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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

母を想う

2023年05月15日 | 春・八十路の青春賦
5月14日(日)15/21℃ 
母を想う

 今日は雨☔️  皆さんのブログを見せてもらい、今日は「母の日」だと知る。
母が生きていたら102歳のはず。

いろいろあり親孝行の何一つもできず、今になり母を想うと後悔ばかりで次々と涙が溢れる😭
まさに「親孝行したいときには親はなし」

母の好きだったパープルの花を捧げ乍ら、過去に書いたブログから母を想い偲ぶ





母と男装の麗人

 「男装の麗人」と言えば昔の人はすぐにあの清朝の皇族第10代粛親王善・の第14王女(愛新覚羅・・)また東洋のマタハリ或は満州のジャンヌダルクと言われた日本名・川島芳子を思う。

 何気なく映画やテレビのドキュメンタリー番組また数々の出版本から旧満州国建国の影で活動し、歴史に翻弄された方だと言う位の浅い知識でしかない。
 今回松本に帰郷し、その川島芳子と同じ時期、同じ学校に通ってた母の存在を知る。
母は戦前の生活について私には一切何も話してくれなかったが、歳の離れた妹には時々思い出したように話していたようだ。

 その叔母の話しによると、母は戦前 松本高等女学校に通う時、袴に革靴を履き、時に洋服を着て通学していたと言う。
 当時着物姿の同級生からはそのスタイルは珍しく、同じ生徒なのにみんな教師と思い挨拶され恥ずかしかったと妹に話していたと聞く。

 そしてその同じ学校にもう1人、馬に乗り洋装で通学していたのが川島芳子だったというから、2人の存在は当時有名だったに違いない。
 川島芳子にどんな接点があったのかは知らないが、同じ学校でまさか母と川島芳子が同じ学舎にいたとは驚きだった。

 先日初めて川島芳子についてnet上で検索したら凄い資料にびっくりするも、当時 母と同じ女学校に馬に乗り通学していた記載があり、それは事実だったようだ。

 当時の母は女中が二人いたという姫路で暮らした少女時代から、昭和初期の松本での学業期の頃はかなり裕福なお嬢様生活を過ごしていたようだ。 その後の父親の急死、戦争、敗戦、夫の死、戦後の困難な時期にあって母の生活も一転。  
母は最後まで何一つ語らなかったが、話しを聞いておきたかった。

(2022年10/22ブログから)

信州の実家から望む信州アルプス・常念岳

母の好きだったパープルの花を捧ぐ
2023年5月14日)













母よ! 貴方の子供、孫、曾孫、玄孫たちが元気で生活しています。
ありがとう 心安らかに🍷💐😂









(千里南公園の散歩道から)






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1 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2023-05-14 23:36:41
亡くなった人のことは、思い出してあげるだけで供養になるそうですね。

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