今日、一通のメールが届いた。
それは「めぐさんが音をきいて見えてるものを知りたい」という、ちょっと変わった質問のメールだった。私は日常的思考からこの一風変わったアプローチに応えるために、一瞬思考モードを変換し考えなければならなかった。音をきいて見えてるもの・・・。しばらく考えて私は今、こうして毎日田舎の風景を見ているにもかかわらず、いつも自分の中で鳴り響いているのは東京という大都市の放つアナーキーな音であり、見えているのはその無機質な都市の風景だ。
私はいつも俯瞰(ふかん)している自分を感じる。源氏物語の絵巻のように視点はいつも天井あたりにあって、人々や自分さえも見下ろしている。あるいは「ベルリン・天使の詩」の天使ダミエルのように、めくるめくめまいのするようなビルの屋上や東京タワーの展望台から街を見下ろし、あるいは新宿高層ビル街の谷間を歩きながら摩天楼を見上げ、やっぱり、めくるめくめまいを感じては立ち止まる。
めまいのする都市が私を引き寄せる。そして「見てろ。見てろよ。しっかり見てろよ。」と言う。
そこで私は、右往左往しながらそこに生きている、赤い血の流れる肉体を持った人間の葛藤と叫び、ため息とつぶやきを・・・この地上の人々の内心の声を聞いている。それらの声と断末魔のような都市の轟音を聞きながら、そのビル群の増殖と欲望の増殖の果てに、私にはひとつのヴィジョンが見えているのかもしれない。いや、ここで謙遜したところで一体なんになる?
私には荒涼とした風景と人々の背中に生えている白い翼が見えている。
ヴィジョンを覆すことは可能だ。ただ私は焦っている。急がないと・・・。時間がないのよ。
私はロックンロールで「東京・天使の詩」をやりたいのかもしれない。
それは「めぐさんが音をきいて見えてるものを知りたい」という、ちょっと変わった質問のメールだった。私は日常的思考からこの一風変わったアプローチに応えるために、一瞬思考モードを変換し考えなければならなかった。音をきいて見えてるもの・・・。しばらく考えて私は今、こうして毎日田舎の風景を見ているにもかかわらず、いつも自分の中で鳴り響いているのは東京という大都市の放つアナーキーな音であり、見えているのはその無機質な都市の風景だ。
私はいつも俯瞰(ふかん)している自分を感じる。源氏物語の絵巻のように視点はいつも天井あたりにあって、人々や自分さえも見下ろしている。あるいは「ベルリン・天使の詩」の天使ダミエルのように、めくるめくめまいのするようなビルの屋上や東京タワーの展望台から街を見下ろし、あるいは新宿高層ビル街の谷間を歩きながら摩天楼を見上げ、やっぱり、めくるめくめまいを感じては立ち止まる。
めまいのする都市が私を引き寄せる。そして「見てろ。見てろよ。しっかり見てろよ。」と言う。
そこで私は、右往左往しながらそこに生きている、赤い血の流れる肉体を持った人間の葛藤と叫び、ため息とつぶやきを・・・この地上の人々の内心の声を聞いている。それらの声と断末魔のような都市の轟音を聞きながら、そのビル群の増殖と欲望の増殖の果てに、私にはひとつのヴィジョンが見えているのかもしれない。いや、ここで謙遜したところで一体なんになる?
私には荒涼とした風景と人々の背中に生えている白い翼が見えている。
ヴィジョンを覆すことは可能だ。ただ私は焦っている。急がないと・・・。時間がないのよ。
私はロックンロールで「東京・天使の詩」をやりたいのかもしれない。