死」に向かってひたすらドライヴし、上昇していくことがロックであるとすれば、私たちは恋人とのセックスによって到達するエクスタシーを、不特定多数の聴衆とともにそれを共有することがミュージシャンの共通する目的なのだから。
何千人何万人の観客に向かって演奏するビッグなミュージシャン達は、何千人何万人もの人たちとセックスしているようなものだ。
コンサートやライブのあと、「よかったよ」と言われるのは「キミと一緒にエクスタシーに到達できて、よかったよ」ということに他ならない。
つまるところ、ロックというものはセクシーでなければならない。セクシーなロックこそステキなロックであり、イカシたロックでありそれ以上に私がロックに求めるものは何もない。
昔ミスター・カイトを始めた時、某ロック評論家にあからさまに「一度寝てみたい」と書かれて驚いたことがあるけれど、今思えばそれは最大級の褒め言葉であり、喜ぶべきことであり、ロックミュージシャンとしてはそれこそ望むところだったわけだ。
自らの意志で自ら選んで、この三次元世界に肉体を持って天界から墜落した私たちは、天界ではけっして得られない生々しい触覚とアドレナリンやドーパミンの脳内物質でもって、エクスタシーに至ることをひたすら望んでいる。
そしてうれしいことに、肉体のエクスタシーだけではなく、音楽によってもそこに到達できるんだと私たちは知っている。
セックスは霊的なエネルギーの交換であり、魂と肉体の両方で愛し合うセックスは聖なるものであり、それは霊的な力を覚醒させる。セックスと音楽、とりわけロックは生(性)の喜びであるべきだ。今日も荒涼天使の練習テープを聴いていたけど、なんだかますますセクシーな音になってきていて、うれしいな。
何千人何万人の観客に向かって演奏するビッグなミュージシャン達は、何千人何万人もの人たちとセックスしているようなものだ。
コンサートやライブのあと、「よかったよ」と言われるのは「キミと一緒にエクスタシーに到達できて、よかったよ」ということに他ならない。
つまるところ、ロックというものはセクシーでなければならない。セクシーなロックこそステキなロックであり、イカシたロックでありそれ以上に私がロックに求めるものは何もない。
昔ミスター・カイトを始めた時、某ロック評論家にあからさまに「一度寝てみたい」と書かれて驚いたことがあるけれど、今思えばそれは最大級の褒め言葉であり、喜ぶべきことであり、ロックミュージシャンとしてはそれこそ望むところだったわけだ。
自らの意志で自ら選んで、この三次元世界に肉体を持って天界から墜落した私たちは、天界ではけっして得られない生々しい触覚とアドレナリンやドーパミンの脳内物質でもって、エクスタシーに至ることをひたすら望んでいる。
そしてうれしいことに、肉体のエクスタシーだけではなく、音楽によってもそこに到達できるんだと私たちは知っている。
セックスは霊的なエネルギーの交換であり、魂と肉体の両方で愛し合うセックスは聖なるものであり、それは霊的な力を覚醒させる。セックスと音楽、とりわけロックは生(性)の喜びであるべきだ。今日も荒涼天使の練習テープを聴いていたけど、なんだかますますセクシーな音になってきていて、うれしいな。