さー、行って参りました、韓国の奈良大和路、慶州。
…って、一昨日は韓国の京都なぞと書いたのですが、
出かけてみたら、これは京都じゃない。奈良大和路でありましたね。
時代的にも『新羅』の隆盛期というのは、ちょうど5世紀から8世紀くらい、と
日本では、大和時代から奈良時代にかぶってる……。
というわけで、今日明日はちょっと古代史ロマン探訪なぞ…… <ホンマカイナ?
その前に。
こんなにおいしい話はないと、うっきうきと出かけたんですけども、
来たお母さんは何故かワタクシ一人だけっ!?
なんで~~? えー、いーのかな~? とさすがに心配になったんですが、
先生が「もちろんですよ」と力強く仰せ下さったので、一緒に行っちゃいました。<ラッキー
結果的には親も一人いて、よかったみたいです。
お若い女性の先生が二人引率で見えてたんですが、当の6人のお子様達が、
結構言うこと聞かない、もとい、主体性の強い(笑)二年生が二人いまして
(うち以外ですな・笑)、目が離せなかったんですよね。
特に一人(男の子)が気がつけばいなくなってるような(コワイですよ、この手のお子)ちょこまかタイプで、先生がまさに首根っこ(の代わりに手を)がっちりと捕まえてないといけなかったのでありました…(^^;)
<で、おとなしいのは母が見ているというか(笑)
さて、田舎道をバスで入って慶州入りしたとたん、雰囲気はまるで奈良……。
<わーおー
やがて見えてきたのは大きな円墳。同じ形の丸い山がぼこぼこと、
これまたたーくさん残ってるんですね~。<びっくり!
最初に行ったのは、そういう王達の古墳が密集した場所でした。<写真ね
途中の並木道の紅葉が真っ赤に色づいて最高にきれいでした。
これ見ただけでも来たかいがあったなぁと思ったくらいです。
そして、色づく木立の向こうに、王や王妃、王族達の墓が延々と続くのですが、
そのうちの一つ『天馬塚』が博物館として展示開放されていて、見学できました。
……でも、なんだか……ね。
見ているうちに、ちょっと不思議な感覚に囚われたような気がして、
自分ってやっぱり日本人ね、と奇妙なシーンで再確認したのでありました……。
ここに飾られてるのは、かつて新羅の王達の残した文化なんですね。
そして一方、当時おそらくこの新羅の国との戦いに破れ、日本に渡ってきたであろう、数多くの渡来人達がいる。
『ナラ』って、韓国語では「国」っていう意味なんですね。
当時、隆盛する新羅に追われた百済の人々が、たくさん日本海を越えて日本に来、
大陸文化を伝えたことは有名な話ですが、
百済の人々は、まさに日本に新天地を求めてやってきたのだろうな……と、
そして当時自分達が持っていた文化や技術を日本人に伝えながら、
大和奈良の都を造るのに貢献しながら、彼らはおそらく、日本の奈良の都に
失われた自分達のナラ(国)を重ねて見ていたのだろうな、と……ですね。
日本の古代史にも出てくるような、目の前の新羅の展示品を眺めながら、
その交錯した歴史の影に消えていった人々の、故郷への郷愁めいた思いが、
まるで二重写しになって迫ってくるような、
そんな不思議な感覚にとらわれた一瞬でありました……。
おー、これぞまさに、古代史ロマンだ!! バンザイ!!
(^^)<結局、それで済ますミーハー
長くなったのでこの古代史ロマン、明日に続きます…。
<ロマンは、もうあんましないかも、ですけど…
…って、一昨日は韓国の京都なぞと書いたのですが、
出かけてみたら、これは京都じゃない。奈良大和路でありましたね。
時代的にも『新羅』の隆盛期というのは、ちょうど5世紀から8世紀くらい、と
日本では、大和時代から奈良時代にかぶってる……。
というわけで、今日明日はちょっと古代史ロマン探訪なぞ…… <ホンマカイナ?
その前に。
こんなにおいしい話はないと、うっきうきと出かけたんですけども、
来たお母さんは何故かワタクシ一人だけっ!?
なんで~~? えー、いーのかな~? とさすがに心配になったんですが、
先生が「もちろんですよ」と力強く仰せ下さったので、一緒に行っちゃいました。<ラッキー
結果的には親も一人いて、よかったみたいです。
お若い女性の先生が二人引率で見えてたんですが、当の6人のお子様達が、
結構言うこと聞かない、もとい、主体性の強い(笑)二年生が二人いまして
(うち以外ですな・笑)、目が離せなかったんですよね。
特に一人(男の子)が気がつけばいなくなってるような(コワイですよ、この手のお子)ちょこまかタイプで、先生がまさに首根っこ(の代わりに手を)がっちりと捕まえてないといけなかったのでありました…(^^;)
<で、おとなしいのは母が見ているというか(笑)
さて、田舎道をバスで入って慶州入りしたとたん、雰囲気はまるで奈良……。
<わーおー
やがて見えてきたのは大きな円墳。同じ形の丸い山がぼこぼこと、
これまたたーくさん残ってるんですね~。<びっくり!
最初に行ったのは、そういう王達の古墳が密集した場所でした。<写真ね
途中の並木道の紅葉が真っ赤に色づいて最高にきれいでした。
これ見ただけでも来たかいがあったなぁと思ったくらいです。
そして、色づく木立の向こうに、王や王妃、王族達の墓が延々と続くのですが、
そのうちの一つ『天馬塚』が博物館として展示開放されていて、見学できました。
……でも、なんだか……ね。
見ているうちに、ちょっと不思議な感覚に囚われたような気がして、
自分ってやっぱり日本人ね、と奇妙なシーンで再確認したのでありました……。
ここに飾られてるのは、かつて新羅の王達の残した文化なんですね。
そして一方、当時おそらくこの新羅の国との戦いに破れ、日本に渡ってきたであろう、数多くの渡来人達がいる。
『ナラ』って、韓国語では「国」っていう意味なんですね。
当時、隆盛する新羅に追われた百済の人々が、たくさん日本海を越えて日本に来、
大陸文化を伝えたことは有名な話ですが、
百済の人々は、まさに日本に新天地を求めてやってきたのだろうな……と、
そして当時自分達が持っていた文化や技術を日本人に伝えながら、
大和奈良の都を造るのに貢献しながら、彼らはおそらく、日本の奈良の都に
失われた自分達のナラ(国)を重ねて見ていたのだろうな、と……ですね。
日本の古代史にも出てくるような、目の前の新羅の展示品を眺めながら、
その交錯した歴史の影に消えていった人々の、故郷への郷愁めいた思いが、
まるで二重写しになって迫ってくるような、
そんな不思議な感覚にとらわれた一瞬でありました……。
おー、これぞまさに、古代史ロマンだ!! バンザイ!!
(^^)<結局、それで済ますミーハー
長くなったのでこの古代史ロマン、明日に続きます…。
<ロマンは、もうあんましないかも、ですけど…
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