キルトの世界

キルトを始めて14年になります。刺繍を含めた、キルトを中心に日々感じたことを、述べていきたいと思います。

盲導犬の人工繁殖について

2007-09-23 19:16:52 | Weblog
今日は、お彼岸である。随分、涼しくなってきた。体が随分楽!である。夕方のテレビで、まだまだ数の少ない、盲導犬を増やす為に、優秀な盲導犬の人工授精による繁殖について、放映されていた。盲導犬といえば、娘が中学生の時に、盲導犬について、調べる為に、アイメイト協会を訪問した事があった。盲導犬として、優秀な犬のDNAを調べて、繁殖に役立てるだそうだ。テレビ画面に出てきた、生まれたばかりの、子犬が大変愛らしい!!今日の写真は、2枚のオーガンジーの布に、ミラーと刺繍と、ビーズを使用して、創った。

国府津から、小田原への、ウォーキング

2007-09-19 10:01:19 | Weblog
昨日は、9月に入って2回目のウォーキングに、行ってきた。とりわけ、何の運動もしていないので、このウォーキングは健康上、継続したい。8キロの道のりだった。特に、印象に残った立ち寄り場所だけ、述べたい。菅原神社に、行った。かの、学問の神様として有名な、菅原道真を、祀っている。樹齢800年を超える、ムクノキが、あった。大木の幹に触ってみると、長い年月を過ごしてきた、木の生命力に癒される!境内には、曽我兄弟の隠石があって、彼らが大勢の敵方を、この石に隠れて、見送ったとされている。また、「なで牛」とよばれる、この牛をなでると、体の調子が良くなる!?という牛があった。何故か、片方の耳がない。次に、酒匂川を渡った。昔の人達は、この川の増水で渡れない時に、地蔵堂に泊まって、水が引いてから、渡ったという。このお寺の堂守が、日蓮宗のお寺の法船寺に関与したという。昨日の酒匂川は、水量は、少なかった。この川は、冬には、仮橋で渡り、夏には、有料で、人の手を借りて、渡る必要があった。とうとう、小田原宿に着いた。この、小田原宿は、日本橋を出発した旅人が、2泊目の宿としたという。昔の人達の運動量は、相当多いから!、肥満で悩む人など、少なかった!だろう。小田原市内は、蒲鉾屋さんが、多い。次に、北条稲荷に、行った。この神社の境内にある、「蛙石」は、北条氏が、小田原落城の時に、夜に泣いた!?といわれる。最後は、大手門跡だった。大手門跡の鐘楼は、旧三の丸堀際から、現在の場所に移っている。今の鐘は、当時の鐘ではない。古い鐘は、太平洋戦争で没収されたので、昭和に、現在の鐘に創り変えられた。今日の写真は、北条氏政と氏照の墓である。豊臣秀吉が小田原を攻めた時に、彼らは切腹させられた。

最後のフランス音楽の講座

2007-09-18 19:27:45 | Weblog
先週の土曜日は、最後のフランス音楽の講座だった。日本の作曲家達は、フランス音楽の影響を、色濃く影響を受けている。また、フランスの近代音楽は、アジアやアフリカの影響を受けている。パリ万博の頃、日本の浮世絵を賞賛して、芸術家達は、アジアやアフリカの文化と供に、取り入れた。なんと、フランスの芸術界は、他国の文化を上手に自国の文化に取り入れて、柔軟な!姿勢なのだろう。主に、当日は、ラベ"ルについての、話だった。彼は、(1875~1937)まで活躍した。スイス国籍を持つ、鉄道技師の父と、バスク系の母との間に、誕生した。バスク地方は、スペインの北部の地方であり、この地方独特の文化を、持っている。彼の初期の作品では、ルーブル美術館のベラスケスの絵から、インスピレーシォンを受けた、「亡き皇女のウ"ァ-ヌ」がある。また、「古風なメヌエット」は、フランス.バロック音楽への、共感がみられる。そして、「水の戯れ」は、印象主義の傾向を持ち、独特の色彩感が、感じられて、綺麗な曲である。この曲は、聴いていて、美しく癒される作品である。そして、1914年の、「ピアノ三重奏曲」は、名作であり、主題として、バスクやアジアやアフリカの民族音楽の表現を、取り入れている。あと、彼の作品で特筆したいのは、戦争で右手を失った、ピアニストの為に、作曲した「左手のためのピアノ協奏曲」である。左手だけで、両手による、表現をめざしたのだから、彼の苦労も多かった!1と思う。そして、「ピアノ協奏曲 ト短調」は、気品のある美しさを持ち、彼の最後の作品となった。その他のフランスの作曲家で、特に印象に残ったのは、サティだった。彼は、風刺的で、体制や制度や、伝統から、自由であろうとした。彼の作品の題名も、かなりユニークだった。「あやしげな前奏曲」や、「本当にしまりのない前奏曲」は、ドビッシーへの批判が、うかがわれる。また、「官僚的なソナチネ」は、クレメンティのソナチネの、「一律的なピアノ教育」への風刺がみられる。
かなり、個性的な?作曲家だったようだ。この講座は、今回で終了だが、後期は、モーツァルトの講座に申し込んでおいた。今日の写真は、曽我十郎の剣難を救った、虎碁石である

アメリカの医療体制

2007-09-11 08:30:32 | Weblog
昨日は、以前から見たかった、ヘンリー・ムーア監督の映画、「シッコ」を、観た。わざわざ、映画館まで、出掛けるなんて、何年ぶりかのことである。是非、観たかったのである。平日の昼間という事で、映画館は30人たらずの観客である。DVDと違って、やはり迫力がある。映画鑑賞後、色々考えさせられた。監督も、インタビュー役で映画に出演しているが、イラク戦争批判を行っていた当時に比べると、かなり痩せた?感じがする。アメリカは、貧富の差!が大きく、国民皆保険ではないので、医療費が高く、治療費もかなり高い!!ゆびを2本切断された人が、治療費が高く、1本しか接合されない話や、治療費の払えない高齢の女性が、貧民街にほうりだされる話や、重大な病気になった老夫婦が、高額な治療費のために、自宅を手放して、子供の家にころがりこむ話や、医療に不満を持つアメリカ国民への、インタビュー形式で映画が創られている。皮肉なことに、一般のアメリカ国民よりも、アルカイダ関連の犯人達が、無料でアメリカ最高の医療を受けられるのである!!アメリカと比較して、カナダやイギリスやフランスの医療は、国民の為に、「相互扶助」の精神にのっとり、素晴らしい。国の政治が、国民の為なのか、特定の人達の利権なのか、良く見極めなければいけない。日本の医療が、後者の国の方向に、近ずいて欲しい!1アメリカでは、製薬業界や医療保険業界の力が強く、自分達の利益の為に、厳しいチェックの結果、保険金を払わない方向にある。政治家とこれらの業界が、お金で癒着している。以外だったのは、社会主義国のキューバの方が、アメリカよりも、よほど国民の為の、医療がおこなわれている。アメリカの同時多発テロで、ボランティアで参加した人たちにも、親身で暖かい医療を施したのには、感心した。ところで選挙権は、国の方向を決める大切な権利である。今後も国の行方に強い関心を保ちたい。おかしな方向にいかないように。今日の写真は、島崎藤村夫妻が、過ごした大磯の家である。

10回目のウォーキング

2007-09-08 16:33:19 | Weblog
今日は、台風明けに、綺麗に晴れた1日である。先週の火曜日は、大磯から国府津へと、ひさしぶりに10キロのウォーキングに行ってきた。8月は、暑さのためにお休みで、1か月ぶりにお会いすると、皆の様子の変化、たとえば元気さの度合いや、体重の増減など、はっきりとわかる。いつもお会いする、同年齢くらいの女性の方は、8月に富士山に登ったの事。当日は、暑からず、丁度良いお天気だった。大磯は、日本で最初に、海水浴場が、開かれた場所との事である。有名な伊藤博文の別荘や、島崎藤村が、72歳までの2年間を、この地で、晩年をすごした。地福寺には、島崎藤村と妻静子のお墓があった。鴫立庵は、俳句道場だった。かの有名な西行法師も、次の歌を詠んだ。「心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」が、有名である。県立大磯城山公園は、小高い丘の上の公園である。当日は、見えなかったが、晴れると、富士山や、相模湾や箱根などが、見えるそうだ。大磯中学校の前の松並木は、旧東海道の面影を残す、立派な松の木が、何十本も、並んでいる。次に訪れた、押し切り坂には、18番目の、梅沢一里塚跡の碑があった。最後に訪れた、車坂には、源頼朝の詠んだ、歌碑があった。「浜辺なる前川瀬を逝く水の早くも今日も、暮れにけるかも」。今日の写真は、大磯の史跡の北組問屋場の掲示板である。

7回目のフランス音楽の講座

2007-09-02 21:14:01 | Weblog
9月に入り段々涼しくなり、体も幾分楽である。先日の土曜日に、久しぶりにフランス音楽の講座に、行ってきた。ドビッシーの作品についての講義だった。彼は、印象派の音楽家であり、モネやドガやターナーなどの画家達や、マルラメなどの詩人とも交流があった。アフリカやインドネシアや日本の芸術の影響の取り入れて、彼の音楽作品に生かした。また、ジャズや自然の音も、作品に取り入れた。フランスは、「パリ万博」に観られるように、他国の文化を「異国趣味」として、自分達の文化に上手に取り入れてきた。対照的にイギリスが、他国の文化を、あくまで、「博物学」の対象としか、観なかった事にくらべれば、なんと柔軟な姿勢であろうか!当日聴いた作品の中で「海」が、良かった。光や運動を、音により、美しく表現している。このCDの表紙は、葛飾北斎の浮世絵である。また、ピアノ曲の、「喜びの島」は、画家のワトーの作品により、感化されて創った作品である。この曲は、演奏に高度な技術が、必要だとの事である。また、彼は、大変、女性関係が華やか!!だった。2人の女性が彼の裏切りによって、ピストル自殺を行っている。だが、皮肉!な事に、2人とも彼より長生きだった。彼の作品の有名な「子供の領分」は、ある銀行家婦人との不倫の末に、結婚して生まれた子供の為に、創った曲である。なんと、波乱万丈な1生を。送ったことかと、思った。今日の写真は、歌川国芳の、浮世絵の版画である。落ち着いた藍色の色合いが、好きである!