今日は東京では雪が降ったそうだけど、鹿児島はこのところずっと雨模様の日が続いている。
私は今夜も柔らかな春雨の音を聞きながら、机の上に一冊のずっしりとした画集を広げている。
マークエステルの「日本神話」だ。
最近はこの画集を見ている時が、私の至福の時間と言える。
この画集と出会ったのは、今年の初詣に出かけた広島は宮島にあるホテルのロビーだった。到着して手続きを済ませ、ロビーの一角に本棚があったので何気なく見ていたら、最上段に一枚の絵が飾ってあった。私はなぜかその絵にとても引き寄せられてじっと見ていたら、それはじつは一枚の絵ではなく、一冊の大判の本が立て掛けてあるのだと気づいた。
「何だろう?これ」と思い、やっと手が届く高さからそれを下ろそうとすると、厚さもゆうに4センチはありずっしりと重く、両手でやっと持つことができた。
それは日本神話の古事記を現代語で書いたものに、墨絵のぼかしの技術を使った色彩曼荼羅とでもいうような、けっして挿絵ではない「絵画」と合体したものだった。
ページをめくっているうちに私はすっかりその絵に魅了され興奮していた。
それは完璧なまでに私の心の世界そのものだった。
物欲はもうほとんどない私だけれど、本当に珍しく心の底から「ああ、これ欲しい!」と思った。でもすぐに、「おそらく何万円もしそうだから買えないよなあ」とあきらめたのだった。
ゆっくり見ている時間もなかったので、後ろ髪を引かれつつも「ああ、すごい画集に出会ってしまった」という感動と喜びで、こうして厳島神社にやって来たのも、この画集と出会うためだったのかもしれないと思ったのだった。
宮島は美しく、人なつこい鹿たちがゆったりとその風景に溶け込んでいるのを眺めたりしながら、大晦日からの3泊4日の旅はあっという間に過ぎた。
そしてちょうどきっかりの1ヵ月後・・・奇跡は起こった。
2月1日の私の誕生日に、なんとこの画集が届いたのだ。
これを奇跡と言わず何と言うか?
発送元は第十神界。 差出人はアマテラスオホミカミ。ってか~。
まさに仰天! 天を仰ぐ。
かわいそうにニーチェは「神は死んだ」と言って、ついには発狂して死んでしまったけど、私は「神はいる」と言って、うれし涙にくれたのだった。
神さま、ありがとう。無限のありがとう。
かように、西洋の神は死んでも日本の神はけっして死なない。
それは外にいる神と内にいる神の違いである。これは決定的に重要だ。
もしも、どこかの離れ小島に長期滞在しなければならなくなった時、あるいは、もうこの地球には住めなくなって、どこかの惑星に移住しなければならなくなった時、はたまた、かなり近いような気もする次なる大洪水の前に、現代の“ノアの箱舟”に乗り込まなければならなくなったとしたら・・・。
その時、二冊だけ好きな本を持っていけるとしたら、私は迷うことなく「古事記」と「万葉集」を選ぶだろう。
この二冊は昔からの私の座右の書なのだけど、このマークエステルの古事記はまさに決定版で、私の一番の宝物となった。 (つづく)