恵理の日記帳

平凡な日々の中で、ささやかな出来事を書いています。

介護保険って何?

2016-12-18 21:18:26 | Weblog

     

77歳の誕生日を迎えた直後に、体調不良を訴えて四日市〇〇病院を受診した『父』

 いつも畑仕事をしながらビールを飲むのが好きで、買い出しに出かける私に「ビール買ってきておくれ」と言いました。

そのビールを飲んでから「なんや、おかしいわ、ビールが美味しないしフラフラするわ」と!

様々な検査が終わってから、主治医から話があると呼ばれ、母と共にナースステーションに行きました。

「半年、もつかどうか」と言われて、世の中が引っくり返るような衝撃を受けました!

 「手術が終わったら、皆(我が家と妹家族)揃って迎えてくれよ」と笑顔で言った父でしたが、もう手術はできないと言われてました。

仕事をしながら、私は心の中で「父が亡くなるはずがない!」と唱え続けていました。

 最初の入院は1ヶ月間でしたが、中旬に入院して翌月の中旬に退院が決まったので、二か月分の入院費請求が来ました。

月をまたいで入院すると、入院した月と退院した月の医療費がかかるのです。

(後期高齢者だったので、入院費は1ヶ月〇万円と決まっていました)父は高い方の額でした。

 

退院時に山ほどの薬を処方されて、本当に(嫌がる父に)飲ませるのに苦労しました

「こんなに飲ませて、食欲もないのに大丈夫でしょうか?」と質問しましたが「食べてなくても薬は必ず飲ませてください」と言われました。

 父に薬を水と共に飲ませて、私が「飲んだ?」と聞くと「飲んだ」と口を開けて見せる父でしたが・・掃除をするとベットの下に錠剤の薬が沢山転がっていました~

(口の中に隠しておいて、誰にも気づかれないように捨てていたようなのです)

 体調が良い日は朝から散歩に出かけ、帰宅すると冷蔵庫を開けて「きょうは気分が良いわ」と言いながらアイスクリームを食べていました。

でも、次第に体力がなくなってきて、どんな時にも家族が支えないと動けなくなってきました。

 夜中にも何度も「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と私を呼ぶので、起きて行って「何?」と聞くと「水」「アイスクリーム」「小豆が食べたい」と言います。

長男達が「母さんは仕事があるから、僕たちを呼んで」と言って、手伝ってくれました。

通院時は、病院に車を横付けして、母と二人で支えて院内の車椅子に座らせました。

「病院は嫌だ、家が明るくて良い」という父に、二度目の入院時は「個室で自宅と同じ環境にしてあげます」と看護師さんが言ってくれました。

長男が日程表を組んでくれて、家族全員で交代で父を看ました(絶対に父を独りにしないように!)

長男も私も仕事がありましたから、体力的にも精神的にも極限になり・・倒れそうでした~

 

あれから9年の月日が流れましたが、介護保険って何だったんだろうって思います。

車椅子も介護用ベットも借りることもなかったです(せめて、車椅子でも貸してくれていたら)

父の年金からは介護保険料が引かれていたのに、何の恩恵も受けないままでした。

 義父さんを肺癌でなくされた知人も「何にも介護保険のお世話にならなかったと義母が怒っていた」と言っていました。

 

車椅子のステッカーを貼って走っている車を見かける度に、ふと考えることがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初めて見ました(#^^#) | トップ | 冬場の草刈り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事