〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

オンライン講座のこと

2021-04-20 10:16:43 | 日記
次回の朴の会のオンライン講座は当初4月24日の予定でしたが、
5月1日1時半からにさせていただきます。
詳細は改めてご案内しますが、作品は森鷗外の『舞姫』を取り上げる予定です。

森鷗外の『舞姫』は近年、そのモデル問題の考証が膨大に行われていて、
新たなライトが当たっています。
もちろんそれが『舞姫』という文学作品の新たな価値や意義を発掘する
契機になることが望ましく、これを踏まえておきますが、
コロナ禍の中、改めて作品の価値・意義を捉え直しておきたいと思います。

一言で言えば、『舞姫』の一人称の〈語り手〉の帰国する途中、
「余」は手記を綴っていますが、これは何を語ろうとしていたでしょうか。
身籠ったエリスは自分が見捨てられることを知って発狂、
しかもそれでもなお「余」、太田豊太郎を気遣っている。
「余」はいかなる人物で、何を語ろうとしていたのか。
これを私はどう読んでいるか、もう何度も『舞姫』論を発表してきました。
人生の最後、自身の中で決着を着けたいと思っています。

前回の拙稿の『なめとこ山の熊』論もそういう思いで書きました。
天沢退二郎さんたち、賢治研究との決別の思いと、
賢治研究の恩恵にあずかっていることの大きさ、その双方を意識しました。
賢治は世界観の転換を自らの魂で語っています。
これにご関心のある方は、拙稿「『なめとこ山の熊』の行方―先に死のうとする熊と小十郎―」を
前回の記事に掲載していますので、ご覧ください。

私個人の最近の作品の読みは、都留文科大学と大学院の研究紀要にそれぞれ掲載しています。
大学の紀要に魯迅の『故郷』論、大学院の紀要に村上春樹・あまんきみこの作品論です。
今度は『舞姫』をどう読むかをお話します。

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