私が最後に泣いたのは、いったいいつのことだったか・・・。
それはあまりにも遠い昔のことなので、もはや覚えてもいない。一度は鬼になったと自覚している私にとって、いや、私は今でも腹の中に鬼を飼っている人間なのだけど、その鬼でさえまさに「鬼の目にも涙」で何年に一度あるいは何十年に一度は泣くこともあるのだと知った。
昨夜、アニメ版「鉄コン筋クリート」を見て何年ぶりかでボロボロ泣いた。なんの予備知識も先入観もなく見たアニメは、二人の少年、兄のクロと弟のシロの物語だった。
改めて日本のマンガやアニメ文化のレベルの高さには驚かされる。マンガやアニメは今や日本の誇るべき一大文化だ。その内容の深さは哲学的でさえあり、世界の最先端を行っていることに間違いない。その絵のディテールもいかにも日本人らしい繊細さと緻密さと職人的技法でもって、他国の追随を許さない完成度の高さがある。
この作品は愛と絆という普遍的なテーマを扱っているのだけど、シロの存在は救世主的でもある。
私はシロの無邪気さとかわいさが愛しくて愛しくて泣いた。そしてこのなんでもない平和な一日が奇跡のように尊いものだと改めて気付かされる。
シロの言葉は純粋無垢で、砂漠の雨のように私の心に染み入ってくる。
「こちら地球星シロ隊員、応答願います」「こちら地球星シロ隊員、今日もいい子で地球を守りました」。そして「安心、安心」というシロの口癖とその満面の笑顔が私の心をぐっと掴んで、かつて鬼であり、今もまたいつ鬼になるやも知れぬ私はボロボロ泣かされてしまったんだ。
父親が死んだ時も涙一滴出なかった私。
私はもはや泣けない人間になってしまったのではないかと思っていたけれど、アニメを見てボロ泣きできた自分に驚きながらも一種の安堵を覚えた。
まだ私にも涙が残っていたんだと・・・。
泣くというのはカタルシスであり、心の中の黒いものを洗い流す作用がある。
泣けるということはうれしい。私はもっと泣きたい。泣かなければいけない。
泣いて泣いて泣き尽くして、最後に笑えばそれでオーケー。
シロ、ありがとう。あなたは愛そのもの。
シロ、あなたに会えてあたし安心、安心。
それはあまりにも遠い昔のことなので、もはや覚えてもいない。一度は鬼になったと自覚している私にとって、いや、私は今でも腹の中に鬼を飼っている人間なのだけど、その鬼でさえまさに「鬼の目にも涙」で何年に一度あるいは何十年に一度は泣くこともあるのだと知った。
昨夜、アニメ版「鉄コン筋クリート」を見て何年ぶりかでボロボロ泣いた。なんの予備知識も先入観もなく見たアニメは、二人の少年、兄のクロと弟のシロの物語だった。
改めて日本のマンガやアニメ文化のレベルの高さには驚かされる。マンガやアニメは今や日本の誇るべき一大文化だ。その内容の深さは哲学的でさえあり、世界の最先端を行っていることに間違いない。その絵のディテールもいかにも日本人らしい繊細さと緻密さと職人的技法でもって、他国の追随を許さない完成度の高さがある。
この作品は愛と絆という普遍的なテーマを扱っているのだけど、シロの存在は救世主的でもある。
私はシロの無邪気さとかわいさが愛しくて愛しくて泣いた。そしてこのなんでもない平和な一日が奇跡のように尊いものだと改めて気付かされる。
シロの言葉は純粋無垢で、砂漠の雨のように私の心に染み入ってくる。
「こちら地球星シロ隊員、応答願います」「こちら地球星シロ隊員、今日もいい子で地球を守りました」。そして「安心、安心」というシロの口癖とその満面の笑顔が私の心をぐっと掴んで、かつて鬼であり、今もまたいつ鬼になるやも知れぬ私はボロボロ泣かされてしまったんだ。
父親が死んだ時も涙一滴出なかった私。
私はもはや泣けない人間になってしまったのではないかと思っていたけれど、アニメを見てボロ泣きできた自分に驚きながらも一種の安堵を覚えた。
まだ私にも涙が残っていたんだと・・・。
泣くというのはカタルシスであり、心の中の黒いものを洗い流す作用がある。
泣けるということはうれしい。私はもっと泣きたい。泣かなければいけない。
泣いて泣いて泣き尽くして、最後に笑えばそれでオーケー。
シロ、ありがとう。あなたは愛そのもの。
シロ、あなたに会えてあたし安心、安心。