キルトの世界

キルトを始めて14年になります。刺繍を含めた、キルトを中心に日々感じたことを、述べていきたいと思います。

ひどい美容医療

2007-03-27 09:20:39 | Weblog
夜、あるテレビ局の告発番組を、みていたらひどい美容医療の失敗で、以前よりももってひどい傷跡となった方達の、画像をみて、怒りがふつふつと湧いてきた。テレビ局は、視聴率かせぎで、やらせ番組を流すより、こういう番組を、どの局も作って欲しい。問題の医者は、わざと、レーザー光線を最大限に当てて、傷跡を大きくして、利潤のために、自分の病院に長く通わせようとしたらしい1!患者は、お金と時間の無駄と、精神的苦痛を与えられたわけである。昔、私の父が言っていた、「虎ばさみ」と言っていた、言葉を思い出した。医者が、金儲けのために、わざと、理不尽な治療をして、長く病院通いしなければならないような、治療をする事である!!こういう医者は、避けからなければいけない。確かな選択の眼が、大切である。今日の写真は、昔創った、ティッシュケースである。

知覚色彩学

2007-03-26 00:02:08 | Weblog
以前に、図書館で見た雑誌に、大変興味のある記事があったのでコピーをして、家でじっくり読んでみた。今日は、この記事について、のべたい。「色彩は心の窓」といわれて、視覚と脳は密接な関係があるという。物理学者のカート・ナッソウも、同様な意見を述べている。知覚色彩学とは、眼による、色彩感の集大成である。「色彩対比」では、2色より、3色による対比方法が、脳活動が超日常まで活発にさせる。イギリスの色彩学者のライト博士が、この色の提示方法を、発見した。この3色対比は、無彩色より、有彩色のほうが、より大きな知覚変化を促すようである。その変化は、対比と同化が、同時に現れるためである。対比は、色の強調を拡大する作用であり、同化は、色の違いを消す作用である。また、3色対比は、ぼかしてみると、色の違いが大きく見える特徴がある。色の対比知覚現象は、質感を欠くにつれて明確になる。日常の色は、不透明で材質感があるから、対比現象は、弱くなる。他に、色の境界に出現する、知覚色がある。また、私達の眼には、左右の眼で、色感度に差があるという。また、色の違いの判断は、色相差、明かるさ、濃いうすいの差で感じる人に分かれるが、なかには、差もない人もいる。。黒は、白や灰色にはない、働きをするようだ。この色彩現象を、今後のキルトつくりに役だてたい。 今日の写真は、小さい風景の絵キルトである。

























































20日のウォーキング

2007-03-23 10:27:33 | Weblog
20日は、2回目のウォーキングだった。新橋から品川まで5キロほど歩いた。幸い気持ちの良いほどのお天気だったので、楽しく歩けた。40年ほど、関東圏に住んでいても、まだまだ訪れていないところは、沢山ある。最初は、芝大神宮。ここは、1005年ごろに、伊勢の内宮と外宮の御分霊を祀り、鎮座させたろいう古社である。ここでは、生姜のお菓子や飲み物が売っていて、飲み物となる粉末を、買った。次に、増上寺を訪れた。このお寺には、私の父母や実の兄や姪のお墓がある。昨年も父の命日に訪れた。正門のそばにある鐘は、大変立派で、このところ、貴金属の盗難があいついでいるので、注意していただきたいと思った。このお寺は、浄土宗の7大本山の一つである。徳川家の菩提寺ともなった時期もあった。次に、西郷隆盛と勝海舟の会談の行われた、場所を訪れた。この場所の裏は、当時海に面していたという。次に、高輪の大木戸跡を訪れた。木戸番を置き、夜間は通行禁止となった場所である。次に、有名な泉岳寺を、訪れた。最初は、徳川家康が、1612年に、建造したが、火事で消失した。後に毛利や浅野や水野を含む、5奉行により、今の場所に移転となった。赤穂藩士や浅野家代々の墓と、大石内蔵助たち47士の墓がある。お線香が売っていて、お墓参りできるようになっていた。最後は、東禅寺だった。1610年に、赤坂溜池に造られたが、1636年に、この地に移転となった。お寺の建物までの、お庭が良く手入れされていて、気持ちが良い!お寺の外の柱は、銃弾で打ち込まれた、弾の跡が沢山あった。今日の写真は、忠臣蔵史跡めぐりの案内板である。

ウォーキングの会

2007-03-19 00:33:26 | Weblog
朝夕は、冷えるが昼間の日差しは、春めいてきた!!やっとキルトが完成した。ミシンキルティングとハンドキルティングの両方である。アメリカのヒューストンのキルトフェスタィバルの売り場で、昔買い求めていた、キルトップをどうしても形にしたくて、キルトの形に創ってみた。さて、話は変わるが、私と同年代の人たちで、最近骨折する人が多くなってきた。骨がもろくなってきているのか?注意しなくてはと思う。私自身、毎日コラーゲンと黒酢とアミールは、飲んでいる。この年代になると、健康面でも、大分差がついてきていると思う。栄養や適度な運動や休養など、規則正しい生活で残りの時間を有意義に過ごしたいと思う。月に1度の市民ウォーキング以外に、ある場所を目指す、ウォーキングの会に参加することにした。組織の中にいないと、なかなか、運動も継続できないと思ったからである。マイペースで、挫折しないように頑張りたい。

久しぶりの母校と音楽会

2007-03-17 11:17:58 | Weblog
久しぶりの更新となった。今創っているキルトは、バウンディングのまつり縫いであともう少しで完成となった。昨日は、お昼に独身時代の職場仲間の人と、横浜駅近辺で、お昼をご一緒した。ご馳走になり、恐縮している。彼女も、昨年可愛い女の子のお孫さんが、誕生との事で、成長が楽しみの事だった。その後、結婚前に住んでいた、わが実家のあたりを懐かしくて、行ってみたが、住所は解るのだが、随分駅前付近が変化してしまい、よく解らなかった。次に、隣の駅の、私の母校である、卒業した母校に行ってみた。後輩の高校生たちの制服を見ると、男子は変わっていないが、女子は変わっている。夜は、7時から、母校の若い卒業生達による、コンサートと、多様な年代のOBによる、女性合唱を楽しんだ。合唱も選曲が良く、楽しく聴かせて頂いた。若い後輩達の、演奏は期待以上に楽しめた。若さあふれる演奏を、小さめのホールで、前から3番目の席で聴いたので、臨場感に溢れていて、また来年も少し遠いが、機会があれば行きたいと思ったほどである。特に、良かったのは、ピアノのシューベルト作曲でリスト編曲のアベマリアとバッハ作曲でブゾーニ編曲のシャコンヌが良かった。 私も、4月から半年グレゴリー聖歌を、歌いに行く事にした。宗教曲は、好きである。以前に、モーツァルトやベートーベンの宗教曲を歌ったことがある。歌を歌う事は、健康にも、情操的にも良い!!

新国立美術館

2007-03-07 10:48:13 | Weblog
以前から、行きたいと思っていた、新国立美術館にいってきた。色々なアクセス方法があるが、私は、地下鉄千代田線乃木坂駅、6番出口を利用した。今都知事候補として、立候補されて、この美術館を設計した方の展示会と、「異邦人たちのパリ」を主に見てきた。前者は、なかなか見ごたえがあり、これだけのお仕事をなさりながら、また、都知事選にも立候補される意欲に、感動した。人間いくつになっても、健康の許す限り、前向きな人生をおくらなければと、あらためて思った。後者は、私の好きな画家の作品が多かったので、大変見ごたえがあった。モディリアーニの女性像の絵やピカソやシャガールや、カンディンスキーなどの作品があった。さらに、眼の錯覚を利用した、オプティカルアートの、作品もあった。キルトにも、応用できるのでは!と感じた。また注目したのは、パリの風俗や情景を写したモノクロの写真が、とても見ごたえがあった。レトロな感じが良い!今日の写真は、美術館前の写真である。当日は、お天気が悪かったが、晴れたお昼間は、日光がふんだんにさしこんで、気持ちが良いと思う。この美術館と六本木ヒルズは、無料シャトルバスが、約10分で運行している。ただし、土日と祝日限定である。

続久しぶりの読書

2007-03-05 02:14:32 | Weblog
3月に入り、日差しが暖かくなってきた。以前から読みたいと思ってきた、「コーヒーハウス」を、図書館から借りてきて読んでみた。私自身も、コーヒーは大好きで1日に、ミルク入りで、2杯から3杯楽しむ。イギリスでは、17世紀半ばから、1世紀間にわたり、「コーヒーハウス」が、政治議論を戦わせる場所として、経済活動の場所として、また文学者達の場所として、ジャーナリズムの場所として、社交の場所でもあった。このコーヒーハウスは、男性だけが、利用できた。当時の酒屋としての、パブと比較して、以下の利点があった。1.費用が安い。2.真面目な雰囲気である。3.秩序良く楽しめる。このコーヒーハウスは、集まる人達によって、多様な特色を持った場所があった。その1つとして、「ヘッドフォード.コーヒーハウス」があった。18世紀に、開店して、多くの学者や文人達が集まったという。あらゆる文学や劇が、批評の対象となった。また、面白いことに、このコーヒーハウスでは、この店の看板となるほどに、科学者が科学実験と講義を行っていたという。また、コーヒーハウスと読書の関連では、店内で本の予約や競売や、新刊書や古本や雑誌の販売や、図書室とコーヒーハウスとの融合の店もあったという。この、コーヒーハウスも、18世紀の半ばから変質して段々と消滅していった。原因は、店の数が多くなり過ぎた事と、酒を出す店も増えて、従来の雰囲気が変わった事と、なじみの客を大切にして、多様な人種の集まりの本来の利点が、なくなったことである。他の衰退の理由として、時のチャールズ2世の「コーヒーハウス閉鎖令」や、女性側からのコーヒーハウス反対論や、客を奪われた酒場経営者達の反対や1部のコーヒーハウス経営者の、客からの情報を利益にする為に、新聞にして儲けに利用した点であった。他にも、コーヒーの価格上昇や、当時の個人の家の広さが増加したことなどであった。フランスのパブとの違いは、貴族のパトロンがついていない点にあった。現代の日本でも、小さな図書室を兼ね備えた、コーヒー店が、もっと普及しても良いように思えるが、実際の需要がそれほどないのかもしれない、多忙な現代、ウェブ上で議論する事も、大切だが、対面して相手の息ずかいを感じながら、多様な人々とコーヒーを飲みながら、交流する場があっても良いと思った。今日の写真は、昔創った、トールペイントのカレンダーである。