今話題の舛添都知事、
私は都民ではないが、30年以上前の思い出がある。
大学の教養学部の一般教養で、
当時助教授だった舛添氏の、国際政治学の授業を選択したのだ。
その時の教科書が、氏が書いた『赤いバラは咲いたか』。
うちの本棚にまだある・・・が読んだことはない。
授業の内容もわからない。
そんないい加減な学生だった・・・訳ではなく、
2回出て受講を止めたので、単位も取得していないのだ。
当時から切れ者と言われていた氏の授業が難しくて
付いていかれなかった・・・訳ではなく、
1コマ90分×2回=3時間、
ずーーっと戦闘機の話をし続けたのだ。
30年以上前のあの時期は確かに、
舛添氏は戦闘機マニアだった。
でもそんな話はメディアで見たことがないから、
一時的な興味だったのかもしれないが。
大教室での授業だったから、
一緒に受講した数百人の同級生はさすがに、
覚えているんじゃないかなあ。
そして3回目の授業からまともな内容になったかどうかは、
知らない。
因みにこの本の裏表紙は、氏の太ももまでのスーツ姿の写真だ。
きりっとした日本男児風で、自分でかっこいいと思っていそう。
ナルシストでもあったんだな。
私は都民ではないが、30年以上前の思い出がある。
大学の教養学部の一般教養で、
当時助教授だった舛添氏の、国際政治学の授業を選択したのだ。
その時の教科書が、氏が書いた『赤いバラは咲いたか』。
うちの本棚にまだある・・・が読んだことはない。
授業の内容もわからない。
そんないい加減な学生だった・・・訳ではなく、
2回出て受講を止めたので、単位も取得していないのだ。
当時から切れ者と言われていた氏の授業が難しくて
付いていかれなかった・・・訳ではなく、
1コマ90分×2回=3時間、
ずーーっと戦闘機の話をし続けたのだ。
30年以上前のあの時期は確かに、
舛添氏は戦闘機マニアだった。
でもそんな話はメディアで見たことがないから、
一時的な興味だったのかもしれないが。
大教室での授業だったから、
一緒に受講した数百人の同級生はさすがに、
覚えているんじゃないかなあ。
そして3回目の授業からまともな内容になったかどうかは、
知らない。
因みにこの本の裏表紙は、氏の太ももまでのスーツ姿の写真だ。
きりっとした日本男児風で、自分でかっこいいと思っていそう。
ナルシストでもあったんだな。