緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

新年の霞が関:憲政記念館前から最高裁判所へ PART2

2016年01月18日 06時01分00秒 | 皇居周辺・城西


国道20号線(甲州街道)の三宅交差点のそば、最高裁判所の敷地南東側に整備されている広場内を散策していきます。最高裁判所の敷地は、緑豊かな緑地帯の雰囲気となっています。




最高裁判所の歴史は思ったよりも新しく、GHQ占領時の1947年(昭和22年)の4月に成立した裁判所法に基づき、同5月3日の日本国憲法施行と同時に設置された経緯があります。




戦前は、1890年(明治23年)の大日本帝国憲法に先んじて、裁判所構成法が公布されています。大審院の下に、控訴院・地方裁判所・区裁判所が設置されました。軍人・軍属などの刑事事件を裁判する軍法会議や、皇族の民事事件を裁判する皇室裁判所、行政裁判所などの特別裁判所も設けられていました。




広場内から三宅坂交差点を見下ろして撮影しました。国道20号線(甲州街道)の東側一帯は、皇居の広大な緑地帯が広がっています。




国道20号線(甲州街道)の歩道を北側へ向かって歩き、最高裁判所の正面玄関前へ向かいます。




敷地内に植えられている木々に遮られていて分かりにくかったですが、最高裁判所の建物は工事用シートに覆われていました。改修工事でも行われているのでしょうか。




明治時代初期から昭和時代前期まで日本に設置されていた最高裁判所は「大審院」と呼ばれていました。フランスの破毀院をモデルとして設置され、主に、民事・刑事の終審として、特別裁判所及び行政裁判所の管轄に属しない事項について裁判を行っていました。




戦前の「大審院」と、現在の最高裁判所は非常に似ていると一般的には良く言われていますが、司法行政監督権・規則制定権・違憲立法審査権などの権限が大審院になかったなど地位は今よりも低かったそうです。




最高裁判所の正面玄関前にやってきました。元旦の散策だったので、当然ながら閉まっていました。




現在の最高裁判所庁舎は建築家岡田新一氏によって設計され、1974年(昭和49年)に竣工しました。それ以前は、戦前の大審院時代と同じく霞が関地区内に建っていました(現在の裁判所合同庁舎)。




最高裁判所庁舎は地上5階・地下2階建ての規模であり、鹿島建設によって施工されました。裁判所と言うよりは、大規模な博物館の建物のように見えますね。





正面玄関前から国立劇場方向へ散策していくと、敷地沿いに工事用案内板を発見しました。「最高裁庁舎耐震改修工事」が行われているのですね。




敷地内に執務室などが入る仮庁舎を建設し、2014年4月から4年間かけて各棟の壁を厚くしたり、鉄骨で補強したりする改修工事が行われています。




最高裁判所の敷地脇を通り抜けると、すぐに「国立劇場」の敷地が見えてきます。




無人状態の敷地内を散策していきます。



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新年の霞が関:憲政記念館前から最高裁判所へ PART1

2016年01月18日 06時00分00秒 | 皇居周辺・城西


国会前庭(北側)の緑地帯内に建っている「憲政記念館」前にやってきました。衆議院事務局が管轄している、日本の議会政治に関する展示施設となっています。




1960年に建てられた尾崎行雄(衆議院名誉議員)を記念する「尾崎記念会館」を母体に、1970年の日本における議会政治80周年を記念して設立され、2年後の1972年に開館しました。




この日は元旦だったので、流石に憲政記念館も国会前庭も閉鎖されていました。




憲政記念館の正門入り口前から北側一帯を見渡して撮影しました。国立国会図書館や国会議事堂などが周辺に集まっていて、道路も片側2車線でゆったりとしています。




北東側から撮影した国会議事堂の敷地全景です。敷地沿いに植えられている木々に覆われていました。




憲政記念館の正門入り口前から北側へ向かって伸びている道路を歩き、三宅坂や最高裁判所方向へ向かいます。イチョウ並木道も枯れ木状態となっていました。




下り坂を歩いて行くと、国道20号線(甲州街道)の「三宅坂交差点」にやってきました。国道20号線の車の交通量は、それなりに多かったです。




三宅坂交差点の北西角には「最高裁判所」の建物群の敷地が広がっています。行政権(内閣)、立法権(国会)、司法権(裁判所)に分立させる三権分立のうち、司法権を司る最高峰の建物です。




三宅坂交差点から北側へ向かって伸びている国道20号線(甲州街道)を撮影しました。国道20号線(甲州街道)を道なりに進むと、新宿駅方向へ向かうことが出来ます。




皇居半蔵門の周辺の高層ビル群をズームで撮影しました。「グランドアーク半蔵門」などのシティホテルやオフィスビルなどが林立しています。




三宅坂の名前の由来は、江戸時代にこの坂の途中に三河国田原藩(現在の愛知県田原市)・三宅家の上屋敷(現在の国立劇場周辺)があったことに由来しています。




交差点北側から振り返って、桜田門方向を撮影しました。当時はこの坂に沿って、三宅家のほかにも近江国彦根藩・井伊家上屋敷の広大な敷地(現憲政記念館・国会前庭等)もありました。




日本の裁判所の中のトップに位置する最高裁判所の敷地脇を通り抜けていきます。三宅坂交差点前の一角には、ちょっとした広場が整備されていました。




最高裁判所や国立劇場が建っている住所は、千代田区の「隼町(はやぶさちょう)」と言う名前です。徳川家康の江戸入府当初、鷹匠屋敷があったことによります。




隼町地区の南側は政治の中心の永田町地区、西側は政府系の重要施設が集まる平河町地区、北側は日本屈指の高級住宅街の麹町地区になっています。



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