緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

5月の八重洲口:八重洲北口前から眺めるグランルーフ PART2

2013年05月04日 22時45分53秒 | 東京駅周辺


八重洲南口前・JR高速バスターミナル前から歩行者用デッキ「グランルーフ」の既に完成している個所の大屋根を見上げて撮影してみました。この巨大な大屋根が今後の東京駅八重洲口の新たな顔となっていくのですね。




国鉄民営化後の1987年から丸の内駅舎の復原事業が動き出してきましたが、こちら八重洲口でも駅前広場が増大する交通需要に対応しきれていないといった問題があったことから、駅前広場の再整備と東京駅の新たな顔としての再開発事業を行うことになりました。




JR東日本の他に周辺地権者である三井不動産、鹿島八重洲開発、国際観光会館、新日本石油とともに共同開発することになり、それぞれの所有する敷地を一体化し、駅前広場を挟んで南北に2棟の超高層ビルを建て、中央部に新しい駅舎とデッキを建設することになりました。




近いうちに撤去されるであろう、工事用足場の南端部にやってきました。この足場の左側に高さ7.5メートルの位置にある歩行者用デッキが造られています。




雲一つない快晴の青空と、グランルーフの幌製の大屋根はすごく絵になると思います。




既に供用されている「JR高速バス乗り場」です。建て替え前の高速バスのチケット売り場や待合室は交通会館の中にあったのですが、新しく生まれ変わりました。




テフロン膜で構成された大屋根なので、太陽光が大屋根の下に降り注ぐ造りになっています。そのため大屋根の下にいても薄暗さなどは全く感じられませんでした。




大屋根を支えるための「スランティング・ピラー」は十数メートル間隔で配置されていて、実際に見てみるとその巨大さに圧倒されます。




上を見上げると、歩行者用デッキの個所はまだ工事用シートに覆われていました。




既存の鉄道会館ビル(八重洲駅舎)を撤去することにより八重洲駅前広場の奥行きを広げることになります。建物のコンセプトは「水晶の塔」と「光の帆」で、重厚で歴史を感じさせる丸の内側に対して、八重洲側の先進性・先端性を象徴することを期待したものとなっています。




中央部はテフロン膜で構成した大屋根で駅全体を覆い、雨風を防ぎつつ駅全体に柔らかい光を落とす、高さ30メートル、長さ240メートルの空間を創出する構造で、大屋根下の広場空間が駅前広場に直結することになります。




2004年9月から2007年11月にかけてツインタワーが建設され、鉄道会館の建物に入居していた大丸東京店はグラントウキョウノースタワーの低層棟へ移転しました。




鉄道会館撤去後は中央の大屋根部の建設に着手しました。グランルーフは地上4階地下3階で、2009年4月に安全祈願祭を実施し、7月に工事に着手しましたた。2011年3月からジェイアールバス関東の営業施設などが移転して南部先行開業となりました。




東京駅八重洲南口バス乗り場の全景を南側から撮影してみました。中長距離バス乗り場が駅側、都営バス乗り場が外堀通り側に整備されています。




グラントウキョウサウスタワーのメインエントランス前からグランルーフの全景を撮影してみました。完成は今年2013年の秋ごろが予定されています。これで2013年5月の八重洲口の散策は終わりです。



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5月の八重洲口:八重洲北口前から眺めるグランルーフ PART1

2013年05月04日 10時08分34秒 | 東京駅周辺


外堀通りを渡り、東京駅の「八重洲北口」前にやってきました。駅前のバスターミナル前からグランルーフを眺めてみて回りたいと思います。八重洲北口はグラントウキョウノースタワーの正面玄関と一体化されていて、「JR東京駅」の巨大な駅名が掲げられています。




ノースタワーのオフィス階入口以外にも、低層階の大丸東京店の地上1階フロアも「八重洲北口」に併設されています。3か所ある八重洲側の入り口の中では最も人通りが多く賑やかです。




2012年9月3日にオープンした「ルイヴィトン 大丸東京店」です。大丸東京店の2期工事区画の1階フロアに展開しています。バスターミナル側の地上からも入店できる構造になっているのです。




八重洲北口前から八重洲口前の交通ターミナルを撮影してみました。ゆったりとしたスペースが確保されている丸の内側と比べてみると、ターミナルの敷地は非常に狭く、もう拡張する余裕がない感じです。




グランルーフの建設工事に合わせて、このバス・タクシーターミナルも改良されるらしいのですが、今のところまだ工事は始まっていません。グランルーフの建設作業が完成してから始めるのかもしれません。




終戦後の失火による駅ビルの火災後に新たな新駅ビル構想が建ち上がるのですが、当初は外堀通りに面するところまで駅舎を前に出し、さらにその東側の土地を買収して広大な駅前広場を建設する構想だったのです。




しかし地元の反対運動により頓挫し、約38メートル後退させて駅舎を建設することになりました。この時に「鉄道会館」が建設されています。




南北に細長い交通ターミナルの北端側にはタクシー乗り場が設置されているのですが、ロータリー状に整備されている乗り場は非常に狭く、もう限界な感じがします。




グランルーフの北端部はまだ工事用の足場が組まれていて、大屋根の建設作業が続けられているようです。




ズームで撮影してみました。鉄骨で組み立てられている工事用の足場は、観ていて非常に複雑な様相を呈しています。




タクシー乗り場のロータリーの南側には、JRバス関東を始めとする中長距離の高速バス乗り場と、路線バス乗り場が設置されています。多くの高速バスが列を作っていて、こちらもそろそろスペース的に限界が気がします。




工事用の車両出入り口が「八重洲中央口」の脇に設置されていました。この日はGWの中日の平日だったのですが、工事は実施されてはいませんでした。




東京駅のバス乗り場は丸の内口と八重洲口の二つに分散されていて、路線バス乗り場は2か所に設置されています。しかし中距離の高速バス乗り場は八重洲口に全て集約されているのです。




静岡駅や浜松駅、名古屋駅へ向かう「東名ハイウェイバス」、京都駅と大阪駅へ向かう「東海道昼特急」などの長距離高速バス、そして北関東へ向かう中距離路線バス等が発着しています。




グランルーフの建設作業と合わせて高速バス乗り場も改良される予定となっています。現在工事用の足場が組まれている下でバスの発着が行われています。



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5月の八重洲口:外堀通りから眺める東京駅八重洲口「グランルーフ」 PART3

2013年05月03日 11時14分16秒 | 東京駅周辺


グランルーフの建設現場において、1機だけ残されているタワークレーンです。工事の最盛期である2012年の冬頃には巨大なタワークレーンが4機も八重洲口の建設現場に整然と並んでいたのですが、工事の進展に従って徐々に解体されていきました。




交通会館の建物が完全に取り壊されて更地状態だった際は、外堀通りから丸の内側の高層ビル群を綺麗に見渡すことが出来ました。グランルーフの建設作業が進むにつれて、すっかり見えにくくなってしまいました。




八重洲側に東京駅の改札口が設けられたのは昭和4年(1929年)のことです。この時期は関東大震災後の復興として銀座や京橋、日本橋周辺が繁華街やオフィス街として発展していたのです。




太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)の6月に、米軍の空襲を受けて東京駅八重洲口が焼失しました。戦時中は丸の内駅舎の空襲による炎上が大変有名ですが、八重洲口も被害を受けていたのですね。また、終戦直後の1949年(昭和24年)には失火により再び八重洲口が焼失しました。




グランルーフは外堀通りや駅前のバスターミナル、東海道新幹線東京駅ホームの非常に狭い場所で建設作業が進められています。工事用のプレハブ小屋はノースタワー寄りに設置されています。




2度の焼失によって八重洲口の再開発が促され、1954年(昭和29年)に八重洲口に鉄道会館ビルが建設され、八重洲のランドマークとなる大丸東京店が開業しました。




現在の外堀通りが通っている場所は江戸城時代の「外濠」の水路が設置されていました。1948年(昭和23年)に東京駅拡張工事とともに濠は埋めたてられ、濠に架橋されていた八重洲口橋も撤去されます。




それまで東京駅の京橋側の改札口は「八重洲橋口」を名乗っていたのですが、橋が撤去されたことに伴い「八重洲口」へ改称され現在に至っています。




グランルーフの北端側では現在も建物の構造体工事が行われています。工事用シート越しに見ると、大屋根はできつつあるようですね。




八重洲口会館ビル前からグランルーフを振り返って撮影してみました。新しくなった八重洲口の全景がようやく見えてきました。




商社など主要企業が軒を連ねる京橋・日本橋の玄関口であると同時に、2007年11月の大丸東京店の全面リニューアル、2008年3月の東京キャラクターストリート開業などにより商業スポットとしても注目されるようになりました。




八重洲口エリアは地下街が発達しており、東京ステーション開発株式会社が運営する東京駅一番街、八重洲地下街株式会社が運営する八重洲地下街などがあります。




ノースタワーに隣接して建っていた「第一・第二鉄鋼ビル」の建て替えによる再開発工事が実施されています。久しぶりに観てみたところ、新ビルの基礎工事が始まっているようでした。




ツインタワーの間のビル跡地部分には新たな高層建築物を設けず吹き抜け状態とすることで、丸の内側に風の通り道を確保し、ヒートアイランド現象の抑制を促す効果が期待されているのです。




緩やかなウェイブを描くようなグランルーフの大屋根は、八重洲口の新たな新名所となりそうです。次回の記事は、外堀通りを渡ってバスターミナル側からグランルーフを観て回ります!!!



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5月の八重洲口:外堀通りから眺める東京駅八重洲口「グランルーフ」 PART2

2013年05月02日 22時18分10秒 | 東京駅周辺


引き続き、東京駅の八重洲口で建設中の歩行者用デッキ「グランルーフ」を観ながら散策を続けていきます。東京駅の敷地の皇居側は「丸の内口」、そしてこちら京橋側は「八重洲口」と呼ばれています。丸の内と八重洲とでは、周囲の街並みの雰囲気が全く違います。




大正時代創建の丸の内駅舎と皇居まで伸びている行幸通り、戦前の旧三菱財閥の系譜を引き継ぐ大企業の本社ビルが密集している丸の内と比較すると、八重洲地下街や大丸百貨店など商業施設の割合が多いことが特徴です。




グラントウキョウサウスタワーとグランルーフの構造体の間に、丸の内口側に建っている高さ200メートルのJPタワーが綺麗に見えました。




グランルーフの大屋根の下、高さ7.5メートルの位置に歩行者用デッキの工事が現在進められています。グランルーフの南北両側に建っているツインタワー同士を結ぶルートとなっています。




八重洲口前を走る外堀通りが千代田区と中央区の境界線となっていて、中央区側のエリアが一般的に「八重洲」と呼ばれています。ちなみに、グランルーフやグラントウキョウノース・サウスタワーが建っている場所は「千代田区の丸の内地区」に含まれているのです。




八重洲の地名は、ここに住んでいたオランダ人ヤン・ヨーステンの和名「耶楊子(やようす)」に由来しています。彼は江戸時代に日本に漂着し、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳として活躍し、家康からこの地に邸を与えられたのです。




八重洲口前の外堀通り周辺の地下には日本で2番目に広い地下街である「八重洲地下街」が広がっています。東京駅構内の八重洲寄りにある東京駅一番街と共に、巨大なショッピングゾーンが地下に広がっているのです。




グランルーフの南端部に入居している「JR高速バス乗り場」が小さく見えました。建物内には高速バスのチケット売り場やバスの乗客専用の待合室などが整備されています。




元々の「八重洲」は現在の丸の内に相当する地域のうち、丸ビルと三菱ビルの間に存在する通りの南側を指す地名でした。ヤン・ヨーステンの屋敷も内堀沿いに存在しました。「丸の内」は北側の永楽町と併せて江戸城の外壕の内側を指すこれらの上位的な地理的概念として存在したのです。




グランルーフの北側にそびえ立つ「グラントウキョウノースタワー」を撮影してみました。ホテル国際観光が入居していた国際観光会館の跡地に建設されました。高さ200メートル、地上42階地下4階建てとなっています。




ノースタワーの低層階に入居している「大丸東京店」です。2段階に分けて建替えられ、第1期分では店舗面積34000平方メートルで先行開業しました。その後、第2期工事が完成したことで、2012年10月に46000平方メートルにまで増床しました。




地下1階~地上13階までが大丸東京店、17階~36階が大和証券グループ、37階が日本調剤グループ、38階が日本ビルファンドマネジメント、39階~43階がBNPパリバ・グループが入居しています。




ノースタワーの頭頂部をズームで撮影してみると、「GRAN TOKYO」の文字盤が打ち込まれています。




もともと現在の東京駅八重洲口付近には、江戸城時代の北町奉行所の在所でもありました。「奉行所」とは、江戸時代の警察と裁判所の役割を持った公的機関、それに加えて防災など現代でいう役所全般の職務を担当していました。




1914年(大正3年)には官営東海道本線が新橋駅から延伸する形で東京駅が開業します。当時は、日本橋側(現在の八重洲側)は駅のすぐ東側が外豪であったため、地形的な制約を受けて入口が設置されませんでした。



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5月の八重洲口:外堀通りから眺める東京駅八重洲口「グランルーフ」 PART1

2013年05月02日 17時23分38秒 | 東京駅周辺


ゴールデンウイークの中日(なかび)の平日、東京駅の八重洲口に建設中の歩行者用デッキ「グランルーフ」を観に行ってきました。4月の下旬ころに一度訪れていたのですが、その時は薄曇りの天候だったのです。雲一つない快晴の天気の日にもう一度散策したいと思っていたところです。




「外堀通り・鍛冶橋交差点」から外堀通りを北へ向かって歩いて散策していきます。交差点前から八重洲口の南側にそびえ立っている「グラントウキョウサウスタワー」を見上げて撮影してみました。




地上42階地下4階建ての高層ビルで、東京駅再開発の一環として2004年9月日に着工、2007年11月にオープンしました。設計(デザインアーキテクト)は、ドイツ系アメリカ人の建築家ヘルムート・ヤーン氏です。




サウスタワーが建っていた場所には、かつての興銀八重洲ビルや国労会館といった建物がありました。21世紀初頭から「東京ステーションルネッサンス」の一環として再開発事業が進められています。




グラントウキョウサウスタワー、1階がBMWジャパンの店舗、5階~18階が住友信託銀行、19階~20階が志賀国際特許事務所、21階~22階がBMWジャパンオフィス、23階~41階がリクルート本社が入居しています。




八重洲口南側に建っているグラントウキョウノースタワーの北側に、現在建設中の「グランルーフ」があります。特徴的や幌状の大屋根の建設もかなり進み、工事も完成に近づいてきました。




グランルーフの北側に建っているのが「グラントウキョウノースタワー」です。現在グランルーフが建設中の場所にかつて建っていた大丸東京店の店舗が高層ビルの低層階に入居しています。




南北に建設された超高層ビル「グラントウキョウノースタワー」(地上43階)と「グラントウキョウサウスタワー」(地上42階)をつなぐ、近未来的なデザインの屋根型の構造物「グランルーフ」(全長234メートル)が今年2013年の秋の完成へ向けて工事中なのです。




グランルーフの大屋根の下には南北のタワーを結び約7・5メートルの高さに歩行者用デッキが配置されます。大屋根の部分はほぼ完成しているようですが、歩行者用デッキの工事はまだなようですね。




グランルーフのある場所には、昭和29年に建設された地上6階建ての鉄道会館ビルが建っていて、前述の通り大丸東京店の店舗が入居していました。昭和43年には12階建てに増築されます。ノースタワーへ移転した後、2008年の暮れ頃から解体作業が始まりました。




2009年に解体工事が完了し、その後しばらくは更地になっていました。2011年くらいにようやく工事が始まりましたが、時期的に丁度反対側の丸の内駅舎の復原工事が佳境を迎えていた頃だったので、注目度は低かったと思います。




八重洲ブックセンター前から八重洲口・グランルーフの全景を撮影してみました。丸の内口の復原された丸の内駅舎が大正時代の天皇の駅として創建された歴史性を出しているのに対し、こちら八重洲口では近未来性を前面に押し出しています。




グランルーフの南端部だけを切り取って見てみると、すでに完成して供用されている雰囲気が強く感じられます。実際にJRバス関東等の高速バスのチケット売り場や待合場所などが既に使用されているのです。




東京駅の八重洲口にはJRバス関東を中心とした中長距離の高速バス乗り場を始めとして、路線バス乗り場、タクシー乗り場、一般車用乗り場等が狭いエリアの中に併設されています。多くの車両や人が行きかう上でグランルーフの建設作業が進められているのです。




ターミナルの中のバスやタクシー、そして行き交う人の身体と比較してみると、改めてこのグランルーフの構造体の巨大さがよくわかります。プレスニュース等の完成予想図などを観ていてもあまり迫力は感じなかったのですが、実際に完成しつつある実物を眺めていると全く印象が違います。



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