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西安は今日も曇天?

西安での生活。今は日本の片田舎で、気持ちは長安に。

中国の仏教美術に新資料!

2012-03-20 | 文物
中国ですごい発見があああ!!

1500年前の仏像2895体の埋葬坑を発見、新中国後成立最大規模―河北省


〈以下、レコードチャイナより引用〉

2012年3月19日、中国社会科学院考古学研究所は、春節期間中に河北省臨[シ章](りんしょう)県の●城(ぎょうじょう、●は業におおざと)遺跡で仏像2895体の埋葬坑を発見したと発表した。中国新聞社が伝えた。

発掘された仏像はほとんどが白の大理石製で、一部青石製のものがあった。造形の特徴などから、東魏(534~550年)、北斉(550~577年)時代のものが多く、一部北魏(386~534年)時代、や唐代(618~907年)の特徴を持つものも確認されている。

中国社会科学院考古学研究所の朱岩石(ジュウ・イエンシー)博士は、新中国成立後、最多の出土であり、中国の仏教考古学上の、学術的、芸術的、歴史的価値の大きい発見だと語った。

発掘された遺跡は年代の割り出しが比較的容易で、同時代の都城制、城壁の範囲、城区の変遷や、歴史上の廃仏運動などについて重要な手がかりをもたらすとみられている。

仏像の題材は阿弥陀像、弥勒像、釈迦多宝像などで、彩色や金箔を貼った痕跡のあるものが多数存在し、北朝末期にこの地域が仏教学、芸術の中心的な地位にあったことが伺える。製造年代が北魏から唐にまたがっており、北朝末期から隋・唐にかけた同地域の仏像の類型や題材に関する貴重なサンプルとなる。

朱研究員によると、今後は埋蔵坑と遺跡や古代寺院との関係や調査に向けた手がかりの有無などの研究が必要で、現在は中国社会科学院の文化遺産保護センターが出土品の保存方法を検討しているという。




「埋葬坑」という言い方はどうかと思うが・・・
東魏~北斉の仏像が、一括で出土した例というのは、これまでにもあった。

河北省曲陽の修徳寺跡で2200躯あまり。

山東省青州の龍興寺跡で400躯ほど。

今回は約2900躯というから、修徳寺を上回る。


しーかーも、

臨漳=当時の都であった鄴、から出ている。


曲陽の修徳寺あたりなんて鄙びたところから出土した仏像でも
故宮博物院のコレクションに入っていたりするんだけど、
白大理石像、いわゆる白玉像は(しらたま、じゃなくハクギョクです)
それはそれは肌触りのやわらかな美しさがあって、見る者を魅了する。

鄴城から出土した2900躯。
極上の逸品があるのではないかと期待で胸がおどる。

阿弥陀像、弥勒像、釈迦多宝の二仏並坐像。。。北朝で流行していた題材。

あーーー はやく見たい見たいみたい!!!


唐の仏教を考えたとき、北斉が大きな転換期だったような気がする最近。
だから気になる鄴仏教界。

鄴城の遺跡や文化財は、まだ可視的になっていない。
六朝が都を置いた場所だのになぁ。あれ、曹操も鄴だったっけ?


それにしても、何故、何百・何千にもなる数の仏像がまとめて出土するのだろう。
なかには唐代の像もあるので、会昌の廃仏を理由にあげる言説を聞くのだが。
北斉支配下の土地以外で、一括大量出土ってあったかな。。。

最近ちゃんと頭つかってないから、もやもやしてて嫌になる


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