恵理の日記帳

平凡な日々の中で、ささやかな出来事を書いています。

霰が雪になって、やがて霙に・・

2008-02-09 22:45:56 | Weblog
二七日の今日、朝から母とふたりで用意に「大忙し」

志をお包みして、お寺さんにお参り頂く時間を聞きに行きました。
法事があるということで、午後二時からのお参りとなりました。

朝のうちに霰が降っていたのですが・・・



いつの間にか雪に変わっていました!



慌ててお茶菓子と軽い食事の買出しに出かけました。



座布団・灯明などの用意をして、近所の方達に報謝を配る頃には大雪に



午後二時にご住職さまがみえて、少しお話をしました。
父の思い出話もしました。

ご住職さまは「寺の桜の下で近所の方達と毎年お花見をしましたが、いつの間にかOさんの姿が見えなくなるので、どうしたのかと探しに行くのですよ。するとOさんは畑仕事をしていました。酔っているのに、よく畑仕事が出来るものだと感心しました」
「何方からも農作物を頂きましたが、本当にOさんから頂くものが1番美味しかった。どういう訳か、サツマイモも凄く甘くて美味しかったですね」と、仰ってくださいました。



ご住職様と共に皆でお経を上げているうちに、気持ちがどんどん軽くなっていくような気がしました。

途中で休憩して茶菓子と茶を召し上がってもらい、お話をした後、お経を上げて頂きました。

最後に寿司・手巻き寿司・吸い物をお出ししました。

その頃には、雪は霙に変わっていました   

郵便で、学友(駄菓子のあいやさん)からお志と温かい手紙が届き、胸がジ~ンとなりました

「本当に有難う!」




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言葉

2008-02-08 22:22:39 | Weblog
我が子三人を、父親代わりとして25年もの長きにわたって、明るく素直にお育ていただき、本当に有難うございました。



二七日の明日、お寺さん(住職様)にお参りいただいてから近所の方達に報謝を配ります。

少し日が経って落ち着いてはきましたが、反対に色々と考えたり思い出すことが多くなって、時々

          

O奉閣では、丁寧に滞りなく式を進めて下さいましたが・・
父の国鉄時代の友人、親しくしていた方達、近所の方達、親戚で送ってもらいました。

私の職場関係や市には「身内だけで送ってやりたいと思いますので」とお断りしました。

一昨日、市職員共済組合から弔慰金請求書が届きました。
受け取り口座などを記入し、所属長(校長)の印も押すようになっています。

「請求書?」「弔慰金って、私が請求するものなの?」

ひねくれた私は「絶対にこの書類を提出しない」




後になって「病院を変えていたら、もっと違う治療方法があったのでは?」とか考えることもあったのですが・・

主治医が「ご高齢なので、痛い思いや余計な延命処置は可哀想なのでしません」と仰った言葉を真摯に受け止めるようにします。



















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やさしい気持ち

2008-02-07 22:53:42 | Weblog


夢子さんのお心遣いに感謝致します。

御菓子は、ご仏前にお供えしました。
父も喜んでいると思います。 有難うございました。
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待ち受け画面

2008-02-06 23:54:22 | Weblog
職場のパートさんが「友人から送信してもらった画像(美輪さん)を携帯電話の待ち受け画面にしていたら、ランチ券が当たった」と仰っていました。

私も「学友から沖縄の神の手雲の画像を送ってもらった」と見せましたら、若いパートさんが「あ、私のと同じだよ」と自分の携帯を見せてくれました。

きょうは、先輩が検診で年休を取ったのと、私が休んでいる間に洗浄機が壊れていたので「凄く忙しい思いをしました」

中国関係の物資の件で、今日も含めて献立の急な変更に対応しなければならなかったですし



次男は無事に退院しました。
自宅療養するように言ったのに、寮で療養しています。



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美しい朝陽

2008-02-05 23:29:08 | Weblog


あの日を想い出させるような美しい日の出です。

          

今日の給食は揚げパン・煮込みうどん・ミニがんもの煮つけ

帰宅後 9日に近所に配る報謝を25個買いに行きました。



ボイラーが壊れたので新しいものを設置してもらいました。
土台や配管もボロボロだったと言うことで、全てやり直すことになってしまい・・・



家の内外も新しい配管が通っていました。
お風呂の土台もきちんとしてもらって、セメントが塗ってありました。

               


本当は(ずっと以前に家族全員で話し合って)この家を出て行くつもりでおりました

贅沢は言えないので、本気で中古物件などを探していたのです。

それなのに・・・
父の入院中にボイラーが壊れてしまって

そして、こんな大掛かりな改修工事となってしまいました。

古い家ですが(水周りが良くなって)離れるのがもったいと思うようになってしまいました。
改修にもかなりの費用がかかりましたし・・・














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友人

2008-02-04 22:16:24 | Weblog
仕事を終えて2~3日分の買出しをしてから帰宅。

ずっと食事らしい食事を摂らずにいたので、家族で食卓を囲むのは本当に久しぶりのような気がします。

付き添いをしていた時も(日曜日で売店が休みだったりすると)夕方まで御茶だけを飲んでいたということが多かったですし・・



夜になって、友人の訪問!
御主人と共に父のお参りに来てくださったのです。
(幼稚園の園長さんであり、ご住職さまでもあります)

母と共に、父のことを話しているうちに、また泣いてしまいました

一時危篤に陥りながらも強い生命力で持ち直した際、父が何時間も喋り続けたことなども話しました。

酸素マスクを嫌がって、何度も何度も外してしまった事・・
着替えて仕事に行きたいと呟いていたこと・・

病院を変えていたら、もっと違う治療法があったのではないかと色々考えてしまいます。



友人は「また、11日に皆と一緒に来るからね」と言って












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音色

2008-02-03 23:58:31 | Weblog


仏事に必要な買い物を済ませて立ち寄ったうどん屋さんで・・・



素晴らしいピアノの演奏を聴くことが出来ました

燕尾服でコンサートを開いたり、新聞やクラシック雑誌などの取材も受けたそうです。

               

その店内で、偶然に友人と遭遇!
父のことを聞かれて「実は・・」と  友人も

帰宅後、その友人から「11日に皆でお参りに伺います」とが届きました。
(皆=年に数回集まる高校時代の友人達)







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雨が雪に変わって

2008-02-03 05:00:45 | Weblog
夜明け前の今、ぼたん雪と言うよりもみぞれ雪と言ったほうが良い感じの雪が降っています。



元旦には小雪が舞っていたのですが、今日の雪が初雪になるのかも知れません。
(24日にも積雪がありましたか)   失礼



2/1~2/2に付けて下さった皆さんのコメントを見ながら、父のことを思い出していました。

父の在所(実家)にも何度も一緒に行きました。

関の地蔵さんや関宿も訪れ、ゆっくりと散策しましたね。
田村神社にも行き、屋台で美味しそうに(おでんを肴に)お酒を飲んでいましたね。
今でも当時のまま保存されている母校(小学校)の校庭に立って、感慨に耽っていた父の姿を忘れることはないでしょう。

多くの兄弟・家族・孫・国鉄の方達・町内の方達に見送られて、本当に良かったと思います。






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お父さん

2008-02-02 01:37:50 | Weblog


その日の朝は、綺麗な雪山が見えましたね



眩しい朝日が射して、まるで天国からの御来光のような感じでした!

手前の左が、父の個室です。
このドアを開けて入ることは、もうなくなってしまったのですね。

寂しいです! 本当に寂しいです!!
声にならない声をあげて・・

     

その時
急に手を上げて呼ぶので、私は手を握って「何?お父さん」と言いました。
そんな私を見ながら、父の呼吸は弱くなっていったのです!



高田本山



戒名を貰いに行きました

「どんな方でしたか?」と聞かれ、「よく働く豪快な父でした」と答えました。

「では、そのように書きましょう」と・・・

        

最初から最後まで、会館(O奉閣)の方達が、全て滞りなく進めてくださいました。





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父の思い出

2008-02-02 01:28:46 | Weblog
亀山~四日市~名古屋客車区で勤め上げて



定年は四日市(支区長)でした。
最後まで国鉄マン
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