先日の立春の朝、起きぬけのまだ朦朧とした頭で庭に降り、一段とキラキラしさを増してきた朝日を仰いでいると、ふいに妙なる香りに包まれた。
突如として天女が私の隣に立ったかと・・・錯覚した。
ゆっくりと首を回すと、玄関前の大きな梅の木にまあるく膨らんだたくさんの蕾とともに、五弁の白い花がちらほらと開いているのを見つけた。
殺伐としていた冬枯れの庭に、どの花にも先駆けて咲く梅の花は、なんだか新つ世(さらつよ)の使者のようで大好きです。
それに我が家の梅は毎年、旧暦の正月であり神界の正月でもある立春の日に、きっちりと合わせて花を咲かせる。不思議です。
言霊としての梅は、おそらく「産む」から転じる「産め」であると思う。
梅の花はまさにすべてのいのちが「張る」ところの、春の音連れ(おとづれ)です。
見ているだけでしあわせになり微笑まずにはいられません。
“三千世界いちどに開く梅の花”
いよいよの時代になりました。
ずいぶん長いことブログを更新しなかったのは、体調が悪かったのでも落ち込んでいたからでもありません。
私の脳内の無数の部屋は、普段はせいぜい三部屋ぐらいしか使用していなくて、そのほかの部屋はすべて開かずの間になっているのですが、それらの扉が去年の秋頃から、何かのはずみでいっせいにバタバタと開き始めたので、私はすべてのやるべき事を放り出して、今毎日その開いた部屋の中の様子をチェックして回ることに、孤軍奮闘している状態なのです。
あ~~、うまく説明できないのが辛いところ。
そんなわけで、元来の筆不精にさらに輪を掛けることになり、皆様にご無礼とご無沙汰の続行中です。ごめんなさい。
私は心身ともに滅法元気です。
特に心の状態には一点の迷いも悩みも不安もなく、二年ほど前までは坑うつ剤を飲み続けていたことが嘘のよう。
心が平穏で平和でありさえすれば、すべてはオーケー。
生きているのがうれしい。
生きているのがありがたい。
私はもともと陽気なタチなのだけど、最近は「あたしって女版土屋賢二だったのかしらん?」と思うほど、いつもころころと笑っているので笑いジワが増えました。
そして「類は友を呼ぶ」の法則により、私の周りに楽しい人が集まってきて、ほんとにうれしい限りです。
みづ紀、吉澤君、創士さん、真弓ちゃん、聖二君、スチュ&ココ、ジョゼ、マスミ、藤井さん、けんちゃん・・・その他メールや年賀状やお手紙いただいて、まだ返事を書けないでいる皆様、ほんとにすみません。
今しばらくお待ちください。
言葉よりも会いたい。