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新田次郎「劒岳 点の記」

2014年03月05日 | な行の作家

 

文春文庫
1981年1月に刊行された文庫の新装版
2006年1月 新装版第1刷
2009年6月 第17刷
405頁

 

 

日露戦争直後、前人未踏といわれ、また、決して登ってはいけない山と恐れられた北アルプス、劒岳山頂に三角点埋設の至上命令を受けた測量官、柴崎芳太郎
器材の運搬、悪天候、地元の反感など様々な困難と闘いながら山頂を目ざして進んでゆく柴崎一行

 

 

 

国土交通省地理院の前身である参謀本部陸地測量部に所属した柴崎が劒岳に登頂、測量をしたのは1907年のこと
行者に告げられた不思議な言葉『雪を背負って登り、雪を背負って帰れ』を心に、麓の村に暮らす案内人・長次郎ら、測夫の生田、木山と共に登頂路を探す柴崎

 

物語は、実在した人物を描いているからか登場人物たちを極端に美化することも批判することもなく淡々と進みます
柴崎氏と長次郎の間にある信頼感には揺らぎがありません
柴崎氏の、名誉や利益に関係なく任務を全うしようとする使命感の強さの根幹には、今の日本人が失いかけている何かがあるように感じられます

読みながら、2009年に公開された映画のキャスト(浅野忠信さん、香川照之さん、松田龍平さんら)の顔が思い出されて仕方がありませんでしたが、それは全く邪魔ではなく、何倍にもこの小説を面白くしてくれました

 

 

江戸末期に伊能忠敬が詳細な日本地図を描いていますが、山岳地帯に関しては白紙のようなものでした
山岳地帯の正確な測量が始まったのは明治以降のこと
今はGPSなどを使った正確な地図が作成されていますが、それまでは、自分の足を使って山に登り数多の危機に直面しながら測量に従事した多くの人々が持ち帰ったデータを基に作られていたのです

 

新田次郎さんは本書の書下ろしにあたり、実際に劒岳に登り、柴崎氏や長次郎らを知る人や遺族に会い話を聞いたのだそうです

柴崎氏は本土の測量が終わると、昭和8年に退官するまで北海道、千島、台湾、朝鮮、満州、蒙古、中国、シベリヤなどの測量に従事し、昭和13年(1938年)64歳で亡くなるまで一生を測量に捧げた人生でした

私たちは、改めて日本地図を見るとき、柴崎氏一行のやり遂げた仕事の大きさを再認識することでしょう




 


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2 コメント

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narkeipさん (こに)
2014-03-07 17:17:29
トラバありがとうございます。
初登頂争いだけでは無味乾燥なものになってしまいますね。
時代時代の人の思惑も絡めた素晴らしい作品だと思いました。
お恥ずかしいことですが、映画化されていなければ読まなかったと思うので、最近になって映画化されたことに感謝したい気持ちで一杯です。
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劔岳 (narkejp)
2014-03-06 19:51:32
新田次郎のこの本、最初に読んだとき、すごい感動でした。初登頂争いが一転して奈良時代の錫杖の発見につながる意外性、そしてそれが逆に功績を埋もれさせる結果になるというドラマティックな構成も見事でした。
私もこの本を記事にしていたはずと探しましたが、映画だったのですね。原作ではありませんが、これも思い出深い記事ですので、トラックバックいたします。
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