昨日は、いつも、訪れる、「神代植物園」で、「梅の講演」が、あった。来場者にも、梅についての、冊子が、頂けるとの事。梅の見学も、含めて、行ってきた。この、植物園の梅は、丁度、見頃。先日訪れた、府中では、「蝋梅」は、すでに、終わっていたが、ここでは、まだ、蝋梅も、、十分に、楽しめた。梅は、春の訪れと供に、咲くので、可愛らしいし、花も、比較的、長く、楽しめるので、私の個人的な、感想としては、好きな花である。
目的の講演は、午後から。
今日は、年に一度の、東京マラソン。以前は、見学も、したことが、あるが、今年は、それどころでは、ない。
しかし、講演は、なかなか、充実した、内容だった。講師は、江戸の園芸の研究家である。名古屋から、駆けつけてくださった。小冊子の内容も、なかなかの内容で、本当に、参加して、良かったと思う。神代植物園には、この植物園所蔵の、寄贈された、梅に関する資料が、あるとの事である。戦時中も、焼け残らず、今日まで、残っているとは感心した。
宝暦12年生まれ(1972年)の、春田氏は、自宅にも、梅園を、所有していた。自宅で、栽培した、品種を、すべて、図譜の、形に、していたという。
梅とは、どんな植物か? 改めて、原産地を、知って、以外だった。植物学上の分類は、バラ科で、サクラ亜科に、属するという。梅の原産地は、中国中南部の、山岳地帯だそうである。中国では、調味料や食用や、薬用として、用いられていた。
梅は、弥生時代には、日本に飛来して、始めは、薬用として、用いられた。奈良時代から、平安時代の人達が、庭に、梅を、植え始めた。「万葉集」にも、「枕の草子」にも、梅を、題材に、使っている。「学問の神様」として、有名な、菅原道真も、九州大宰府に、左遷されても、大宰府もで、梅を、愛した。
鎌倉時代には、「天神信仰の、高まりとともに、梅が、普及した。室町時代には「、「植木鉢」の、普及と供に、梅を、鑑賞する文化が、庶民まで、広まった。謡曲「鉢の木」の梅は、「北条時頼の伝説」を、もとに、しているようだ。そして、江戸時代には、「梅の文化」が、盛んになる。江戸時代には、各大名達が、多くの「梅庭園」を、創った。貝原益軒は、庭園には、著書のなかで、まずは、梅を、最初に、植えるようにと、勧めている。
また、江戸時代の武家社会では、「梅の実用性」を、高く、評価したようだ。
①梅の果実は、梅干として、非常食に、なる。 ②城で、ろうじょうした時に、燃料にもなる。 ③花は、厳寒期に咲くので、武士には、凛とした、美しさが。好まれた。
松平定信は、仕事を、引退後に、没するまで、今の植物園の形で、今の、東京中央卸売り市場あたりに、造ったという。そして、旗本達や御家人達にまで、「園芸熱」が、広まったという。
また、江戸時代には、多くの、花の見所が、ひろまった。有名な所に、「亀戸の花やしき」や、「鎌田の梅園」が、ある。そして、これらの場所で、広重は、あの有名な「浮世絵」を、制作した。
このように長い年月、「梅の花」は、実際の生活上でも、また、視覚的にも、、私たちの生活を、癒してくれた。そして、文学や、美術にも、多くの恩恵を、与えてくれた。今回の講演で、ますます、梅が、好きになった。
今日の写真は、「神代植物園で、撮った梅」である。 わが家の梅の木は、道路側に、白い梅が、1本と、川側に、赤い梅が、1本あるが、赤い梅のほうは、非常に、香りが、強い。
「梅の品種表」を、もらってきたので、どれかに、相当するか・、調べてみたい!!
目的の講演は、午後から。
今日は、年に一度の、東京マラソン。以前は、見学も、したことが、あるが、今年は、それどころでは、ない。
しかし、講演は、なかなか、充実した、内容だった。講師は、江戸の園芸の研究家である。名古屋から、駆けつけてくださった。小冊子の内容も、なかなかの内容で、本当に、参加して、良かったと思う。神代植物園には、この植物園所蔵の、寄贈された、梅に関する資料が、あるとの事である。戦時中も、焼け残らず、今日まで、残っているとは感心した。
宝暦12年生まれ(1972年)の、春田氏は、自宅にも、梅園を、所有していた。自宅で、栽培した、品種を、すべて、図譜の、形に、していたという。
梅とは、どんな植物か? 改めて、原産地を、知って、以外だった。植物学上の分類は、バラ科で、サクラ亜科に、属するという。梅の原産地は、中国中南部の、山岳地帯だそうである。中国では、調味料や食用や、薬用として、用いられていた。
梅は、弥生時代には、日本に飛来して、始めは、薬用として、用いられた。奈良時代から、平安時代の人達が、庭に、梅を、植え始めた。「万葉集」にも、「枕の草子」にも、梅を、題材に、使っている。「学問の神様」として、有名な、菅原道真も、九州大宰府に、左遷されても、大宰府もで、梅を、愛した。
鎌倉時代には、「天神信仰の、高まりとともに、梅が、普及した。室町時代には「、「植木鉢」の、普及と供に、梅を、鑑賞する文化が、庶民まで、広まった。謡曲「鉢の木」の梅は、「北条時頼の伝説」を、もとに、しているようだ。そして、江戸時代には、「梅の文化」が、盛んになる。江戸時代には、各大名達が、多くの「梅庭園」を、創った。貝原益軒は、庭園には、著書のなかで、まずは、梅を、最初に、植えるようにと、勧めている。
また、江戸時代の武家社会では、「梅の実用性」を、高く、評価したようだ。
①梅の果実は、梅干として、非常食に、なる。 ②城で、ろうじょうした時に、燃料にもなる。 ③花は、厳寒期に咲くので、武士には、凛とした、美しさが。好まれた。
松平定信は、仕事を、引退後に、没するまで、今の植物園の形で、今の、東京中央卸売り市場あたりに、造ったという。そして、旗本達や御家人達にまで、「園芸熱」が、広まったという。
また、江戸時代には、多くの、花の見所が、ひろまった。有名な所に、「亀戸の花やしき」や、「鎌田の梅園」が、ある。そして、これらの場所で、広重は、あの有名な「浮世絵」を、制作した。
このように長い年月、「梅の花」は、実際の生活上でも、また、視覚的にも、、私たちの生活を、癒してくれた。そして、文学や、美術にも、多くの恩恵を、与えてくれた。今回の講演で、ますます、梅が、好きになった。
今日の写真は、「神代植物園で、撮った梅」である。 わが家の梅の木は、道路側に、白い梅が、1本と、川側に、赤い梅が、1本あるが、赤い梅のほうは、非常に、香りが、強い。
「梅の品種表」を、もらってきたので、どれかに、相当するか・、調べてみたい!!