いきなり脳腫瘍~病名が聴神経腫瘍→右脳腫瘍→右小脳橋角部髄膜腫。手術後に東日本大震災、2度目は右顔面神経麻痺~

最初の病気の告知から入院・手術と順繰りに回想…はブログの頭(2012.4.7開始)の方、2018.3の再手術で障害を負う

K大学病院の耳鼻科に掛からなかった理由

2016-05-14 21:20:20 | 耳鼻科
時間があれば、K大学病院の耳鼻科に紹介状を書いてもらった。
というか、基本、K大学病院を掛かりつけ病院にしたい位だ。
まあ・・・私に時間があっても、大学病院だから無理だけれど。
通院に時間が掛かるだけでなく、
大学病院は仕組的に時間が掛かる。
特に私の場合は過去の経緯から、
脳外科と何らかの連携を取るだろうことを考えると、
何倍の時間が掛かるかわからない。
それに突発性難聴は重症だと入院になると聞いていて、
治療は手術ではなく、投薬(点滴や注射)のようなので、
医療水準が一定レベルの病院ならどこでも同じだろう。
私はひとりで介護している身なので、
5年以上前も「長期入院すること自体」がとても大変だった。
詳しくは過去の記事に書いた通りだ。
だから仮に入院治療となった場合、
近くの総合病院ならそれでも、
地元の民生委員さんに泣きついて何とかなっ・・・
するしかないが、遠くのK大学病院では無理だった。
それにどう考えても、5年3ヶ月前の聴神経の手術が、
今になって突然の不調に繋がることはないだろう。
いや、放射腺を当てたり、強い薬を入れていれば、
数年経って症状が出ることもあるかもしれないが、
外科手術のみで、
薬もメチコバール(ビタミンB12)だけだった。
それにK大学病院に残っているカルテは、
手術前の健聴な結果と
手術後1ヶ月で受けた右耳ほぼ失聴の2回のみで、
それから時間を掛けて中程度難聴まで回復したのだ。
今思うと、術後の検査が早過ぎたか、
私の回復が遅かったのかわからないが、
現状と比較できるカルテは残っていないのだ。
(一旦、おしまい)
コメント (3)
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