グランルーフの建設現場において、1機だけ残されているタワークレーンです。工事の最盛期である2012年の冬頃には巨大なタワークレーンが4機も八重洲口の建設現場に整然と並んでいたのですが、工事の進展に従って徐々に解体されていきました。
交通会館の建物が完全に取り壊されて更地状態だった際は、外堀通りから丸の内側の高層ビル群を綺麗に見渡すことが出来ました。グランルーフの建設作業が進むにつれて、すっかり見えにくくなってしまいました。
八重洲側に東京駅の改札口が設けられたのは昭和4年(1929年)のことです。この時期は関東大震災後の復興として銀座や京橋、日本橋周辺が繁華街やオフィス街として発展していたのです。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)の6月に、米軍の空襲を受けて東京駅八重洲口が焼失しました。戦時中は丸の内駅舎の空襲による炎上が大変有名ですが、八重洲口も被害を受けていたのですね。また、終戦直後の1949年(昭和24年)には失火により再び八重洲口が焼失しました。
グランルーフは外堀通りや駅前のバスターミナル、東海道新幹線東京駅ホームの非常に狭い場所で建設作業が進められています。工事用のプレハブ小屋はノースタワー寄りに設置されています。
2度の焼失によって八重洲口の再開発が促され、1954年(昭和29年)に八重洲口に鉄道会館ビルが建設され、八重洲のランドマークとなる大丸東京店が開業しました。
現在の外堀通りが通っている場所は江戸城時代の「外濠」の水路が設置されていました。1948年(昭和23年)に東京駅拡張工事とともに濠は埋めたてられ、濠に架橋されていた八重洲口橋も撤去されます。
それまで東京駅の京橋側の改札口は「八重洲橋口」を名乗っていたのですが、橋が撤去されたことに伴い「八重洲口」へ改称され現在に至っています。
グランルーフの北端側では現在も建物の構造体工事が行われています。工事用シート越しに見ると、大屋根はできつつあるようですね。
八重洲口会館ビル前からグランルーフを振り返って撮影してみました。新しくなった八重洲口の全景がようやく見えてきました。
商社など主要企業が軒を連ねる京橋・日本橋の玄関口であると同時に、2007年11月の大丸東京店の全面リニューアル、2008年3月の東京キャラクターストリート開業などにより商業スポットとしても注目されるようになりました。
八重洲口エリアは地下街が発達しており、東京ステーション開発株式会社が運営する東京駅一番街、八重洲地下街株式会社が運営する八重洲地下街などがあります。
ノースタワーに隣接して建っていた「第一・第二鉄鋼ビル」の建て替えによる再開発工事が実施されています。久しぶりに観てみたところ、新ビルの基礎工事が始まっているようでした。
ツインタワーの間のビル跡地部分には新たな高層建築物を設けず吹き抜け状態とすることで、丸の内側に風の通り道を確保し、ヒートアイランド現象の抑制を促す効果が期待されているのです。
緩やかなウェイブを描くようなグランルーフの大屋根は、八重洲口の新たな新名所となりそうです。次回の記事は、外堀通りを渡ってバスターミナル側からグランルーフを観て回ります!!!