緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

11月の東京シティビュー:北方向(JR四ツ谷駅方向)

2013年11月22日 08時00分00秒 | 城南・港区全域


シティビューより北方向(JR四ツ谷駅方向)です。新宿区や豊島区といった都内の住宅密集地帯のはるか先には、地平線が霞んでしまうほどのだだっ広い関東平野が広がっています。世界最大の3400万人の都市圏人口を擁する関東平野の巨大さがよくわかりますね。




六本木ヒルズ森タワーの北側に広がっている「六本木7丁目地区」の住宅街を見下ろして撮影しました。ちょうど六本木ヒルズ森タワーの巨大な影が市街地の中に写り込んでいました。




六本木ヒルズの敷地の北側にある「六本木六丁目交差点」、通称「六六交差点」を見下ろして撮影しました。六六交差点の北側には外苑東通りの六本トンネルの南側坑口が見えますね。




六本木ヒルズの敷地から約500メートル程北側に広がっている複合施設「東京ミッドタウン」の高層ビル群を撮影しました。2007年3月に華々しく開業した東京ミッドタウンの高層ビル群も、現在ではすっかり赤坂地区の日常的風景の中に溶け込んでいます。




高さ248メートルのミッドタウンタワーの後ろ側には赤坂や赤坂見附地区の高層ビル群が広がっています。赤坂地区にあるTBS放送センターと赤坂BIZタワーを中核とする「赤坂サカス」の高層ビル群が目立ちますね。




赤坂御用地の東側、赤坂見附地区も現在は高層ビル街となっていて、ホテルニューオータニや新赤坂センタービルなどの高層ビルが林立しています。




赤坂御用地の緑地帯の北側に建っている高層ビル群と、高さ100メートルの通信用アンテナを備えた施設は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内にある「防衛省本庁舎」です。元々は現在の東京ミッドタウンのある場所に本庁舎が建っていたのですが、2000年に市ヶ谷へ移転しました。




全面ガラス越しに真下を見下ろしてみると、東京地下鉄日比谷線の六本木駅と直結している「メトロハット」を撮影することが出来ました。




2000年に市ヶ谷に移転した防衛庁本庁舎(2007年に「防衛省」に昇格)と、移転した跡地に再開発工事によって2007年3月に誕生した東京ミッドタウンです。六本木ヒルズや東京ミッドタウンの誕生によって、六本木地区のイメージは大きく変わることになりました。




江戸時代のこの辺り一帯には長州藩毛利家の下屋敷などの敷地が広がっていました。東京ミッドタウンのみならず、国立新美術館一帯にも及び、この界隈は檜の木々が多く植えられていたので「檜屋敷」と呼ばれていたそうです。明治維新後には大名屋敷はすべて撤去されて更地となっていました。




明治時代からは大日本帝国陸軍の歩兵第一、第三連隊の駐屯地となっていて、現在でも国立新美術館の敷地内に保存される形でその時代の建物が一部残されています。第二次世界大戦での日本の敗戦後にはアメリカ合衆国に接収され、米軍将校の宿舎として使用されました。




赤坂の高層ビル群の背後には皇居の広大な緑地帯が見えます。サンフランシスコ講和条約発効後の1960年(昭和35年)に日本に返還され、陸上自衛隊の駐屯地となるとともに、防衛庁の本庁舎も設置されました。




2000年5月に防衛庁本庁舎は新宿区の市ヶ谷駐屯地に移転します。2001年4月には東京都が「赤坂9丁目地区再開発地区計画」を決定し、翌5月には財務省が売却を公示しましたた。同年9月にはコンソーシアム6社(積水ハウス、全国共済農業協同組合連合会、大同生命保険、富国生命保険、三井不動産、安田生命保険)が落札します。




再開発計画を策定中の2003年4月には六本木ヒルズが開業し、その反響はこちらの計画内容にも影響することになります。工事は2004年5月に始まり、2007年1月に竣工、同年3月30日に東京ミッドタウンは開業しました。




最後にもう一度北側方向の全景を撮影しました。




中低層マンションなどを中心とした住宅密集地域となっている六本木・赤坂地区ですが、近年では再開発工事が至る場所で進められています。




屋内展望台からの眺望は終わりです。52階フロアから特別エレベーターに乗って、屋上階の海抜270メートルに位置する展望台「東京スカイデッキ」へ向かいます!!!



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